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丘を下ってこちらに近付く人影に、じっと待っていたアルジェが笑みを見せた。
彼女の表情の変化に、集まっていた部下がベースの方を振り仰ぐ。
「あ、緋天さんもいらっしゃいますね」
人影の中に緋天の姿が見えて、彼女がいてもいいのだろうか、と思わず口にした。
「激しくならないなら、大丈夫かと。蒼羽がついていますし。あ、ナツメさんは審査の方に回るのですね?」
傍らのアルジェが、その言葉の裏に、あまり手荒いことはするな、という意味を混ぜて確認してくる。慣例のように行われている門番隊の実技試験に、今更それを要求されても困る、というのが本音ではあった。ただ、一介の中隊長ではあるが、指揮をとる自分には、この試験の流れを操る権利はある。
「・・・ええ、緋天さんが怖がらないようには、善処します」
微笑を浮かべるアルジェに目を奪われそうになりながら。
何とか、それらしい言葉を返して。
「お前たち、そんなに身構えなくてもいいが」
緊張した面持ちの、門番隊候補である五人に声をかける。
ベリル、ジーセ、そして蒼羽と緋天。一緒になってベースから出てきた彼らには、まだこちらの声は届かないと判断して、注意を付け加えることにした。
「・・・先程も言ったように、特に緋天さんには失礼のないようにな」
はい、と従順な答えが候補者たちから次々に上がって。それ以外の野次馬、つまりは通常業務にあたる門番二名以外の部下たちが、これから始まる見世物のために、俄かに忙しく動き始めた。
少し陽光がさしてきたものの、真冬の午前中。五分ほど前にここに来たアルジェと、蒼羽に伴われた緋天は見学者である。か弱き女性の為に、傍らには厚手の布をのせたベンチ、その上には膝掛けとクッションまで用意されようとしていた。
「おはようございます」
門を通った一団に声をかける。
「みんな、おはよう。準備ばっちりみたいだね」
いつもの笑顔で挨拶を返してくるベリル。背後で揃って敬礼する部下たちを見て、目を丸くする緋天。すべてを無視して、その彼女をアルジェの横へと連れてくる蒼羽。彼を見て口角を上げるジーセ。
「蒼羽さん、緋天さんはあちらへ」
日のあたる場所に配置されたベンチを指し示すと、蒼羽は無言で頷いて緋天の手を引く。
「緋天、ここでアルジェと見てろ」
マロウが差し出す膝掛けでくるみ、背にはクッションをあて、細い腕にもクッションを抱えさせて。冷たい空気に晒されている頬に唇を落としている。そんな彼を、ああ、いつも通りだ、と思ったことに少々驚いた。ようやく、慣れた、と言うべきか。
くすりと微笑むアルジェが、緋天の横に腰を下ろして、ベリルに視線を向ける。
「あー、私はそこまでしないけど、あったかくしといてね。はい」
ちゅ、とリップ音を響かせて、アルジェの頬に素早くキスをしただけで、ベリルはその場から離れていく。
「ちょっ、サー・クロム! 結構ですから、早く始めてください!」
完全に遊ばれているな、と。頬を赤くしたアルジェを見て思った。
どちらにせよ、門番隊には独身者が多い。彼らにとっては、居たたまれないのだろう。甘い空気を発する蒼羽と緋天も、上下関係を見せながら戯れるベリルとアルジェも。
「おーい、お前ら。いい加減にしないと、門番隊の謀反が起こるぞ」
まさか上位の彼らを咎める言葉を吐けるわけがない。
それを察してくれたのか、ジーセが苦笑混じりに声をかけ、ようやく開始の声を上げる気になれた。
「始めても?」
ベリルと蒼羽の表情を伺い、彼らが頷くのを確認する。五人を呼び、少しでも緊張を和らげるために、笑みを浮かべてやった。
「お前たちは中央へ。気楽にやれ!」
まずは、肩ならし。
こんな事すらできないようなら、門番隊には不要だ、と言うのはやめた。
今から門番隊の入隊試験をする、と蒼羽に聞いたのは、つい先ほどのこと。
対象者の実力を見るために、実技試験を行うのだ、と。緋天ちゃんも見物しといてね、と補足したのはベリルだった。
「・・・あの、門番隊の入隊試験だ、っていうのは聞いたんですけど」
隣に座るアルジェを、そっと伺う。
「ええ、二名増員するんですって」
門の前の広場に、ぐるりと半円を描くように、見知った顔の門番たちが並んでいた。先程までざわついていたのが嘘のように、円の中心に並ぶ五人の男性に視線が集まっている。
「あの中から選ぶってことですよね・・・」
何故自分がここにいるのだろう、と問うことはやめた。連れてきたのは蒼羽やベリルだ。きっと、顔ぐらいは確認しておく必要があるのだろう。さすがに自分に選ばせようとは彼らも思っていないはず。
均等に距離を置いて、五人が横に並ぶ。彼らの手は警棒のような、一メートル程の長さの金属の棒を持っていた。どこかで見たことがあるな、と思えば、いつも門番たちの腰につるされている装備の色。
「よし、じゃあ手が空いてるやつは行け」
命令を下すナツメの声に、取り囲んでいた隊員の輪から、ばらばらと五人の前に出て行く男達。その中に、馴染みの顔、マロウを見つける。彼が腰に手をやって取り出したのは、たった今思い当たった、装備のひとつの金属棒。他の隊員たちも同じものを手にして。
がちゃ、と音を立てたそれが、彼らの手の中で伸びる。
そして。
がきん、と。
一番初めに鳴ったのは、マロウのものだったと思う。
「あ、あ、わっ」
ぶつかりあっていた。
入隊試験を受ける側と、その相手をする隊員側。
「・・・楽しそうね」
本気の殺し合いなどではない、というのはすぐに分かった。夏に街の催しで見た、蒼羽を一斉に襲った男達とは動きが違う。何か型にはまった、流麗な体運びを見せながら、彼らの金属棒がぶつかりあう。型稽古、というものだろうか。マロウの表情には、嬉々としたものが見える。正規の隊員達の顔には、総じて同じものが浮かんでいた。アルジェが、楽しそうだという言葉通り。
「なんか・・・」
いつもにこにこしながら、話し相手になってくれていたマロウの横顔が。
少しの野性味と、余裕のある笑みに縁どられていて、あんな表情をするのだ、と驚いてしまう。ひざ掛けを渡してくれた彼とは、明らかに違う。門を守っている彼とも違う。
戦う人の顔だ、と。
普段の様子から、警備員のようなものだと思い込んでしまっていたが、それは間違いだったのだと、気づいた。彼の手にある金属棒は、向かいに立つ若い男性のそれを、まるでリズムを刻むように受け止めている。対する被試験者の方はと言えば、必死、としか言い様のない表情。緊張しているのだろうか。けれど、他の挑戦者も同じような顔をしている。
蒼羽とベリル、それにジーセとナツメ。隊員たちから離れた場所で、何かを話しながら、彼らもまた楽しそうに金属棒を持った男達を眺めている。向き合って棒をぶつけあう隊員を、時折指さしたり、視線を向けた先のその動きに頷いたり。
「五人とも、特に不備はないわね・・・私の目から見た限りだけれど」
こんな場面に行き当ったことがあるのか、アルジェはと言えば、躊躇う様子もなく冷静に隊員たちを見ていた。それはどちらかといえば、ベリや蒼羽と同じ、評する側の態度。慣れていないのは自分だけだ、と思い至って。
「・・・あ、これはね、型通りの動きをさせて、基礎的なものを見ているの。あの五人は、絞られた上での人数のようだから、もともとその点については問題ないはずよ。蒼羽達に一応確認してもらっているだけだと思うわ」
ひとりで驚いている自分を見て、アルジェが説明をしてくれる。きっと、何をしているか分からないから戸惑っているのだ、と思ってくれたのだろう。その言葉は、確かに現状把握の助けにはなってくれたけれど、違う、そうじゃない、と。
門番たちの仕事をようやく理解したのだ、と。
言おうと思って、喉まで出た言葉を飲み込んだ。
そんなことを言って、知らなかったのか、と呆れられるのは目に見えていた。もちろん彼女がそれを馬鹿にしたりしないことは分かる。蒼羽と同じように鍛えているのだろうな、とは思っていた。万一の場合に備え、攻撃をしかける人間への対応ができる人達だというのも。目の前の、型通りだという動きは、すべて。
すべて、急所への攻撃だ。
真剣に、急所を狙って素早い動きで振り下ろされたり、突かれたりするそれを。
攻撃の順序などないように見えるのに。
顔見知りの門番たちが、軽々と、同じ獲物で受け止めている。
隊、という意味を考えていなかった。先ほど彼らは、身分が上の蒼羽たちに、揃って敬礼をしていたではないか。統率され、上位者の指示に従い、門を守るのは。
彼らは限りなく、軍人、に近い。
日本には、いない。