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27時のマーメイド  作者: 星見くじ
9/9

Day.6-③











何も分からず、膠着した状態が続いた数週間。

だが、決して悪いことばかりではなかった。

人魚の傷が完治に近づいている。あと数日安静にすれば、恐らく再び声を取り戻せるだろう。

柵越しに、水面を指先で叩く。水の跳ねる音に驚いたのか、人魚が顔を出した。

長い髪に、光がきらめく。幽玄の美しさは、無邪気な笑顔を浮かべていた。

ぎゅっと、何故か胸が締め付けられる。

「…君が喋れたら、話を聞けるのにな」

電子音と共に扉が開いた。

誰が来たのかは、見なくてもわかっていた。人魚の居るこの部屋の鍵を持つのは、自分と、もう一人だけ。

この研究所の所長にして、自身の恩師。

タイピングを止め振り返る。

「どうしましたか、沖合教授」

初老の師が、草臥れた様子で片手をあげる。酷い顔、まるで苦いコーヒーでも飲んだような、そんな表情。

やや時間を置いて、彼は口火を切った。

「高野君、ちょっと来てくれないか」

なぜでしょうか。そう聞く間もなく、彼はただそれだけを言って踵を返した。

嫌な予感が、背筋を駆け上がる。





虫の知らせというものは、本当にあったらしい。

教授の発した言葉は、しかしあらゆる最悪を上回る様なものであった。

「あの人魚は、安楽死させることになった」

声が出なかった。

ふう、とため息をついて俯く教授の、白髪の多い頭を見つめる。

「…は…冗談、ですよね」

真っ白な頭からどうにか絞り出したのは、そんな弱々しい言葉。

だって、そんな。ついこの間まで、そんな話は欠片も出ていなかったのに。

きっと何かの間違いだろう、そう期待を込めてじっと彼を見つめる。

だが、教授はただ目頭を揉むだけで、発言を変えることはなかった。どこか一点を見つめ、淀みなく言葉を重ねる。用意してきたらしい文言を、つらつらと。

「…その時は、薬品を使う。苦痛は殆ど無い。眠るように息を引き取るだろう、それと…」

「嫌です」

気づけば、そう言っていた。

ぴしゃりと水を打ったように静まりかえる。やっとこちらを見た教授の目と目が合う。

途端、汗が体中から吹き出した。殆ど反射的に言った否定だったのだ。根拠などあるはずもなく、しどろもどろになりながらも言葉を続ける。

「け…研究もまだ全然出来てないし、それに彼女、人魚はまだ不明な点が多いし発見数だって少ないのに、貴重なサンプルを殺してしまうなんて、そんなこと」

「だからだよ」

どうにか絞り出した理由は、呆気なく踏みつけられた。

「人魚は希少な存在だ。発見されたものは全て生体。死体は未発見。だから、体構造などはほぼ分かっていない。

…安楽死させた後、人魚は解剖に回される。決して、無駄な殺害などではない」

最早、何も言えなかった。

研究の為に、人魚を生かし。

研究の為に、人魚を殺す。

自分は研究者だ。それが役立つのなら、むしろ進んでやるべきことだ。

そう、何も悪いことではない。拒む理由など、ありはしない。

だが。

僕は。

研究者としてではない、高野明春としての人間は。

彼女が殺されるのを、見過ごせるのか?





「…二日後だ。それまで、人魚を頼むよ」

教授は、そう言って僕の肩を叩いた。




足が進むまま、ドアを開ける。

辿り着いたのは人魚の居る部屋。

水槽の向こうで、彼女が笑う。

まるで、全てを知っているかのように。

まるで、それでも全てを受け入れるかのように。

ただただ、柔らかく笑っていた。

それを見た瞬間。


迷いは、消えていた。











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