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「さて。こちらの報告からいこうか?」
「いや、いい。状況は把握してる」
ジーセの煙草の煙を浴びながら、ベリルが隣に腰を下ろした。簡潔に答える彼とは、約一年ぶりに顔を合わせたのだが、ベリルにも自分にも、再開を喜び抱き合う趣味はない。
「なに、その煮え切らない表情」
ベリルの笑みを含んだ声に促されたのか、ジーセの目線がこちらに向けられる。先程、父の顔に似ていると言われたが、ジーセのその困惑を混ぜた目は、オーキッドのそれと同じだ。
「俺が気になっているのは、総会の方だ。どこまで見せる気だ?」
彼の言いたいことが分かった。
ベリルと言葉を交わしながらも、自分を見る理由は。
「どこまでって・・・どっち?」
「両方だな」
緋天に、本部の事情をどこまで教えるのか。
本部に、緋天の存在をどこまで預けるのか。
それを問うジーセにも、彼の問いを予想していただろうベリルにも、口に出して言えないことがある。
「・・・緋天ちゃんに関しては、全部、蒼羽の確認つき。それができないなら、連れて行かないっていう条件」
「そこが着地点だな、今のところ。あっちも無理強いはしないだろう」
「まあね、表面上は穏健派が多数だし」
緋天を傍に置いておきたい、という、単純で利己的な理由があった。
たとえ本部が緋天を強引に囲おうとしたとしても、トリスティンとサンスパングルを敵に回してまで、事を進める度胸はないはずだ。それが分かっていたから、ベリル達が想定するパターン、最悪の事態は起こらない。
「本部から届いた緋天ちゃん用のメニューは見たけど、特に問題はないな。あとは現地で蒼羽任せだけど、物理的に蒼羽がつきっきりっていうのが無理だから」
「ああ、それでか」
「うん、なかなかの折衷案だと思うね。さすが叔父さんって感じ」
隣で進められる会話に、口を挟むことは控えていたが、耳に入った言葉に懸念事項があったのを思い出した。ジーセが一息おくように煙を吐き出したので、ついでとばかりに声を出す。
「ベリル、酔い止めが要る」
「あれ? 緋天ちゃん、飛行機だめって?」
初耳だという表情で、ベリルがこちらを向くが、彼の推測は移動手段を限定している。そうではなく、緋天は乗り物に弱いのだと、最近ようやく気付いたのだ。先日の休暇時に見せた、体調の崩し方が、典型的な例だった。彼女の母親に聞けば、子供の頃は、長時間の移動時には、必ずと言っていいほど体調を崩していたとのこと。
「犬が駄目だったから、飛行機も駄目だろう」
当の本人は、飛行機に乗った経験が一度しかないらしく、それほど自覚がないが。母親の言葉を信じるならば、他の人間よりも、三半規管が弱いのだろう。
「・・・何となく分かる、鈍そうだからな。空間把握もできてないんだろう? ベリルの家で迷子になったくらいだからな」
「ちょっと、ジー、・・・言ってることはあってるけど」
緋天を貶めているわけではないが、ジーセが面白がる様子は見せず、冷静にそう口にしたから、妙に納得してしまった。腹を立てていないかと、ベリルがこちらを伺うが文句を言う気も失せた。
「・・・っと、誰か来たな」
玄関の扉が開く音を捉え、ベリルのみならず、三人揃って顔を上げていた。意図的にではなく、同じような仕草をしたことが、ベリルとジーセの口元に笑みを発生させていた。
「ベリル・・・緋天の量で用意しろ」
「了解」
緋天はもう家に着いただろうか。
笑いながら廊下に続くドアを開けるベリルの背中を見てから、緋天が道を覚えられずに眉を下げて困っている顔を思い出して。
頬が緩んだ。
「失礼します」
「寒いのにごめん」
冷たい外気に晒されていた頬が、暖められた部屋の空気に包まれて、ほっと息を吐く。偶然入り口で会った、門番隊長と二人、奥から出てきたベリルに出迎えられた。彼の右手が、体温を確かめるように首筋に伸びてきたのを、黙って受け入れた。
仕事中だから、とその手を避ければ、きっと後で責められるだろうから。
「ジーセが来てるのは聞いてる?」
「ええ、こちらに来る前に所長から伺っています」
廊下を進みながら、そう言葉を交わしていたら、黙って後ろを歩いていたナツメがくすりと笑った。理由が分からず振り返ったら、同じようにベリルが笑い声をもらす。
「君が堅苦しいからだよ」
「そんなこと、」
「ありますよ。ベリルさんはいつも通りですが」
否定しようとすれば、ナツメにそれを遮られた。既にベリルと同じように声を出して笑っている。昨年、緋天が図書室でいなくなった時に、彼にはみっともないところを見せてしまったので、それも仕方がないのだけれど。
「まぁ、抑えて。ジー、アルジェが来たよ」
なだめられながら、ベリルが開けたドアをすりぬけ、リビングに出る。彼が声をかけた先、ソファにいる男性はこちらを見て。ふわりと笑った。
「ジーセ様、お久しぶりです」
「元気そうだな。ベリルのものになるなんて、もったいないぞ」
かしこまって頭を下げたら、それをからかうように言われてしまう。
傍で同じように礼をするナツメに挨拶を返すジーセの、その笑顔を最後に見たのは三年ほど前だった。
「ちょっと・・・知り合いだったの?」
声に驚きを混ぜたまま、ベリルがこちらの右腕を後ろから軽く引いて。それで、先程笑われたことへの仕返しが成立していると気付いた。
「はい。本部でも何度かお会いしてますし」
「もっと前からだよな。親父と一緒にヴァーベインに行ったこともあるし」
何でもないことのように、本当に何でもないのだが、事実をそのまま告げれば。自分の遊びに付き合ってくれるのだろう、ジーセが言葉の先を引き受けた。
「何泊かして、一緒に遊んで頂いたこともありましたね」
「ああ、懐かしいな」
視界の端で、蒼羽が少しも表情を変えず、黙っているのが見えた。横にいるナツメは、少し面白そうな顔でこちらを伺っている。
「・・・君たち、わざとやってるでしょう」
「ええ」
「分かってるなら、問題ないじゃないか」
ベリルが偶に見せる、少ししょんぼりしたような表情が、可愛くて好きだと思っていたから。それを見せてくれないかと思ってやっていたのだけれど。
「アルジェ、後で仕返しするからね」
ふ、と鼻先で笑う音がして、彼の些か獰猛な笑みが見えた気がした。
失敗した、と気付いたが、これ以上関わるのは面倒なのか、ジーセはただ笑っているだけ。
「っ、ご自由にどうぞ」
負けたくなくて、そう返した言葉に。
ベリルとジーセ、それにナツメまで。三人の笑い声が重なった。