夫の言い分。
「リヴィ、具合が悪いんだって?」
『設定』に抗う手段を、頭から湯気を噴き出しながら考えていたら、いつの間にか窓の外が薄暗くなっていた。
パトリックも神殿から帰宅して、私の元へやってくる。
「おかえりなさいませ。ごめんなさい、お出迎えできなくて」
「そのままでいいよ」
静かな足取りでベッドサイドにやってきたパトリックは私の顔をのぞきこんだ。
「思い悩んでるね、どうした?」
「……」
彼はいつも察しがいい。私は生まれつき常に無表情なんだけど、考えてることがよくばれる。
もしかして、神力の強い人はテレパシーとかあるのかな。
そこへ薄く開いたドアからスカーレットの泣き声が聞こえた。
「ミルクの時間かしら」
「連れて来ようか?」
お願いすればすぐに踵を返し、大きな手で大切そうにスカーレットを抱いて戻って来た。
「起きられるかい?」
「…手を貸してくださる?」
「もちろん。俺に寄り掛かって」
甘えればうれしそうに笑う。
私はそんなパトリックを背にして座り、スカーレットを受け取った。
背後の安心感にため息を一つ。
そして乳をやりながら、スカーレットを見つめる。
この子を私が虐待するのか………。
こんないとけなくかわいい子を?
乳を飲み終え、満足してスヤスヤ眠るスカーレットを過干渉で辛い目に遭わせるなんて…。
改めて『設定』を思い起こせば、はらはらと涙が零れた。
この子を真っ当に愛さなくなるなんて想像もつかない。
世界の悪意すべてから守りたいと思う。なのに『設定』では私が害悪になる。
もしかしてさっきの決心が行き過ぎて歪み、毒親へ変化するというの?
スカーレットのために排除すべきは私?
「……リック、お願いが」
「なんだい?」
無言で私の涙をぬぐっていてくれたパトリック。私を怯えさせないよう静かな声で問い返してくれている。
彼のやさしさを感じるたびに胸が痛い。
醜い独占欲が涌き上がる。
私以外を見ないでと叫びたい。
でもこういう思考も私を毒親にする要素なのだろう。
それがやっぱり怖い。
「…なんでも叶えてくださいます?」
「君の願いなら」
「…離縁を」
「それはダメ」
即答された。
「なんでもっておっしゃいました」
「ダメ」
「どうか許可してくだ…」
「ありえない」
「私はどこか…誰もいない場所で独りで過ごしたい」
「君には無理だ」
光の早さで却下され、途方にくれてしまう。
「君は一人で生きていく術を持っていないだろう」
「習得して、がんばります」
最初は人に頼ることになるけど、そのうちなんとかなるだろう。こぶしを握りやる気を見せたら、その手を掴まれた。
「だめ、俺が死ぬ」
「リックが?」
「君がいないと生きていけない」
後ろから抱き込まれ、苦しそうに耳元でささやかれる。
「各地に恋人がいっぱいいるのに?」
「……誰がそんなことを?」
「社交界では常識だそうです。出産祝いのお手紙で教えて頂きました」
「セシル!」
パトリックは鋭い声で部屋の外にいた執事を呼んだ。
「はっ」
「噂の元を洗い出し、厳重に抗議しろ。今後、手紙はすべてお前がチェックするんだ」
「かしこまりました」
セシルはものすごい早さで階下へ消えた。
「リック…?」
「なんでもないよ。そしてこの神力に誓っていうけど、俺は君以外愛せないから」
「え…」
「君が望むなら、この世の理レベルで身の潔白を証明してみせる」
戦地に赴くがごとき鋭利な視線のパトリック。
私を離さない腕から執着を感じる。
「おかしいわ……。両親不和って『設定』はどこへ…」
「不和?」
「あ、なんでもありません」
うぬぼれでなければ、パトリックの気持ちは私にあるらしい。
「では私はどうしたら…」
「そもそもどうして人のいないところに行きたいんだい?」
「私は…不器用な人間なので、できればあまり人と関わらない方がいいかと思うんです」
「ならば今まで通り、俺たち家族やこの家の人間に守られていればいいだろう」
「でも…子供たちが成長したら、そうはいきません」
『設定』の私は醜い人間だ。そういう素質が自分の中にあるというのも自覚している。
「子供たちの将来に関わるいろいろなことを、私はエゴで歪めてしまう」
「歪める?」
「子供たちには幸せになってほしい。けれどわがままな私は子供の自由を認めず、縛り付けてコントロールしてしまいそうで…自分が怖いんです。だから悪影響を与える前に離れたい」
パトリックは面食らった顔をし、次に口を閉ざして私を抱きかかえたまま深く考え込む。
そしてぽつりと呟いた。
「リヴィはやさしい」
「……そうふるまっているだけです」
「そうかもね。やさしくて、ずるくて、弱い」
言い切ったパトリックの語尾が強くて、私はビクリと固まった。
「昔から…君に不満があった」
その一言に心臓が痛みを伴って大きく跳ねる。
やっぱり私は疎まれていた?
夫の義務として、愛してくれていただけ?
次に来る言葉を聞きたくない。耳を塞ぎたい。でもスカーレットを抱いているので適わない。
ガクガク震える私をパトリックはいつものようにいたわらず、見下ろすばかり。
「君は、俺を信じていない」
「え…っ?」
「どんなに愛してると伝えても、心の奥底で俺の言葉を否定している」
「そ、んな…ことは…」
だって『設定』では、愛されてないから……。
「人見知りで、周りからの愛をかたくなに受け取ろうとしない頑固な性格」
「謙虚過ぎて、卑屈に見えかねない態度」
「だが子供たちには心からの笑みを向ける。子供の存在が君の救い」
「その子供たちに嫌われる前に、逃げ出そうと考えているずるさ」
「やめ…っ」
改めて言われると自分の性格に絶望した。
「君は、いつも怖がってる」
パトリックの言う通りだ。『設定』が私をがんじがらめにする。
「俺の愛が自分にあるという自信はないんだろう?」
疲れの滲む声に頷くことも出来ず、目を逸らした。
「君と初めて会ったとき、俺は一目で恋をした」
「え…」
「この恋は成就しないかもしれないと思ったこともあったけど、言葉を交わすうちにさらに想いは深まった。時を重ねてさらに愛おしさは増している」
だが、とパトリックは渇いた声で続ける。
「君はそんな俺の想いにも怯えているよね。どれだけ求めても受け入れてもらえないのかと一時は自暴自棄になりそうだったが、君は……」
パトリックは不意に語るのをやめた。
恐る恐る盗み見れば、困ったように笑っている。
「リック……?」
「これ以上は、内緒だ」
「え?」
「とにかく、一人でいると君はすぐにふさぎ込む。だからもっと……ずっと一緒にいよう」
「え、あの…」
「そして、死ぬまで君を愛し続けると証明してあげるよ」
覚悟するように。
パトリックはそう言って私を強くかき抱いた。