対魔神戦 肆
心地良い感覚だ。
俺の内側から絶え間なく外へ溢れ出ていく魔力、その魔力を使って回復していく感覚。
同時に頭の中には俺の知らない文字が次から次へと踊り、脳はそれをゆっくりと理解しようとしている。
しかしどういうことだ?
夢心地。そう、あの寝付く瞬間のフワリとした感覚で、全能感すら覚える快感。そのはずなのに……俺の体は動かない。
溢れ出す魔力が広がり、その範囲の状況は手に取るように分かるというのに。目の前に魔神が居て、また俺を攻撃しようとゆっくり腕を振り上げているというのに……俺は体を動かせない。
首から下どころか全てが動かないな。
感覚がないわけではないんだが、口すら動かせず、目も閉じっぱなしで開かない。
しまいには、魔力が溢れているのは確かなのに、体内にたまっていく感覚がしない。
どういう状況だ。視界が無いのは不便だな。
そう思った瞬間、真っ黒だった視界が淡い虹色に彩られていく。その色達は形をハッキリさせていき、最終的には目は閉じているのにも関わらず、まるで俯瞰しているかの様な風景になった。
魔神のサイズが大きすぎて小さくしか見えないが……もしかして、魔神の眼の前でぶっ倒れてるのは俺か?
疑問に思いながらも、どこかでシルエットみたいになっている人影は、なんとなく自分だと分かる。
そして魔神が拳を振り下ろしているのも見えている。
自分が今どういう状況なのか把握しきれていないが、流石にマズイよな。あのまま直撃すれば、俺は潰される。
魔力は溜まっていないが、傷が回復している所を見ると使えないわけではないんだろう。
だったら動けないだけで魔力は使えるか?
焦らなくていい。いつもどおりに――。
どれだけ魔力が使えるかは分からない。生半可な防御じゃ簡単に抜いてくる。だから弾き飛ばすか受け流す。
幸いな事に振り下ろされている腕は一本。動けないことまで考慮して横からの強い衝撃と、ズレた拳の軌道をそのまま流れに乗せる魔力の激流。
それらをイメージして魔力を操った俺は、きっと口が動けば変な声を出していただろう。
強い衝撃は今までと同じ様に魔神の拳を模して想像した。
軌道を流す魔力の壁は、台風の時の川を思い浮かべた。
結果――それはそのまま再現された。
俺のイメージした通りの形で魔神の拳を横から殴りつける魔力の拳。
色合いこそ淡い虹色のままだが、どこからともなく現れた川そのモノが魔神の腕を呑み込み流れ、魔神の拳は大きく逸れる。
狙った通りではある。あるのだが、俺の頭の中は混乱している。
現れた川は既に俺の手を離れて川として存在し、そこに魔力が使われていない。本当にそこに川が生まれた。
どれだけ流れが荒くても、俺が想像した範囲から一滴たりとも漏れ出てくる事はないのだが、どうなってるんだこれ。
唖然としている俺を他所に魔神は次の一撃を振るう。
今度は薙ぎ払う気のようで、目一杯引かれた腕が淡い虹色の世界を歪ませながら迫ってきた。
……。試してみるのはありか?
さっき魔力の操作に問題はなく、貯まらないものの溢れ出ていく魔力が減る様子はなかった。仮に俺の予想が外れたとしても、防ぐ分には問題ない様にしたらいい。
考えがまとまり、迫る腕とぶっ倒れている俺を見下ろしながら想像する。
場所は腕の進行先。
そこに並ぶ磨き上げられた強靭な刃の列。
その刃で魔神の力を受け止め、その力を利用して腕を切り飛ばす。
ははっ、イメージ通りだ。
ダメージを受けたからか、魔神が少し後退したが試してみて良かった。何となく理解した。
俺から溢れ、隔離された空間内を満たしていく魔力は、俺のイメージをそのまま再現するんだろう。イメージが鮮明であればある程に本物通りで、曖昧であればあるほど、俺の記憶から適当に形を汲み取って再現される。
現に、刃とだけ想像したモノは、どこか見覚えのある形が適当に並んでいる。
少し気持ちが高ぶり始めているのが分かるな。
スキルの効果的には、中満の持つ複合空想に近い。違いを無理矢理あげるとするなら、俺のは零から想像して結果を生む。中満のは、何かしらの要因と結果を書き換える。そんな感じか?
いや、中満のスキルはもっと可能性を秘めている。俺一人で完結してしまっているコレよりも、もっと……きっと零からでもなんでも出来るんだろうな。複数人の想像が一つになるのがあのスキルの強みだ。一人での限界を容易く越える事もできるんだろう。
この状況も……いや、中満に限った話じゃないな。他の皆のスキルでも――っと、そんな事を考えている場合じゃないか。
魔神が次の攻撃の動作に入った。
思考の寄り道が出来たのは、それだけ俺に余裕が生まれてきた証拠だ。今の俺なら俺の予定通りに魔神を抑える事ができると確信している。
しかし余裕から油断でも生まれようものなら足元を掬われるぞ、俺。
寄り道をしたがる思考を制御し、余分なモノを切り捨て、魔神の行動に集中をする。
先程はカウンター気味に攻撃を試したものの、今はまだ攻撃に転じるタイミングじゃないはずだ。爺の言っていた神核が出てきてからが勝負。
魔神の押し引きを調整しつつ、向こうでの神核破壊を待つ。問題はその後、魔神が完全にこちら側に召喚されるのかどうかだ。
今の俺なら、なんとか出来る気はしている。
魔神が創り上げた小さな世界は、俺の魔力で満たされ、俺の思い通りの世界になっている。多少押し返されている感覚もあるが、それでも俺の方が上だ……あくまで今はまだ。
現状ですら押し返そうとしてきていて、俺も完全にこのスキルを扱えているわけじゃない。
向こうから押し出されてきた魔神に対抗するにしても、戻ろうとした所を引きずり出すにしても、恐らくは今よりも攻撃は激しさを増すだろう。
ほら、今ですら少し這い出てきた魔神の攻撃は別のパターンを見せてきた。
初動は腕の横振り。それをドーム状にした水の壁で受け流せば、腕から枝分かれした腕が生え、貫こうと水の壁に突き立ててくる。
これだけなら今まで通りだが、魔神は次の手を既に発動している。
突き立てた指先に展開された魔法陣は、眩い光を放ち爆発した。
その爆発は水の壁を少し削り、吹き飛んだ腕の断面には別の魔法陣が輝いている。
火柱を想像し、魔法陣ごと全ての腕を焼き捨てて阻止を試みるが、焼け落ちた断面にも別の魔法陣。
金太郎飴かよ。
次の瞬間、そんなくだらない感想など容易に消し飛ばす程の熱線が放たれ、火柱を、更には水の壁を貫き、俺の体の下半身が消えた。
綺麗に消滅したからなのか、不思議と痛みはない。
代わりと言っていいのか分からないが、湧き出ていた魔力の量が減り、俺の体は逆再生をしているかの様に修復されていく。
何ていうか……自分の体の事ではあるのだが、こうして第三者視点で見ると気持ち悪いな。
まぁ、死なないならいい。だが攻撃を受けるのはコレっきりがいいのかもな。
修復に魔力を割いているせいか、魔神の魔力に俺の魔力が押されている感覚がする。
その修復が終わると、すぐに端から端まで俺の魔力で満たされていくからいいものの、魔神もどうすればいいか気付いただろう。
いや、元々気付いていたのかもしれないが、突破口の一つを見つけた。
自分の体を魔力で包み、先程まで想像で出していた川だの何だのを消す。
イメージ通りに消えた事を確認し、脳をフル回転させて記憶を掘り起こし、使えるモノの取捨選択を何通りも用意していく。
もちろん魔神も待つ気などはないよな。
魔神は俺が攻めきらない事まで分かっているのだろうか……。
振り上げられた魔神の腕が花開く様に咲き、空を覆い生え伸びる腕の数々。
俺の処理を追いつかなくする算段か。はたまた何も考えずに物量でなら押しつぶせると判断したか……まぁ、どちらにせよ正解だ。
魔神の再生力は驚異だし、そもそも俺はあまり攻撃をできる状況ではない。一つ一つの攻撃を上手く捌く技術も、俺には無い。必ずどこかでボロが出るだろう。
だから俺はその正解に対する先を用意する。
手数と言えば何だろうと考えた。
その答えは簡単。想像するのも容易。
なんせ半分ぐらいトラウマ化してるからな。
ぶっ倒れている俺を中心に草原が広がる。
そしてズラッと並ぶのは――触手を蠢かせる大量のローバープラント。
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「世界そのものに対する強力な干渉。次に外部からの攻撃無効化……いえ、現象そのものの分解。ふふっ、どこかで見たようなモノね」
「おい、市羽」
「もう少し頑張りなさい」
集る魔物を切り捨てる安藤の言葉に対し、市羽は空を見上げ答えるばかりで動こうとしない。
安藤とモクナは常峰によって投げ飛ばされた。その先では、待っていたかの様に構えていた市羽に首根っこ捕まえられ、微笑みながら'私とおじさまを守って頂戴'と告げられた。
状況の理解ができないまま安藤とモクナは市羽と入れ替わる様に二人を守り始めたのだが、市羽は先程まで魔神と常峰が居た空間を見つめて小さくブツブツと何かを呟き始めるばかりで、一切の手出しをしなくなった。
チラッと安藤も市羽の視線を辿って見てみるが、そこにはなにもない。
安藤とモクナが投げ飛ばされると同時に、その姿は消えてしまったのだ。
「あそこに居るってのは何となく分かんだけどな」
次に市羽が'おじさま'と呼ぶ人物に視線を向ける。
聞けば、常峰の親戚であり、以前に常峰が口にした'爺'にあたる人物だと言うことが分かった。
「あー、レイヴン君? 一歩下がりな」
常峰 光貴から言われ一歩下がれば、安藤の眼の前を魔物の攻撃が横切る。その攻撃をした魔物に光貴が視線を向ければ、動き回る札が一斉に魔物を切り刻み通過していく。
「何度もすんません」
「気にすんな。察するになんか訳ありなんだろう?」
「えっと……」
「俺ぐらいになりゃ、何となく分かるもんさ。一緒に居たお嬢ちゃんを気にかけながら、あの嬢ちゃんと俺を守るのはしんどいだろ。
見ての通り動けやしねぇが、できる分の手は貸してやるから、もうちょい気張れよ。男の子」
「うっす!」
「良い返事だ。死なせねぇから、安心して戦いなぁ」
気を良くした光貴の袖からは、更に札が飛び出してはモクナと安藤の死角を埋める様に動き回る。
想像以上に動きやすい状況で拳を振るい戦っていると、頭を垂れたくなる冷たく刺さるような、息をすれば肺まで凍る様な空気が場を支配した。
「さて、少し検証をしてみましょうか」
その空気の元凶たる市羽が呟き、同時に刀が鞘に収まる音が響く。
「レイヴン様、これは……」
「おいおい……」
「やるねぇ、嬢ちゃん」
音は遅れて聞こえた。
集る魔物が斬り伏せられたと思った次の瞬間には、何もない様に見えていた空が波打ち崩壊を始め、真っ黒な球体が姿を現す。
球体から発せられる重圧は、なぜ今まで気付かなかったのかと思うほどに重く、見ているだけで息苦しく、心がざわついて仕方がない。
「何がどう……なって」
安藤が市羽に問いかけようと視線を向けると、思わず言葉が止まった。
冷たく神聖な空気を発し、和風な服装を靡かせる市羽は腰を落とし、刀に手を置き目を閉じている。
初めて見る市羽の構え。
市羽がゆっくりと呼吸をするたび、市羽の周りだけが隔離されていく様に思え、安藤やモクナは目を奪われ、光貴はほぉ…と声を漏らす。
「'世渡り遊び'」
音も無く、色も無く、スルリと抜かれた刀。
進む先の空気を張り付け、全てを絡め取り進む斬撃は、黒い球体の一部を切り裂いた。
「……」
市羽は凝視する。
切り口から見えた別の世界を。
好き好きに絵の具をぶちまけた様な世界。
その先で統一性など無く散らかり、車や電車、火柱や落雷、ローバープラントや武器の数々、これでもかと様々なモノが魔神からの攻撃を防いでいる。
「なぁ、レイヴン君、お嬢ちゃんに市羽の嬢ちゃん。やー坊の弱さって何か分かるか?」
「いえ、私は……」
同じ様に眺めていた光貴の言葉に、モクナは首を横に振り安藤を見る。市羽も答えず、その視線を安藤へと向けている。
「強いて言えばっすけど、信頼しすぎる所っすかね。たまに不安になるぐらい」
「いいね。レイヴン君はやー坊をよく見ている。やー坊の欠点は自分に自信がない所だ。今は多少マシになっちゃいるようだが、それでも君等を信頼している様子を見りゃ分かる。
やー坊はなぁ、自分の行動に自分以外の理由を欲しがるのさ。やー坊の信頼は、相手を思ってじゃなくてな、自分に自信が無いから、やー坊は他人に期待し信頼する。そうする事で無理矢理自分に責任と自信を作る自分の為なんだよ。
だからやー坊は、見栄を張る相手が居なきゃ立ち上がる事すら忘れちまう。
悪い事じゃねぇんだけどなぁ……行き過ぎはよくねぇよなぁ」
光貴の言葉に、市羽は切り口が閉じ始めている黒い球体へと視線を向ける。
「おじさま、今の話が本当だとすれば、私の予想ではかなりマズイ状況になりかねないのだけれど」
「こっちじゃお目にかかれねぇ物がゴロゴロして、今も次に次にと出てきて、魔神の吸収にも耐えきってるとなりゃ大凡の検討はできらぁな。
嬢ちゃんの予想通り、あそこ一体はやー坊の想像を形にできるんだろうよ。つまり、絶対と思う想像が絶対になる世界……まぁ、やー坊に合わせて言えば、あの内側はやー坊の夢の中だ。
だけどやー坊の中に絶対は無い。嬢ちゃんやレイヴン君の願いを絶対に出来たとしても、やー坊一人にゃ無理だ。自分の夢が壊れる可能性をやー坊は捨てきれねぇよ」
完全に閉じきる前に、市羽と光貴は魔神の攻撃で薙ぎ払われ、破壊されていく物を見た。
「その割には、おじさまは何もしないのですね」
「行き過ぎはよくねぇが、やー坊の目は確かなもんだ。出会いに恵まれたようで何より何より。おじさんが伝えてぇ事は伝えた。道は開けてやるから、やー坊のことは嬢ちゃん達に任せようと思ってな」
ケラケラと光貴は笑い、全身を拘束していた魔法陣の一部が消え、動かせる様になった片腕を黒い球体へと翳す。
すると市羽達やクラスメイト達の周囲に大量の札が球体を作り上げ、数枚だけが球体へと向けて飛び円を描く。
同時に聞こえないはずの声が響いた。
『眠りを愛し死を憶え』
その一言は静寂を生む。
もはや言葉が安くなっていますが、遅れてしまいすみません。
色々ありました。
ブクマ・感想・評価ありがとうございます。
最後までお付き合い頂ければ、嬉しく思います。




