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黒と白  作者: 池田瑛
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5.白

「どうして融資ができないんですか!」


 俺は、鹿銀の本店の応接室の机を右手で叩きつけた。高校時代、野球で鍛えた筋肉はまだ衰えていない。予想以上に、ドンと大きな音がした。経理部長の安藤さんも驚いたようだ。


「池田社長、先ほどご説明したとおり、池田酒造は新しい会社です。まだ通期での決算が出ていない状況でありますし、3期は業績といいますか、実績を見させていただかないと、こちらも融資の可否の判断ができかねます」と、鹿児島銀行の役員が言った。名刺に書いてある肩書きを見る限り、法人部門の融資責任者ということらしい。


「実績って言ったって、池田酒造は、創業100年を超えています。それに、他の蔵元も、島津の殿様の時代から焼酎を造っている蔵元もあるんですよ。満額全部とは言わないまでも、ゼロ回答なんて酷いじゃ無いですか」


 銀行の理論では、伊佐市の蔵元が合同した『新しい』池田酒造の実績が必要であるということらしい。だが、連合する前の池田酒造の決算書は存在するが、合併手続きが終わったばかりの「新しい」池田酒造の決算書はまだ存在していない。1年間が終わって業績を見てからでないと、融資をしない方針らしい。


「社長、落ち着いてください」と安藤さんが言った。


「でも、安藤さん……」と俺は納得がいかない。当たり前だ。これから設備を導入して生産量を増大させ、池田酒造は生産量では鹿児島県で3位、もしかしたら2位の酒造会社になる計算だ。

 鹿銀の伊佐市支店長に相談したときも感触は良かった。だから、必要な建物の建築費や、必要な設備の見積もりもとった。


 そもそもの話、伊佐市の焼酎蔵元で合同して、資本力と売上のある会社を設立しようという話を提案してきたのは、鹿児島銀行の営業マンだった。俺が有限会社池田酒造を親父から受け継いで、その元締めということになった。伊佐市の酒造組合に提案をして、跡継ぎがいない酒造組合の株式を買い取ったりした。歴史ある暖簾を降ろすことに抵抗を感じてなかなか首をたてに降らない蔵元だっていた。10の蔵元を説き伏せるのに3年かかった。やっと、新生、池田酒造が動き始めたというのに、これから新しい蔵を建てて、酒造量も増大させようというのに……。

 

「10社の決算書を合算したものを3期分用意してきたのですが、それでもダメなのでしょうか」と安藤さんが言った。


 安藤さんは、銀行から融資を受けるために色々と準備をしてくれていた。1社でも膨大になる伝票や資産や負債などの明細を、10社、丁寧に精査して、資料を作ってくれた。


「焼酎の銘柄自体を一新しているので、前年度までの売上を維持できるのかも、やはり見てみないと分かりません」


 合併をして銘柄を絞って売上が落ち込むとか、逆に、販売のコストが増大する可能性があるとか、悪い想定しかしていないようだ。

 

「じゃあ、飲んでみてくださいよ。昨日の鑑評会でも入賞したんですよ」


「銀行は、味で評価は出来ません。あくまで、決算書の数字がすべてです」と鹿銀の常務は言い切った。


 埒があかないと俺は思った。


「分かりました。実績を積んでまた出直すことにします」と俺は言った。これからなのに……。


「設備投資のご相談には応じられませんが、運転資金ならご相談に応じられます。仕入れや、従業員の賞与などで資金が必要なときのために、短期の融資枠を1億円ほど作っておかれませんか?」


 それはどうなのだろう? と俺は思った。日々の資金の動きまで俺は把握出来ていない。安藤さんの顔を俺が見ると、安藤さんは「短期の枠に関しては、伊佐信金さんとお付き合いがありますので」と代わりに答えてくれた。


「それでは、失礼します」と俺は席を立った。計画の練り直しだ。工場建設の計画は、見送りしなければならない。


 新しい工場建設が、2年遅れる。営業部長の有村さんが伊佐市へと運転する車の中で俺は頭を悩ませていた。全ての工程が2年遅れるということが確定したからだ。

 設備の導入にだって時間はかかる。そもそも設備の製造にだって時間がかかるし、メーカーも注文をして前金を渡さなければ制作に取りかかってくれない。それに、焼酎、つまり発酵というデリケートなものを扱う設備だ。たとえば、二次仕込みのときに使用するタンクだ。発酵の作用による腐食を防ぐために、ステンレス製のタンクを使うが、製造の時点において細心の注意が必要である。ステンレスとステンレスを溶接する金属も特別な金属を使って溶接してもらわなければ、発酵という過酷な工程に耐えられない。

 また、過去の別の蔵元の導入の失敗事例として、バルブ部分がアルミ製のものを使ってしまったということがある。当然、アルミは腐食に耐えられず、設置からやり直しということになった。

 つまり、設備は全てがオーダーメードになるのだ。そして、オーダーメードであるが故に、製作に時間がかかる。


 それだけではない。工場が出来て、設備が導入されてすぐに出荷できる製品ができるというわけではない。

 設備が無事に完成したら、試運転の期間も必要だ。いままで蔵で培ってきたノウハウが通用しなくなる。

 米蒸しをするまえに、洗った米を水に漬ける「浸漬」も、手作業でやっていたときと異なる。4㌧の米を種麹にするために最適な水の量と、温度と、浸水時間は? その最適な条件を探し出すだけでも、気が遠くなるような試行錯誤が必要となる。

 そして、最後に、製麹、一次仕込み、二次仕込み、蒸留、熟成、ブレンド、割水の全ての工程が調和し、最高の焼酎が出来る。

 

 そして、最大の問題は、人材だ。池田酒造の杜氏たち。それぞれの蔵で杜氏を長年務めていた先達たち。その人達はみな、高齢だ。いつ引退してもおかしくはない。

 それに、設備を導入して、工業的な品質管理ができるマニュアルを作成するまでは、すべて手作業に近いのだ。池田酒造に沢山の杜氏がいる。その杜氏たちの知恵と経験を結集して、最高の焼酎ができる工場を稼働させるのだ。


 俺一人では、工場建設なんて無理だ。10人の杜氏たち。これが、池田酒造の最高の財産であり強みだ。だが、期限付きの財産だ。工場建設が2年遅れれば、実際に試運転が出来るのは早くて3年後だろう。


 3年の間に、杜氏の誰かが焼酎を造れないかもしれない。今村商店……玄穂の父親のように、病で倒れる杜氏もいるかもしれない。ふっと俺は玄穂のことを思い出した。

 今村商店の3代目、玄穂の父親は池田酒造への合流を拒否した蔵元の一人だった。玄穂はどうなのだろう? 今村商店の社長にも玄穂は就任したと聞いている。池田酒造への合流には、やはり否定的なのだろうか。


 運転をしている有村さんの携帯が鳴った。営業部からの電話だった。俺が代わりに電話に出ると、酒屋問屋から、追加で100ケースの注文が来たという嬉しい連絡だった。今年の「伊佐鶴」の出来が良いから先に在庫確保したいそうだ。


「ブレンドが神業でしたからね」と、安藤さんが言った。有村さんもそれに同意する。当然、俺もそれに頷く。念入りな打ち合わせや情報交換があったにしろ、十の別々の蔵元で造った焼酎で一つの銘柄「伊佐鶴」を造る。

 蔵元の個性を越えて出来上がった焼酎。そのブレンドが成功したのも、俺だけの力ではない。裏方に回ってくれた杜氏が、鋭い嗅覚と味覚と成熟した経験で成し遂げてくれた。だが、その杜氏がいつまでその鋭い嗅覚と味覚を維持できるかは分からない。当然、高齢であればそれらは衰えていくものだ。それも、急速に……。


 早く工場を……と俺は未練がましく思う。資金が捻出できないのであれば、まずは足場を固めていくしかない。


 これより先『伊佐市』という道路の標識が見えた。まずは、今度の方針について話し合いだ。


 ・


 池田酒造での話し合いの結果、地道に良い焼酎を造っていこう、ということになった。本格芋焼酎鑑評会で入賞できる焼酎が造れた、ということをまずは誇り、自信にして、また焼酎を造っていこうということだった。

 新しい工場建設に関しては、中止になったわけではなく、延期なのだから、仕方が無いことだし、焦ることはないということだった。

 池田酒造は10の蔵元が集まって、できた新生したばかりの蔵元。しばらく時間をかけながら蔵人同士の協力体制や、新しい組織体制を盤石にすればよい、ということだ。

 俺にとって意外だったのは、高齢の蔵人たちや杜氏たちほど、焦っていないということだ。


 家に帰り、お袋が造った夕飯を食べながら俺は親父に尋ねることにした。親父は、一昨年までは池田酒造の杜氏だった。まだまだ現役、というか杜氏として脂が乗ってきた年齢ではあるのだが、新しい池田酒造は、若い者が引っ張っていくほうが良いだろうということで、他の蔵元の杜氏同様、杜氏の役割を俺に譲って、焼酎造りに専念している。


 


「なぁ、親父。工場建設に本当は反対だったのか?」と、俺は聞いた。親父は、テレビに映し出された野球のスコアを一瞥して、テレビのスイッチを消した。

そして、焼酎を一口飲んで、「虎白、お前は、焼酎造りの腕は良いが、杜氏としての心構えは年相応だな」と言った。


「どういうことだ? 親父」


「今年の芋は、どうだった?」


「話変えるなよ……。今年の黄金千貫は、曇りの日が多くて、あまり育ってなかったな。芋の選別には神経を使ったし、蒸かすときには同じ大きさの芋を集めて、それぞれ蒸かしたり、手間はかけた。って、それがどう関係あるんだよ」と俺も焼酎をくぃっと飲む。


「それで良いんだよ」と親父は言ったが、親父が何を言いたいのか俺にはさっぱりわからなかった。


「どう良いんだよ。生育不良の芋よりも、大きく太った高デンプン質の芋で造った方が旨い焼酎になるだろう」


「そりゃそうだな」と親父はまた焼酎を一口飲んだので、俺もまた飲む。


「そりゃそうだな、言われてもなぁ」と俺は胡座から片膝を立てる姿勢に変えた。


「焼酎造ってるとき、暑かったらどうする?」


「蔵の窓を開けて中の温度を下げるな。最悪、氷を持ってくる」


「じゃあ、寒かったら?」


「寒すぎてもだめだから、最悪、蔵で炭を焚いて温めるかな」


「それで良いんだ」と親父は俺の答えに満足そうに頷いて、また焼酎を飲んで、「かぁさん、お湯」と言った。もう二、三杯飲む気なのだろう。


「だから、それでどう良いんだよ」


「曇りの日が多いのも、暑いのも寒いのも、お天道様の勝手だってことだ。それに文句を言ってもしょうが無いんだよ。お天道様のご機嫌に合わせて、焼酎を造るのが、杜氏ってもんだ」


「それと銀行の融資のことは違うだろう? 安藤さんが言ってたけど、銀行は晴れの日に傘を貸して、雨の日に傘を取り上げるもんなんだってさ」と俺が言うと、親父は笑った。


「安藤さんも上手いこというなぁ」


「笑えないだろ、それで工場建設が延期になったんだから」


「いや、笑える。晴れるのも、雨が降るのも、要はお天道様の気分次第ってことだろ? 天気に合わせて、やれることをやるのが杜氏だ」


「……」


 俺は言い返す言葉を探し出せなかった。ただ、ちびちびと黙って焼酎を飲むことにした。


「お待たせ」とお袋が魔法瓶を持って居間に入って来て、親父のコップにお湯を注いだ。親父は、そのコップに伊佐鶴を注いだ。


「それでお父さん、虎白に話してくれた?」とお袋が言った。お袋は小言があれば俺に直接言ってくる。親父経由で話すことってなんだろう、と俺は二人の顔を交互にみた。


「虎白、お前、嫁を迎える気はないか?」


「は?」と俺は聞き返した。鳩が豆鉄砲を食ったような顔を俺はしているかもしれない。


「お見合いのお話をいただいたのよ。ちょっと待っててね」とお袋は直ぐに立ち上がって奥の部屋へと入っていった。


「見合い?」


「ここんとこ数年、新しい蔵元のために奔走していただろ。工場建設の話は残念だが、考え方によっては、数年落ち着いて、じっくり身を固めろってことだ」


「身を固めるって、堅実に焼酎は造っていくのは当然だけど、俺が結婚するってこととは違うだろ?」


「お前が池田酒造の杜氏なんだから、蔵と杜氏は一心同体だ。それに、工場建設が始まったら、10年はまた奔走することになる。寝ても起きても、蔵のことを考える。所帯を持つどころの話じゃないぞ。蔵を新しく造るってのは杜氏にとってそういうもんだ」


 どうやら親父とお袋は、工場建設の話が延期になったのを良いことに、その間に俺に結婚をして欲しいらしい。

 たしかに、伊佐市の蔵元が集まり、合同して新しい蔵元を作ろうという話が出てから、結婚のことなんて考えている暇などなかった。というか、そんなことを考えもしなかった。


「お待たせ。別嬪さんよ」とお袋が言った。テーブルを一度、台拭きで拭くと、その上に袱紗ふくさを置いた。そして、丁寧に袱紗を開いた。その中には写真が入っていた。


「どう?」と写真を俺に渡したお袋は尋ねるが、俺は「どうって言われても」としか答えようがない。写真に写っている人は、俺の知り合いではないようだ。


「って、今時、蔵に嫁ごうなんて人、いるのかよ」と俺は言った。


 俺が女だったら、焼酎蔵元に嫁ごうとは思わない。昔の焼酎造りと違うとは言え、酒造りというのは、面倒な風習が多く残っている。

 蔵元同士の寄り合いなんかはそれぞれの家での持ち回りだし、その時は料理の準備など大変だし、他所で寄り合いがあったらあったで、煮物の差し入れなど小まめにしなければならない。

 蔵元は町内会の催しなどに率先して参加するのが当たり前というのが地元の感覚だし、祭の時なんか準備から動き回らなければならないだろう。

 俺は子供ながらに、蔵元に嫁いできたお袋が苦労をしてきたことを知っている。


「世間様からは、気鋭の若社長って評判なのよ」とお袋は嬉しそうにいうが、そう言われる俺はたまったものではない。明日から町を歩くのが恥ずかしい。

 

「銀行に融資を断られる蔵元の社長だけどね」と俺は天井を見上げながら皮肉を言った。


 たしかに池田酒造は、合併したことにより、規模も大きくなった。伊佐市の、地元優良企業と言えなくもない。が、そんなものだろうか。


「それで、どうかしら。会うだけ会ってみる?」とお袋は、俺の感触でもたしかめたいのだろうか?


「まだ結婚とか考えられないな。いいや」と俺は言った。


「残念ねえ。玄穂ちゃんに似ているから、虎白も気に入るかとおもったのに」とお袋が呟く。


「なんでいきなり玄穂が出てくるんだよ」


 俺は、お袋の唐突な発言を聞いて、焼酎で咽せそうになった。焼酎が少し肺に入ったようで、胸にチクリという痛みが走っている。俺もお湯割りで飲めば良かったと後悔をした。


「ちょっと散歩に行ってくる」と俺は立ち上がる。


「お外、暗いし、寒いわよ」とお袋が言うが、今日は空気が澄んでいて、月と星がよく光っている。寒さを除けば、思索に耽るには絶好の夜だ。



 ・



 電灯のない道を、俺は懐中電灯片手に歩く。途中から変な話になった。考えるべきことは、池田酒造の今後だ。俺が所帯を持つとかそんなことではない。

 何も植えられていない冬の田んぼと、そして畑が続いている。郡山八幡神社の近くの畑。春になれば、芋が植えられる畑だ。

 懐かしい畑でもある。高校の時は、玄穂と雑草を抜いた畑だ。そんなことを考えていると、郡山八幡神社の参道に灯りがあることに気付いた。


 こんな時間にお参りか? いや……賽銭泥棒か? 俺は新聞の記事で、神社の賽銭箱を荒らして回る泥棒集団が活動していると書いてあったことを思い出した。こんな田舎の神社まで狙ってくるのか、と頭に血が上ってきたことを感じた。一気に体が熱くなる。

 郡山八幡神社は、日本最古の『焼酎』という文字が書かれた木片が発見されたところだ。焼酎を造る者として、郡山八幡神社を荒らす不届き者を見過ごすわけにはいかない。神社で発見された、木片には『工事の時、施主が大変けちだったので一度も焼酎を振る舞ってくれなかった、なんとも迷惑なことかな』というような文言だったと記憶している。


「散歩の時、賽銭泥棒をする不届き者に出会うとは、なんとも迷惑なことかな」と俺は独り言を言って、大股で神社へと向かった。


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