8
前方に見えるのは、門番候補二名の背中。
彼らの前には、至極楽しげな笑みを浮かべるベリルとジーセ。従兄弟であるせいか、並んで同じような笑みを浮かべていると、どことなく似ているな、と改めてそんなことに気付いた。少し離れた場所では、既に蒼羽ともうひと組の候補者たちが向かい合って、門番隊の武器特有の打撃音を上げていた。
「・・・大丈夫かしら」
心配と不安が混じりあったような表情を浮かべ、緋天が食い入るように蒼羽の方を見ている。
彼女には課せられたものはないが、その顔を見たら、大丈夫かと声をかけたくなってしまう。思わず零れた呟きは彼女には届かず、右隣に立つ青年に拾われた。
「すみません、善処します」
「あ、あなたに対してではないの。ごめんなさい、頑張って」
彼の対応を危惧している、と取られたのだろう。返ってきた彼の言葉を否定する。見上げたその顔の、口元は引き締められ、視線は前へと向いたまま。己を恥じ入る事はせず、前方に向けた意識はそのままに、やるべき事はやる、と。そう口にした彼に好感が持てた。
緋天を守る候補者には、ナツメが。
隣の候補者には、自分が仕掛けるべき罠があった。たった今、好印象を受けた彼に対して、不意打ちともとれる行為を課すのは、若干の後ろめたさがあるけれど。彼と同じように、自分の役目は果たさなければならない。
頬をゆるめていた男たちが、どちらからともなく、その体をこちらへと向けた。ベリルのだらりと下げた右手には、殺傷力が十分ありそうな幅広のナイフ。ジーセの手にも同じようなそれ。ただ、刀身が黒く塗りつぶされていて、光を反射させない状況下での使い道を思い出し、少々背筋に緊張がはしる。
彼らに向き合う前方の二名の隊員候補も、同じことに気付いたのだろうか。
元から緊張している様子を見せていたが、後ろから見るその横顔は、やはりどこか硬かった。
キン、と高い音を立ててナイフを受け止めた二本の金属棒。それを見やって、隣の男も体勢を防御の構えへと変えている。ベリルとジーセは候補者たちに休む間を与えず、一定のリズムを保ちながらナイフを繰り出していた。きっと二人で示し合わせたのだろう。さすが従兄弟と褒めるべきか、ばらばらに見える彼らの動きが、攻撃箇所を基準に見れば、同じ軌道を経ていることに気付く。
それを見やってから、もう一度、右に立つ彼に意識を戻した。
彼の視線は、間違いなく前方の攻防に向いている。ただ、その左手は相変わらずこちらを守るように、また、彼より前に出ないように、と。ゆるく開いた手のひらを自分へと向けている。
半歩だけ、後ろに下がる。
思わず、といった様子を見せるのも忘れなかった。いかにも前方の攻守に気圧された、というように見せるのだ。狙い通り、ちらりと視線を下ろした彼は、安心させるためか頷いてみせて、すぐに前へと向き直った。
左手を、身にまとったハーフコートの背中へと動かして。
この動作が、必死で自分を守ろうとする彼の死角になっていることを確かめた。こちらを気にする様子は微塵もない。
腰につけたホルダーから抜いた、細身の得物。抜いたまま、背面に隠して右手に渡しながら、先程作った距離を詰める。
「・・・っ」
彼の襟首に伸ばそうとした左手は、一瞬早く離れた体に届かなかった。
半身をこちらへ向けた青年の目は、驚きに見開かれながらも、体が止まっていない。右手首が強い力で掴まれ、首筋に当たる冷やりとしたその感触は、打撃の一歩手前で止められている金属棒だと分かった。
「うわ、・・・すみません」
謝罪を口にする彼は、既に何のために自分が動いたか察している。
「・・・いいのよ。分かっただろうけど、他意はないの」
「はい。もう少しで当ててしまうところでした・・・危なかった」
怒る様子は見せず、気まずそうにその両目を伏せて。彼の左手に入っていた力がそっと抜けていった。同時に首筋に当てられていた金属棒も離れていく。視界の端で、ベリルがほっとしたように笑むのが見える。
課せられていた役目を無事終えることができた、とようやく肩から力が抜けた。守護対象に攻撃をされる、などと意地の悪い課題を与えたけれど、隣に立つ彼は及第点を出したと思う。前方にいる二名の候補者よりは、難易度は高い。けれど、一瞬の判断でこちらの動きを制することができたのだから、彼の将来は安泰だろう。
「あちらも終わるわね」
間断なく繰り出されていたベリルとジーセの攻撃は、こちらの様子を確認したからか、徐々にその速度を緩めていた。それに気付いた候補者たちも、動きにあわせて金属棒をおろしていく。
完全にその攻防が止まり、大きな白い息を吐く前方の二名の横顔が、どうしても初々しく見えてしまった。お互い年齢はそれほど変わらないはずなのだが、試験に望むその緊張を隠しきれない必死な横顔が。若い、という一言で片付けられそうな気がして。そんな風に感じてしまう原因は、間違いなく。
「怪我なかった?」
「はい、直前で止めてくれたので」
長い脚であっという間にこちらに近付いたベリルが、その右手を伸ばしてくる。頬に触れたそれを、拒否せずに受け入れてから、右に立つ候補者を指し示した。青い目が嬉しそうに笑みの形になるのを見て、ああ、彼のせいで周囲が霞んでしまうのだな、とこの場では控えるべき考察にふけってしまった。
傍らで、申し訳なさそうに視線を泳がせる青年を。
ちら、と横目で見て、ベリルがこちらの考え事を見透かしたように笑うから。
「・・・この後は、私のところで面談の予定ですが、緋天さんは?」
「ああ、緋天ちゃんはもういいよ。一応、蒼羽達と確認してから、午後に彼らをセンターに行かせるから。アルジェの面談が終わったら、叔父さんにも確認してもらおう」
事務的な会話になるように努めて、一歩彼から離れる。
わざとらしく目を見開いた後、ベリルの体がようやく候補者達に向いた。そして、離れた場所では、蒼羽が見せ付けるように緋天を腕の中に入れ、口付けを落としているのが見えて。
危ういところだった、と。
あと少し自分を律するのが遅ければ、彼らのように、人前でじゃれあうところだった、と。
気付いて、安堵した。