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黒と白  作者: 池田瑛
4/9

4.黒

 焼酎鑑評会が終わり、次の日には伊佐市へと帰る。

 川畑さんの運転する車が、九州自動車道を降りた。国道268号線で伊佐市へと戻る。伊佐市が、そして父の入院している病院が近づいてきている。


「川畑さん、鑑評会の結果のことは父には……」


「えぇ。いずれの結果にせよ、玄穂さんが伝えるということだったので、誰もお伝えしていないはずです」と川畑さんは運転をしながら答えた。

 総走行距離が10万キロを超えた小型トラックが時速80キロを出すと車体がかなり揺れる。ガタガタと車体が音を立てているが、川畑さんはそれを気にしているような様子はない。


「そうですよね」と私は答えた。私の口から結果を直接伝えます、と鑑評会に出かける前に言ったのは私だ。でも、「今村黒鞠」は入賞できなかった。それを私は父に伝えに行かなくてはならない。だが、私は逃げたいと思っている。誰かが伝えてくれていたらと思っている。


「蔵に寄らず、このまま向かいますか?」と川畑さんが言う。


「そうしてください。帰りは、バスで帰りますので、先に蔵に帰っていて下さい」


 一度、蔵に帰ってしまったら、報告に行くのが次の日になってしまいそうだ。川畑さんも、きっとそう思ったのだろう。


「特に用事がないので、待っていてもいいですが」


「大丈夫です」と私は答えた。何が大丈夫なのか分からない。父はきっと落胆するだろう。


「分かりました」と川畑さんは言ってアクセルをぐっと踏み込み、追い越し車線に移動し、そして車を一台抜いた。

 トラックの車体がさらにぐらぐらして、どこからかカタカタという音も聞こえてきた。


「このトラックもそろそろ寿命ですね」と私は言った。出荷された焼酎瓶を運び続けてきたトラックだ。私が中学生のときに購入した小型トラックだ。真っ白な塗装が光っているトラックが、学校から帰ってきたら駐車場に置いて合って驚いたのを憶えている。

 だが、もうトラックは20年近く使われている。風雨にさらされ、塗装が剥がれたところからは茶色い錆が見える。


「まぁ、私の寿命が早いか、このトラックの寿命が尽きるのかってところでしょうな」と川畑さんが笑いながら言った。


「川畑さんには、あと10年は今村黒鞠を造ってもらわないと困ります」と私も言った。

 

 いつの間にか、国道を示す標識が、268号から404号線へと変わっていた。助手席の車窓から流れ見える冬の田んぼを私はぼんやりと眺めていた。川畑さんの運転するトラックは川内川に沿って走っている。上流へと向かって車を走らせている。


 私は気づき、「病院へは、裏から行くんですか?」と川畑さんに尋ねた。北薩病院へは、268号線から山を抜けて48号線に乗れば病院の正面まで行くことができる。川内川に沿って上っていく道は、少なくとも遠回りだ。

 川畑さんは、何も答えず左折をした。右折すれば、大住公民館を抜けた先に病院がある。左折をした先は、曽木の滝公園だ。

 

「少し、道草を食いましょう」と川畑さんは笑って車を駐車場に止めた。そして「トイレに行ってきます」と言って、そのまま車から降りて小走りで走って行く。


 私は芝生の道を抜けていく。植えられた桜の木は、春の準備を着々と進めているようだ。父と、そして母とこの芝生で花見をしたのはずいぶんと昔のことだ。

曽木の滝を一望できる場所。きっとここに来ればそのうち川畑さんも来るだろう。転落防止用の手すりをぎゅっと両手で握りしめる。滝の途中で舞った水霧が、風に運ばれてきて肌寒い。水と水が、岩と水がぶつかり合う音が聞こえる。

私の他に誰もいなかった。川の水量の少ない冬。それもお昼時に滝を見ようとする人は少ないのかもしれない。

 ふと、昨日飲んだ、伊佐鶴のことを思い出した。虎白が造った酒だ。旨かった。

鑑評会で入賞したことを自慢するでもなく、淡々と焼酎を飲んでいた虎白。虎白が自分の焼酎が入賞したこと。そして私が造った「今村黒麹」を批評してくれたら、私は少し気が楽だったのではないだろうか。なぜだがそう思った。

そしてそう思ったら悔しさが再びこみ上げてきた。


「来年は入賞するぞぉ!」と私は力一杯、曽木の滝に向かって叫んだ。私の声は、滝壺の中に吸い込まれて言った。


「やっぱり、親子ですね」と言う声が聞こえてきた。振り返ると、川畑さんが少し離れたところでタバコを吸っていた。

 

 川畑さんに聞かれてしまっただろうか。私は少し恥ずかしくなり、「久しぶりにここに来ました。地元の人ほど、地元の景勝地には来ないって本当かもしれませんね」と私は言った。


「先代とは数年に一度はここに来ていましたよ」と川畑さんが言った。初耳だった。


「父が、滝を観るのが好きだったとは初めて知りました」


「いや、そうじゃありませんよ。先代とここに着たのは、この前は三年前。その前は八年前でしたかね。それも、今日の三年前と、今日の八年前ですね」


 三年前の今日。そして、八年前の今日。


「そうでしたか。父もやっぱり私と同じことを?」


 今日というのは、焼酎鑑評会の次の日ということだろう。そして、三年前と八年前の鑑評会で、今村黒麹は入賞できなかった。


「玄穂さんの方が、ずいぶんと上品にですがね」と川畑さんは笑っている。


 聞かれてしまったか、と私は思ったが、不思議なことに恥ずかしくはなかった。気持ちが晴れやかになった気がする。

 

「川畑さん、ありがとうございます」と私は頭を下げた。


「もう良いのですか? 先代は、たっぷり一時間は叫んでいましたよ」


「私は1回だけで十分です。父がきっと待っています。病院へ行きましょう」


「はい」と川畑さんは応えて、吸っていたタバコを携帯灰皿の中へと押し込んだ。


 (済み)


 入院している父は、また痩せた、と私は思った。父は、私と川畑さんが病室に入ってきたのに気づくと、電動ベッドの背を起こした。寝ている姿を見られるのが嫌だったのだろう。父らしいと思った。


「先代、無理しないでください」という川畑さんの言葉を遮って、「それで、どうだった?」と父は言った。父が杜氏として働いていたときには、蔵の外にまで父の怒鳴り声が聞こえてきたものだった。

 もう、大声を出すことはできないけれども、その声には迫力があった。病の床にあっても、威厳に満ちた父親だ。私はその声に怯みそうになった。優しい父だ。私に一度も手を上げたことなどない。

 だが、酒造りには厳しい人だった。紛れもない杜氏だ。私の尊敬する杜氏だ。


 私は怯みそうになった。だが、痩せ細っていても衰えを知らない父の眼光が私を射貫いた。父が愛用していた薩摩切子のグラスに注がれた焼酎を真剣に見つめながら利き酒する、父の眼差しだった。杜氏が、杜氏の造った酒を見る目であるのだろうか。

 私のハンドバックの中には、今年の「今村黒麹」が入っている。お医者様に飲酒は厳禁とされている。

 だが父は、利かせろ、と言うだろう。自分の舌で確かめさせろというだろう。


「父さん、入賞できませんでした」


「飲ませろ」と父は言った。北風で落葉が擦れるような声だった。


 けれど、その声の本質はまったく不変であるように感じた。


 酒蔵から響いていた父の怒鳴り声。離れた場所にある家屋の縁側でスイカを食べていた私にもはっきりと聞こえる声だった。

 父では父は寡黙な人だった。静かに新聞を読んでいるか、テレビで巨人の野球の試合を見ているかだった。母と会話をしていた、という記憶もあまりない。父と私は会話らしい会話をしたことがなかったかも知れない。


 農大の醸造学科を受験します、家業を継ぎたいです、と言ったときも、「そうか」と言って居間から立ち上がり、酒蔵へと焼酎の様子を見に行った父だ。


 父が発する声、父がこれまでの人生で口から発してきた言葉の9割は、酒造りに関してかもしれない。娘の私に話した言葉よりも、一つの季節の焼酎造りで、蔵人に話しかけた言葉の方が多いかもしれない。


「飲ませろ」と父が再び言った。同じように擦れた声だった。父の言葉はすべて焼酎造りのためにあるのだろう。


 私は川畑さんと顔を見合わせた。川畑さんは黙って頷いた。父が頑固で言い出したら梃子でも動かないということを知っているのだろう。


 私は鞄から「今村黒麹」とお猪口を取り出す。栓を開けて、お猪口の底が焼酎で沈むくらい注いだ。舐めるほどの量だけど、父にはこれで十分だろう。


「どうぞ、父さん」と私は父に渡す。父はそのお猪口を受け取ると、お猪口に鼻を深く付けて匂いを嗅いだ。そして、目を閉じて病院の天井を見上げた。1分以上、父は天井を見上げていた。その間、私は自分の心臓の鼓動が聞こえた気がした。

 

 そして父は私が造った「今村黒麹」を口に入れた。再び、目を閉じて天井の方に顔を向ける。父は何を考えているのだろうか。どのように焼酎を味わっているのだろうか。

 今年の天候不良で不揃いとなった黄金千貫で、自分ならどのように焼酎を造ったのか、一次仕込みで酒母を微調整すると考えるのだろうか?

 二次仕込みで、デンプンを発酵させる温度を0.1度上げた? それとも0.2度下げたと考えるだろうか。貯蔵期間を1日減らせば良かった? それとも、数日長く貯蔵してもっと熟成させたら良かっただろうか。


 父ならば、いや、今村商店三代目杜氏であれば、どうやって、今年の焼酎を造っただろうか。


「二番煎じだな」と父が言った。


「え? 父さん、もう一度言ってください」


「二番煎じ、と言ったんだ。焼酎自体の工程には問題ないな。川畑、苦労をかけた」


「いえ、玄穂さんが頑張ってくださいました」


 焼酎を造る全ての工程で川畑さんの働きは大きかった。川畑さんがいなかったら、今年の「今村黒麹」は飲めたものではなかったかも知れない。

 それに、蔵人たちのことをよくまとめてくれていた。


 人間というのは不思議なもので、困ったときに頼りにしている人間を頼ってしまう。今村商店の人達は、私のことを杜氏として扱ってくれている。だけど、ふとした瞬間に、蔵人は川畑さんを見ている。例えば、芋蒸しのときだ。今年の芋は大きさが均一でなかったから、特に芋をどれくらい蒸すかは難しい判断だった。大きい芋に合わせれば、小さい芋が蒸されすぎてしまうし、小さい芋に合わせたら、大きいもがまだ芯まで十分に蒸されているとは言い難い。


 蔵人たちは私に、蒸し具合の判断を求めてきた。

 私は蒸し具合を確認するために、芋を食べる。もちろん、隣で川畑さんも同じように芋を食べる。

 そのときの蔵人たちの視線は、川畑さんにいっているのだ。杜氏としての私の判断を聞いているようで、実は、杜氏である私を建てつつ、川畑さんの判断を聞いているのだ。

 川畑さんは『このサイズの芋の芯温が90.8度になったらバランスが取れると思いますが、杜氏はどう思われますか?』とあの時言った。

 『そうですね。そのようにしましょう』と私も言った。蔵人たちは、『分かりました』と言った。つまり、そういうことだった。



「川畑さんの支えがあったからこそです。それで父さん、二番煎じというのは?」と私は父に尋ねた。当然のごとく、焼酎はお茶や紅茶のように、二番で煎じることなどできはしない。


「玄穂、お前が今年造った焼酎は、なんだ?」


 父の問いは抽象的だった。だが、その答えは一つしかない。


「今村黒麹です」


 父が造りあげた今村黒麹。今村商店が誇る、本格焼酎。全国的な知名度は無いものの、毎年、出来上がるのを楽しみにして下さる方達がいる、『今村黒麹』。


「曖昧だな」とため息交じりに父が言った。少し私はカッとなって、「抽象的な質問をしているのは父さんです」と言った。病院で話す声にしては少し大きい声だったかも知れない。


「儂が造る今村黒麹に味や香りを似せようとした、模造酒だ。玄穂、二番煎じは辞めろ。いつか、三番煎じとなり、そのうち、出涸らしの茶みたいな焼酎しか造れなくなるぞ」


 父は酷いことを言う、と思った。私では、今村黒麹を造ることはできないと父は思っているのだろうか。


「来年はもっと良い焼酎を造ってみせます。入賞だってしてみせます」


「良い焼酎に入賞か。分かっとらん。川畑、頼んだぞ」と父は言った。


 私は、父からお猪口を取り上げ、今村黒麹を鞄にしまい、父にろくに何も言わず病室を出た。


 病院の受付ロビーに座っていると、すぐに川畑さんも降りて来た。


「お見苦しいところをお見せしました」と戻ってきた川畑さんに私は言った。


「いえいえ。それにしても、やっぱり親子なんだなぁって思いましたよ」と川畑さんは笑っていた。


 川畑さんにそう言われて、私は恥ずかしくなった。


「すみません。短気なところは父に似たかもしれません」


「はは」と川畑さんは豪快に笑った。そして、そのあと嬉しそうな顔をして、「さぁ、蔵に戻りましょうか、みんな待ってますよ」と言った。川畑さんはなぜか嬉しそうだった。




 今村商店の蔵に戻ると、祝宴の準備が終わっていた。今村商店には、焼酎を造っている間、蔵人たちが寝泊まりする家屋がある。住み込みで焼酎を造っていた時代からある古い木造の住宅だ。

 その家屋の居間から床の間までの障子が取り外されると、18畳ほどの長方形のスペースができる。そこに横長のテーブルが並べられていた。机の上には、今村黒麹が十本、また、桶に並べ慣れたお寿司、漬物、キビナゴの天麩羅などが並べられていた。

 テーブルの周りには座布団が均等に置かれている。今村商店で働いている人達全員がここに集まって祝宴を開くのだ。


 すでに準備は終わっていたので、私は祝宴が始まる18時まで経理の仕事をすることにした。

 経理、というか今村商店の経営を取り仕切っていたのは母だった。父が焼酎造りに専念し、母が経理のことを取り仕切る。夫婦二人三脚で、今村商店を支えてきたのだ。

 経理室、格好良く言ってしまえば社長室なのだけど、そこには一代目と二代目杜氏、そして、母の写真が天井に近い壁に掛けられている。母は、今村商店三代目社長という肩書きと母の名前が書かれたプレートが写真の下に張ってある。

 曾祖父も祖父も、焼酎造り一本の人であったと聞いている。帳簿を預かる、いわば蔵元の金庫番がいたはずで、それは曾祖母と祖母がやっていた。曾祖母と祖母の写真が飾られていないのは、焼酎造りというものが女人禁制であった名残であるのかもしれない。

 今はそんな時代ではないので、母の時から写真を飾ることになったのだろう。

 飾ってあるのは、母の若い頃の写真だ。父と母はお見合い結婚だった。お見合い用に撮影された写真であるとも聞いている。

 色鮮やかな大島紬を着て椅子に座っている写真だ。はっきりした二重が印象的な美人だ。母が残した膨大な帳簿、また、今村商店と今村家の家計簿を厳密に分けて管理していた。美人であるということだけでなく、よかおごじょであったのだろう。お見合いということで、そういう器量がある女性を今村家は探したのかもしれない。

 

<済み>




 私は、今日の祝宴で払ったお寿司の代金などの領収書を仕訳して、今村商店の帳簿に記載していく。私は、父の杜氏としての仕事と、母の経営者としての仕事の両方をしなければならない。

 と、言っても、大変であるということではない。私が二倍の能力があるというわけではない。理由は単純に、技術の進歩だ。計算などが大変だった経理処理も、ほとんど会計ソフトが処理をしてくれる。

 今村商店の焼酎作りは、基本的に祖父の代と父の代で変化はない。昔ながらの焼酎造りをしている。だが、それ以外の部分では技術進歩を享受している。むしろ、その進歩を受け入れなかったら、私は杜氏をしながら経理をすることなど不可能だっただろう。


 それに……酒造りも確実に技術が進歩している。醸造学科で学んだときは驚きの連続だった。たとえば、酵母を培養する一次仕込みだ。

 蔵人が5日間の間、交代で、昼夜、温度計を睨み続けなければならない。温度が0.1度変わるようなことがあれば、寝ている蔵人全員が叩き起こされ、総出で温度調整が行われる。杜氏はその5日間、ほとんど寝ることができない。

 

 それが当たり前だと思っていた……。だが、それはいわば田舎の蔵元の昔ながらの酒の造り方だった。醸造学科には、最新のお酒を造る機器が備えられていた。製麹で、手作業で蒸米に種麹を混ぜたりはしない。機械が全自動でやってくれる。

 一次仕込みも、温度をコンピューターが管理し、全自動で温度を調整してくれる。ドライな言い方をしてしまうと、お酒造りが、杜氏の技術の結晶でなくなり、工学的な手法が駆使されていた。手作業が減り、まるで、お酒がベルトコンベアーで造られる工業製品のようだった。


 ざっくりと言ってしまえば、醸造学科で学べたのは理論だった。大学であるからそれで良いのかもしれない。先代杜氏、父が、蒸し米と種麹を混ぜる手つきは、芸術の領域だと川畑さんが言っていた。今、私が必要としているのは、いや、今村商店の4代目杜氏として必要とされているのは、豊富な経験に基づいた決断と、蔵人の人達が思わずため息を吐いてしまうような洗練された、手についた技術だ。幸いにして、父から鋭い味覚と嗅覚は受け継いでいる。一度飲んだ焼酎の味は忘れないし、利き酒をすれば銘柄はあたることができる。


 私はそんなことを考えながら受注や売上をチェックする。酒問屋さんからの注文数は例年通りであるし、新しく始めた数量限定のネット注文も、注文が入り始めている。


 そろそろね、と私は仕事に区切りを付けて祝宴会上に向かった。開始5分前ということで、すでに多くの今村商店の人達が座布団に座り、談笑をしていた。テーブルの上座が空いている。私は上座に座るのだろうか。いや、座るのだろう。今年、高校を卒業して今村商店に入社した1名を除いて、わたしより年上である。川畑さんをはじめ、蔵人のほとんどは私の二倍の人生を生きている方たちである。

 祝宴というより、まるで、私がお誕生日席に座って、孫に祝われているようだ。私は、廊下から畳に上がる際に少しだけ怯んでしまった。


 祝宴が始まり、私は最初に簡単な挨拶をする。今年度の焼酎造りにも尽力してくださったことへの感謝と、そして売上も例年と同様の水準で推移していること。本当は、鑑評会で入賞できていれば、この祝宴にもっと大きな花を添えることができたのだけど、それは叶わなかった。


「来年もよろしく、どうかお願いします」と言って、私は挨拶を終えた。そして、乾杯の音頭を打ち合わせどおり川畑さんがした。


「川畑さん、本当に、支えて下さりありがとうございます」と、私は川畑さんに今村黒麹を注ぐ。今村商店の全員に、感謝の気持ちとともにみんなで造った焼酎をふるって回る。


「ありがとうございます」と川畑さんは恭しく、右手に持った杯のしたに左手を添えていた。そして、川畑さんは、ゴクリと飲んだ。


「良い焼酎です。だから、杜氏。明るい顔をしてください」と川畑さんに言われた。今日は祝いの席だ。明るい顔をするように努めていたのに、どうやら川畑さんには私の心にかかった靄が見抜かれていたようだ。


「来年、私はどんな焼酎を造れば良いのでしょうか」


 父が言った、『玄穂、お前が今年造った焼酎は、なんだ?』という言葉が私の心に引っ掛かっていた。


「それはゆっくり自分で考えるんです。『透明な焼酎の輝きの中に眠る金剛石を、磨くのはお前だ』です」


「透明な焼酎の輝きの中に眠る金剛石を……?」と私は思わず聞き返した。素朴で実直な川畑さんにしては、詩的な言葉だった。





「二代目が三代目に言った言葉です。それで、先代は、『今村黒麹』を造ったんです」


 たしかに、『今村黒麹』は、父の代で造られた銘柄だった。


「二代目が三代目に言った言葉はもっと苛烈でしたよ。『お前が造ったのは、俺の焼酎の劣化品だ』でしたね」


「そんなことがあったんですか」


「えぇ。先代と私が駆け出しの頃の話です。同じ事をして、同じようなことを言われる。病院で言った『やっぱり親子なんだなぁ』って、そういうことです。受け継がれた、そしてまた新しくなるってことなんでしょうね」


「そうでしたか。また、次の焼酎造りもどうかお願いします」と私は言った。きっと川畑さんはこれ以上聞いても、はにかむだけで何も語ってはくれないだろう。


 祝宴も終わり、片付けも終わった。居間と床の間のあいだの取り払われた障子は再び元の場所におさまっていた。


 返杯で少し飲み過ぎた。酔いを覚まそうと散歩にいくことにした。コートを羽織り、懐中電灯を手に持つ。

 行き先は、郡山八幡神社だ。考え事をするには、静かで良い場所だ。参道の石段は座るのに丁度良い。この季節のこの時間にまさか誰もいないだろう。


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