Day.1
第一発見者は地元の学生達だった。
今から約三年前の、八月も盛りの頃。大型台風の接近から一夜明け、台風一過の浜辺には流れ着いた大量の漂着物があった。海藻類やプラスチックゴミ、流木等により荒れ果てた浜の景観を取り戻そうと、地元の高校生らが有志を募り始めたゴミ拾い運動。
その真っ最中の事だった。
浜辺の少し入り組んだ場所の、さらに岩陰で、それは見つかった。
泥や葉が絡みついた髪、弛緩しきって伸びた腕、傷だらけで汚れた肌。
最初は、人の死体だと思った…第一発見者の生徒は述べた。台風に巻き込まれた人が、ここに流れ着いたのだと。
しかしその考えは次の瞬間にひっくり返る事となる。
その女には足がなかった。
正しく言えば、足と呼べる部分は全て魚の尾ひれのようなものであった。
奇妙な生物に、生徒があっと悲鳴を上げた時。ぱちり、とそれは目を見開いた。
それは死体でも、ましてや人間ですらない。
それはまさしく、人魚であった。
発見当時、メディアというメディアはこの世紀の大発見を取り上げた。
空想上の生物だと思われていた存在が実在したのだ。大衆が、マニアが、研究者がその存在に釘付けになった。誰もがその美しく未知に溢れた存在を愛し、魅了された。
しかし、現在。彼らが取り上げられることは殆ど無くなった。それどころか一部の人間は、人魚の話をすることすら嫌う程になっている。
これは、ある事件が切っ掛けであった。
半年前に起きたある事件により、人魚は友好の対象から恐るべき敵へと変化したのだ。
「高野君」
低く伸びやかな声に呼び止められ、振り返る。にこやかな笑みを浮かべた老年の男性。
長月海洋生物研究所にて働いており、自分の師である沖合教授だ。思わず白衣を整え、居住まいを正す。
「何でしょうか」
「ああ、そんなに畏まらなくて大丈夫だよ。君に伝えなければならない事があってね」
伝えたい事、とオウム返しに言いかけて、ある事に気づく。まさか、と教授を見れば深く頷いた。
「君の嘆願が通った。…例の人魚の調査は、今後君に任される事になる」
手渡されたのは、いくつかの書類、そしてカードキー。
それはこの研究所にて、人魚が置かれた部屋へ入る為の唯一の鍵だった。
「本当…ですか」
「ああ。君にはその権利がある。しかし、忘れてはいけない。君はあくまで研究者だ。私情に走ってはいけないよ」
「はい、心得ております…本当に、ありがとうございます、教授」
ぐっと深く腰を曲げ、勢いよく頭を下げる。教授は何か言いたげに口を開き、少しの逡巡の後、ただ一言頑張りなさいとだけ言った。その気遣いに感謝しながら、ぐっと手に力を込めた。
ドアが滑るように開いて、まず目に飛び込んでくるのは巨大な水槽。灯りのついていない薄暗い部屋の中でも、ぼんやりと薄青く光る水のかたまり。
そして、透明な硝子越しにこちらを見つめる二つの目。
「こんにちは」
パチ、とスイッチに手を触れる。途端明るく照らされた部屋の中で、それは美しく輝いていた。
ぬけるように白い肌、揺れる金の髪。端正に整えられた顔立ちに、長い睫毛が縁どった紫の瞳。
かつて人を魅了し、かつて人を恐怖に陥れ、人魚への嫌悪を生んだ元凶。
「はじめまして、僕は高野。今日から君の世話をする事になりました」
人間を喰らい、その頭部のみを持ち陸へと自ら乗り出し、その代償として声を失った人魚。おぞましいその怪物は、まるで獲物を見つめるように目を見開いて
じっとこちらを見つめていた。
「よろしくね」
ぐっと堪え、手を水槽へと添える。
意図が伝わったのか、それとも真似しただけなのか。恐らく後者だろう。ガラス越しに、彼女の白い手が重ねられる。
人を喰らい、人を襲おうとした化け物。
通称〝人喰い人魚〟は、気味が悪い程穏やかに微笑んでいた。
レポート 初日
人喰い人魚と対面。こちらに対して興味を示すような行動をとった事以外、特筆するような点はなし。こちらを見て襲いかかるような事もなく、一般的な人魚と同様な反応のみ。
血液、口内の粘膜の摂取にも抵抗すること無く応じた。傷の痛みを訴える事も無く、その他機能にも問題は無い。
引き続き監視を行う。