1.黒 玄穂(はるほ)
私は入賞の発表があった後、パーティー会場の床を見つめていた。毎年、城山の頂上にあるホテルで焼酎の鑑評会が開かれる。そして、今年の焼酎の入賞を決めるのだ。
焼酎の産地、鹿児島。出品される焼酎の水準は高いし、出品する蔵元のレベルも高い。入賞できない年だってある。今村商店の焼酎だって、毎年のように入賞していたというわけではない。
だけど、今年は入賞したかった。今年の杜氏は私が務めた。どうしても入賞したかった。
「玄穂さん、残念でしたね。来年です、芋は毎年できますから」と川畑さんは笑いながら私の肩を優しく叩いた。
川畑さんは、今村商店に父の代からずっと働いてくれている蔵人だ。父の右腕。私が曲がりなりにも今年、杜氏を務めあげることができたのは川畑さんがサポートをしてくれたからだ。
「すみません。私の力不足です。あんなにみんな頑張ってくれたのに」
「先代だって入賞を逃したことがあります。それに今年の芋は難しかった」
川畑さんの言う通りだった。去年の夏は曇りの日が例年より多く日照時間が短かった。その分、焼酎の材料となる甘藷の大きさにばらつきがあった。
そして、だからこそ、発酵の温度や湿度に細心の注意を払える杜氏としての技術や経験が物を言う年でもあった。
「それでは表彰式にうつりたいと思います」と、本格芋焼酎鑑評会の司会進行役が式順を淡々と進めていく。
「入賞蔵元代表、芋焼酎部門池田酒造、代表兼杜氏、池田虎白」
「はい」という虎白の威勢の良い声がロイヤルガーデンホールに響いた。天井からぶら下がっているシャンデリアが去年より輝いているような気がした。シャンデリアがまるで万華鏡のようだった。川畑さんがハンカチを私に差し出してくれたが私はそれを固辞した。
虎白は前に進み出て表彰台へと向かう。胸を張って両手を大きく振って歩く姿は、高校生のときから変わらない。酒造組合の会長が表彰状を読み上げていく。彼はいま、池田酒造の社長であり、杜氏だ。
蔵元の世界では、焼酎造りを家業として代々受け継いでいることが多い。世代交代はいつでも行われるが、私も虎白も、二十代前半でその屋号を受け継いだ。同じ四代目として。
伊佐市の蔵元で若い杜氏は、私と虎白しかまだいない。しかも虎白が率いる池田酒造は、七つの蔵元が合弁してできた新しい蔵元だ。それを虎白は率いている。製造量も、今村商店の20倍を越える。その量の焼酎を造りながらの入賞。私と虎白の杜氏としての技量の違いなのだろう。
虎白は誇らしげにその表彰状を受け取った。ホールに拍手が溢れた。ぷつ、ぷつ、という音を立てて静かに進んでいく発酵とは大違いだった。
「これから利き酒ですね」と川畑さんが言った。
利き酒、そして祝賀会がある。入賞を果たせなかった今村商店の焼酎は利き酒に出されることはない。鹿児島県の本格焼酎鑑評会に入賞したかどうかは、出荷本数に影響がでる。それは、招待客の多くが焼酎問屋だからだ。焼酎ブームが到来して依頼、この鑑評会後の問屋の買い付けは盛んに行われるようになった。
池田酒造は製造量も多いし、ブーム化した焼酎需要に応えられるだけの製造能力がある。「鹿児島県本格焼酎入賞」の煌びやかな文字とともに、日本全国のデパートなどに並ぶだろう。
・
利き酒は大盛況なようだ。杜氏や蔵元の代表者が自慢の焼酎を振る舞いつつ、商談がまとめられていく。
私も黒麹で造った焼酎、いわゆる「黒」と呼ばれる焼酎の利き酒をしてまわる。今村商店で造る焼酎は、黒麹を使っているからだ。ライバルでもある蔵元との味の差は杜氏として気になる。
「あっ、今村さんとこのお嬢さん。飲んでってよ」と私に声をかけてくれる杜氏や代表は多い。いくら鹿児島県が焼酎酒造の数が多いと言っても、その数は130を越えない。
香り豊か。甘藷が豊作であった年で、この香りが出せるかと問われれば、私はその自信がないと答えてしまうだろう。
「それで……今村さんの容態はどうなんだい?」と決まってその質問が来るのだ。
「容態は安定していますが、酒造りはもう……」と私は答える。驚きと賞賛で溢れた利き酒の会場の、私のいる周りだけ暗くなる。
「そうか……。もう一杯飲んでいってくれ。今年のは特段に良いんだ」と空になったグラスにまた焼酎が注がれる。
「頂戴致します」と私は答える。
今年から今村商店の杜氏は私なのだ。だけど、私は同業者から今でも『今村さんとこのお嬢さん』でしかないのだ。それが私には溜まらなく口惜しかった。
黒焼酎を造っている蔵元のお酒を川畑さんと利き酒してまわる。焼酎の香り、濃く、辛さ、甘さ、口当たり、切れなどを、私の味覚と嗅覚と、私の五感を全て使って味わう。そして味の特徴などをノートにメモしていく。
鑑評会の評価は減点方式だ。とくに、芋イタミ臭と呼ばれる匂いが焼酎の中に入っていると大きく減点される。
だが、入賞した焼酎には当然、そんな匂いは感じられないし、鑑評会のレベルは高水準を保っている。
どうしたら私は、父の造りあげた「今村黒麹」を作り続けることができるだろうか。そんなことを考えながら利き酒をしていく。
今村商店の焼酎銘柄は一つしか無い。今村商店は昔からの黒麹、そして一銘柄だけを造るということにこだわりを持ってきた蔵元だ。
父が造りあげた「今村黒麹」。その焼酎の香りは、多くの飲人たちの舌と喉を唸らせてきた。今村商店の酒造能力は多くはない。年間で20キロリットル。焼酎一升瓶で言えば、1万本弱。本格焼酎と呼ばれる乙類焼酎の年間製造量でいえば、1%にも満たない。
今村黒麹は、多くが伊佐市、そして鹿児島県内、出回ったとして九州の中で消費される。
昔から今村黒麹を愛飲してくださる方たちがいて、その方達が毎年、今村商店の焼酎を楽しみにしている。
その人達の期待に応えていけるだろうか。
私は不安になり、隣で利き酒をしている川畑さんの横顔を見た。川畑さんは真剣な顔で利き酒をしていた。川畑さんの髪はすでに白髪で、顔には多くの皺がある。透明な小さなグラスを持っている手も同じように皺だらけだ。麹を神業で混ぜる技術と経験が詰まった皺だらけの手だ。
父だけでなく、川畑さんまでもが焼酎を造れなくなったら、私は杜氏としてやっていけるだろうか。そう考えると私は不安になる。
来年の焼酎、再来年の今村黒麹……。今村商店の経営も苦しいものではあるが、そもそも焼酎を造り続けることができるのか。私は、杜氏として、父と肩を並べられるようになるのだろうか。
時というものはただただ、流れていく。焼酎造りに欠かせない豊かな水を伊佐盆地に流し続ける川内川と同じだ。時間は、私が杜氏としての成長を待ってはくれない。
つつがなく、利き酒は終わり、鑑評会は祝賀会へと鑑評会は流れていく。祝賀会では鹿児島出身のお笑い芸人が会場を沸かせていた。川畑さんも笑っていた。だが、私は笑うことができなかった。
・
祝賀会も三本締めで締められた。
「玄穂さん、私たちは天文館までこれから足を伸ばしてきます」と川畑さんが祝賀会の会場から出て行くときに言った。
気の合う他の蔵元の蔵人たちとこれから飲みに行くのだろう。天文館は繁華街であるし、女の私がいたら邪魔である場合もある。それに、利き酒をする前提であるから車の運転もできないので、ホテルに私も川畑さんも宿泊するのが元々の予定だ。
「私は休みます。また明日」と私は川畑さんに答えたあと、私は自分の宿泊している部屋に戻った。そして、利き酒のときにとったノートを見返す。
どの焼酎も確固たる技術の上になりたっている焼酎であることがわかる。
そしてノートを見ながら、池田酒造の入賞焼酎「伊佐鶴」を飲んでいないことに気付いた。虎白が造った酒だ。無意識に虎白を私は避けていたのかもしれない。虎白が利き酒を威勢良く振る舞っていたからかもしれない。
少し、酔いたくなった。そういえば、このホテルは桜島と鹿児島市内の夜景を眺めながらゆっくりと焼酎を飲めるBarがあった。祝賀会が終わったあとはみんな天文館に行っているだろう。
案の定、Barは空いていた。私はカウンターに座り、「今村黒鞠はありますか? あればお湯割りで」と聞いた。
バーテンダーは神妙そうな顔つきで謝罪した。「じゃあ、伊佐鶴のお湯割りを」と私は注文した。