合唱祭練習中、可憐な女子高生の失禁
【1】
帰りのホームルームの後、女子高生の宮永美南とそのクラスメイトは音楽室に集められ、再来週に控えた合唱祭のための練習に取り組んでいた。
ひな壇に並ぶ生徒の表情は暗く重い。高校2年生にもなって合唱祭などに本気で取り組むなんてばかばかしい。わざわざ放課後になってまでこんなつまらないことをしないで、部活や自分の時間を楽しみたい。そんな思いが歌声にまでにじみ出ている。
美南はひな壇の生徒と向かいあう形で立っていた。彼女は合唱祭で指揮者の役目を任されていた。難しそうな表情を浮かべ、小柄な体を精一杯広げて手を振っている。
ぱっちり開いた丸い目、真一文字に結ばれた大きな口と、つやつやした唇。化粧っ気は薄いが、張りがあってすべすべした頬。制服の胸元はかすかに膨らみがある。スカート丈は膝より少し上で、そこから覗く生足の太腿が艶めかしい。
美南自身、任されたから指揮者を務めているものの、合唱祭に特段の思い入れはなかった。運動部に所属する彼女としては、文化系の行事にはいまひとつやる気を出せなかった。正直、どうして自分が指揮者に選ばれてしまったのかもわからない。
「全然駄目。まったく声が出てないし音程も取れてない。やる気あんの? 1年生の方がよっぽどいい合唱できるよ?」
背後で音楽教師の乙原が手を叩いて歌を止めさせた。教師は名を乙原と言った。50歳台くらいの見た目の彼女は、当校の音楽教師であると同時に、美南のクラス担任でもあった。
彼女は音楽教師であるがゆえ、自分のクラスにはどうしても合唱祭で賞を取らせたいという強い思いがあるようだった。他のクラスが自分たちの教室で合唱練習をしているのに対し、美南たちだけが放課後に音楽室を独占できるのはひとえに彼女の存在によるところである。
しかし、いくら環境が良くても教わる側にやる気がなければ意味もない。美南も含め、クラスにはどちらかというと体育会系の生徒の割合が高く、合唱祭への興味の低い者が多い。多くの生徒が合唱祭にやる気を出さず、その生徒に釣られて普通の生徒もやる気を失くしてしまっている。美南としては、乙原の気持ちに応えたい部分も多少はあったが、結局楽な方へ流れてやる気のない指揮に終始していた。
当然ながら乙原にとってはそれがおもしろくない。以前から更年期障害でヒステリックな面のあった彼女だったが、最近は輪をかけて怒ることが増えた。
そんな時、下手に言い返すと火に油を注ぐだけ。クラスメイトはそのことを経験から心得ていた。今回も乙原は耳障りな甲高い声であれが駄目これが駄目と捲し立てていたが、異を唱える者はいなかった。仏頂面を提げて押し黙り、嵐が過ぎるのを待っている。本気で合唱祭で賞を狙っている生徒なんていないのだ。ただこの場がやり過ごせればそれでよかった。
ひとしきり説教が終わった後、山田という男子生徒がおずおずと手を挙げた。普段人前で発言しない彼には珍しいことだった。
「なによ」
「あの~、トイレに行ってきてもいいですか」
山田の発言にクラスがどっと沸いた。乙原の説教の後だったために、トイレの許可を求めるなんともいえない間抜けさがより際立ったのだ。
「ふざけてるの?」
せっかく収まりつつあった乙原のボルテージが沸々と上がっていく。
「いや、真面目なんですけど」
そう答えるとまたクラスが笑い出す。美南も口元に手を当てて声を押し殺して笑ってしまった。
山田としてはふざけていたつもりはまったくないだろう。彼はそういうキャラクターではない。単純に、歌うのに支障が出そうなくらいトイレに行きたかったので許可を求めただけに違いない。無自覚なボケであることがなおさら笑いを誘うのだ。
「駄目。あと15分くらい我慢しなさい。……皆にも言っておくけど、練習の時間に席を立つことは認めません。もう高校生なんだし、練習も1時間ちょっとしかないんだからトイレくらい自分でコントロールしなさい。もう本番まで時間がないの。1分1秒だって無駄にできないんだから」
よほど生徒の笑いが気に食わなかったのか、結局山田の申し出が受け入れられることはなかった。
山田自身そこまでトイレに行きたいわけでもなかったのか、怪訝な顔をしつつも特に言い返すことはなく、大人しく引き下がった。というより、言い返す勇気もなかったようだ。美南は少し可哀そうに思った。
後に美南は、この時他の生徒と一緒に無邪気に笑っていた自分がどれほど愚鈍で浅慮だったかを思い知ることになるのだ。
【2】
美南は人から好かれやすい生徒だった。それは恋愛的な意味に留まらず、同性や教師からも好かれる、という意味だ。美南もそれを自覚して、人から好まれる行動を計算して生きてきた。
小さい頃から人より上手く出来る子だった。勉強も、運動も、ずば抜けて出来るというわけではないが、何をやっても上位25%には入れるくらい平均して能力の高い子どもだった。周りの反応から、割と早い段階から美南は自分が優れた子であることを自覚した。そして優れているがゆえに、この優越感を人に悟られてはいけないこともわかった。劣ってはいてもマジョリティを敵に回すのは利口な立ち回りではないこともわかっていた。
人に優しくしなければならないという義務感を常に胸に抱えていた。彼女なりの「ノブレス・オブリージュ」である。それに、人に優しくすれば、その人たちは自分の味方になってくれる。その味方たちはさらなる高みに到達するための助けになる。そう思って誰に対しても優しくした。続けているうちに、美南のはつらつとして見た目も相まって、誰も彼もが美南のことを気に入った。生徒会役員にも推薦されたし、すでに次期生徒会長の椅子も約束されていた。
人を「持つ者」と「持たざる者」で二分したとき、自分は「持つ者」に含まれるであろうことを自覚していた。それでも、決して驕りを人に見せることはなかった。
「あ、山田。さっきは災難だったね」
美南は山田に声をかけた。大人しく、特定の友人もいない山田に気兼ねなく話しかけられる女子生徒は美南だけだった。
「本当、参ったよ。あ、あのヒステリックばばあには」
同年代の女子との会話の経験に乏しいせいか、山田はどもりながら答えた。
「でもあのタイミングは最高だったよ」美南は親指を挙げた。
山田はぎこちない笑顔を浮かべていた。
美南が続く言葉を発する前に、クラスメイトの女子に捕まって、足早に立ち去らざるをえなくなる。
美南の友人の中には、彼女は山田のようないわゆる陰キャと呼ばれる生徒と話すことを好ましく思わない者もいる。彼女たちは美南を独占したいのだ。誰からも好かれる美南という存在はプレミアであり、そんな美南と友達グループでいられる自分にもプレミア感を感じたいのだ。
――なんか、疲れるな。
公明正大で、誰とも分け隔てなく仲良くしておきたいだけなのに。しかし、そうすればするほど美南の価値は上がり、プレミアであることを求められる。
彼女たちの思いは理解できた。しかし、同時に哀れに思わざるを得ない。所詮は太陽に寄生する惑星に過ぎないのだ。偉大な太陽の光を反射しているだけなのに、それを自らの輝きと錯覚している哀れな惑星。
【3】
それから数日経ってもクラスの合唱が良くなる兆しはなかった。全員やる気がないのだから当然だ。反比例するように乙原の機嫌は日増しに悪くなった。些細なことでヒステリックを起こすようになり、生徒たちも辟易していた。
昼休みが終わって5限の授業が始まろうとしていた。
美南が慌てて教室に駆けこむと、同時に始業のチャイムが鳴り響く。
「どうしたの?」隣の席の女子、田中里美が戸惑って尋ねた。
「生徒会の仕事でばたばたしちゃって」
美南は肩で息をしていた。顔も熱を帯びていて、かすかに紅潮している。田中がとろんとした顔で美南を見つめていたので、どこか気恥ずかしくなって、大仰に手を振った。
「ってか、時間なくてトイレ行けなかったんだけど」
本当は5限目の授業が始まる前にトイレに行くつもりだった。下腹部にはわずかながら重みのような違和感を覚える。しかし、まだ焦るような尿意ではない。笑って茶化す余裕もあった。
――まあ、1時間くらい全然持つしね。
美南に危機感はなかった。確かに、いつでもトイレに行けるくらいに尿意が高まってはいるが、急を要するレベルではない。少なくとも5限目の授業が終わるまでは我慢できるだろうし、その後にトイレに行けばいい。
美南は小さい頃からトイレで失敗した記憶はなかった。そちらの方も優秀な子だったのだ。おむつも保育園の中で一番に卒業したし、おねしょだって物心ついてからした記憶がない。小学校の授業中、我慢できなくてお漏らしをしてしまう生徒を何人か見たことがあったが、内心小馬鹿にしていた。小学生にもなっておしっこもコントロールできないなんて幼稚だな、45分の授業も我慢できないなんて可哀そうだな、と。
授業の前半はほとんど尿意を忘れるくらい学習に集中できていた。先生に教科書の音読を当てられてもいつもと同じようにはっきりとした発声で喋ることができていた。
トイレのことを意識しだしたのは終盤になってからだった。
――やっぱり、トイレ行きたいかも。
もじ、と両足の付け根に力を込める。下腹部の違和感ははっきりと認識できるくらいの重みとなって美南の尿道を刺激した。おしっこしたい。美南は思わず眉間に皺を寄せてしまう。授業の後に行くだけの話だが、尿意を我慢することは決して心地いいものではない。
変わらず授業への集中を保っているつもりだったが、ふとした拍子にノイズのように尿意を感じる。その度に足を組み替えたり、それとなく股間を押さえたりして尿意を紛らわせた。授業中にトイレに行きたくなってしまったことを誰かに悟られていないだろうか。我慢の動作を取るたびに周りの視線が気になった。
――そういえば、いつからトイレに行ってないんだっけ。
思えば、朝から行けていなかったような気がする。尿意とは不思議なもので、ないときは全然トイレのことなんて考えないのに、高まってくると頭の中がおしっこのことだけでいっぱいになってしまう。今日の昼も、あのときは尿意などあまり感じていなかったので、紙パックの紅茶を何の気なしに飲んでしまったが、振り返ると飲みすぎだったような気がする。
美南ほど人気のある生徒にもなれば、道を歩くだけで生徒教師問わず様々な人から話しかけられる。学校という狭いコミュニティの中にいる以上、道行く人のほとんどが知り合いで、あいさつをしないわけにもいかないし、ついでに立ち話をしてしまうこともある。女子生徒同士なら立ち話ついでに一緒にトイレに行くこともできるが、異性の生徒や教師相手だとそうもいかない。話を断ち切ってトイレに行くなんて、自分が尿意にあえいでいると教えることに他ならないからだ。女子が男の人に、自分がおしっこをしたくなってしまっていることを伝えるのは難しい。特に、大人と子どもの境目にいる女子高生は排泄に関する羞恥心を誰よりも強く感じてしまう世代だ。日々、尿意を悟られないようにトイレに行くよう上手く立ち回ることが求められている。
それゆえ、授業中に挙手をしてトイレに行かせてもらうのは悪手もいいところだ。おそらく、男性たちも女子高生が人前で尿意を告白することに羞恥心を覚えることを知っているだろう。つまり、トイレの許可をもらうということは、その羞恥心を超えるほどにおしっこの我慢が苦しいと言っていることになる。放っておけば終業のチャイムを待たずにお漏らししてしまいます、と自白しているのと同義だ。
とはいえ美南だって子どもではない。1時間くらいだったら我慢できる。授業は直に終わるし、そうなれば誰に止められることもなくトイレに行ける。便器に座り、膀胱の中にたまった女性の尿を心行くまま垂れ流すことができる。そんな至福の時間まであと10分とかからないのだ。小学生の時だってトイレをちゃんとコントロールできていた美南が、高校生にもなって授業中におしっこが我慢できなくなるなんて、ありえないのだ。
しかし、美南の不運は続いた。
「チャイムが鳴ってしまったけどきりが悪いので5分だけ延長します」
冴えない教師のぶっきらぼうな言葉が、さながら死の宣告のように美南の心臓を鷲掴みにした。
美南は努めて表情を崩さないようにした。何食わぬ顔で、黙々と板書を写す。別に、5分過ぎたからってどうってことない。まだ尿意はそれほど高まっていない。動悸する胸に言い聞かせるように頭の中で繰り返し唱えた。
案の定、板書を写しているうちに5分が過ぎた。次の授業の準備を済ませたら悠々とトイレに行けばいい。そう思いつつ、美南は時間割を確認し、
「……あ」
思わず声が漏れた。
この日の6限の授業は音楽だった。そして、教室から音楽室まで最低でも5分はかかる。トイレに寄っていたらとても始業前に到着できない。
「すぐ行かなきゃじゃん」美南はため息まじりにつぶやく。
「大丈夫? 5限前にトイレ行きたいとか言ってなかった? 私、乙原に言っておくから寄ってきた方がいいんじゃない」いちいち反応する田中が不安そうに尋ねた。
「……いいよ、あと1時間くらいだったら我慢できるから。乙ちゃん最近機嫌悪いし、下手に刺激したくないんだよね」
美南は笑顔を取り繕って答えた。
――大丈夫。1時間くらいなら、我慢できるはず。
脳裏には小学校の頃授業中に失禁してしまった生徒と、その光景が思い浮かぶ。
大丈夫。私はああはならない。自分の尿意がどれくらいのペースで高まってくるかくらい判断できる。もう子どもじゃないんだから。
そうやって自分の胸に言い聞かせること自体が不安の裏返しということに美南は気づいていなかった。
【4】
6限の音楽の授業は、直近に控えた合唱祭の練習になった。
指揮者である美南はクラスメイトの正面に立って合唱をリードする役割を担っている。生徒会の役員でもあり人前に立つことには慣れている美南だったが、今日ばかりは自分に与えられた役割を呪わずにはいられなかった。
――ああ、と、トイレ行きたい……。
美南の尿意は思っていたより速いペースで高まった。5限の間はじっと座っていたから気付かなかったのかもしれない。今となっては何をしていてもおしっこのことが片時も頭から離れない。合唱のことなんか考えられる状況ではなかった。この場を抜け出して、トイレに行けたらどんなに良かっただろう。女子トイレの個室に入り、パンツを下ろして股間に込めた力を緩めたい。膀胱に溜まった女性の小水を一刻も早く解き放ちたくて仕方なかった。
やはり昼休みに紅茶を飲みすぎてしまったのだろう。美南は自分の愚かさに唇を噛みしめる。予想以上に時間がかかったとはいえ、昼休みに生徒会の仕事が入っていたのは前からわかっていたこと。仕事の前にトイレを済ませておく選択肢もあったわけだ。午後、トイレに行けなくなるリスクがあるのは少し考えればわかることだったのに、後回しにしてしまったのは自分の失策だ。
後悔先に立たずとはまさにこのこと。今ここで悔やんだって美南の尿意は収まってくれない。授業中にトイレに行きたくなってしまった不憫な女子高生を嘲笑うように、一滴ずつ、着実に女性の尿が膀胱に溜まっていく。そして、女性の小さな膀胱がいっぱいになったとき、美南の意志に関係なく体は排泄をしてしまうだろう。
初めて、「お漏らし」という単語が美南の頭をよぎった。
トイレ以外の場所でおしっこ我慢の限界を迎えてしまえば、お漏らしをしてしまう。それは老若男女に通ずる共通の事象。美南が花も恥じらう女子高生であったとしてもこの摂理から逃れることはできない。
――ばかみたい。普通に考えて、この歳で漏らすとかありえないでしょ。
トイレに行けない状況に焦っているだけ。冷静になれば我慢できる。
それに、美南は他の人よりも優れているのだ。小さい頃からトイレトレーニングも人より上手く出来たおかげで手がかからなかったと親から聞いたことがある。そんな自分が高校生にもなって、自分の尿意の限界もわからず、人前でお漏らしなんてしてしまうはずがない。普通の高校生だって滅多にそんなことしないのに、ましてや優等生の美南が人前で粗相するなどというはしたない姿を見せるはずがないのだ
授業は半分が過ぎた。膀胱の重みのせいで、指揮に力が入らない。いつもより明らかに動きが小さくなってしまう。自分でもわかっているのだから、向かいで美南を見ている生徒たちも気づいていることだろう。
乙原が話している隙を窺って、前かがみになる。生徒の前に立っている以上、露骨におしっこ我慢のポーズを取るわけにもいかない。田中に心配された時に大丈夫と豪語した手前、みっともなくもじもじするのは美南のプライドが許さなかった。だから、できることと言えばせいぜいこれくらい。それでもなにもしないでいるよりかは幾分尿意を紛らわすことができた。
――大丈夫。私なら、ちゃんと我慢できる。
あとたった30分なのだ。それくらいの時間、我慢出来るに決まっている。
何度目かの合唱の後、乙原が不機嫌そうに手を叩いて歌を止めた。またお説教か。生徒たちのため息が聞こえてくるようだ。
しかし、今回の説教の矛先は美南に向かっていた。
「宮永さんさあ、さっきからなんなの? 指揮にまったくやる気を感じられないんだけど」
「っ……すみません」美南は唇を噛みしめて苦悶の表情を浮かべた。
指摘を受けてやり直す。やる気もなくて下手くそな合唱でも、指揮者の美南が叱られることなんて一度もなかったのに。美南は泣きそうになりながら、内股になってしまいそうなのをぐっとこらえて指揮を振るう。
「全然違う! あんたは体が小さいんだから、1つ1つの動作をもっと大きくしなさい!」
乙原に言われて、美南は無理にでも体を大きく動かすしかなかった。胸を張って指揮を振るうたび、下腹部が刺激を受けて、ごまかしていた尿意が存在を主張する。美南は膀胱に溜まった水が波を立てるのを嫌というほど感じた。
今更ながら、5限の後遅刻覚悟でトイレに行かなかったことを後悔した。現在進行形で美南を苦しめるおしっこの苦悩に比べれば、人前で怒られることなどなんてことでもない。おしっこをしたいのにできないことがこれほどまでに苦しいとは思わなかった。5限の後にトイレに行かなかったのは明らかに間違った選択だった。美南もそこは認めざるをえない。
――早く、あと、15分……
15分経てばトイレに行ける。あと、たった15分。そう考えれば、確かに今の尿意は苦しいけれど、耐えられないほどではない。絶対に我慢できる。
美南には授業中にトイレを申し出る選択はなかった。そんな情けなく恥ずかしいことをしなくても我慢しきれる自信があった。自身の膀胱の許容量を過信したせいで猛烈な尿意に悶えているにもかかわらず、今もなお失禁だけは絶対にしないという根拠のない自信を持っていた。
――うぅ、おしっこ、おしっこぉ……
乙原が話している隙を見計らって、小さく足踏みしたり、膝を擦り合わせたりしてしまう。もじもじ、そわそわと忙しない。美南はそれらの我慢動作を、上手く取り繕って向かいの生徒たちに悟らせないようにやりきった。生徒の視線は乙原に向いている。いまだに美南が荒れ狂う小水の渦に身悶えしていることを看破した者はいなそうだ。
時計の針は遅々として進まない。これほど長い15分は初めてだった。立っていると、重力の都合で尿意をより強く感じてしまう。美南は、着座して足を組み股間を手で押さえて我慢したい気持ちに駆られたが、強い意志で直立を維持した。
指揮もやけくそ、合唱の声など入ってこない。とにかく、時間が早く過ぎることだけを祈る。チャイムと同時に駆けだして、女子トイレにこもり、体にたまった恥ずかしい水を誰に見られることもなく処分してしまいたい。
――あと、5分……!
はあ、はあ、と息が荒くなる。もうすぐトイレに行ける。体外に出てこようとする小水を留めておく必要もなくなる。あと5分で解放される。美南は残された力を振り絞って括約筋のきつく締める。
そして、授業の終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
「……終わったぁ」思わず口に出してしまった。
ついに、トイレへの道が開かれた。美南を阻むものはもうない。荷物をまとめて、女子トイレに駆け込むだけだ。
直後、希望は絶望に変わった。
「せっかくなので今日はHRを後回しにしてこのまま放課後練習も続けます」
乙原の無情な言葉が響く。
「……え」美南は全身から血の気が引いていくのを感じた。
ついに、美南は自分の犯した最大の過ちに気付いたのだった。
美南のクラスは音楽教師の乙原が担任で彼女は賞を取ることにやっきになっている。それなのに合唱の出来は悪く、乙原は不満が溜まっている。そんな状況で、追い込みをかけている中、6限の授業が音楽。美南のクラスは乙原の特権により音楽室で放課後練習をしている。
これだけの状況が揃えば、乙原は6限の後に放課後練習を、休憩も挟まずに、実施したとしてもなんら不思議ではない。いや、むしろその方が自然とさえ思える。
つまり、どんなことがあっても5限の後にトイレに行っておくべきだったのだ。現に他の生徒は誰もトイレを申し出ていない。先に済ませていたからだ。美南だけが、耐えがたい尿意を感じたままこの場に来てしまった。リスク管理という観点で、他の生徒よりも後手を踏んでしまったのだ。
放課後練習は1時間だ。つまり、5限が終わってから今までのぶんと同じだけ、我慢を続けなければならない。
自分から休憩を申し出るべきか否か、逡巡した。普段の美南ならここで異を唱えることはない。休憩を要請すれば、乙原は間違いなく気分を害し、理由を問いただすだろう。そうなればトイレに行きたいことを皆の前で発表しなくてはならなくなる。
他の生徒が皆トイレを済ませて来ているのに自分だけが準備を怠ったと認めたくなかった。美南は優秀なのだ。トイレだって小さい子どものときから計画的にできていたのだ。他の生徒が何人もいるのに自分だけがおしっこをちゃんと制御できなかったなんて許せない。
――我慢、できるかな……。
失禁による一生の羞恥か、トイレ要求による一時の恥か。練習が終わるまで我慢しきれるのなら、ここでトイレに行かせてもらうのはただ恥を掻くだけになる。1時間の練習を乗り越えられるのだろうか。正直なところ尿意はもうかなり限界に近いことは間違いない。だが、1時間なら持つ気がしなくもない。あと、たったの1時間なのだ。集中していればあっという間に過ぎる時間。それが終われば今度こそ美南を遮るものはない。ホームルームの前にトイレに寄って帰ればいい。
――やっぱり、恥ずかしいな……。
美南はこれまでただの一度も授業中にトイレを催したことがない。つまり、人前でトイレを要求することもなかったのだ。加えて、過去に失敗の経験もなければ、自分の限界を見定めることもできない。
完璧すぎたこれまでの経験が枷となり、美南の行動に迷いを生ませた。
そうして悩んでいる間に練習が始まってしまった。こうなってしまえば今更トイレに行かせてもらうなんて間が悪すぎる。美南は自分の意志に寄らず我慢の道を選ばざるを得ない。
――なんで私だけこんな目に……
他の生徒がみっともなくトイレの許しを請うてくれれば、それに乗じて5分休憩を挟む流れに話を誘導できるのに。口火を切る生徒が現れないことに苛立った。
【5】
練習が始まってしばらくして、美南は自分の選択が間違っていたことを自覚した。
――もう、だめ。トイレに行きたい。早くしないと、も、漏れちゃうよ……
我慢に集中していないといつ集中の糸が切れてしまうかわからなかった。おしっこがすぐそこにまで迫っているのを感じる。合唱中はなんとか動かないよう耐えるが、それ以外のときは足をクロスさせたり、腰を振ったりしながら尿意を紛らわそうとしてしまう。さすがに生徒も奇異の視線で美南を見ていることに気付いたが、どうしても止められない。
美南は怯えた子どものようだった。いつまで我慢を続けられるかわからない。今すぐにでもトイレに行って排泄をしなければ、漏らしてしまうかもしれない。
――あ、ああ、トイレ、トイレぇ……
自分がお漏らしなんてするわけがない。さっきまでそう思っていたことが嘘のように、音楽室で他の生徒に見られたままお漏らしをしてしまう情景をありありと想像してしまう。
尿道をこじ開けようとするおしっこの力に屈し、我慢できなくなってしまい、下着の中にお漏らしして、パンツからあふれた小水が太腿を伝って靴下、上履きを濡らし、あるいは汚い音を立てて直接床に落ちていく。美南はその中に座り込んでしまい、子どものように泣き出してしまう。その間も放尿は止まらなくて、美南は垂れ流した尿はスカートを汚して水たまりを広げていく……。
――そんなの、絶対いや……!
いっそのことトイレを申し出るべきだろうか。そう思っても、行動できない。先日のことが脳裏をよぎる。
――練習の時間に席を立つことは認めません。もう高校生なんだし、練習も1時間ちょっとしかないんだからトイレくらい自分でコントロールしなさい。
乙原の言葉が繰り返される。そう、乙原はすでに一度警告しているのだ。練習の時間にトイレに行くことは許されない。トイレは練習の前に済ませなければならない、と。
最悪なのはトイレを申し出て断られることだ。先日は断られたのが山田だったから笑い話で済んだけれど、女子生徒の美南ではそうもいかない。勇気を出しておしっこ我慢が限界に近いと告白してもなおトイレに行くことを許されなかった女の子がどれほどみじめな気持ちになることだろう。
相手が男の先生なら美南に勝算があった。可愛い美南が半泣きで前押さえしながらトイレに行かせてと頼み込んで行かせてくれない男性教師はまずいない。しかし、相手が更年期のおばさんであれば話は別だ。ああいった手合いは若くてちやほやされる女性を敵視しがちである。乙原だっていらいらしている今なら美南に意地悪してやろうという気を起こさないとは限らなかった。
それに、皆当時の経験から学んでちゃんとトイレを済ませている。この状況でトイレを申し出るのは、美南が本当に我慢できないくらいおしっこしたくなっていることを教えるのに加え、自分がトイレのコントロールもできない無能であることを証明することになってしまう。それはきっと美南がこれまで受けたことがないほどの屈辱に違いない。
このような状況でまともに指揮などできるはずもない。手を振っている暇があるなら股間を押さえて地団駄を踏みたいくらいなのだ。美南は両足をクロスさせたり、内股になったりしながらトイレを我慢している。変な動きなのは誰から見ても一目瞭然だし、勘のいい人ならおしっこを我慢していることにも思い至るだろう。
残念なのは乙原が気付ける人間ではなかったことだ。
「ちょっと、指揮! テンポあってないよ!」
乙原の叱責が飛び交う。彼女は合唱祭の賞ことで頭がいっぱいで美南の様子など気遣っていられないのだ。
尿意が波のように押したり引いたりして、美南のかよわい括約筋を痛めつける。まるで、おしっこがしたくてたまらなくなった美南が身悶えるのを楽しんでいるかのように。
「う、ぅう」
波が高まったとき、思わず声が出てしまう。しかしその声も合唱の騒音にかき消されていく。
おしっこがしたい。心からそう思う。
美南は、小学生の頃、我慢できずに失禁してしまった生徒を内心馬鹿にしていたことに心から謝りたい気分だった。人は誰しも、生きている限り排泄から逃れることはできない。行きたい時にトイレに行けるかどうかはすべてタイミング次第なのだ。ボタンを掛け違えるように、何か1つタイミングがズレてしまうと、誰にだってこういった状況は起こりうる。優秀だからとか、劣等だからとか、そういうことではない。美南がこれまでトイレに困ったことがなかったのは単純に運が良かっただけだった。
――もう、我慢できない。
美南は敗北を認めた。当然、人はいつまでも排泄を我慢できるはずがない。いつかはトイレに行くことを許してもらわないといけない。それは若くて可憐な女子高生の美南であっても変わらないことなのだ。
今になって思うと、6限の後に休憩を要求しなかった自身が間抜けとしか思えない。あのときなら一息入れるタイミングとしてはこの上なく適切だった。どうせ行かせてもらうなら、心理的ハードルが下がったのはあのときの他にない。
「……先生、すみません」
美南は千鳥足で乙原の元に向かう。足をクロスさせ、股間をきつく締める。スカートに皺ができてしまうが、そんなことを気にしていられる状況ではなかった。
「……お手洗いに行ってもいいですか」蚊の鳴くような小さい声しか出なかった。
「はぁ? トイレ?」
乙原は苛立った顔で美南を見返した。教室中に響き渡るような大きい声で。
教室中の目が美南の方に向いてしまう。
「私、この間言ったよね? 練習の時間に席を立つことは認めないって。本番まで時間がないって」
「はい。でも……」
「トイレぐらいコントロールしなさいって言ったよね? あと20分くらい我慢しなさい」
それだけ言って、乙原は一方的に話を打ち切ってしまう。生徒の方に向き直って、手を叩いて指示を出す。
ひときわ強い尿意の波が来て、美南は前かがみになる。足の付け根にぎゅっと力を込めて、両手で思い切り股間を押さえてしまう。
――い、いやだ、もらしたくない……!
一歩でも動いたら出てしまいそうになって、硬直する。出来る限りの動きを失くし、尿意の波が見逃してくれるのを待つ。波が引いていくのを確認し、口を開く。
「も、もう我慢できないんです……!」
ぎょっとした顔で乙原が振り向いた。
「昼からずっと我慢してて、でもずっと行けなくて……もう限界なんです」
ぽろぽろと真珠のような涙があふれだした。恥ずかしさと、悔しさと、悲しみの入り混じった塩辛い涙。美南は拭うことができなかった。顔を覆おうにも股間を押さえる手を離したらおしっこを漏らしてしまう。
「ずっと行きたかったんです。なのに、5限目も長引いたから行けなくて、6限目の後も休憩取ってくれなかったから……」
人前で涙を流すのは初めてのことだった。
美南は猛烈な尿意を前に敗北を認めた。2時間以上続いた我慢もついに限界を迎えた。自分なら我慢できると己を過信していた。恐ろしいまでの尿意に自信もプライドも打ち砕かれ、お漏らしという最悪の結末だけはどうかお許しください、と涙ながらに懇願しているのだ。
見ていた生徒も事の重大さに気付き始め、騒がしくなる。「やばくね」とか、「行かせてあげたらいいのに」とか、美南を哀れむ声が聞こえる。
屈辱的だった。哀れむことは、下に見ること。美南は常に自分は哀れむ側の人間だと思ってきた。自分は優れ、劣った人を哀れみ、救いの手を差し伸べる立場。それが、生理現象一つでこうも逆転してしまうとは。所詮、すべて美南の思い上がりに過ぎなかったのだ。
乙原は、信じられない、という顔でしばらく美南を見ていたが、やがてため息混じりに頭を振った。
「さっさと行ってきなさい。……次からは気を付けること」
「はい……すみません」
美南は涙でぐちゃぐちゃになった顔を伏せ、ゆっくりと出口の方に向かった。
トイレの許しが出たとはいえ、美南が今にも失禁してしまいそうなことに変わりはない。ここまできてトイレにたどり着く前に漏らしてしまったらそれこそ屈辱以外の何物でもない。
ゆっくり、ゆっくりと一歩ずつ歩みを進める。生徒たちも固唾を呑んで見守っていた。頑張れ、頑張れ。決して美南の不幸を願うような者はいない。それは、これまで彼女が積んできた功績の賜物だった。
美南は入口のドアの前で立ち止まった。そして、大きな試練が待ち構えていることに気付く。
――手を、離さないと。
入口のドアは音漏れを防ぐために閉まっている。開けるためには股間を押さえる手を片方離さなければならない。
「く、ぅ」
意を決する。開けねばならない。ドアを開けられなければ失禁の末路を避けることができない。
美南は片方の手を外し、ドアノブに手を掛ける。瞬間的にちびってしまいそうになったのを、括約筋に全力を注ぎこんで耐えきる。
――トイレに行ける、ここさえ開けられれば、トイレに行ける……
そして、ドアノブを握る手に力を込めた瞬間、
じゅっ。
意識が股間から離れた瞬間、一滴のおしっこが括約筋の結界をすり抜けて体外に排泄された。一瞬美南の股間を温かく湿らせたかと思うと、瞬く間に綿パンツに吸われた。
「ぅっ、ぁあ」
慌てて両手で股を押さえる。がくがくと膝を震わせ、収縮を始めた膀胱に抗おうとする。自分の体のことなのに、自分の思い通りにならない。美南はパニックになって、視界の端でちかちかと光が明滅する。
――い、いやだ、もらすのだけはいや……!
自分だけはお漏らしなんてすることはないと思っていた。そんな美南の慢心を嘲笑うように、体の中のおしっこは確実にお漏らしへの道を進んでいく。
美南は最後の過ちを犯した。自分の力を過信するべきではなかった。他の生徒の力を借りてドアを開けてもらうべきだったのだ。
しかし、美南はそうしなかった。この期に及んでなお、自力でトイレまで到達しようとしていた。なまじ人より優秀だったために、自己完結できると思っていた、驕り。美南自身、ずっと気付いていなかった。知らぬ間に彼らを見下していた。これは、そんな彼女への戒めなのかもしれない。美南は、おぞましいほどの股間の温もりに頭を支配されていく中、うっすらとそんなことを考えていた。
そして、宮永美南に最後の時が訪れた。
今更両手で押さえたところでもう遅い。一度決壊したダムはもう水をせき止めてはくれない。美南が腰砕けになりながら最後の力で尿意を鎮めようとしても、じゅわ、じゅわ、と一滴ずつ尿が漏れてきてしまう。
「あ、ああ、いやあ……」
おしっこをちびるたび、股間に広がる温もりに頭がおかしくなりそうになる。生徒がざわついても耳に届くことはない。じょろ、じょろとちびる音だけが壊れたカセットテープのように何度も何度も繰り返される。
小水がパンツを濡らし、小さな染みを作っていく。美南がおしっこをちびるたび、徐々にだが確実に染みが広がっていく。
生徒のざわめきが遠く聞こえる。真冬でもないのに唐突に寒気を感じ、肩がわななく。あふれた水滴が、1滴、2滴。音も立てず、床に水晶の粒のような雫ができた。
もうどれほど急いでもトイレまで失禁せずにいられる方法はない。そう悟った時、美南は全身から力が抜けていくのを感じた。
「や、あ……」
じょおおおおおおお……
ついに、可憐な女子高生、宮永美南が制服を着た状態で我慢の限界を迎えてしまい、おしっこを漏らした。
尿が下着を打つ感触を音のように錯覚し、耳朶に残る。綿パンツの中をおしっこが渦巻いて、美南の股間を包み込む。究極の羞恥の中、まるで胎児が羊水に包まれるかのように温かいもので満たされていく。
おしっこはトイレでしないと恥ずかしいもの。子どもでも知っている当然のこと。高校生にもなって、音楽室で生徒に見られたままお漏らしをする女子。自分だけは絶対に人前で粗相するはずがない。根拠のない慢心が小水の濁流に呑み込まれていく。
パンツの吸水力を超えた尿があふれ出す。最初、美南は自分の太腿をなにか温かい糸が伝っていくような気がした。次の瞬間、水風船が破裂するかのごとく一斉に尿が漏れてきて、美南の太腿も靴下も上履きも関係なく尿で染めていく。
びちゃ、びちゃびちゃびちゃ……
失禁した尿が床に叩きつけられ、音楽室に響き渡るほどの音を立てる。
すでに失禁してしまったのに、手はいまだにスカートの上から股間を押さえつけ、小水が漏れてしまうのを止めようとしている。無駄なあがき。そのせいで尿は美南のスカートも手も汚し、彼女の下半身をぐっしょりと濡らしてしまう。
――ああ、私、おもらし、してる……
目の前の光景をいまだに信じられなかった。足元に水たまりができて、不規則に広がっていく。下半身は温かい水で濡れ、白くむちむちとした美南の太腿をおしっこが伝う。
なおも美南のお漏らしは続く。我慢に我慢を重ねたおしっこは簡単に排泄を終わらせてはくれない。
美南は自分の顔が熱を帯びていくのを感じた。すでに自分がお漏らしをしてしまったことは自覚した。それを皆に見せてしまったこともわかったし、十分な敗北感も味わった。それでもなお人前でみじめにおしっこを垂れ流し続け、押し寄せる情けなさに股を押さえたまま身を震わせる。それは美南にとって生き地獄と呼ぶに相応しい究極の辱めであった。
自分ならトイレを我慢しきれると思っていたのに、想像を超えた尿意の高まりに恐れをなし、涙ながらにトイレの許しを得てもなお、人前で力尽きて失禁を披露してしまった美南。その永遠とも思われた放尿がついに最後の一滴をパンツに染み込ませた。
辺りは静まり返っていた。皆どのような言葉をかければいいのかわからなかった。誰も、高校生にもなって女の子が教室で我慢できずにお漏らしをするなんて思いもしなかったのだ。
美南のすすり泣く声だけが反響していた。恥ずかしさと、悔しさの涙。確かに生徒会の業務が忙しくてトイレに行く暇がなかったし、5限も長引いた。だが、最終的にトイレに行く選択をしなかったのは美南自身だ。合唱の練習でも、もっと早く手を挙げていれば漏らすことはなかったかもしれない。本当にお漏らししてしまう寸前まで言い出せなかったのは自分の過ちだ。おしっこ我慢の限界を見誤ったせいだ。そんな間違いをするのはせいぜい小学生くらいまでだというのに。
「……保健室、行こうか」
乙原の声は嫌になるくらい優しかった。
――そうか、保健室に行かないと、なんだ。
美南はこの生き恥がまだ終わりではないことに気付く。粗相の痕跡がありありと刻まれた格好のまま保健室まで行かなければならないのだ。すれ違う人は美南の姿を見て、彼女は女子高生にあるまじき失態を犯したことに思い至るだろう。美南は、自分が排泄もコントロールできず失禁したお子様です、と校舎にいる人たちに宣伝しながら歩かなければならないのだ。
「……はい」
これ以上恥を重ねたくはなかった。校舎の人に自分の失禁姿を見せて回るなんて、心が耐えられるかもわからない。でも、行くしかない。漏らしてしまったのは美南自身。誰にも代わってもらうことなどできない。それに、お漏らしした挙句赤子のように泣きわめく方がよほど恥ずかしい。
「待って!」
ひときわ大きな声が美南を呼び止めた。声の主、田中里美が美南の傍に寄ってくる。
「私、教室にジャージあるからそれ着て行きなよ」
「でも、さとちゃんのジャージ、汚しちゃうから……」
「そんなのいいって」
答えるや否や、田中は廊下に駆けだして行ってしまった。すると、見守っているだけだった生徒たちも動き出し、女子生徒を中心にして美南の粗相の後片付けをし始めたのだ。
「いいよ、そんなの悪いし……汚いから」
美南の遠慮も聞き入れてもらえず、生徒たちは自発的に掃除をしてくれる。美南自身は、無意識ながらも彼女たちのことを下に見ていたというのに、そんな美南のことを思って助けてくれる生徒がこれほどたくさんいた。
――私って、本当に馬鹿だったんだな……
美南は自分の人生観が恥そのものであったことを思い知った。カタログスペックに自惚れ、肝心なところを見てこなかった。
勉強や運動の出来なんて、人の価値に関わらない。美南が苦しんでいるときに、自分が汚れるのも顧みず助けてくれる田中やクラスメイトたちの方がよっぽど尊い存在だと心から思えた。
「みんな……ほんと、ごめんね」
美南の目から温かい涙がこぼれた。
終わり