素直に
「どうしたの? 私を殺すと言っていたのは虚勢かしら」
「抜かせ。お主とて我を殺さぬなどと戯言を吐きおって、死するまで我は止まらぬぞ」
「そうね、今の貴女だと勢いで殺してしまいそうだわ」
空に立つメニアルと市羽の腕が合図も無く同時に振られた。
握る武器が届く範囲ではない。しかし、それでも二人の攻撃は交差した。
二人の刃が空をなぞれば、沿う様に空間は斬れ、裂き進む空間が交われば、世界が劈く様な悲鳴を上げたと思わせるほどの音が響き渡り天地が破れる。
暴風が起こり、海面が唸る中で佇む二人の表情に焦りはなく、ただただ冷めた視線で互いを見つめ合い言葉を交わす。
「市羽よ、何を苛ついておる」
「苛つき? 苛つき……えぇ、確かにそうね。貴女から夜継君と同じ気配がするのが気に食わないのかもしれないわ。それを隠そうとしているのも気に入らないわね」
「故にお主は我の邪魔をするか」
「それは別よ。夜継君の為という私情がなければ、今すぐにでも貴女を切り捨てて終わらせているわ」
「舐められたものよな。未だ我に傷一つ付けられぬというのに」
互いが互いに本気を出していないせいなのか、メニアルに言う通り剣戟を重ねて尚、魔法を撃ち合って尚、市羽の攻撃は届いていない。
だが、メニアルの攻撃も市羽には届いておらず、幾度の攻防を重ねて二人は無傷。
そんなメニアルの指摘に市羽は修復の終えた空を見上げた。
ここはログストアがある大陸より遠く離れた場所。
広がり続けている世界の端。
視線をずらせば、地平線は今も緩やかに奥行きを増している。
幻想的な風景を眺めつつ、市羽はゆっくりとメニアルに言う。
「別に事が終わるまでこうしてお喋りを続けるのは、私には問題ないもの。でも、貴女はそうではない。違うかしら? メニアル」
「……」
否定も肯定も見せないメニアルを見ることはせず、市羽はもう一度空を見上げて言葉を続ける。
「貴女は夜継君に殺されたい。実際の所、それはこの戦争中でなくてもいい……でも分かっているのでしょう? この時でなければ、夜継君が貴女を手に掛ける事は無い。だから貴女は焦っている。
だから何度も私を挑発して、私に隙を作らせて、あの場に戻ろうとしているのでしょう? 私を殺すなんて嘯いて」
「はぁ……常々お主は厄介になりそうだと思っておったが、早々に手を打っておくべきであったと後悔しておる」
「それでも結果は変わらなかったわ。貴女が描くシナリオの最後は、夜継君が望む結末ではないもの」
「その夜継が望む結果というモノの為に、お主は独自の帰還魔法を皆に告げなかったのか?」
メニアルの言葉に市羽はピクリと反応を示した。
空から遠くにも見えないログストアの方へ向いていた市羽の視線は、沈黙の返答を含みメニアルの次の言葉を待つ。
「驚く事も無かろう。この世界において、純粋に空間魔法を受け継ぎ扱えるのは我だけじゃ。
空間魔法とは転移と違い、召喚とも違う。かつて我の先祖が一つの魔法系統として創り上げたモノ……そしてその目的とは、コチラとソチラを繋ぐ事。
既に見つけていたモノとは別に、己だけでも扱える帰還魔法の為の魔法である。もっとも我の先祖は途中の段階で放棄したようではあるが――お主は違うな、市羽。
我では繋げる先が分からず、魔力も明らかに足りぬ。若き頃に試した故、それはよく知っておる」
市羽から視線を外さず、しっかりと見据えたまま、一呼吸を置いてメニアルは続ける。
「夜継の縁者が遺した情報を知り、空間魔法を扱うお主は、独自の帰還魔法を創り上げたのではないか? 使用する魔力を抑え、お主一人で扱える帰還魔法を」
「随分と高く買ってくれているのね」
「夜継がお主を天才と言う様に、我もお主を底知れぬ化物だと思う。我は確信しておるよ、お主は既に夜継等の目的の終着点におると」
大きなため息をつきながら、市羽は刀を鞘へと納めた。
同時に海水が噴き上がり、メニアルからは市羽の姿が見えなくなる。
「まず一つに、夜継君の目指す所は私が辿り着いた所ではないわ。謂わば私のは保険よ。もし全てが失敗をしたとしても、一応帰る事はできる保険。
次に、全員が安全に帰れるまで私はこの魔法を維持できないの。魔力の問題もあるけれど、人が一人通れるぐらいしか開けない理由があるのよ。だからもし使うのなら日を分けてになるわ。
そして最後に……私は別に帰還にこだわっていないの。夜継君の往く道を見ているのが楽しく、興味があるだけ。
彼が私に縋ってこない限り、所詮私の帰還魔法は事の序で……オマケでしかないわ」
続けて市羽はメニアルにも聞こえているか分からない声で小さく呟く。
――貴女が信頼のみではなく単純な恋心でも抱いてくれていたのなら、もっと簡単に済んだかも知れないわね。
「――ッ!!」
それは直感でしかなかった。
そうしなければ死ぬと脳裏に浮かぶ前にメニアルは剣の腹で防御する姿勢を取る。
遅れてやってくる強烈な殺気に冷や汗が流れ、構えた剣には水の壁を一文字に裂いた重く鈍い斬撃が触れた。
「'抜刀・車騎星' '納刀・牽牛星'」
カチン――と刀が鞘に収まる音が響けば、裂かれた水飛沫が細かな斬撃へと変わり、それらは一つの大きな斬撃と成ってメニアルへと襲いかかる。
それを見たメニアルは、力任せに競っていた斬撃を弾き上げ、空いていた手に新たな剣を喚び出し握り目の前に開いた空間に突き立てた。
「魔法と剣技の合わせか! 魅せよる!!」
水の斬撃の進行先に現れた空間の裂け目。
そこから伸び出る剣先が斬撃に触れようとすると、水の斬撃は小さな斬撃へと散らばり様々な方向からメニアルを襲おうとする。
しかし、剣先が新たに開いた空間の裂け目を越えれば、散らばった全ての斬撃を取り囲む様に開いた空間の裂け目を縫い合わせて水の斬撃を打ち消していく。
「'抜刀・司禄星'」
技が打ち消された事に反応を見せない市羽は、先程とは違う華やかな衣装を風に揺らしながら空を切る。
市羽の声に反応してすぐに身構えたメニアルに対し、市羽は振り袖を揺らし刀を回し、沈む陽と登る月を反射する水滴の中で劇のワンシーンの様に時間を掛けて刀を鞘に、ゆっくりと収め呟く。
「'納刀・禄存星'」
目を離したつもりも無く、意識は常に市羽を捕らえていた――にも関わらず、メニアルの視界に映る市羽の姿は陽炎の様に揺らぎ消えた。
「境目が捕らえられぬとは、'刀神'であったか? よくぞその若さで磨き上げておる!」
経験と直感。それが導き出す思考に従ってメニアルは全ての空間を閉じて背後に剣を振るう。
「'抜刀・貫索星'」
振るった剣は市羽の刀に叩き折られる。
だがメニアルは焦らず市羽の回りを細かく裂き開くと同時に、逆の手に握る剣を内の一つに突き立てる。
「'納刀・石門星'」
それにはメニアルも驚きの表情を浮かべた。
開いた先から空間は閉じていくのだ。
寸の遅れも無く、自分がそうしたかと錯覚するほど自然に空間が閉じていく。
「ぬっ!」
更にメニアルは背後から感じる悪寒に気付き、新たに取り出した剣を振り抜く――と同時に、あまりにも遅く、ゆったりと行く手を削り進む斬撃にメニアルの剣は弾かれた。
「猪口才な」
剣と共に弾きあげられた腕を、剣を手放し爪を立て振り下ろせば、その軌道に沿って削り落とされた空間が遅い巨大な斬撃諸共飲み込む。
そのままメニアルは市羽へ向けて腕を振るう。
「'抜刀・鳳閣星'」
対する市羽が刃先でクルリと円を描けば、削れていく空間は反射した光によって生み出された円に遮られ――
「'納刀・調舒星'」
――逆の軌道で描かれた円が光と共に一帯の色を染め上げる。
「'抜刀・玉堂星'」
変化に警戒を高めるメニアルを他所に、市羽は止まらず畳み掛けていく。
振り抜かれた刃を避けたメニアルは気付いた……市羽の声以外の音が一切しなくなっている事に。
「'納刀・龍高星'」
そして音もなく、いつの間にか刀が鞘に収まったことを認識した時、メニアルは自分の腕から伝わる痛みで浅い切り傷に気付く。
「この技を使うのは貴女が初めてよ。夜継君も予定を繰り上げたようだし、貴女を彼の元へ行かせるわけにはいかないわ。
だからどうか、死なないで頂戴――'完刀・十大主星'」
脳内に響き渡る警笛は、これでもかと鳴っている。
しかしメニアルはフッ…っと笑みを浮かべて構えを解き、ひび割れ始めた真っ黒な空間に射し込む光を見上げ呟く。
「侮るなよ小娘。頼まれずとも、我はお主に殺されぬ」
真っ黒な空間の崩壊に合わせ、メニアルの全身は斬り刻まれて血に染まった。
だがメニアルは倒れる事も無く、むしろ先程よりも重々しい空気を纏い市羽を見据え、ゆっくりと一風変わった短い剣を取り出す。
「それに、よくよくと考えてみれば、お主を殺せば仲間思いの夜継は我を殺すであろう。この様な事すら考えつかぬとは、我も感化され甘くなっておったようだ」
「そう、やっと本気を出してくれるのね」
メニアルから放たれる殺意に当てられ軋む空間に、市羽の殺気が足元で蠢き威嚇の声を上げる百足となり獲物を捉えた蛇となり呼応する。
もし観戦者でもいようものなら、向かい合う二人が口を開かずとも、耳鳴りの様な煩さが緊張を張り、息苦しさや悪寒に見舞われ気を失う者も多く居ただろう。
しかしこの場には二人だけ。
平然と向かい合う二人だけ。
「せっかくじゃ、我を楽しませ果て死せよ」
「えぇそうね。最初で最後よ、楽しみましょう」
二人は動く。
流血など気にせず飛び散る血が線を描きメニアルを追い、模様の様に浮かび上がる血管が残光を模し市羽の動きを描く。
メニアルの一突きは幾重にも撓り分かれ重なり市羽を襲う。
対する市羽は一振りで僅かな活路を作り出し、その僅かを市羽は当たり前の様に踏み抜ける。
翳された手に集まる炎。
それを削る空間の裂け目。
いつの間にか目の前に突き出されている短剣。
分かっていたかの様に皮一枚触れるか触れないかで抜けていく肌。
体勢を崩そうと狙う剣先を足場に。
振り抜かれる鋭い刃と競り合う指先を。
攻撃に防御を。
防御を攻撃に。
色とりどりの魔法、それらを削り落とす黒……を抉り食らう斬撃――すら穿ち縫う剣。
撃ち合い、競り合い、応酬する剣戟の速度は増し続け、経験で直感で本能で、一瞬の合間で幾多の思考と技が混じり合い、やがて決着を迎えるであろう戦いに二人は出せる全てを出していく。
「'無の灯火'」「'瞬刀・霞'」
一瞬の間を縫って生み出された世界をくり抜く小さな穴を、音も光も色も置いていく刃が切り裂いた。
「見事じゃ……市羽 燈花」
「結局、最後まで感化されっぱなしね。メニアル・グラディアロード」
散っていく己の魔法の奥で佇む市羽にメニアルが告げれば、既に刀を納めた市羽が呆れた表情で言葉を返す。
「……なに、友の悲しむ顔を今は見る気にならんと思ったまでじゃ」
「それは同感だわ」
数秒の沈黙。
市羽の言葉を鼻で笑い飛ばし、視線をログストアへと向けたメニアルの体からは遅れて袈裟斬りの傷が開き、大量の出血と共に海面へと落ちていく。
しかし海面に叩きつけられる前に体は市羽に支えられ、淡い光がメニアルの体を包んだ。
「癒やして良いのか?」
「貴女を死なせないと言ったでしょう? もう一度戦うというのなら幾らでも相手になるわ」
「くくっ……やめておこう。流石の我も疲れた。後は大人しく夜継の文句を聞くとしよう」
「彼の隣で一緒に聞いてあげるわ」
「我が言うのもおかしいやも知れぬが、随分な入れ込みじゃな」
「貴女には感謝してるわ。だからかしらね、私も貴女には死んでほしくないと思うのは」
「まさかお主からそんな言葉を貰うとは素直に驚きじゃ」
「貴女と同じで中々素直になれないだけよ」
傷口を塞ぎきった市羽はメニアルと共に近くの足場へと降り、開いた空間から真新しい黒いドレスをメニアルへ被せた。
その服に目を丸くするメニアルが問いかける前に市羽が口を開く。
「ラデアさんと言ったかしら? 服屋の店員さんからラプトさんが預かったのを私が預かってきたわ。'完成が遅れてごめんなさい'と、貴女に伝えてほしいとラデアさんからの言葉もね」
「やれやれ、ラプトめ……我が市羽を殺しておったやも知れぬと言うのに」
「そうならないと分かっていたのでしょう? 優秀で良く貴女を理解しているわね」
「ジレルを含め、自慢の側近じゃ」
幸せそうに笑みを浮かべるメニアルを見た市羽は、もうここに居る必要もないと判断して移動用に目の前の空間を裂いて中へ入ろうとする。しかしメニアルがそれを呼び止めた。
「暫し待て」
「何故かしら」
「こうなってしまった以上、我も予定とは別の形で手を貸そう。故に今しばらくはココにおれ。アーコミアが動いたとあれば、お主は今動くべきではない。それにお主も――」
メニアルが言葉を言い終える前に、少し考える素振りを見せた市羽は、開いた空間を閉じてメニアルの隣に腰を下ろす。
「理由は聞かぬのか?」
「えぇ。必要ないわ」
熱中症で久々に点滴をしました。
今年はえらい暑いですね……。
ブクマ・評価ありがとうございます。
遅れ遅れの更新になってしまっていますが、これからもお付き合い頂けると嬉しいです。




