音速の凡人、抵抗を無視する。
炎が辺りを飲み込む前に、巨狼は小さな人間の姿を見失なった。
神速を超える神速。
生物の限界速度を遥かに超え、物理法則を無視し、刹那にも満たない時を駆け抜ける。
何の小細工もないシンプルな移動は、全ての音と光を置き去りにした。
炎が爆散するよりも速く、リオは狼の首の後ろを取った。
渾身の力を込めて小刀を振り下ろす。
「なっ!?」
しかし傷ひとつ付かない。
腕力がへなちょこなので仕方がない。
ヘルテイルはリオ振り払い、再び距離を取った。そのまま後退りする。
漆黒の瞳がわずかにゆらぐ。巨狼は困惑していた。生まれてこの方、行手を阻む者などいなかった。息をするように殺し、花を摘むように蹂躙してきた。草原の生態系の頂点であるヘルテイルは、初めての恐怖を感じていた。
手加減など一切していない。全力の猛攻、全力の魔法攻撃だった。しかし、何一つ届かない。知性の高さ故に魔物は理解した。
こいつは殺せない。
それどころか、完璧に背後を取られ、急所を攻撃された。ダメージはなかったが、それがまた怖ろしかった。なぜ殺さなかった。殺す程でもないということか。いつでも殺せるというメッセージなのか。
ヘルテイルは戦意を失っていた。
相手は力の底が見えぬ、遥か格上。逃げるしかない。しかし逃げ切れるとも、とても思えない。あの身のこなしはイカれている。
得体の知れぬ化物を前に、身動きが取れずにいた。
「やっぱり腕力がないと。」
避けれても、倒せない。
リオもまたどう動くかを決めかねていた。
両者の間に数秒の沈黙。
均衡を破ったのは女神だった。
「腕力を使うな。」
「なんだって?」
「人間は理というものがわかっておらんな。腕力がなければ倒せん、とでも思っているのであろう。」
図星だった。
「事実倒せんだろう。逃げ回り敵が去るのを待てというのか。」
女神は鼻で笑って、リオをまっすぐ見据えた。
「小さき者よ。威力とは重さ✖︎速さじゃ。腕力は重さを加え、速さを支えるだけのもの。腕力そのものは威力ではない。」
たしかにその通りだ。そうか、少しわかったぞ。
女神は続けた。
「武器が1の重さでも、10の速さを掛ければ威力は10となる。して、お主。お主は今どれだけの速さを出せるのじゃ?」
リオの素早さは今、無限である。
強大である事と、無限である事は、全く別の意味を持つ。
「狼の後ろを取ったスピードで助走をつけ、投てきして見せよ。それ以上のスピードは絶対に出すなよ」
リオは無言でうなづいた。
やってやる。
助走にして大きく一歩。
ただし超音速の一歩である。
距離にして5メートル。マッハ2。秒速686メートル。かかった時間は0.0072秒。その間に小刀の投てきを完了させる。実に平凡な投てきであった。
異次元の速さという点を除けば。
爆発音、そして爆風。残ったのは半身が円状に消失したヘルテイルだった。全身の1/3を抉り取られた魔物は声もなく倒れた。地面までもが地平線まで真っ直ぐにえぐれている。その有様は投てきというより、
「レーザービームだな・・・。」
女神は変わり果てた草原を眺めながら語りかける。
「音速を超えると衝撃波が生まれる。草原が抉られているのはその影響だ。本来であれば膨大なエネルギーに耐え切れず、人の体など微塵に裂けて燃え尽きる。」
「よくわからんが、恐ろしい事を言っているな。」
たしかに不思議だった。あれほどのエネルギーを放っておいて、このひ弱な体が耐えられるとは思えない。
「なぜ俺の体は大丈夫なんだ?」
「スキルのおかげだ。神速の中では、空気に触れることすら人は耐えられないからな。空気、光、物体に至るまであらゆる抵抗を無視する。それが『抵抗無視』だ。」
「物体に至るまでって・・・壁もすり抜けられるってことか?」
「当たり前じゃ。超音速で羽虫にでも当たれば体が消し飛ぶ。『インフィニティ・ファスト』を使いこなす上で必須のスキルだろう。」
「服とか武器はすり抜けないんだな。」
「お主の概念が無視すべきでないと感じているものは触れられるし、速さも同期される。無論やろうと思えば超音速で全裸にもなれるぞ。」
「投てきさせたのは、武器を手放すと武器の抵抗無視が消えて実体を持つからか。」
「その通りだが、抵抗無視は任意で無くせる。慣れれば投げる必要もなくなるだろう。」
なるほど。むちゃくちゃだ。だが、スキルの存在は理にかなっている。神把握がなければ、あのスピードを出した時点で自分の行動は全くコントロールできない。抵抗無視がなければ、物理的に耐えられない。
2つのスキルがあって初めて、無限の素早さは実用可能なものになる。
凄まじい力。だがそれだけに、この力を与えた理由が気になった。2つ目の条件というやつである。
リオは深呼吸をして訪ねた。
「とんでもないモンを手にしたのは分かった。それで、あんたはこの力で世界を統べろと言ったな。目的はなんだ。」
「私の目的は、この星を維持すること。お主ら人間のせいで星は滅びかけている。」
「星が?人間が何かしたのか?」
「あぁ、今この瞬間もな。」
女神は天を仰ぎ、それから青く輝く瞳を伏せた。
「この世界には魔力が流れている。あらゆる生命、森の木々や流れる川、空や大地にさえも。そして全ての流れは繋がっているのだ。お主も私もな。」
「あぁ、それは何となくわかる。気にした事はないがな。」
遠くにいる魔物に感知できるのも、魔法で火や水を起こせるのも、魔力を通して干渉するからだ。だから魔力を通してあらゆるものが繋がっているというのは分からなくもない。
「ふむ。繋がっている以上、直接的な干渉をせずとも魔力の質が互いに影響してしまう。例えばこんな風に・・・。」
女神の魔力が一気に膨れ上がった。これこそが神だと平伏したくなるような、神々しく、暖かい、柔らかく広大な魔力。草花が微笑み、光が瞬く。リオは幸福感に包まれ、心身の疲労が癒えていく。
「素晴らしいな。」
「ふふ、そうだろう。回復魔法を使っているわけではないぞ。ただ近くにいるだけだ。お主らのいう善なる意志であればこうなるが、逆もまたしかり・・・。」
「っっっ!!!!!」
女神の放つ魔力がガラリと色を変える。
息が出来ない。寒いっ。内臓をミキサーで切り裂かれたような強烈な吐き気。憎悪の渦。もはや女神ではない。眼前には底なしの闇。この世でただ1人1000年の牢獄に放られたような絶望と孤独。死の確信。
ふっと魔力が霧散した。
「っっはぁ!!はぁっ!はぁっ!」
地獄を見た。苦しみで血管がはち切れる所だった。
女神は顔を澄まして言う。
「悪意を持てばこうなる。あまり気分の良いものではないだろう。」
「はぁはぁ、ああ、最低の気分だよ。」
「この星も同じ気分なのだ。人間は魔力に悪意を込める。殺し、奪い、差別し、虐げ、悲しみに暮れ、憎む。
そして人間は、修練により魔力を増やす唯一の生命だ。1人あたりの魔力量が大きい。その上、数も増え過ぎた。この世界を覆いつくす程にな。
人間の魔力は星が想定するよりも遥かに大きな影響を持つようになった。」
悲しげに胸の前で手を組む。一変して神に祝福される聖母の如き美しさだった。
「あんた程の力があれば人間を半分にする事も出来るんじゃないか?」
半分冗談で問いかける。
「それで済むならとうに殺っておる」
できるんかい。リオはゾッとして口をつぐむ。
聖母のようで悪魔のような、荘厳な大地のようで澄み渡る空のような存在であった。
「滅ぼそうにも、滅ぼす過程で未曾有の憎しみが生まれる。それはもう耐えられん。これ以上魔力を悪意に染めれば星が死んでしまう。そこでだ・・・」
腕を突き出し、掌を上に向けると半透明の世界地図が浮かび上がった。
「お主が世界を統べて、争いを無くすのだ。貧困を無くし、差別を無くせ。ひとつになり相手がいなければ、戦争は起きない。安全と衣食住を行き渡らせろ。飢餓は資源の総量が足りないから起こるのではない。届かないだけだ。悲しみの芽を摘め。」
「まってくれ!そんなの滅ぼすより難しいぞ!」
「わかっている。だが、それしかない。そしてそれが出来るのは人間だけだ。人間を統べるのだからな。」
「途方もないな。」
「わかっている。だから途方もない力を与えた。」
どこから始めたらいいのか全くわからない。
だが、リオは己の進路を決めていた。
ニヤリと笑う。
「そんな力を与えて。裏切って逃げられるとは思わないのか?」
「思わない。お主は約束を違わぬ。もし裏切っても殺して次を探すまでよ。」
女神もにこりと微笑む。
この女神がなぜ自分にそんな評価をしているのか引っかかったが、追求しない事にした。物騒な物言いだったが、その微笑みは不思議と懐かしい気持ちにさせた。
「そういえば名前を言ってなかったな。俺はリオ・クライマー。今はニートだ。ずっとこれじゃないよな。」
「期待しているぞリオ。ふふ、すぐ王になる。私の名はエリー。星を憂う者だ。」
エリーは握手の代わりに両手を広げた。
え?これハグしていいの?
リオが戸惑っていると、足元に巨大な魔法陣が現れた。
「リオよ。まずは国を作るぞ。」
ゴゴゴゴゴ!!!
地面が揺れる。足下が大きく盛り上がった。
同時に、世界中の王室へ魔法による手紙が届く。
手紙の表紙にはこう書かれていた。
『リザルディア王国 建国宣言』
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