秋香(しゅうこう)
窓を開けると、この秋初めて金木犀の香りが漂ってきた。
甘く華やぐ香り。
もっと香りを楽しみたくて、窓を開け放つと、金木犀の香りと共に秋の冷たい風も一緒に体を包んだ。
「うっ寒。」
まだベットの中にいた彼が掛布団を引き上げてこちらをちょっと恨めし気に見ていた。
「ごめん。寒かった?でもいい香りもしてくるでしょ。」
そう声をかけると、顔を掛布団からひょこりと出してクンクンと嗅ぐようなしぐさをして、
「別に・・、朝飯の匂いもしてこない。」
またもふてくされ顔。
私朝ごはんの担当ってわけじゃないんだけどなぁ・・。
なんだかちょっとムッとした私の顔に気が付いたのか、
「ごめん。いい香りがするっていうから、朝飯の匂いかと思っただけだよ。」
そう言って、ベットから這い出してきて私の横に立ち、顔を窓の方に向けて外からの空気を胸いっぱいに吸い込むように両手を広げた。
彼の動きに合わせてまた外からオレンジ色の小さい花の香りが飛び込んできた。
「おっ。金木犀か。秋だな~~。」
彼もその香りに気が付いて、秋の少し冷たい風にブルっと身体を震わせながらも、表情を和らげた。
「どこからこの香りは来てるんだろう。近くに大きな木でもあるのかな?」
彼はその香りの本を探すように窓から顔を出してキョロキョロと辺りを見回していたけれども見つけられなかったらしく、私の顔を見て、首を少し傾げた
「そんなに大きな木ではないけど、目の前の公園の入り口に二本植わっているよ。」
私は窓から見える公園の入り口に植わっている大人の背の高さほどの金木犀の木を指さした。
「へ~~あのくらいなのにね・・。後で見に行こう。」
思ってたよりも小さい木のサイズにちょっと驚いた彼は、興味を持ったらしくそう提案してきた。
「いいよ。ところで、朝ご飯は簡単でいい?私、コーヒーとトーストくらいしか朝は食べないんだけど。」
「え~~~もう少し何か欲しい。俺が自分で作るからさ、卵とかキャベツとかさ冷蔵庫に入ってる?」
私の答えを聞く前に彼は冷蔵庫の中を物色して、卵とキャベツとベーコンを出して来た。
ボサボサ頭で、少し髭が伸びた寝起きの彼はちょっとカッコ悪いけど、そんな一面もまた滅多に見られないからいいかと私はちょっと含み笑い。
キッチンに二人で立って、私はコーヒーメーカーに豆と水を入れてスイッチを押す。
彼は、手際よくキャベツを剥いで水で洗い千切りを作り出した。
まな板から、タッタッタッタッとリズミカルに包丁がキャベツを切っていく音が心地よい、そこにコーヒーメーカーから豆を挽いたいい香りも加わり、なんだか頭の中もすっきりとしてきた。
ちょっとメンドクサイと思っていた朝食作りも、彼と一緒に秋のいい香りが伴えば楽しいと感じてくるのかもしれない。
「私が卵を割るよ。卵は溶くの?それとも、目玉焼き?」
「パンに挟みたいから、溶いてスクランブルにしたいんだ。ラピュタには憧れるけどさ、あれってさ、固焼きにしないと卵食べにくいからさ、あきらめてるんだ。俺、目玉焼きは断然半熟派。黄身がトロって垂れるくらいが旨いんだよなぁ。」
どうでもいい情報も、今はなぜか笑えてくる。
「えっ?あれ憧れてるの?あれって、パンに載せてる意味ないんじゃない?だって先に食べちゃってるもの」
「そうだけどさっ、先に食べるにしても、半熟のトロってしたやつだと食べにくいじゃん。」
ちょっと不満気の彼に、
「じゃぁ、文明の利器を使って、ホットサンドにしてパンとパンに挟んで、食べることにしたらいいんじゃない。ラピュタ気分は、洞窟の中では食べられないけど、草原のどこかに行って食べるってのは如何?今度どこかに遊びに行こうよ。」
ってちょっと提案。
「う~ん、しょうがない。ではでは、僕からの提案は、君がそのサンドイッチを作るっていうのは如何?俺、それなら少しシータの気分。」
「え~~~~。私がパズーなの?」
「ダメ?」
茶目っ気のある笑顔で言われたら、私の負け。
「いいよ。美味しくなくても、美味しいって言って食べるって約束で。」
「残念。それは約束できません。でも君が作った物を食べたいです。よろしくお願いします。」
ボサボサ頭が私の胸の方迄下がって来たので、その頭を両手でもっとボサボサにしてやった。
上目遣いでニッと笑う彼に、悔しいかなキュンと音が鳴る私の胸、この音が彼に聞こえてなきゃいいなと本気で思いながら、私は小さなボールの中に卵を割り入れた。
綺麗な黄色い丸い黄身が、秋の名月を思い出させる。
「せっかくだからさ、満月の日に行こうよ。月が出てくるとこも見たいな。」
「どこから出てくるとこ?」
「富士山。」
「いや、そこは無理でしょう。」
「しょうがない、この近辺で勘弁してあげよう。でも月がとっても綺麗に見えて、自然の中と言うのが条件。」
「わあった。探してみる。」
そんなたわいもない会話をしながら、朝食の準備は進んでいく。
カシャカシャと卵を割りほぐす音の次は牛乳を少し入れ、塩コショウを振りかけもう一度卵液をかき混ぜる。
その間に彼はキャベツの千切りを終え、ベーコンを細切りにした。
テフロン加工のフライパンを火にかけよく熱したら、ベーコンを入れて軽く炒める。
ベーコンに焼き色が付いた頃に、卵液を流し込む、ジュワァーと焼ける音と香り。
菜箸をフライパンの中で軽く動かしながら、卵を少しホワトロにする。
彼が刻んだキャベツの千切りが盛ってある皿に、キャベツに添えるようにベーコン入りスクランブルエッグをのせる。
コーヒーも出来上がったからマグカップに注いで、ベッド側のテーブルに向かい合って並べて、
「いただきます。」
と二人そろって声を出し、焼けたてのトーストにバターを塗ってキャベツをのせて、スクランブルエッグものせる。
パンを半分に折って具を挟み込んでマヨネーズを少し加えて噛り付く。
バターの香りと、キャベツのシャキシャキ感とベーコンの塩味と卵のまったりとした味とマヨネーズの酸味が口の中一杯に広がる。
そんな時でも、時折あの金木犀の香りは秋の主役は私と言わんばかりに香りを漂わせてくる。
朝ご飯の美味しい香りと、金木犀の甘い香りが同時に味わえるのは、空気がサラっとした秋の醍醐味なのかもしれない。
コーヒーの香りも金木犀に負けじと漂ってくる。
私の目の前では金木犀の甘い香りなど全く気にもせず、うまっうまっって連呼しながらサンドイッチを頬張る彼がいる。
こんな朝のひとときが幸せと感じながらも、食欲の秋を体現している彼にちょっと噴き出しかけた。
私も食べ進もうと手元を見れば、自分の朝ご飯を食べてしまった彼の手が私の皿のものを狙っている。
すかさず私は
「残念っ!!これは、わ・た・しのもの。」
そう言いながら、彼の手からひょいっと左手でお皿を持ち上げ、右手側の宙に浮かした。
「え~~食べ足りない。もっと食べたいよ。」
がきんちょの様な顔をしておねだりする彼に、
「もう一枚焼きなよ。さっき切ったキャベツの千切りがまだ残っているから、バターをのせてレンチンして、それをトーストの上にのせて、ケチャップとスライスチーズものっければぁ?また違う美味しいサンドイッチになるから。」
「作ってくんないの?」
「ここから立ち上がったら、これ食べられそうだから。ご自分でどうぞ~。」
これ見よがしにサンドイッチを彼の顔を見ながらパクリと口に入れた。
「あ~~~しょうがない。作るか。」
立ち上がった彼が、私の顔を覗き込んだら急に口づけしてきた。
「んっ!!」
「唇にマヨネーズが滴ってたからね~~」
そう言ってニッと笑ってキッチンに立って行った。
不意打ちのキスになんだか顔が赤くなっていた。
そんな私に、甘い時間に香りを添えましょうと言わんばかりに、外からまた金木犀の甘い香りが風にのって入って来た。
秋の金木犀の甘い香りを嗅ぐたびに、私はこんな何気ない朝の事を思い出すのでしょう。
コロナウイルスによって、たわいのない日常が閉ざされて、1年が経とうとしています。
この話は、秋の金木犀が香る頃に書き始めました。
たわいない日常の幸せを、また取り戻したいなと思いながら、この小説を書きました。
こんな日常が、早く戻って来ますように。