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 素早く動く指の持ち主は、こちらが彼女の手先を凝視していたせいか、柔らかく微笑んだ。

「本部へ行かれる準備の方は順調ですか?」

「あ、まだ荷物作ってなくて・・・」


 繊細な模様が彫られたダークブラウンの鏡台。

 男性である蒼羽の部屋だからだと思うが、先日ここを訪れた時には、こんな家具はなかったのに。自分のためにオーキッドが用意してくれたのだと思う。蒼羽とともに夕食に招かれた自分を、鏡台の前へとシスルに連れてこられた。当然のように準備されていたワンピースに着替えさせられ、あっという間に髪をいじられている。

 部屋の持ち主である蒼羽は、同じようにシスルに差し出された服に既に着替え終わり、彼女の手元をのぞいているのだが。

「・・・蒼羽様、何と申し上げたらいいのでしょう。緋天様の髪型にご興味が?」

「痛くないのか?」

「うん、痛くないよ? 変?」

「いや、変じゃない」

「そういう場合は、可愛いよ、と囁くとよろしいかと」

「・・・シスルさん」

 からかうように言われたそれに、蒼羽が妙に納得した顔で頷いて。そんな事をしている間でも、さすがと言うべきか、彼女の手は止まらずに動いていたので、後頭部に髪がまとめあげられていく。


「そういえば、お着替えの方は、何点かサントリナと私の方でご用意したので、あまりお持ちにならなくても大丈夫です。ついでに、蒼羽様の方もいくつか新しくしておきました」

「え?」


 ピンを差込みながら、何でもないように出されたその言葉に。

 まさか、と。鏡の中の蒼羽を仰ぐ。


「緋天の好きにしていい。向こうには、普通に暮らせるように俺の部屋があるから」


 蒼羽と共に本部に行くにあたり、最近ようやく、滞在中必要なものを選択しはじめのだけれど。何せ、三週間も自宅以外の場所で過ごすのは初めてだし、不測の事態を考えたりと、かなり取捨選択に悩んでいたのだ。

 前回、蒼羽が総会に出かけた時、旅行者のようにスーツケースを持たず、小さな鞄ひとつだったのを思い出した。


「お手入れに必要な黄珠様に頂いたお品は、既に送っておりますわ。お着替えもありますし、緋天様にお持ち頂くのは、常備薬くらいでしょうか?」

 前髪を横に流して、シスルが満足そうに微笑む。

 ぼんやりと彼女と蒼羽の言葉を考えている間に、髪のセットが終わっていた。どうして彼らが本部での暮らしの準備をしてくれるのか、そこは問わずとも分かったけれど。

「・・・まとめると、あまり触れないな」

 背後からシスルが離れ、代わりに蒼羽が検分するように頭を眺めていた。細い真珠色のリボンが一緒に編みこまれ、高めの位置でシニヨンにされている。頭が動いてしゃらりと鳴るのは、リボンの端についた真珠の飾り。つまらなそうな声を混ぜながら、蒼羽の指が耳の縁に触れて。立ち上がるのを手伝ってくれる。

「っん」

 唇を食むようにキスをされ、間近でにこりと蒼羽が微笑んだら。

「緋天様、ご安心ください。そうなるだろうと思って、私、口紅だけ塗ってなかったのです!」

 傍らで、小さな丸いケースと、細い化粧筆を掲げたシスルが。勝ち誇ったように、満面の笑みを浮かべていた。

「あら、黒樹様、舌打ちなんていけませんよ。お食事が終わるまで、もう触らないでくださいませね」

「じゃあ、もう一回する」

「えっ? んっ、っ・・・!」

 背中を引き寄せられ、深く口付けられてしまう。

 部屋の中に、楽しくて仕方ない、とでもいうような、シスルの笑い声が響いた。





「っ、おはようございます」

 ベースの扉を開けたら、こげ茶色の髪。これで顔を合わせるのは三度目の、ジーセがソファに座っていた。

「おー、蒼羽は上にいるぞ」

「おはよう。緋天ちゃん、まだ怖いの?」

 気さくに片手をあげて、挨拶を返してくれる彼の。はじめに向けられた強い視線はどこにもないのに、何となく、彼に対して身構えてしまうのは何故だろう。ジーセ自身は、自分が蒼羽を気にするように、と気遣ってくれるのに。

「いえ、あの、びっくりしたから。今日は何かあるんですか?」

「うん。もうすぐアルジェも来るよ。みんなが揃ってからのお楽しみ」

 ベリルのその、どことなくうきうきした様子は、アルジェが来るからだろうか。

「まあ、座れ」

「あ、はい」

 ジーセが、彼の向かいのソファを指差して、言われた通りに腰を下ろす。にこりと笑ったその表情は、確かにオーキッドに似ていると思う。

 彼とは、先日はじめて顔を合わせた次の日に、オーキッドの家に夕食に招かれ、そこでも言葉を交わしたけれど。周りに家族がいたからだろうか、特に怖いとも思わなかった。


「緋天、お前はな、色々と怯えすぎだ」

 彼の手には、今日は煙草がない。

 上体をソファに預け、若干だらりと座っているジーセの口調は、何か言い聞かせるようでもあった。別に意地悪を言っている訳ではないのだ、と分かる。

「もう少し、堂々としていろ。人を使うことを覚えろ。少しずつでいい」

 ベリルは黙ってカウンターに消え、静かにこちらを見守っているのが見えた。

「あのな? お前は何も悪いことしてないんだから、自由にしていいんだぞ」

「は、い・・・」

 何を言われるのだろう、と思ったのに。彼の言葉は優しい。

 年始に蒼羽と訪れた湯治場で、名前も知らない老人に、同じことを言われたけれど。今度はすんなりと体の中に染み込んでくる。


 夜の色をした瞳が、遠慮をするなと言っているようだった。


 役目、があるはずだ。蒼羽の隣に立つにあたっての、最低限の。

 独りでできるようなことではなくて、誰かの手を上手に借りることも必要になる。お願い、には分類されない。確固たる意思を持って、指示、が必要になる時がきっとやってくる。その為ではないとしても、蒼羽のように、少しは自分に自信を持って、品の良い空気を纏いたい。


「俺が怖いか?」

 す、と耳に入るように。

 やんわりと問われたそれに、戸惑いを覚える。

「怒らない。正直に言え」

「・・・あの、この前、少しだけ」

 彼の口調は、同じような環境で育ったはずのベリルとは違う。どちらかと言えば、蒼羽に近い。そのせいだろうか、ジーセの促しに従って、答えを出してしまっていた。

「俺が見ていたからか?」

「はい・・・、・・・値踏み、されてるみたいだったのと・・・」

 どう表現すればいいのだろう。

 彼は、じっとこちらの言葉を待っている。

「・・・なんか、あの、覇気というか・・・」

 少しだけ、彼の眉が上がる。面白いとでも言うように、口元に笑みが浮かんでいた。

 先日のジーセの、あの一瞬の視線は。

「えっと、あの、兄が剣道をやっているんですけど。剣道って分かりますか? 武道の一種で」

「ああ、・・・実際に見たことはないが、知識としては」

「何度か試合を見に行ったことがあるんですけど、試合の場には、独特の空気というか・・・緊張感とか、殺気とか、何かに集中しようとしている雰囲気とか、そういうのが混ざり合っているんです」


 うまく説明できないのが、もどかしい。

 カウンターのベリルに助けを求めるつもりで、視線を移すと。にこにこと笑って、彼が頷いている。


「・・・そういう空気を、なんていうか、たくさん集めて圧縮したみたいな。この前のジーセさんが、そういう風に見えたんです」

 とにかく、思ったことを言ってしまおう、と。

 もどかしいながらも、ジーセに何らかの形で説明しなければ、と思った。一気に言い切ったそれに、ジーセは先程と同じ笑みを浮かべている。

「お前の言いたいことは分かった。何が怖かったのか、ってのもな」

「はい、分かりにくくて、ごめんなさい・・・」


 変なことをいう人間だと、思われているだろう。

 先日の非礼も含めて謝ったら、ジーセの笑みは深くなった。


「なるほど」

「え?」

「蒼羽は、気が触れたかと思ったが・・・ああ、時間切れだ」


 ふ、と廊下へのドアを眺めたジーセは、口を閉じた。

 何を言いかけたのだろうと思ったら、そのドアが開いて、蒼羽が顔を出す。

「あ、っと、あの、おはよう?」

 ジーセと、ベリル。彼らの顔に浮かぶ笑みを見やってから、隣に座った蒼羽の左手が頬に触れる。そのまま彼を見るようにと促されて、キスが降りてくる。


「・・・お前がそうなる理由が分かった。大事にしろよ」


 笑い混じりにかけられた声に、蒼羽は答えず。

 にこりと微笑む。


「さて、蒼羽も準備できたみたいだし、そろそろ行こうか」

 ジーセの前で、蒼羽に観察され、何とも言えない気まずさに襲われていると。それを察してくれたのか、カウンターから出てきたベリルが声を上げる。

 その言葉を合図に、蒼羽とジーセが立ち上がった。彼らの横顔が、妙に嬉しそうに見える。

「緋天ちゃんは、あったかくしてねー」

 いそいそとした様子で、暖炉の上に置かせてもらっていた、イヤーマッフルと帽子をベリルが蒼羽に手渡して。

 上体を屈める蒼羽は、既に外に出る服装。

 彼の手で防寒具をつけられ、そして、仕上げとばかりに髪を整えられてようやく。


「・・・何かあるの?」


 自分だけが、状況を把握していない。

 それが面白かったのか、ジーセが、くす、と笑い声を漏らした。


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