結婚式の日。
今日は結婚式。
新婦の私は夜も明けやらぬ時刻から起こされ身支度をし、式の始まる直前に着付けを終える。
ウェディングドレスに包まれた私を見て、母親が目を細めて微笑した。
「きれいだわ、オリヴィア」
「ありがとう、お母さま」
「今日からあなたはオリヴィア・モークリーになるのよ。どうか幸せになってね」
それを聞いた瞬間、私の頭は真っ白になった。
そしてすぐに猛烈な頭痛に襲われる。
「オリヴィアッ?」
「う…あぁ……」
鈍器でかち割られたような激しい頭痛。痛みに息が止まり、私は頭を抱えて倒れ込んだ。
その頭の中で、誰かの声がする。
「近頃はタブレット学習が進んでるよね」
「次はゲーム要素付きのドリルを開発しよう!」
知らないはずの言葉が脳内に流れる。
頭がガンガンして、気持ちが悪い。
「オリヴィアっ?」
目をつぶっても、ぐるぐる回る視界。
気を失いかけた途端、痛みは唐突に去った。
「オリヴィア、大丈夫っ?」
「平気…よ、お母さま」
「何を言っているの、そんなに真っ青になって」
「……一瞬頭痛がしたの。もう収まったわ」
「気分は悪くない?」
「えぇ。でも少し休んでもいいかしら」
「もちろんよ、オルガ手を貸して」
侍女たちに支えられ控え室のソファで体を丸める。目をつぶり、ゆっくり呼吸をすれば、すぐに抗えない速度で意識が闇に沈んだ。
そこでは、たくさんの人たちが毎日ひたすら働いていた。
私はそれを上の方からぼんやりと眺める。
言語も単語の意味も知らないのに、内容はすべて理解できた。
「新作の開発はどうだ?」
「今、シナリオを書いているところです」
新作とは、タブレット教材の学習ソフト開発チーム。
ゲームタイトルは「マリアと一緒にお勉強しよう!」
ソフトは低学年向けで、各教科ごとにいろんなキャラがいて問題を出したり、ヒントを教えてくれたり。
正解するとポイントが溜まり、着せ替えやガチャアイテムがもらえる。
息抜きミニゲームは、画面をタップしてリズムを取るものにして音楽の勉強も兼ねた。
教科キャラクター以外にライバルキャラもいて競い合い、切磋琢磨していく。
「キャラの肉付けがむずかしい…」
「メインは問題の方なんだから、キャラは記号だと割り切りなよ」
ぼやきに答えたのはキャラクターデザインをしている女性だ。
割り切れと言うくせに、衣装やアクセサリー、各教科のカラーも細かく決めてめちゃくちゃ凝っている。
「それにしてもこのライバルキャラ、顔も成績もお行儀も完璧なんて、面白くないよね」
「そう?」
「うん、欠点がないのってどうなの? キャラとして立ってなくない?」
「たしかに。じゃあ弱点作るか、性格悪くしておく?」
「いじめたり嫌がらせしたり?」
「そう。でもそんなの子供向け商品に出来ないよ」
「じゃあ、うちらだけの裏設定で」
彼女たちはテンション高く、各キャラの裏を作り始めた。
「ライバルキャラ、スカーレットの父親は仕事で不在がち。家族に興味なし。母親のオリヴィアは過干渉で少しでも悪い成績を取ると折檻するってのはどう?」
「いいんじゃない? さらに家では優秀な兄たちと比べられて、虐げられてる」
「ありがち。強がってるけど、実はさみしがりやってのも入れたい」
「入れよう。その不遇を誰にも知られたくなくて、外では意地を張っている」
「採用」
「でもこれってニュースでよく聞く毒親と、その子供だよね」
「掘り下げ過ぎて、ライバルキャラの親は毒になっちゃった」
彼女たちが目配せして笑い合う。
「諸悪の根源は母親?」
「だね。でもこういう父親もどうかと思うけどね~」
「きつい性格の妻がいたら、家庭に嫌気がさして外で浮気するでしょ」
「するする。クズ男は妻をないがしろにし、愛人を家に連れ込むって書いとこ。かわいそうかな?」
「いいんじゃない? 貴族の結婚なんて、愛情ないってまんがで読んだ」
「そんな家庭環境だから、スカーレットの性格歪むんだよ。かわいそうに」
「自分たちで考えたのに、気の毒になるわ」
「どこにも出せない設定だよね」
「うん。チーム外持ち出し禁止だね」
そんな話を私はぷかぷか浮かびながら、ずっと聞いていた。
彼女たちはキャラの家系図と設定を完成させ、今日の仕事を終える。
ライバルはスカーレット・モークリー。父はパトリック、母はオリヴィア。
白い紙に刻まれた文字。
そこには見覚えのある名前。
今の私はオリヴィア。
ブランソン伯爵家の長女オリヴィアで……。
モークリー侯爵家の次男パトリックの婚約者。
そして……。
オリヴィア・モークリー。
彼女らが書き上げた毒親の名前。
今から、私はその名前になる。
「新郎パトリック・モークリーは新婦オリヴィア・ブランソンを生涯愛することを誓いますか?」
「誓います」
隣に立つ、ブロンドの美青年は私を見てまぶしそうに笑う。
「新婦オリヴィア・ブランソンは新郎パトリック・モークリーを生涯愛することを誓いますか?」
「……誓います」
指輪の交換で差し出した左手は緊張で震えている。
「では誓いのキスを」
パトリックがていねいな仕草で私のベールを上げた。
目が合えば、青い瞳がとろりと溶け、うれしそうに細められる。
「やっと、俺のものになるんだな」
近付くくちびるが神官にも聞こえないほどのささやきを放つ。
「え?」
聞き返す音は彼のくちびるで止められ、名残惜しそうに離れた。
「本当に……待ちくたびれた」
「パトリックさま…?」
「愛してるよ、オリヴィア」
身にそぐわない言葉。
それが心に浮かんだ感想。
うそでもいい。
新婦らしく私もですと返せればよかったけど、私は呆然としたまま。
反応のにぶい私を微笑みながら見つめるパトリック。
「ここに両名の結婚が成立したことをリデル神に誓います」
教会に親族や友人の温かな拍手が響き渡った。