血塗れの勝敗
短めかもしれません
天に光が昇る頃、ギナビア国のスラム街。奥に行けば行くほど環境は悪くなり、歩く者も少ない場所。
本来であれば市羽達ですら足を踏み入れる事は滅多になく、寂れ廃れて活気も気力も、色すらも無いと錯覚する様な場所なのだが……現在そこは、紅く、黒く、赤黒く染まっていた。
地や壁に飛び散る鮮血。
空には乙女を模した鮮血のワルキューレ。
その中心には、ワルキューレを従える美しい赤のアーマードレスを着た漆 彩が立っていた――劣勢を強いられながら。
「あぁ、ゴホッ、彩、貴女は実に素晴らしい。ごほっごほっ……血を扱うという土俵で、これだけ私と対等に渡り合えている! 異界にも私と、ごほっごほっ、同種がいたんですかね? 彩はその血を引いていると言われても納得ゴホッ、です」
「嬉しそうで良かったわ。そんなに喜んでもらえると、招待した甲斐があったというものよ」
「ごほっごほっ……でも、それも限界が近いゴホッ、ようで」
漆と対峙しているニルニーアは、至る所から血が流れ出ているものの、その様子は余裕が見て取れる。
しかし、対する漆は、明らかに疲れが見え始めており、自身の血で作り維持しているアーマードレスの端からポツリ、ポツリと血が滴っていた。
「出血大サービス中だから疲れるのは当然でしょ? ニルニーアは私以上に出血してるのに、一向に勢いが収まらないわねぇ……コツでもあるのかしら?」
「ごほっごほっ、楽しませてくれたお礼にゴホッ、教えてあげます。始祖の力の一つゴホッ、ですごほっごほっ、よ。所謂先天性スキルというゴホッ、やつです。魔力で血を増やし造るごほっごほっ、ですよ」
「ふぅん……」
アーマードレスから滴る雫は形を変えてニルニーアへ飛んでいく。それに合わせる様に、ニルニーア側からも同じモノが漆へ向かい飛び、ぶつかりあった瞬間……漆の血はニルニーアの血に取り込まれる。
それに驚かず、待機していた数体のワルキューレに命令を出して防がせた漆は、防いだことで飛び散り口元に付いた血を舐め取り笑みを浮かべ小さく呟く。
「……そういう感じね」
小さい呟きはニルニーアへ届く事はなかったが、様子が変わったことには気付いた。
ワルキューレ達が血の滴る掌から漆の体内へと戻り、アーマーも同じ様に体内へ。代わりに反対の掌から滴る血が新たなアーマーへと形を変えていく。
最後に仕上げとばかりに巻き上がる血は漆の姿をすっぽりと隠してしまい、収まる頃には先程よりも多くのワルキューレ達が姿を見せる。
先程の漆を見る限りでは、明らかに限界を越えているはずの出血量。
ニルニーアから見てもただの人間にとっては自殺行為でしかない行動だが、集束する血の中から現れた漆を見れば、そんな小さい尺度で考え、興味を失うのは愚かだと口元を歪め、ニルニーアは笑った。
鮮血を従える姿は気高く、血潮に飾られる彼女は美しい――
「実に素晴らしい!! ごっほっごほ!!!」
両手を大きく広げ、高らかに声を上げるニルニーア。合わせる様に、その身体から大量の血が波となり、漆とワルキューレ達を飲み込ものうとする。
しかし血の波は漆の前だけ避ける様に割れ、ワルキューレ達は手を盾へと変形させて飲み込まれること無く受け止められた。
「増血と血を完全に枯らさない限り死なないなんて、相性が良いわね」
「幾らでもごほっごほっ、血は用意できますからね」
「えぇ、でも所詮は乾いちゃうのが貴女の血。私の血は、乾きを知らないの」
カツンと漆が大地を踏み鳴らす。
すると、周囲に付着していた血痕は滲み、そこから大量の血が吹き出し始めた。
「ごほっごほっ……これはこれは」
うねり、渦となり襲い来る血に、自分の血をぶつけてはみるものの、あっと言う間にそれすら飲み込まれてしまう。
分が悪いと考え上空へ逃げても血は巨大な手となりニルニーアを捕まえようと追いかける。
右へ、左へ、下へ、更に上へ。
切り捨て、押し返し、抑えつけて。
まだ余裕を持たせながら血の手から逃れる中、僅かな隙を見つけては漆へ攻撃を仕掛けてみるが、ワルキューレの守りは硬く、漆本人に触れる前に全て防がれてしまっている。
そして徐々にニルニーアから余裕が無くなり始めた。
枝分かれして増えていく血の手に加え、ワルキューレ達が動き出したのだ。
「ごほっごほっ、もしかしてゴホッ、増血を?」
「とても私とも相性が良いわ」
呟きに答えてきた声と共に避けた血の手の中から伸びてくる腕は、鋭利な爪先のガントレット。
反射的に作り出した血の剣で弾こうとするが、そのガントレットに触れた先から吸い込まれ、数秒もしない内に自分の制御下を外れていく。
そこで初めてニルニーアは漆に対して危険を感じた。
制御を上書きされるでもなく、無理矢理とられるでもなく、同調して掠め取られた感覚。
ニルニーアが把握している漆のスキルは、己の血と視界に捉えた血を操るモノ。しかし、今の感覚はニルニーアにとって初めてだった。
「ごほっ、面白い」
未体験な死の可能性を垣間見たニルニーアの感情は、恐怖や悔しさよりも歓喜に満ち溢れた。表情もそれを表す様に紅頬笑に染まる。
同時に脳裏に逃走の文字が浮かんだが……ガントレットを避けて向けた視線の先に居る漆が見え、その考えは消えていく。
自分を捉えて離さない視線。
血潮に紛れて流れる汗は無理を現している。
だが、そんなことよりも、何よりもニルニーアの心を射止めたのは、愛おしそうな楽しそうな笑み。
「ごほっ、あぁ、ごほっごほっ、私は生きている。貴女と共に、ごほっ、死を流して生きている」
「まだまだ楽しみましょうニルニーア。枯れ果てれば死ぬ貴女と、死ななきゃ乾かない私との夜は明けさせないわ」
更に数を増やしたワルキューレ。
更に垂れ流しにされる血。
そこに元の色はなく、ただただ紅く、黒く、赤黒く染められていく。
攻守の順番があるように、ニルニーアと漆の攻守は代わりを見せワルキューレの数を減らし、周囲に自分の血を撒けば、それらを上塗りする漆の血からは新たなワルキューレ達が生まれる。
神経を研ぎ澄まし、漆が狙っているであろう一撃を確実に捌くニルニーア。
集中を切らさずに、決定的な一撃を狙う漆。
渦巻く血流の中を移動して背後を取った漆のガントレットがニルニーアの首へ伸びるが、ニルニーアの腹部から吹き出した血がガントレットごと包みこんで軌道をズラし、そのまま針山と形を変えて漆へと襲いかかる。
その攻撃は漆にとって躱す必要はない攻撃。舐める様に視線を動かせば、ニルニーアの血流は行き先を変えて地面へと向かい、それを突き破ってワルキューレ達がニルニーアへと迫っていく。
ニルニーアはそれが分かっていたかの様に脱力し落下したかと思えば、自らワルキューレの剣に貫かれ全身が血となり、地面を埋め尽くす血の海へと消えていった。
消えたニルニーアを視線で追いかけ、一層集中してニルニーアを探す漆は気付くのが遅れる。
先程貫かれた時に舞い上がったニルニーアの血が形を変えていることに。
「ごほっごほっ、人間で殺すのが本当に惜しいとゴホッ、思ったのは初めてでした」
そっと触れられた背中から走る小さな衝撃と感覚。
漆の視界には、アーマードレスごと自分の心臓を的確に貫いて剣先を見せる赤い刃。先程ニルニーアを貫いたワルキューレ達も貫かれた漆との間にはニルニーアがおり、反応が間に合わない。
「楽しかったごほっごほっ、楽しかったですよ彩」
強張っていた身体から力が抜け、支えも力もない漆の身体は地面へ向け落下していく。
落下していく漆を数体のワルキューレが追いかけるが、それらも形を保てなくなり血の海へ還り、その血の海すらもゆっくりゆっくりと停止して動きを止めた。
ぽちゃん……と停止した血の海へ落ちた漆の音を皮切りに、ニルニーアの意識には周囲の戦闘音が聞こえてくる。
「はぁ……ごほっ。なんと充実した時間だったかごほっごほっ……終わりを迎えるとは物悲しい……」
次第に血の海は沈んだ漆へと集まり、一体を埋め尽くしていた全ての血が漆へと戻る。
ニルニーアの回りで活動を停止していたワルキューレ達も同じ様に漆の元へと戻っていく――背後に居た一体を除いて。
「終わるのには早いわ」
背後から聞こえた声に振り向けば、動かないはずのワルキューレが自分の胸を貫き、その姿は漆へと変わっていく。
そして貫いているのは最初に警戒した赤いガントレット。
「やーっと捕まえた」
胸を貫いたまま漆はニルニーアを抱き寄せ、耳元で囁いた。
「逃げる為の血は無いわよ。全部私のモノにしたから」
「ごほっ、無駄に血を動かしていたのはごほっごほっ」
「循環の為よ。私を通して、全部私のモノにするため。そしてこの場に残っている貴女の血は、貴女だけ」
ニルニーアには分かる。
自分の血がガントレットを通して漆へと流れ、そしてガントレットを通して漆の血が流れ込んできていることに。
「言ったでしょ? とっても相性が良いのよ。私と貴女」
不思議と漆の囁きは心地よかった。
こんな気分になったのは、何時以来だろうか……。
崩れ、吸収されていく感覚の中、その囁きを最後に、ニルニーアの意識は生まれて初めて途切れた。
「あ~~~、さすがに疲れたわ。確かニルニーアは三魔公とか言ってたけど、親玉魔王はもっと強いのかしらね……夜継、大丈夫なの?」
ニルニーアを血として全てを取り込んだ漆は、うんざりするほどの倦怠感に見舞われながら地面に倒れている自分の元へと移動する。
そしてソレに手を翳せば、倒れていたモノはビチャッと血溜まりへと変わり、ガントレットへと吸い込まれた。
周囲に血痕が無いことを確認し、消えていく光の柱に変わり立ち昇る火柱を目印に移動しようとするが、ぐらっと視界が揺らぎバランスを崩して倒れてしまう。
「最悪……はぁ、少し休んでからいこうかな」
服が汚れたことに悪態をつき立ち上がろうとしても思う様に身体が動かない漆は、指先で地面を軽く叩いて血の椅子を作り、這いながら座って息を吐く。
「ふぅぅ~~~さすがに魔力も体力もきっつい……こほっ」
肘掛けにもたれ、護衛用のワルキューレを喚び出し、漆は少し休むため目を閉じた。
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同刻、ギナビア城ではルコを隊長とする第三部隊とレゴリア王の護衛の為に残っていた者達が慌ただしく武器を投げ入れた大箱を運んでいた。
「あの、レゴリア王、市羽様は一体何をなさる気なのですか? 大量の武器を屋外へ……それも一箇所に運べだなんて」
「魔王ショトルへの対抗策らしい」
「魔王ショトルへのですか?」
レゴリアの言葉に目を丸くし、その視線を市羽へと向ける。
当の市羽は、燃え盛る獅子に運ばれてきた城ヶ崎と向かい合う様に座り、別段いつもと変わらずに紅茶を堪能中。だが、対面に座る城ヶ崎は、渋い顔で市羽から渡された紙に目を通していた。
「ねぇ市羽さん、これ本当に大丈夫なの?」
「問題ないわ。だから頼まれてくれるかしら? 私の合図に合わせればいいだけ、遅れても私が合わせるから、城ヶ崎さんは気負う必要もないわ」
「いや、うん、良いんだけどね。良いんだけどさ……魔王ショトルとタイマンって本気なの?」
「他が居ても邪魔だもの。強個体の一体は長野君が頑張ってくれているみたいだけれど、それ以外は悲惨なものね。兵の無駄遣いだわ」
「うわぁ……」
小声でもなく、淡々とハッキリと言い切った市羽の言葉を聞いて、渋い顔を一層引き攣らせるのは城ヶ崎だ。
ちらっと横目でレゴリア王とルコの様子を伺えば、レゴリアは青筋が浮かんでおり、ルコはレゴリアの圧に怯え子猫の様に震えている。
「言うではないか。戦うギナビア国軍を愚弄するとは、何者であろうと許さんぞ小娘」
「愚弄しているわけではないわ。迅速に動いて、必要以上に混乱を煽ること無く、この状況でも死者が抑えられているのは素直に称賛に値するわ。ギナビア軍の自信と、それに伴う国民の信頼……でもそれだけよ。
リュシオン国までは把握できていないけれど……少なくともログストア国とギナビア国にとってコレは、向こうから仕掛けられた時点で既に敗戦よ」
「なんだと?」
市羽の言葉の意味が理解できないレゴリアは、更に眼光を鋭くして市羽を睨むが、当人は気にもとめずに紅茶で喉を潤して続ける。
「そもそも、現状貴方達では対処不可能な魔王ショトルの侵入を許している時点で、ギナビア国には敗戦しか選択肢はないわ。貴方達ができるのは、これ以上魔王ショトルの強化に加担するのではなく、誇りある撤退戦へと移行することだけ」
「ギナビア国を捨てろというのか!!」
「無駄に死者を増やしたいのであれば、続ければいいわ。ただ今の言葉への疑問なのだけれど、ギナビア国はただの土地名なのかしら? そうだと言うのなら、私は'捨てろ'と言うわね。その程度の国、あっても無くても私には関係ないもの」
あまりの言い方に思わず大剣に手を掛けたレゴリアだったが、深呼吸をして冷静さを引き戻す。
その間をわざと空けてから、市羽は更に言葉を続けた。
「レゴリア王、貴方が勝てるという限りギナビア軍は、国民は敗北を疑わないわ。その為に命を捧げるでしょう。けれどそれは、貴方が敗北を認めて許さない限り、戦う者は下がれないのよ。ギナビア国の為に勝たなければならないのだから。
敗北を認める事自体は愚かではないと私は思うわ……その敗北を愚かなモノにするか、誇りある敗北にするかは後の行動で決まるのではないかしら」
「勇者市羽、貴様が居ても敗けるか……」
「私はギナビア国の人間ではないわ。貴方の国の勘定に数えないで頂戴」
「ならば聞き方を変えよう。貴様は負けたか?」
レゴリアの問いに、市羽は最後の一口を飲み干して刀を手に席を立つ。そして部屋を出る前に振り返り、悠然とした態度のまま答えた。
「愚問ね。勝つも負けるも、私の一存よ」
そう言い残して出ていく市羽に、誰一人として言葉を返す事はできなかった。
圧倒的な自信と、微々とも揺らぐことのない瞳に、ストンとその言葉に納得をさせられてしまったのだ。
それから数分後、数名の殿を残す旨と共に'国境街ヴァロア'への撤退命令が全軍へ伝えられたのだった。
戦闘描写が難しすぎてゲボ吐きそうです。
脳内映像の文章化の難しさ。んーー……。
次は、市羽戦になると思います。
ブクマありがとうございます!
まだまだ未熟ですが、これからもお付き合い頂ければ嬉しいです!