王であり、親であり、まるで親戚のおっさん
意識が覚醒していくに連れ、周囲に人の気配が一つあるのが分かる。それから数秒して身体の節々に痛みが走り、目を開くよりも先に口から呻き声が漏れてしまった。
「清次郎様?」
その声の主は、ある日を境に俺の事を名前で呼ぶ。許可を求められて了承した身ではあるけど、今ではすっかりそっちの呼び方の方が耳に馴染んでしまっている。
痛みが少し引いた感覚と共に目を開ければ、見慣れてはいないけど見知っている天井。白色を基調としながらも目が痛いという事もなく、一瞬だけ元の世界での病院を彷彿とさせる個室の天井。
しかし視線を動かせば、先程の声の主が目に入る。
「……リーファ王女」
「今は二人しかおりません。どうかいつもの様に私の我儘を叶えてください」
寂しそうな声で告げられた言葉に応え「リーファ」と呼べば、ベッドの隣に座るリーファは頬を緩ませて嬉しそうに笑う。
その表情に俺の心が惹かれるのは何度目だろうか。
「お気分はいかがですか?」
体を起こした俺が見惚れている事には気付かず、リーファはコップに入った水を手渡しながら聞いてきた。
「そうだね……スッキリはしているよ。でもやっぱり悔しいね」
市羽との戦いを思い返して漏れた言葉に偽りはない。
俺は全力を出した。その上で市羽に負けた。最後の一撃なんかは、自分で自分に花マルを上げたくなるぐらいには鋭く、こちらに来てからの研鑽を集約できた一閃だったと思う。
それでも市羽 燈花は俺の上を行った。
対峙していたはずの俺でさえ、市羽の攻撃の過程が見えず、唯一分かったのは自分の最高の一撃が逸らされた。
完璧に完全に、自分が思う理想以上の形で……。
それが意味する事は、己の理想ですら最高の形に到達していないという事実。
しかしそれも仕方がないのかもしれない。元より歩む道が違うのだから。
こちらの世界に来て市羽は少しだけ変わった事を俺は知っている。
努力とは無縁であり、自主的に物事をしなかった市羽は、常峰という存在の為に行動するようになった。そして、自分のために積極的に歩み、目的の為に努力をし始めた。
本当の意味で市羽は天才という言葉を体現し始めたんだ。
市羽の理想の先に居るのはただ一人……俺とは進む道が違いすぎる。
「……悔しいのなら残ってはいかがですか? もう一度市羽様に挑む機会を得るために」
「それはできないよ、リーファ。市羽との戦いはアレが最後、勝手に天才と決別する為に戦わせてもらった。
俺は向こうに戻るために戦っている。友達も家族もお世話になった人にも、俺は何も言えずにこっちに来た。戻れるというのなら俺は戻りたいんだ」
「ごめんなさい。意地悪を言ってしまいました。清次郎様ばかりに選択を迫る私は、ずるい女ですね」
「俺の方こそリーファの気持ちを知って、俺の気持ちを伝えてこの選択をした。そしてリーファが言う我儘に甘えているんだよ」
俺はリーファに惚れている。その事を伝えた上で尚、俺は帰る事を選んだ。
今回の戦いだって、清々しいというのに悔しい理由はリーファに起因しているだろう。天才を越えたいという気持ちもあったが、この悔しい気持ちはリーファの前で負けたくはなかった。リーファの為に勝ちたかった。
そんな事を考えると、残りたいと気持ちが揺らぐ。しかし俺が揺らぐのを見越していたかの様に、常峰は俺に戻ってからの頼み事をしてきている。
ありがたいよ、本当に。その頼み事がなければ、俺は揺らいで答えを変えただろう。そしてきっと俺は後悔をしただろう。何よりもリーファに後悔をさせてしまう。
俺の理想は元の世界にあるのだから。
「でしたら、もう少しだけ我儘にお付き合いください。そしてもっと甘えてください」
椅子からベッドの端へと移動したリーファは、俺の痛む身体に響かないよう気を使う様にそっと肩に頭を乗せ、自分の手を俺の手に絡めてきた。
俺も応える様に指を絡ませ、反対の手で優しく頭を撫でる。
どこでこんな甘え方を覚えたのだろうか……俺の心は落ち着かないよ。
「心臓の音、早いですね」
「俺も男ってことだよ」
「ふふふっ。嬉しいです」
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「――なんてことがあったよ」
「へー」
「反応薄いね」
「いや、なんでそんな報告をされているのか分からんし……よく相手の親の前で、んな事が言えるなと驚いてはいる」
自室ではなく別で用意した部屋でハルベリア王と少し話していると、ふらっと現れた新道は書類の整理を手伝ってくれながらも惚気け始めた。
いや、まぁ、おかげで戦後に向けて特区の扱いの方針をまとめられたのだが……。
チラッと最後の書類にサインをしているハルベリア王を見れてみれば、どういう表情をするべきか悩んでいる様子で、とりあえず顔は引き攣っている。
「まぁ、何ていうか、仲が良さそうで」
「まさか自分の初恋が、友達以上恋人未満の関係で終わるとは思ってなかったよ」
「それってどの辺りまで含まれるんだ?」
「ABCに入らないぐらいじゃないかい? あぁ、でも、そう考えると俺はB+ぐらいまでいったから恋人関係ではあるのかな? でも付き合っているというわけでもないし……常峰はどう思う?」
「そもそも、そのBとCの間が細分化されてるとは知らなかったわ」
元の世界で新道がそこそこ告白されているのは知っていたが、付き合ってる云々を聞いたことはなかった。
断る時はハッキリと断っていた所も何度か見ては居たけど、今の話を聞く限り新道にはチャラ男の才能がありそうだ、という感想しか湧いてこない。
再度チラリとハルベリア王を見てみると、サインを終えたペンがぷるぷると震えている。
「眠王よ。そのエー、ビー、シーなるものの詳細を聞いても良いかね?」
「聞かないほうがいいかと。娘が居ないので予想になりますが、娘さんの生々しい事情は精神やられると思いますよ? 男親は特に」
「現状で大いにやられておるのだが……勇者新道は私に恨みでもあるのかね?」
なんとか振り絞った声で問われたが、俺はなんとも言えない。
だからこんな流れにした責任を取らせる為、自分で答えろと意味を込めて、原因である新道へと視線を向ける。
「リーファ王女と巡り合わせてくれた恩こそあれ、恨みなんてものはありません。できることならばリーファ王女と共に世界を渡りたいとも考えましたが、それはリーファ王女が望みませんでした。
俺が向こうの世界でやりたい事があるように、リーファ王女にはこちらの世界でやりたい事がある。どこかに転がる物語のような、叶わぬ恋を二人でしています」
……なるほどね。そもそも連れていけるかも分からず、連れていけたとしても色々と戸籍の問題とか出てくるだろう。そこをクリアできる目処すらない状況で、そんな事を俺が許可するとは新道なら考えないはず。
何かしら目的があるのか。まぁ、その目的も大体予想はできた。
口を挟まずに聞きに徹する事に決めた俺は、次に口を開くであろうハルベリア王へと視線を移す。
「続けなさい」
「はい。といっても色々と考えて言葉を選ぼうとしましたが、上手くまとまらないですね。支離滅裂になってきそうなので単刀直入に……リーファが望む結婚をさせてあげてほしいです」
「政略結婚はするなと言うか」
「いいえ、きっとそれは難しい。それでも、少しでもリーファが幸せな結婚を考えてほしいんです」
オーマオとの政略結婚の事だろうな。
有耶無耶と先延ばしにさせているとは言え、完全に破談したわけでもない。今後何があるか分からないだろう。
元よりオーマオとリーファ王女の思想は相容れない。親バカなハルベリア王が良しとするのも考えにくいが、オーマオも馬鹿ではない。俺の時は事を焦った面もあるが、逆に言えばそれ以外では優秀な人材ではある。
そうでなければ、あの地位にハルベリア王が置くわけがない。
さて、ハルベリア王はどう答えるだろうか。
「リーファをくれとは言わぬのだな」
「それは俺が言ってはいけない言葉です。もしそれを口にしてしまったら、俺はリーファ王女を攫ってでも連れて行ってしまうので」
「物分りがいいと言えばよいのか、覚悟が足りんと呆れればよいのか……どう思う常峰君」
「あ、ここで俺に振るんですか? 連れて行くと言われても俺は困るので、新道の願いを聞く形で丸く収めてくれればどちらでも」
いきなり話を振られて驚くが、俺の答えに嘘はない。
新道とリーファ王女の二人で決めた落とし所がそこだと言うのなら、俺は口を挟む気はない。むしろ今更意思が変わっても困るだけだ。
「答えになっておらんではないか……しかしそういうのであれば、呆れることにしよう。
私が二人ぐらいの年頃は、後先など考えずに行動したものだ。ローナ――リーファの母を城から連れ出し、婿入りするに至るまで紆余曲折あった。勇者新道……いや、新道君、君は何故残らない。その程度なのかね? リーファを思う君の気持ちは」
「いいえ、俺はこの世界の誰よりもリーファを愛しています。リーファは元の世界の誰よりも俺を愛してくれています。
だからこそ、俺の事を理解してくれたリーファは、きっと俺が残ると後悔をします。リーファが前を向く為に、俺が前へ進むために、リーファを泣かせない為に、俺は帰ります」
「……であれば今はリーファの元へ戻れ。新道君の頼みは、私が望む所でもある」
「ありがとうございます。常峰も邪魔をしたね」
「気にするな」
部屋を出る前に改めて深く頭を下げた新道を見送れば、部屋には最初と同じ様にハルベリア王と二人。
数分程沈黙したまま紙が擦れる音だけが響いたかと思えば、目頭を抑えたハルベリア王が口を開く。
「幸せを願うあまり、あれでは呪縛になるのではないかね?」
「リーファ王女のですか?」
「新道君の方だ」
分かっているだろう?と視線を向けてくるハルベリア王。対する俺は、お互いに空になっていたコップに冷水を注ぎながら答える。
「まぁ、リーファ王女が未婚のままを貫くというのは、立場上難しいでしょう。それを二人とも理解している。だけど元の世界に帰った新道の方は、そうでもない。未婚であり続けるのは、リーファ王女ほど難しくはありません。新道の性格を考慮すると……リーファ王女以上に惚れる相手でも出来ない限りは、未婚のまま墓に入りそうですね」
「それでも口を出さぬのだな」
「正直な所、出さないというより出せないんですよ。新道には戻った時の為の頼み事をしていますし、何より色恋沙汰には滅法疎くて、今の新道の判断が良いのか悪いのかも俺では判断しかねています。
俺等は元の世界では学び舎に通うような年齢ですから、人生経験も浅いんですよ。ハルベリア王が若気の至りでローナさんを連れ出したように、世界観の違う二人が若いながらも考えた結果がアレなんでしょう」
「そういえばそうであったな。時折、君達がまだ二十にもなっていない事を忘れてしまう」
「背伸びしてますから。そう思ってくれているなら何よりです」
こちとら何度剥がれそうになったメッキを塗り直している事やら。背伸びのしすぎて、ふくらはぎが攣っているんだ。
まぁ、そんなんでも、色恋沙汰は分からん。それっぽい事を言うのぐらいならできるだろうが、もう腹をくくった所に出す口は持ち合わせていない。
「参考までに聞いておきたいのだが、もしリーファを連れて行けと言ったら常峰君はどうする」
「止めますよ」
即答した俺にハルベリア王の視線が更に刺さる。どうせ次は何故?と聞かれるだろうと考え、先に俺は言葉を続けた。
「俺の国は、こちらの世界よりも国民の管理体制が整っています。向こうにリーファ王女が行けたとして、生活をしていく分の衣食住は新道がなんとか出来たとしましょう。ですが病に侵された場合や、その他の手続きを行う場合、リーファ王女には問題が生じてきます。
今の新道では、それらを解消する術はありません。最悪の場合リーファ王女は捕らえられ、元の世界に帰った他の者達にも迷惑が掛かります。全く手がないというわけではありませんが、その手を使おうとは考えませんね」
「なるほど。異界には異界なりの難があるのは確かだ。止める理由は納得した……これより先は私の好奇心だ。
今の言い方を聞くに、新道君では解消できぬ問題を常峰君ならば解決できると聞こえるが?」
「実際に俺が元の世界で何かをするわけではありませんが、おそらくできますよ」
「して、その手とは?」
「神様にお願いするだけ。それだけです」
俺の言葉で納得したように頷くハルベリア王を見て、俺もしたかった確認ができた。
馬鹿にするわけでもなく、それが可能なのかと疑問に思うわけでもなく、ただ納得した。
つまり俺はそれが可能だという事を理解している……ハルベリア王は、俺と福神さんが対話したことを知っている。
話せる相手は俺だけと言っていた気がするが、異界の者ではという括りだったのか、ウィニさんを通して福神さんから教えられたのか。どちらにせよ、ハルベリア王には多少腹の内を晒しても問題ないようだ。
「数日後に始まるであろうアーコミアとの戦争ですが、異界の者で参戦するのは俺を含めて十一名です」
「他の者は?」
「残りの二十名は元の世界に帰る者達で、準備が整い次第即時動ける様にここで待機します。聖女や勇者である新道がただ待機というのも前線の不安に繋がるかもしれません。なので、名目はレストゥフルの防衛とする予定です」
「十一名と二十名……そうか……」
ハッキリと言葉にしなかったが、ハルベリア王は察してくれたようだ。
「良かったのかね? 私に教えて」
「構いませんよ。これでハルベリア王は共犯者ですから」
「私が言いふらすとは思わぬのかね?」
「試してみますか? 構いませんよ、今すぐにでも、現状を脱した後でも。その時はハルベリア王も一度死ねるでしょうから」
「やめておこう。今はレストゥフルの庇護下から外されてはたまらぬ。戦後直後では私の発言は眠王の声にかき消されてしまう。
死するとしても、今しばらくはリーファの行く末を見ておきたいのでな」
そう言うハルベリア王の雰囲気は軽い。
互いにそんなつもりが無いのは分かりきっている事。
それに、共犯者になってくれると信頼して安藤の事を伝えている。
実際問題、重罪人を匿ったなんて事を知られた日には、危ないのは俺の方だ。ハルベリア王が口にしたようにもみ消せるかもしれないが、バレ方次第では一気に信頼を失いかねない。これ以上のリスクを背負う気は無い。
「眠王には世話になるばかりだ」
「ハルベリア王が色々としてくれているので、俺も応えているだけにすぎません」
「信頼してくれていると受け取っていいのかね?」
「ハルベリア王が考えているよりもよっぽど」
なんて事を口にすると、ハルベリア王は手元にあった紙をまとめてどけたかと思えば、俺の目をジッと見つめてくる。
いきなりどうしたんだろうか。
「ふむ……リーファに続き、娘同然であるモクナの事でも礼をせねばな。どれ、常峰君も息抜きがてら一つ語ってみよ」
「何を語れと?」
「勇者市羽との事だ。助言の一つでも言えるやもしれんぞ」
「あ、結構です」
いきなり親戚のおっさん化するハルベリア王とのそんなやり取りを幾度か挟みつつ、俺とハルベリア王は書類をある程度まとめ、夜にはコニュア皇女とレゴリア王を含めて迫るアーコミア戦に向け話し合いを進めていった。
GWなんてありませんでした。
有言実行できず申し訳ないです。
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