拙いスキル、世界を把握する。
「俺の・・・ステータスが・・・。」
物心ついた時から強さに憧れていた。誰よりも強くなりたかった。その為に、どんな試練も乗り越えた。己のステータスを上げる為に流した血と汗の量は誰にも負けない。
前人未到のレベル99に到達した時は、歴戦の仲間たちが祝ってくれた。生きている事を実感した瞬間だった。
俺は強くなる為に生きてきたのだ。
しかし今、レベルは1だ。
ステータスは体の弱い村人並みである。
「女神よ・・・。何故だ?俺のステータスはどこにいった・・・?」
今さらなんだといった様子で女神は答える。
「何でもするから契約したいと言ったのはお主だろう?」
「ステータスを子ども並にするのが条件とでもいうのか?」
「いや、違うな、それはお主が選んだのだ。契約の条件は2つ。内ひとつは最も大切なものを差し出すことじゃ。下らんなぁ、お主の大切なものは。ステータスとはな。お主がまともな騎士なら家族や国を失っていただろう。」
女神は宝石のように輝く瞳を細くなびかせ、呆れながらにリオを見下ろした。
世界を一変させるほどの力だ。それなりの代償は覚悟していた。しかし、
「契約したのなら魔力はどうした。」
リオは動悸を抑えながら、最大の疑問を口にした。
「うつけめ、魔力はやらんと言ったであろう。ちゃんと契約はしておる。ステータスをよく見ろ。」
リオ改めてステータスを眺める。
リオ・クライマー
レベル1
職業:ニート
HP:32/32
MP:4/4
腕力:8
魔力:3
素早さ:♾
防御力:10
保有スキル:神把握、抵抗無視
素早さが何か記号のようなものになっているな。これは、無限ってことなのか?スキルも聞いたことがない。
「素早さか?」
「そうだ、世の理をくれてやったのだからな。2つ目の条件も必ず果たしてもらうぞ。」
素早いだけで何が出来るというのだ。逃げ足が早くなるだけではないのか。
状況を理解し、リオはすでに冷静さを取り戻していた。超一流冒険者としての常軌を逸した経験。有り得ない事態が日常茶飯事だった冒険の日々。それらはリオに希望を捨てさせなかった。
力を取り戻す方法がきっとあるはずだ。
しかしよりによって素早さとは。
どれだけ素早くても敵を倒さなければ意味がない。
苦虫を潰したように顔を歪ませるリオを尻目に、女神は続ける。
「2つ目の条件は、その力を持って世界を統べること。お主は王となりこの星を救うのじゃ。」
「まて、このステータスでどう転んだら世界を統べるんだ。俺は政に関わった事などないぞ。」
魔法と剣の世界イースピアにおいて、強さは影響力そのものである。一国の軍と単独で渡りあえる戦闘力を持ち、世界で5人しかいないS級冒険者であるリオであれば、まだ望みがあったかも知れない。
しかし今は、ただの素早い凡人だ。武力なき今、大事を成し遂げる能力があるとは思えない。
「そんなものは如何ようにも出来る。それにお主、もしかして自分が弱くなったと思っているのか?」
弱くなっている。明らかに。
予想外の問いかけに口ごもる。
「案ずるな。ふむ、試してみるか。」
女神は絹のような指を唇に当て思案する。
「ちょうど良いのがいるな。」
そのままその指を草原の彼方にかざす。
2人のいる位置から500メートルほど離れた場所に感じていた魔力の塊が、突如として殺気を漲らせた。嫌でも気付く強烈な存在感。凶悪な咆吼を響かせ猛スピードでこちらに向かって来る。
400メートル。300メートル。
速いっ!
「おい!向かってくるぞ!くそっ!!」
視界に捉えたのは、体長10メートルはあろうかという、赤く巨大な狼だった。
一切の光を反射しない真っ黒な瞳とシャープな体軀が冷酷な殺し屋を思わせる。
その巨軀からは想像もつかぬ圧倒的な俊敏さを誇り、一度目が合えば絶対に逃げられない。一個小隊を瞬殺する牙を持つこの魔物は、出会ったら最後、打ち負かす以外に生きる残る手立てはないと言われている。
遭遇者の死亡率の高さから、その魔物はこう呼ばれる。
絶望の巨狼『ヘルテイル』
200メートル。
100メートル。
死が迫る。
リオの防御力は10。かすりでもすれば即死である。かつてのどんな危機よりも死に近い状況だ。しかし、やるしかない。
50メートル。
女神は微笑む。
「初戦闘だ。楽しむが良い。」
30メートル。
背中の大剣は使えない。今の腕力では振り回すどころか、まともに持つ事もできない。
大剣を捨て、腰に装備した小刀を逆手で抜く。
10メートル。
リオの身長ほどもある大口が、上半身をまるごと食い千切ろうと襲いかかった。
ガキンッ!!!!!
しゃがみ込んで躱す。頭上数センチ。
雷鳴の如き歯噛み音。眼前に迫る前足に巻き込まれれば即座にミンチになる。
死のラッシュを前にして、リオは落ち着いていた。否。
慌てる必要がなかった。
それは不思議な光景だった。
リオが戦闘体制に入った瞬間、世界が遅くなったのだ。巨大な牙がゆっくりと近づいてくる。遅い。女神が魔法を使ったのかと思い視線を向けるが、女神も遅くなっているので違うのだろう。
狼が口を開け、閉じるまでのコンマ数秒間に、リオはゆっくりと熟考した。
なんだこれは。まるでスローモーションだ。これが無限の素早さなのか?いや、スキルの神把握ってやつか。時間を操っている訳ではなさそうだな。俺の認識スピードが上がっているんだろう。神の存在を把握できるスキルだと思っていたが、状況把握の速さが神がかるスキルだったのか。
どうやらこのスローな世界でも俺だけは好きなスピードで動けるようだな。
それなら・・・
ヘルテイルの突進を紙一重で躱す。真っ黒な瞳がリオを追う。魔物に油断はない。いつも全力だ。振り返り様に右前足を横殴りに振るうが、リオは凶悪な爪と爪の間に潜り込むよう跳躍する。
「はっ、こいつは凄いな!」
即死級の一撃の、爪と爪の間に潜り込むなど、これまでであれば絶対に不可能だった。どんな人間にも不可能だろう。やろうとも思わない。しかし神速の世界を生きるリオにとっては造作もない。
俊敏さで知られるヘルテイルの猛攻に次ぐ猛攻。その尽くを踊るようにすり抜ける。全ての攻撃が人の指一本分の空間だけ届かない。
20秒ほどの攻撃し続け、ヘルテイルは距離を取った。
当たらない。この人間は普通じゃない。
狼系の魔物は頭も良い。攻撃が当たらないと見るやすぐさま魔法を発動した。
ヘルテイルの頭上に魔法陣が現れる。ひとつ、ふたつ。次々と現れ、その数・・・17。
「おいおい、容赦ないな・・・」
人間1人に、攻撃魔法陣を17個同時発動。一面を消し飛ばすつもりだ。魔力を使い切らんばかりの過剰攻撃にも見えるが、ヘルテイルに迷いはない。数十秒の攻防で見せたリオの動きは、巨狼を戦慄させるのに充分だった。
出し惜しみはしない。
これで最後だ。
殺してみせる。
全ての魔法陣に直径1メートルの凝縮した炎の玉が浮かび上がった。咆吼と共に一斉に放たれる。
絶望の巨狼、渾身の一撃。
そして、それは最後の一撃となった。
炎が爆散する寸前、
ちいさな人間は巨狼の視界から消失した。