2.白
俺は焼酎鑑評会で、「池田酒造」と名前を司会者が読み上げた瞬間、右手を強く握りしめた。本当は両手をあげて伊佐市で鑑評会の報告を待っているみんなに届くような大声で、「よっしゃーーー」と叫びたかった。
「池田社長、おめでとうございます」と経理部長の安藤さんと営業部長の有村さんが左右から俺の肩を叩いた。
「みんなにすぐに伝えてくれ」と俺が言うと、有村が携帯を取り出しメールを打ち始める。鑑評会の結果を池田酒造の従業員は首を長くして待っていただろう。
杜氏は俺だ。「伊佐鶴」は良い焼酎だということは知っている。審査員の舌が狂ってなければ入賞するだろうとは思っていたが、勝負の結果と焼酎の出来は、蓋を開けてみるまで分からないものだ。入賞出来て良かった。
「入賞蔵元代表、芋焼酎部門池田酒造、代表兼杜氏、池田虎白」と俺の名前が呼ばれ、俺は表彰状を鹿児島県酒造組合会長から受け取った。
俺が有村さんと安藤さんの元に表彰状を携えて戻ってくると、安藤さんが嬉しいことを伝えてくれた。
「全国紙2社の広告に『鹿児島県本格焼酎鑑評会入賞』と『今年の薩摩を味わえ!』のフレーズを入れることが間に合いました。明日の全面広告です」
さらに、安藤さんが「入賞の連絡をしたら、全国チェーンのスーパー2社からも追加の大口発注が来ました。ともに中瓶五千です」と嬉しそうに報告してくれた。
「ナイスです」と俺は答え、「ラベルには?」と俺は尋ねる。福岡、広島、神戸、大阪、京都、名古屋、横浜、東京、仙台、札幌などの大都市のデパートに出荷する「伊佐鶴」には、「鑑評会入賞」の文字が入る。
「もうレイアウトが来ています」と有村さんはスマフォの画面で、明日から出荷されるラベルのレイアウトを見せてくれた。
「それで行こう」と俺は即決をした。
内心では、「伊佐鶴」という焼酎銘柄の文字よりも、『入賞』の二文字が大きいことが気になったが、それは仕方が無い。「伊佐鶴」は新しい銘柄だ。知名度も、ブランド力もこれから伸ばしていかなければならない。
池田酒造は、伊佐市の蔵元が連合して造った株式会社だ。伊佐市での焼酎造りの未来を作る蔵元だ。
「お酒」という業界は、市場規模を大きくすることが難しい業界だ。日本酒、ワインに、ウィスキー、ビールなどとシェアを奪い合うことが宿命の業界だ。
まず、日本だけに市場を絞るなら、日本でお酒が飲めるのは?
当然のことながら20歳以上の成人に決まっている。
では、日本で、20歳以上でお酒を飲む人は?
20歳以上の老若男女と言いたいが、そもそも遺伝子レベルで、アセトアルデヒド脱水素酵素2型を作れる遺伝子を持っているか、持っていないかで、その人の酒を飲めるキャパシティーが生まれる前から決まっている。車は一家に一台でも、一人一台でも、一人で五台持とうが、それは個人の価値観で決まる。だが、お酒はそうじゃない。人間一人で飲めるお酒の量には限界が存在する。
それに、加齢によって飲酒量は減っていく。日本は既に高齢社会を迎えている。
市場は縮小していく。そして、お酒は日本に溢れている。ビールでも、ワインでも、清酒でもなく、消費者から焼酎を選んで買って飲んで貰わなければならない。そして、焼酎の中でも、池田酒造の「伊佐鶴」を選んでもらわなければならない。
良い焼酎を造ってさえいれば良い、なんて時代はとっくに終わっているんだ。どうしてそれに気付かないふりをしているんだ、玄穂。
俺は、暗い顔をしながら利き酒をしている玄穂を気にしながら、威勢良く、池田酒造の自信作、「伊佐鶴」を来場客に振る舞った。
祝賀会では、焼酎を飲みながら薩摩料理を堪能する。丸テーブルで一緒になったのは、喜界島酒蔵の中さんや、知覧の花霧国分酒造の方たちと一緒だった。
鹿児島県の酒造組合であるから、奄美諸島の蔵元も当然、組合には加入しているし、鑑評会には参加する。
焼酎造りの良きライバルであると同時に、焼酎造りの同志でもある。組合に所属している蔵元は現在93蔵だ。今後、蔵元が増えていく見込みはあまりない。というかほとんど無い。確実に蔵元の数は減っていくはずだ。酒造とは、狭い世界で、そしてこれからもどんどん狭くなっていく世界なのだ。
「中さん、お久しぶりです。うちの焼酎です。飲んでってください」と俺はグラスに伊佐鶴を注ぐ。中さんは強い喜界島の日差しをサトウキビ畑の中で浴びているのだろう。肌や顔が黒々と日焼けしている。その分、白髪が印象的な人だ。
「ありがとうよ。池田の大将は活躍してるって噂が喜界島まで届いているぜ。これは、うちで造ってる焼酎な」と中さんが今度は俺のグラスに黒糖焼酎を注いでくれた。『天人菊』という銘柄で、初めて飲むし、見る銘柄だった。
コクのある黒糖焼酎だった。黒糖焼酎は、糖質ゼロ、低カロリーということで、本土でも見直されている。産地が奄美諸島以南であり、サトウキビが原料であることからブランドとしても差別化しやすいのだ。
「これは新商品ですか?」と俺は中さんに尋ねた。
「前からあったが。若いもんに飲ませようと思って持ってきたんだ。もっと飲め」と、俺のグラスにさらに注がれる。
「天人菊か。いわゆる『特攻花』だな」と知覧の花霧国分酒造の杜氏である重田さんが言った。重田さんは90歳を超えていながらまだまだ現役の杜氏である。
「特攻花……ですか?」と俺が聞くと、重田さんに怒られた。そして、中さんが語り出した。
第二次世界大戦時、神風特攻隊として喜界島から片道分のガソリンと爆弾を積んで出発していった特攻隊員が喜界島を去るときに蒔いていった天人菊。それがいつしか特攻花と喜界島では呼ばれるようになったということだった。
「知覧の基地から飛んで、喜界島を中継して、南海に消えてったんだ。蔵人でも特攻隊員となったやつもいる」と重田さんが、中さんの話に付け加えた。
そして、重田さんは一気にグラスを傾け、『天人菊』を飲み干した。
「焼酎を造り続けたかったら、まずは平和でないとだめだ。戦争の時は酒ではない何かにみんな酔っちまう。酒っていうのは平和なときに飲むもんだ。それに昔から酒ってのは、食料が余って初めて造れるもんだった。食べる米すらないのに、わざわざ米を発酵させて清酒にしたり、食べるものがないのに芋から焼酎を造ったりする阿呆はいない。わかったか?」と重田さんは言った。皺だらけの顔でありながら、眼光は鋭い。
「わ、わかりました」と俺は応えた。人間として、また先輩杜氏としての凄みが重田さんにはあった。
「今回でわしは引退だ。次からはあいつが杜氏だ。あと、『伊佐鶴』、旨かったぞ」と重田さんは言った。重田さんから「あいつ」と呼ばれた人も同じ丸テーブルに座っている人だ。五十歳くらいだろうか。
「お疲れ様でした。ありがとうございます」と俺は言った。鹿児島、いや九州の中でも杜氏としての経験が長く、尊敬されている。入賞できただけでも嬉しいのに、重田さんから「伊佐鶴」が褒められる。こんな嬉しいことはない。
祝賀会の俺が座っている丸テーブルは、重田さんの独演会となった。重田さんの話を、花霧国分酒造の方たちも真剣な顔つきで聞いていた。重田さんの話は、芋の選別から製麹、一次仕込み、芋蒸し、二次仕込み、蒸留に貯蔵、そして熟成と、焼酎の工程に沿って語られていく。重田さんは根っからの杜氏なのだ。
池田酒造でも、花霧国分酒造でも、いや、多くの焼酎蔵元が芋の原料につかっている黄金千貫。黄金千貫が登場して普及する前の芋と、焼酎の味の変化。味というものは、文字などに記録ができない。貴重な話だ。
製麹機や芋蒸機、ステンレス製の貯蔵タンクの登場によって、焼酎造りがどのように変わったか。
すでに製麹機や芋蒸機が当たり前に使われている時代しか俺は知らない。戦後から今までの焼酎造りの変遷を、むしろ、焼酎の歴史を造りあげてきた功労者の一人が、間違いなく重田さんだろう。
多くの焼酎造りの先人たちがいたからこそ、自分はここに立っている。そして、次の時代に、自分は伝えていかなければならない。
重田さんの話を聞いていて、改めてそう思えることができた。自分にとって素晴らしい鑑評会だった。
「社長、このあと天文館で一杯引っかけにいって、そのあと『鷹』でラーメン食べようと思っていますが、どうですか?」と経理部長の安藤さんと営業部長の有村さんが祝賀会終わりに声をかけた。確かに今日の〆にラーメンが食べたいと思ったが、俺は明日、やらなければならないことがある。
「明日に俺は備えておきます。楽しんできてください」と俺は二人を送り出す。明日は、鹿児島銀行本店、鹿銀で融資の申し入れの説明をしなければならない。俺はホテルの部屋に戻って、明日のプレゼン予定の資料にもう一度目を通す。
池田酒造は、新しい焼酎工場の建設を計画中だ。すでに、工場予定地となる場所の水源探査を終えている。伊佐盆地を囲む自然豊かな山々に落ちた雨水が、麹の主原料となる伊佐米を育て、そして長い年月をかけて地下へと染み込こんだ水が上手い焼酎を造る水となる。
最高の焼酎造りができる場所を確保できた。あとは、設備だ。軌道にのせることができたら、池田酒造の酒造能力は飛躍的に向上する。島霧酒造などを筆頭に、生産規模拡大で躍進した宮崎勢との溝を埋められるだろう。
スケールメリットを享受する。それが、蔵元の生き残るための唯一の道だ。細々と、地産地消の良質な焼酎を造っていても、先細りするだけだ。
明日の銀行への説明と、そして将来の池田酒造のことを考えていたら、頭も、体も熱くなってきた。少し、頭を冷やしてこよう。そういえば、と俺はこのホテルにもBarがあったことを思い出した。
ホテル内のBarに入ると、静かなクラシックが流れていた。そして、カウンターに一人で座っている女性。それが誰か、すぐに分かった。玄穂だった。