緩む頬
すみません遅くなりました。
ログストア城を出てからも書き続けている日記を少しだけ読み返して、私は用意してくれた部屋で一人、懐かしみを感じていた。
「今日も色々とありました…。でも、皆は健在です」
独り言を漏らしながら今日の分も書き終える。
そして、また少しだけ日付を遡り読み返す。書かれている事は、過去の私が思っていた事で、それは今の私もそう思っている事。
生徒達の適応力には驚かされます。気付けば、子供たちは自分達で決めて動くようになっていて、キャンプの様に感じていた旅でも、すぐに落ち着きを見せ始めていました。
ログストアとリュシオンの国境沿いにある街は、魔族の襲撃があったようで……私は言葉を失ってしまったのに、安賀多さん達が先頭になって復興のお手伝いを少し。そして、夜には暗い雰囲気を少しでもと演奏会を開いて。
翌日になれば切り替えて旅を再開……。
私も何かを!と思い考えてみましたが、それでもできるのは治療ぐらいでした。あまり大きな怪我であったり、古かったりすると、私の魔法では治す事がまだできません。
そうすると感謝の言葉を貰うことも多くて、安心と嬉しさが。でも、一緒に自分はやっぱり無力なままなのだ…と感じてしまいます。
私は先生で、生徒達を導く立場である。そんな風に意気込んでも、やっぱり生徒達の方がしっかりしている。情けない。
スキルの制御をしてくれているネックレスを握りしめ、小さく一呼吸。頭の中には、元の世界の事が思い出されて、とても寂しい気持ちになる。
「帰れたら…実家に少し顔を出しに行こう……」
最近の口癖になり始めた言葉。'帰れたら'なんて希望的観測を支えにするしか、私は先生の顔を保てない。
本当は怖くて、逃げたくて。本音を漏らせば、もっと安全な場所に居たい。それこそ、常峰君のダンジョンのお家とかで、皆で行動していたい。
そっちの方がきっと皆も安心できるし、心強い人達も沢山いるし……。違う、ただ私がそうしたいだけ。
「はぁ…」
ため息を止めることができずに、その事で気持ちまで沈んでいってしまう。
ダメダメ!落ち込まずに、奮い立たせなきゃ!
先生という立場が無くなった時、きっと私は今のように奮い立つことすらできなくなる。きっと、生徒達も何処かそこを察してくれて、私の事をまだ先生と呼んでくれている。
そうあって欲しいとか、そうだったらいいなじゃなくて、帰る為に!私だけが勝手に落ち込む訳にはいかない!
気合いを入れる為にぺちん!と頬を叩けば、小さな音と共にじんわり痛みが広がっていく。
「うぅ~…」
思っていたより良い音が鳴って、予想よりもジンジンと痛む頬を擦っていると、部屋の扉がノックされた。
「はい?」
「鴻ノ森です。少し、東郷先生に頼みたい事があります。入ってもいいですか?」
「どうぞ」
私の返事を聞いて部屋に入ってきた鴻ノ森さん。
誰かと一緒かな?と思って奥を覗いてみたけど、どうやら一人みたい。そして、扉を閉めた鴻ノ森さんは、じーっと私の顔を見ている。
「どうしました?」
不思議に思った私が尋ねると、鴻ノ森さんはいつものように落ち着いた様子で言った。
「頬が赤いみたいですけど、風邪ですか?」
「あ、えっと!気にしないでください!
それより先生に頼みたい事とはなんですか?できるかは分かりませんが、頑張りますよ!」
流石に頬を叩いて気合を入れました!とは恥ずかしくて言えず、適当に頬をぐりぐりと揉みほぐすフリをしつつ鴻ノ森さんからの要件を聞く流れに持っていく。
私の反応に、鴻ノ森さんは大した反応を見せずに数秒考えて、そういう事なら…と納得した様子で空いていた椅子に腰を掛けた。
「先生は常峰君と連絡が取れましたよね?えっと、その連絡用の道具を少し貸してくれませんか?」
「これですか?いいですよ」
鴻ノ森さんが言っているのは、多分この念話の子機の事だ。と思った私は、常峰君から預かっているイヤリングを外して鴻ノ森さんに渡す。受け取った鴻ノ森さんは、一度私にお礼を言うと目を閉じて黙ってしまう。
時間も遅めなので常峰君は寝ているかと思ってたんですけど、起きていたみたいですね。一体何を話しているのかは気になる所ですが、お話中に邪魔をするのは好きじゃないので終わるのを待ってからですね。
鴻ノ森さんが念話を始めて数十分。
まだ、話は終わっていないようで、念話は続いています。その隣で私は、ちょっと荷物の整理をしたり、お風呂の準備をしたりして待っていると、また部屋の扉がノックされました。
「百菜せんせー!」
「開けて大丈夫ですよー」
「お風呂の準備ができたって、あれ?清華ちゃんが居る」
「常峰君とお話中です」
「おぉ…王様と!あ、そういえばゆかちゃんが、後でせんせーに聞きたい事があるとか言ってたよ」
「安賀多さんがですか?」
安賀多さんは、なんというか……とても面倒見のいい生徒です。
親御さんが昔にやんちゃをしていた事があるそうで、その雰囲気はありますが、とても友達思いで優しく、ボランティアなどにも参加したりしています。これは、あまり知られたくないそうなので私と安賀多さんとの秘密なんですけどね。
元の世界でも少し相談される事はあったんですが、九嶋さん達には内緒の事が多かったので、少し驚きです。
「後で私も行く予定ですから、あれなら先に行ってもらって大丈夫ですよ。コレもその時に返します」
私と九嶋さんとの会話を聞いていた鴻ノ森さんが、こちらを見て言いました。
ずっと目を閉じて静かにしていたので、もしかしたら寝ているのかも…と思ったりもしたんですけど、こちらの話もちゃんと聞こえていたんですね。
話しかけられた事に少し驚き、気を使わせてしまったみたいで申し訳ないですが、ここはお言葉に甘えましょう。
私は鴻ノ森さんにお礼を述べて、さっきの時間で準備したお風呂道具を持ち部屋を後にした。
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「あふぅ…」
体を洗い湯に浸かると、疲れが一気に溶けていく感じが気持ちい。
「う~ん!気持ちい!」
「あんまりはしゃぐんじゃないよ」
ぶかーっと浮いている九嶋さんを注意する安賀多さんも、久々に湯に浸かったことで顔が緩んでいますね。中野さんも声には出さないようですが、顔が完全にとろんとしています。
ログストア城を出てからは、こうして浸かれる時間はありませんでしたからね。
艮さんは田中君達と訓練をしてから入るそうですが、無理をしないか心配です。あの鬼の方との戦いで思う所があったようだけど……いいえ、そこは無理をし過ぎないように見守るのは、私の役目。
「そういえば、ゆかちゃん。せんせーに何か話があったんじゃないの?」
後で艮さん達の様子を見に行こうと決めてお風呂を堪能していると、今度は桶に湯を張って、その中で寛いでいるジーズィちゃん入りの桶を抱え、一緒にふよーっと浮いている九嶋さんが安賀多さんに言いました。
もちもち感のある若い肌に気を取られていた私は、その言葉で安賀多さんの方を見ると、あー…と声を漏らした安賀多さんが話し始めた。
「東郷先生は、あのポルセレルって男をどう思う?」
「ポルセレルさんですか?」
先程の皇帝陛下の方の事ですよね。
どう……ですか。
「初めてお話した方なので、あまり注目するような事は無かったですよ?
おもてなしの準備がトントンと進んで、申し訳ないなぁ…と思ったぐらいです」
それに内緒の事ですけど、私はまだ聖女という立場に慣れていないので、対応するので精一杯だったんです。一応、リュシオンに入る前に過去の聖女の方について調べましたが、どうやら過去に一人しかいらっしゃらなかったようで。
その聖女の方がリュシオン国を築き、信仰対象として今も崇められているそうです。
だからなのか、リュシオンにとって'聖女'のスキルは神にも匹敵する対象になり、立ち寄った村で聞いたお話では、私は神の使いなんて呼ばれていたりもするらしく……正直、困惑しています。
「確かに持て成しは凄かったんだけどさ。
どうしてアタシ達の事を異界の者って知ってたのか、なんであの皇女と下の名前?苗字?が違うのか気になって」
そう指摘されれば、私も気になってきました。
確かに、どうして田中君達まで異界の者だと分かったのでしょう。コニュアさんは一度だけ顔を見たことはあっても、ポルセレルさんは初めてだったはずです。
仮に写真の様なモノがあったとしても、撮られた記憶はありません。ここに来るまでに、田中君達がそうである事は一度も話した事も無いですし…。
護衛かもとは考えないのは、おかしいと言えばおかしい気もします。
「可能性としては常峰君が事前に教えていたか。ハルベリアさんが通達をしてくれていたか。それか、ポルセレルさんが単に勘違いしたか。とかでしょうか。
姓の方に関しては、家庭の事情などで違う可能性も予想できるので、難しい所ですね」
「王様がねぇ…。隠せって言ってたのは王様だし、最初の可能性は低いとして……確かに、ログストアの王様の可能性もあるか。
名前も、言われてみればそっちの可能性もあるね。
悪いね先生。少し勘ぐり過ぎちまってたよ」
「いえいえ、恥ずかしい事ですけど、私は気にも掛けてませんでした。一応、後で常峰君にも連絡をしておきましょうか。魔王の報告もしてないので」
「今してきました」
ガチャっと扉を開けて入ってきたのは鴻ノ森さんは、ぽかんとする私を他所に体を洗い始めました。
「それで、王様から先生に伝言があります。
まず、そっちの事は任せっきりになってしまっている謝罪と、ありがとう。との事でした。
そして素性に関して、自分の方から伝えてはいない。コニュア皇女が予想していたとしても、断定してきたのであれば事前に知っていた可能性がある。しかし、確認方法が今は無い為、あまり気にはしなくていい。
コニュア皇女とポルセレル皇帝の血縁関係に拗れがあった場合、ファミリーネームの方に違いがあるだろうから、こちらも深くは気にしなくていい。だが、それ以外に理由が出てきた場合は教えて欲しいそうです。
しかし、気になるのも確かなので少し調べてはみるようにと言われました。
後、魔王の事に関して、全員生きていて良かった。動きがバレている可能性が高く、今後も襲撃があるのを視野に入れて注意しながら行動。何かあった場合は、遠慮なく頼ってくれて構わないそうですよ」
体を洗いながら話しを続けた鴻ノ森さんは、ある程度の報告を終えると一緒に湯に浸かり始め、ゆっくりと息を吐き出した後に私にイヤリングを差し出しました。
受け取った私は、イヤリングを付けてそっと常峰君に念話をしてみます。
《東郷です。起きていますか?》
《お疲れ様です。起きてますよ》
すぐに念話が返ってきた私は、言葉が詰まりました。
報告は鴻ノ森さんがしてくれたので、特に念話の理由は無く……いざ、繋がってしまうと何を話そうか。と悩んでしまい、えっと…えっと…と繰り返すばかり。
《鴻ノ森から話は聞きました。色々と大変だったそうで、東郷先生が居てくれて助かりました》
《そんな、私は何もしていません。艮さんと田中君と佐々木君が魔王の相手をしてくれていましたし、ショトルの方はジーズィちゃんに任せっきりで…。
私は、安賀多さん達を含めた皆に守ってもらってばかりですよ》
《そんな事はないですよ。これも鴻ノ森から聞いた限りですけど、村での交渉や対話に関しては東郷先生が頑張ってくれているそうじゃないですか。幾ら異界の者だと晒したところで、子供ばかりでは不安や疑念が生まれます。
戦いに関しても、東郷先生が控えて回復をしてくれると分かっているから戦えているって艮も言っていたみたいですし。東郷先生の様な大人の存在が近くにあるのは心強い》
《過大評価です》
《先生は自分を過小評価しすぎです。居てくれるだけで意味があるんですよ、東郷先生は》
思わず、ぐぬぬと唸りたくなってしまい、バレない様に息を呑む。それに少し恥ずかしいので、体をちょっとだけ深く湯に沈めて。
《あまり大人をからかうモノじゃないです。常峰君だって、私の大事な生徒なんですから、そういうなら背伸びし過ぎずにもっと頼ってくれてもいいんですよ?》
《からかってないですよ。さっきも言ったように、そっちの事は任せっきりなので助かってます。俺は帰れても帰る気が無いので、本当に安心して行動できてるので。……ただ、そうですね、東郷先生には追加で一つお願いをしていいですか?》
《もちろんです!》
《コニュア皇女を気にかけてあげてくれませんかね?》
《コニュアさんですか?》
《はい。あくまでこれは、鴻ノ森から今日の流れを聞いた俺の予想なんですが、コニュア皇女とポルセレル皇帝の間には血縁関係が無いのでは?と考えています。
ログストアでの会談の時、かなり'聖女'と言う存在に執着しているようにも見えたので、東郷先生に過度な干渉をする可能性がありますが、あまり邪険にしないであげて欲しいんです》
《そうなんですか?今日は会えないみたいで、ちゃんとお話をしたことがないんですが…》
《まぁ、東郷先生なら言わなくても大丈夫だとは思うんですけどね。一応、俺からのお願いってことで、聞いてください。頼りにしてます》
詳しい理由は分かりませんが、私は常峰君に任せてください!と告げてから念話を切る。すると、静かにしていた鴻ノ森さんがススッと私の隣まで移動してきて、小声で聞いてきました。
「王様とは連絡取れましたか?」
「はい。コニュアさんの事を任されました。後、鴻ノ森さんにも色々と気を使わせてしまったみたいですね…」
「何を聞いたかは知らないですけど、事実ですから。東郷先生が居なければ、この班はまとまってないと思います」
鴻ノ森さんは、顔を動かす事はなく視線だけで安賀多さん達を一人ずつ見ていく。そして、本当に小さな声で呟いた。
「例外無く私もそうだったと思います」
「……」
私は、その言葉に驚いて何も返せませんでした。
鴻ノ森さんは、常に落ち着いている生徒で、一人で居る事が多いのは知っています。だからといって、仲間外れにされている訳ではなく、話を振れば受け答えはしてくれるので、多分望んでそうしているんでしょう。
そんな鴻ノ森さんが、こうして自分の心情を語ってくれたのは初めてで。
「どうしました?」
視線を向けて聞いてくる鴻ノ森さんに、私は少しだけ笑みを返す。
「いえ、少しだけ安心したんです」
「安心ですか?」
「はい。少しでもこうして鴻ノ森さんの言葉を聞けて安心しました。
もし本音を押し殺している様なら、先生はしつこくても聞き出そうと思っていたところですよ」
今度は鴻ノ森さんが黙り、ゆっくりと瞼と閉じます。そしてやっぱり安賀多さん達には聞こえない様な小さな声で
「そっとして欲しい時もあるんで、それが良い事だとは言えませんけど…先生のそういう所、私は好きですよ」
本当に小さな声だったけど、先生の耳にはしっかりと届きましたよ。
「せんせーどうしたの?嬉しそうな顔して」
嬉しさのあまりに私の緩んだ顔を見逃さなかった九嶋さんが、ジーズィちゃんと一緒に流れてきました。私が九嶋さんに答えようとする様子を見ていた鴻ノ森さんは、立ち上がりそのままお風呂を後にしようとします。
「九嶋さん、意外と東郷先生の肌ってすべすべでしたよ」
何故か不可解な言葉を残して。
「なんと!」
鴻ノ森さんの言葉を聞いて目を輝かせて、私の体を触り始めました。
「ちょ、ちょっと!九嶋さん!」
「おぉぉ!本当にすべすべだ!ゆかちゃん、りーちゃん、すべゅすべ!」
「すべゅってなんさね」
安賀多さんは興奮気味な九嶋さんを落ち着かせようとするけど、中野さんはいつの間にか私の近くへと移動して九嶋さんの様に腕やお腹を撫で始めて…くすぐったいです。
身を捩り、九嶋さんと中野さんの魔の手を避けながら視線を上げると、扉を静かに閉めようとする鴻ノ森さんが見え、その口元は少しだけ上がっているようでした。
……。もしかしたら、これは鴻ノ森さんなりの照れ隠しなのかもしれません。
きっとこっちに来なければ見れなかったかもしれない鴻ノ森さんの表情に、嬉しくなった私もまた、顔が緩みます。
その後は九嶋さんを落ち着かせて、お風呂を上がり部屋へと戻る。本当なら、このままお布団へと向かうのだけど、今日はもう一度日記を開いてペンを持つ。
「嬉しい事もあり、今日も良い一日でした」
少しだけ書き足した日記を片付け、私はベッドへ入り目を閉じた。
少し立て込んでしまい、更新遅れました。すみません。
可愛い先生が書けない…。
学生時代……可愛い先生に当たりたかった…。
ブクマありがとうございます。
私も頬が緩みました。




