あなたの世界が大切だから
まず、学校が怖くない。
友達が一人できるだけでこんなに違うとは思わなかった。
すでに留年が決まっているため、プレッシャーがないのもよかったのかもしれない。
今から登校してもどうせ留年するのだから、春から行けばいい。つまり、今の期間は行っても意味がないから、しんどい日は休んでいいし、行けそうな授業だけ行っても問題はないということでもある。これは引きこもりの私には、リハビリとしてぴったりだった。
私だけがそんなことをやっていたら、同級生が怒りそうなものだ。が、不登校からの留年が決まっていることを周囲も知っているため、「まあ、あの子はしかたないよね」という枠に入れてもらっているようだ。
最初は異物だった私も「そういう枠」として、日常に入り込むことができた。
もちろん、それはしおりちゃんの存在が大きくて――
「りなー! しおりちゃんが来てくれたわよ」
「うん」
玄関から母が呼ぶ。私は急いで二階の自室から、一階へと降りていく。
外へと出れば、しおりちゃんが待っていてくれた。
「いつもありがとう」
「いえいえ! 私もりなさんと登校するのが楽しいんです。それよりも迷惑じゃないですか? 私が来たほうがしんどいことはないでしょうか……」
「ううん。しおりちゃんが来てくれると、うれしい」
幸運なことに、しおりちゃんは私と同じバス停から高校へ行くルートだった。中学からではなく、高校からこちらの地域へと移ったらしい。
はぁと吐く息はまだ白いけど、だんだん日が長くなってきたと思う。
しおりちゃんと二人で歩くと、心がワクワクとしてくる。学校へ行く道はいつも同じなのに、二人でいれば楽しかった。
自然と笑顔になれば、しおりちゃんも私を見てうれしそうに笑う。
……こんな日が来るなんて思わなかった。
移動教室のとき、一緒に廊下を歩いていくこと。昼食を一緒に摂ること。放課後、コンビニに寄って、二人で肉まんを買って、公園のベンチで食べること。
全部、新鮮で。
全部、全部、本当にうれしくて……。
留年は決まっていたけれど、登校を始めた私に父と母は喜んだ。
ここからうまく回り始めるかもしれない、と。
私もその予感に胸が弾んだ。
普通に学校に行くこと。
普通に進学すること。
普通に就職もして、普通に暮らして、普通に生きていく。
――それが、できるかもしれない。
中学のときにその道から外れ始めた私。行きたくて、でも行くことはできなくて……。毎朝、私を登校させようとする母と泣きながらケンカをした。ケンカというにはあまりにもみっともない。
行きたくないと、部屋から出られないと泣く私と、なんでなの、と泣く母と。
父はそんな私と母をどうすることもできなくて……。
買ってくれたのが、PCだった。
今ならネットで勉強もできるし、webで受講できるような学校もある。学校に行かなくてもいいから、勉強はがんばれ、と。
そうして私はPCで勉強をしながら、ゲームも始めた。
……私はゲームが好きだ。
暗くて閉塞感しかなくて。普通になれない自分を責めて、悲しむだけの日々から救ってくれたから。
だから……。
だから、私は違和感に気づいた。
だって、私がこんなに簡単に学校に馴染めるはずがない。世界はもっと暗くて、苦しくて、どうしようもない自分しかそこにいなかった。
私が普通の人生を歩めるかもしれない、なんて……。そんなのゲームの世界に転生するより、もっともっと、夢みたいなことだ。
……そう。夢、なのだ。
――こちらの世界が。
「しおりちゃん」
「はい、どうしました? 今日も寒いですが、そろそろ梅の花が咲きそうです。もう春になりますよ」
放課後、公園のベンチに座り、二人で話す。
寒い中、この日常の繰り返しが、私はなによりも好きだった。
黒髪の三つ編みに、優しい黒い目。ほら、と指差す手は白くてきれいだ。
「――ちゃん」
名前を呼ぶ。「しおりちゃん」と、そう名乗ったけれど。
でも、私は違う名で読んだ。もう一度。次はもっと大きな声で。
「サミューちゃん」
その瞬間、黒い目が大きく見開かれた。そして、すぐ悲し気に眉を寄せる。
「……っダメ、です。いけません。……いいんです、このままで。この世界でいいんです」
「ううん……違う。ダメ、ダメだよ」
黒髪の三つ編みの女の子が、私の肩に手を添える。
このままでいいのだ、と。……夢を見たままでいいのだ、と。
「サミューちゃん……だって、サミューちゃん……っ」
目が熱い。勝手にぽろぽろと涙があふれる。
幸せだった。私が欲しかったのはきっとこういう日常、こういう未来だった。
ちゃんと学校に行けて。友達がいて。父と母は仲が良くて。私は「普通」のレールに乗って、暮らしていくのだ。
でも、……でも……。
「サミューちゃんは……っ、サミューちゃんは金色の髪がさらさらで……、碧色の目がとってもきれい。それで、魔法を込めるときらって光る、すごくすごく素敵な目で……私が、大好きな、色で……っ」
時計台の上で、守護者の契約をしたよね。
サミューちゃんはあんな高いところから落ちそうになって、それを必死で引っ張ったのだ。
「守護者になるんだって言って、百年もがんばれる努力家で……! ママとパパのことで悲しいこともあったけど、でも、自分を変えようとできる人で……っ」
エルフの女王様だったママ。余命僅かのなか、パパと一緒に宝玉を手に入れたサミューちゃん。それを使ったママはパパと出て行って。サミューちゃんは百年の努力が叶わなくなったと知ったのだ。
そんな悲しみを背負って、それでもサミューちゃんは努力を続けていた。
でも、この世界には、サミューちゃんの努力したものがどこにもない。サミューちゃんがただの普通の女子高生になってしまう。
「ここにいたら、全部、なくなっちゃうんだよ。……サミューちゃんの悲しみも痛みも苦しみも。それがあって、乗り越えるためにたくさん努力したこともっ。……サミューちゃんがすごいこと、私、知ってる。それがここにはないなんて……そんなのやだよ」
やだよ。サミューちゃんの努力がなくなっちゃうなんて。
サミューちゃんには努力した分、いっぱいいっぱい幸せになって欲しいのに。
「……私のことならば、本当にいいんです」
サミューちゃんは、私の肩をそっと抱き寄せた。
「あなたが幸せなら、私はどんな世界でも構いません。私の努力は能力を誇示するためにしたものではありません。……あなたとともにいるために。そのための努力だったのです」
そう言って、サミューちゃんは笑う。
本当にうれしそうに。
「この世界があなたの望んだものであるなら、私はこの世界で生きていきます。なにもいりません。ただ、そばにいます」
その笑顔があんまりに優しいから。
こんな私のエゴしかない世界で、一番きれいに笑うから。
「サミューちゃんっ……サミューちゃんっ」
どうして、私のそばにいてくれるの?
本当に世界を越えて、来てくれたの?
「私っ、私、こんなだよ。全然、姿も違う。あっちの世界みたいに強くない。なにも持ってない」
銀髪に金色の目。ママとパパの子どもで種族はエルフ。
レベルカンストして、チートな装備品とアイテムをたくさん持っている。
サミューちゃんが出会ったのはそんな私だ。サミューちゃんはそんな私を何度もすごいすごいと言ってくれた。でも、ここではなに一つ持っていないのに。
「いいえ、なにも変わっていません。私はなにかを持っているあなただから一緒にいたかったわけではないのです。姿形も関係ありません。――愛しさは目でなく、心で感じればいいのです」
ああ……。サミューちゃんだな、って。
自信満々にそう言い切るから。
だから、心が震えて……。
「私の心はあちらの世界でも、こちらの世界でも変わりません。ただずっと、あなたを向いています。私はあなたのそばにいたい。……二人でいれば、無敵です」






