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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

瀉血の果ての幸福

作者: 銀ねも

流血表現、虐待描写が御座います。ご注意願います。

 とてもよくお似合いです。やはり、お嬢様の美々しさを、最も鮮やかに引きたてるお色といえば、深紅を措いてほかにない。


 奴隷が主人に意見するなど、とんでもないことですから、これまでは一度たりとも、申し上げることはかないませんでしたが。誰よりもお嬢様をお慕いする、この僕の目に狂いは御座いません。お嬢様はこの目を、信じてくだされば良いのです。


 お嬢様? 何故、否定なさるのですか? お嬢様に嘘偽りは申しません。お嬢様はお美しい。それは世界の真理なのです。お嬢様の類まれなる魅力を理解出来ない愚者の為に、お心を煩わせる必要はありません。


 さぁ、お嬢様、お手をどうぞ。ほら、こうして、この僕の顔に触れて、よくご覧になってください。旦那様や若様方は、母によく似たこの顔にご執心でいらっしゃいましたが、こんなものは、たかが皮一枚の美醜に過ぎない。こうして焼け爛れてしまえば、美しいなどとは誰も、口が裂けても言いません。直視しようともしない。お嬢様だけが恐れず、触れてくださります。


 ……旦那様と、奥様ですか? 今頃は、あちらにいらっしゃるのでは? 若様方もご一緒です。よく眠っていらっしゃるでしょうね。どうかこのまま、安らかに眠らせて差し上げてください。


 嗚呼、それにしても、今日のお嬢様は、一段とお美しい。奥様のお見立てで仕立てられた、その花嫁衣装は素晴らしいお品です。お針子達は奥様に変わって、一針一針に、お嬢様に幸多かれと願いを込めてくれました。

 

 旦那様は、伯爵家の誇りをかけて、ひいては国の威信をかけて、たったひとりのご息女であらせられるお嬢様を、胸を張って隣国の大貴族へ送り出すのだと、それはもう張り切っていらっしゃいましたね。


 お嬢様の仰る通りです。旦那様も奥様も、若様方も、お嬢様を大切に想っていらっしゃります。お嬢様の将来をご心配なさるあまり、ついつい厳しいことを仰ったのでしょう。


 ええ、もちろんです。伯爵家の為、ひいては国の為、けだものの贄として差し出す娘への、手向けだなどと。そのような世迷言は、二度と申し上げません。厄介払い? なんということを! そのようなことをほざいたのは、どこのどいつです?


 旦那様も奥様も、若様方も。お嬢様のことを、それはそれは、大切に想っていらっしゃいました。


 しかし……違うのです。間違っている。これではいけない。


 刺繍の花が咲き誇ろうが、レースに編み込まれた氷の結晶が煌めこうが、真珠の星が瞬こうが……お嬢様の為に仕立てられた花嫁衣装が、どれほど贅を凝らした逸品であろうが……ええ、そうですとも。以前お伝えしました通り、真に素晴らしいドレスなのですよ。しかしながら……純白の花嫁衣装は、お嬢様にふさわしいお召し物ではありません。


 ですから、あの獣……欲望の儘に肥え太った醜悪な……お嬢様の花婿は、ひとつだけ、正しきことを為したのです。お嬢様には真紅の花嫁衣装が、とてもよくお似合いですよ。


 嗚呼、お嬢様。嗚呼、お嬢様。お嬢様があまりにもお美しいので、眩んでしまいます。お嬢様は美の化身でいらっしゃるのでしょう。お嬢様はこの目の光。汚泥に塗れた、卑しい分際のこのしもべに、人生の美しさ、その歓びを教えてくださる。


 お嬢様にお目にかかることがなければこの僕は、あのひとより美しい女性を知らずに生きて、死んだのでしょう。


 腐敗した世界に僕を産み落としたあのひとの最期は、美しかった。


 あのひとについて、僕は殆ど何も知りません。あのひとも、僕について、殆ど何も知らなかったでしょう。あのひとは、あのひとが囚われた牢獄の片隅に、この僕がいたことさえ、知らなかったかもしれません。どうでしょうね。わかりませんが。


 あのひとは不幸でした。傷ついて、傷つけられて、泣いてばかりいました。僕はいつも、あのひとの泣き顔を眺めていました。ところが、不思議ですね。思い出せないのです。


 あのひとを想うと、最期の微笑みばかり、瞼の裏に浮かびます。あのひとが僕に見せてくれた、最初で最後の微笑みでした。あのひとは、白い手首を切り裂いて、あのひと自身の血だまりにその身を深く沈めました。とめどない流血が、真っ白なワンピースは真紅に染め上げました。


 あっ、申し訳御座いません。つまらない話を、長々と……心に募るままを申し上げてしまって……。浮かれてしまっているようです。お嬢様とこうして、寄り添っていられることが、嬉しくて堪らないのです。実は、今日の僕の装いは、いつもの黒尽くめではないのですよ。あれでは、婚礼にふさわしくありませんから。


 それに、母の喪に服することは、昨日限りでやめにしたのです。母はきっと、許してくれます。優しいひとです。憎むべき男の息子であるこの僕を、最期まで傍に置いてくれた……。


 ……お嬢様? 如何なさいましたか? お顔の色が優れません。お嬢様、ひょっとして、怯えていらっしゃるのですか? 


 そうですか……そうですね……無理もありません。お嬢様は気丈なお方ですが、そうであっても、獣に爪をかけられて、危ういところだったのです。恐ろしくない筈が御座いません。


 怖がらないで下さい、お嬢様。獣の脅威は去りました。神の家に残ったのは、お嬢様と、この僕だけです。大丈夫です。お嬢様はもう安心です。この僕がお傍にあります。お嬢様の苦労と苦悩と苦痛を、取り除いて差し上げます。お嬢様を、最も幸福な花嫁にして差し上げます。


 もう、怯えなくても良いのです。強がらずとも良いのです。ええ、もちろん、存じ上げておりますとも。お嬢様は心優しいお方です。伯爵家の為、国の為、旦那様のお取り決めに唯々諾々と従われた。獣の婚姻という、残酷な運命を受け入れようと、ご覚悟を定められたでのしょう。言葉になさらずとも、お嬢様のご心労が、この僕には手に取るようにわかるのです。


 おいたわしい。お嬢様は高貴なお方です。苦労とも苦悩とも苦痛とも、無縁であらせられるべきなのに。


 お気になさらずとも、良いのです。旦那様も奥様も、若君様方も、辛い仕向けをなさっても本当は、お嬢様を愛していらっしゃったに違いありません。そう信じてください。そうすれば、良い気持ちになれるでしょう?


 お嬢様は心の目を開いていらっしゃいます。目には見えないものを、ご覧になるお方です。お嬢様の鏡面の瞳を、不気味だと悪口を言う輩は、そこにうつる醜悪な己自身を忌避しているに過ぎないのです。


 お願いです、お嬢様。どうか、怯えないで。お嬢様が怯えていらっしゃると、僕の胸は張り裂けてしまいそうです。思い出してしまう、母のことを。


 母は、いつも怯えていました。脅かされていたのです。……たとえるなら、痰壺や尿瓶……只管淀みを受け止めることを強要されて……。誰もが皆、そうなのだと言います。高貴な男は皆そうなのだと。妻とは別に、欲望の捌け口として扱える女を傍に置くのは、紳士の隠匿された嗜みのひとつなのだと。


 汚らわしいことです。この国でさえそうなのですから、隣国はもっと酷いのでしょう。複数の妻を娶るような、獣の集まりなのですから。


 覚えていらっしゃるでしょう。獣が遣わせた使者の、あまりにも無礼な物言いを。お忘れならば、一字一句漏らさず、思い出させて差し上げます。


『二人の夫人に先んじて男児を授かれば、正妻の座を得られる。お若いから、すぐにご懐妊なさるだろう。ご令嬢はお体が不自由でいらっしゃり、不安も不満もおありだろうが、お世話役として優れた侍女をつけるのでご心配なく。主人の興を削ぐことないよう、整えさせます』


 ……クソ……蛮国の獣人風情が、よくもまぁ、ぬけぬけと……! 思い出しただけで、腸が煮えくりかえる! 八つ裂きにして犬の餌にしてやりてぇ……!


 あっ……失礼いたしました。乱暴な物言いをしてしまって……。しかし、あんまりではありませんか。お嬢様のような素晴らしい女性をつかまえて、胤を植える借り腹のように扱おうとは! これでは、まるで母さんと同じだ。子を望まれるか、望まれないか、その一点の差異を除けば、お嬢様を待ちうけていた筈の境遇は、娼婦であった母さんと、まるで同じ……。


 ……申し訳御座いません、とんだ非礼を……。違います。母は下賤の生まれであって……高貴なお生まれであらせられるお嬢様とは、まるで違います。奥様と、お嬢様が仰る通り……母は旦那様のお戯れで、束の間のことでしたが、ご慈悲を賜り……ええ。旦那様は立派なお方です。隣国の獣とはまるで違います。


 ……お嬢様? 如何なさいましたか? いいえ、その……。とんでもない無礼を申し上げました。お叱りを受けるとばかり……。よろしいのですか? 神の家に、奴隷に身の程を教え込む為の道具は揃えられておりませんが……お嬢様は、そのお言葉さえあれば、この僕を打ち据えられるでしょうに。


 如何なさったのでしょう……今この時のお嬢様はなにか、いつもと違っていらっしゃるように思います。


 ……僕が? 僕が、お嬢様を如何にかしてしまうつもりだと? 疑っていらっしゃるのですか? お嬢様の幸福の、忠実なる僕である、この僕を? 


 まさか……まさか、まさか! この僕は、お嬢様に身命を捧げ、お嬢様の幸福にお仕えする者です。お嬢様に害を為すなど……天地がひっくり返ってもあり得ません。神に誓って……そうです、今ここで誓います。お嬢様の幸福にのみお仕えすることを。神の家において、神を欺くことより、罪深いことは御座いませんでしょう。


 おや? お嬢様……お召し物のお色が変わって……何やら、どす黒く……?


 これは……黒、ですか? 黒なのですか?


 何故です? お嬢様には深紅がお似合いなのに。それを何故……そのような……。幸せな花嫁に、黒衣はふさわしくありません。黒は、喪われた人を悼む色ではありませんか。


 まさか……お嬢様……喪に服すおつもりですか? 寡婦におなり遊ばれたと? ……獣の死を悼むおつもりなのですか!? そんな、まさか……お嬢様……貴女というお方は……! お優しさはお嬢様の美点です。しかし、だからと言って、あの獣を憐れむべきではない……!


 目をお醒ましください! あの男は、既に二人の女性を妻としているのです。お嬢様は三人目。唯一の女性ではないのですよ! この意味はおわかりでしょう? お嬢様が教えて下さったことではありませんか。


 高貴な男性は高貴な女性を唯一の女性として愛するもの。下賤の女は、高貴な男が唯一の女性を正しく愛する為に、淀みを吐きだす器に過ぎない。お嬢様は……欲望の器になることを望むと仰るのですか!?


 いけません。お嬢様は、そのような仕打ちを受けるべきではありません。お嬢様は素晴らしい女性です。美しく、気高く、心優しい。素晴らしい女性なのです。日陰者の身に甘んじるなどと仰らないで。どうかもっと、ご自分を大切になさってください。


 良かったと、そう仰って。獣のような男に嫁がずに済んで良かったと。死んでくれて清々したと。良くやったと、僕を肯定してください。僕は正しきことを成したのだと。ほら、ねぇ……笑って?


 嘘つき? この僕が、嘘をついていると? いいがかりです。嘘偽りは何一つ申しておりません。貴女を恨むだなんて……とんでもない! 僕はお嬢様をお慕い申しております。誰よりも、何よりも。


 そうですね……母を亡くしてから、しばらくの間は……たいそう混乱しておりましたから……あの頃の無礼の数々、無知も免罪符にはならないと、承知しております。誠に申し訳御座いません。


 ええ。お嬢様の仰る通りです。此方に奴隷として引き取って頂きまして、はじめのころは、大変やさぐれておりました。


 旦那様は、僕を鞭打ちました。色々な道具を用いて、様々な方法で、僕を責め苛みました。僕の身体は、母の最期よりも、ぼろぼろになりました。若様方は僕を辱めました。娼婦の息子らしく、恥知らずで汚らわしいと、僕を嘲りました。僕の心は、母の最期と同じくらい、ずたずたになりました。


 あの頃の僕は、伯爵家を恨んでいたのかもしれません。わからなかったのです。僕の心の目は曇り、世界は真っ黒に塗りつぶされていた。お嬢様、貴女が救ってくださるまでは。


 覚えていらっしゃるでしょうか? あれは十年前……お嬢様の八歳の誕生日の、次の日のことでした。お嬢様は下男達に命じて、僕を地下室の鉤に吊るしました。そうして、ナイフを取り出しました。お嬢様の小さな手には大きすぎるナイフでした。こう……刃がギザギザしていて……貴女はそれを、下男達の制止を振り切って、闇雲に振り回して……暴れる僕の手首を、切り裂きました。


 良かった……お嬢様にお怪我がなくて、本当に良かった。危ないですから、もう二度と、あのような真似は為さらないでください。その必要があるのなら、この僕がお嬢様に変わって、お嬢様のよろしいように致しますから。


 そう……そうです。あの、運命の日の話しをしていたのでしたね。それで……血が噴き出して……お嬢様はとても驚いて、悲鳴を上げて、スカートの裾を翻して、逃げまどいました。そうしたら、壁の窪みに置かれたランプをひっくりかえしてしまって。


 下男達は慌てて、僕を床に降ろしたものだから、僕の左の顔面は、油に塗れ、炎に焼かれました。僕は右目で、切り裂かれた手首を見つめていました。淋漓と血が流れていました。


 痛かったな……熱かったし、ものすごく苦しかった。どんどん、血が流れ出して……皮膚が、肉が焼ける臭いがして……意識が朦朧として。

 血を流しながら、僕は母の死に様を思い出しました。身も心もふわふわと軽くなって、あたたかくて……とても、良い気持ちでした。


 もやもやとした淀みが流れ出してゆく。この身の内に巣食う蟲が、厭わしい何もかもが、這いずり出てゆく。


 そのとき。僕は理解したのです。母の最期の微笑の理由を。そして、お嬢様の仕打ちの理由を。


 瀉血、というのでしたね? ほら、思い出して。これもお嬢様が教えてくださったことです。お嬢様は、あの大きなナイフで僕の頬をひたひたと叩きながら、仰ったのですよ。


『お医者様に、瀉血という治療法について教わったわ。身体に傷をつけて、そこから、悪い血を流してしまうの。そうしたら、病気が治るのですって。だからね、お前で試してみようかと思って。お前の病気を治してあげる。娼婦の血を全部、外に出してしまうわよ。そうしたら、お前は普通の男の子になれるの。あやしい目つきで、お父様やお兄様方を誑かしたり、しなくなる。そうしたら、きっと、元通りになる。わかるかしら? 皆様が変わってしまわれたのは、わたくしの目が見えなくなったからではなくって、お前が病気だからなの。お前が治れば、全てが元通りになるわ』


 思い出してくださいましたか? 忘れてはいなかった? そうですか。それは良かった。


 お嬢様は僕の病を治して下さった。あのとき、僕は血を流し、そして、苦悩と苦痛を流し尽くしました。それからの僕は、痛みも苦しみも、恐怖も屈辱も、何も感じなくなりました。


 母は手首を切り裂いて死にました。母の苦しみは深かった。瀉血で全ての血を流し尽くしてしまわなければ、苦しみを切り離せなかった。遅すぎたのです。死と引き換えに、母は苦しみから解放され、幸福になりました。


 今では僕も、母の最期のように、微笑むことが出来ます。ほら、触れてみて。わかるでしょう? 僕は笑える。母さんのように。あらゆる苦しみから、解放されたから。


 あれ以来、旦那様に呼びだされることも、若様方に呼びつけられることもありませんが、もし、そうされたとしても、辛くはないでしょう。僕はあらゆる苦しみを捨て去った。


 もし、お嬢様が僕に瀉血を施して下さらなかったら。手遅れになっていたでしょう。


 お嬢様は僕の恩人です。心からお優しいお方だ。母が僕を孕んだことで、奥様はお心を病んでしまわれて……ご心労が、おなかの中にいらっしゃったお嬢様のご負担にもなり……それが、お嬢様の目から光が失われる一因となったと聞きました。それなのに、お嬢様……貴女というお方は……。


 お嬢様のおかげで、僕は苦しみから解放された。僕はあの日から、お嬢様の幸福にお仕えすることを誓いました。お嬢様がしてくださったように、いつか僕も、お嬢様をお救いしたい、と。


 お嬢様が幸福に微笑んでいられるように、僕は最善を尽くしたつもりです。お嬢様が喜んでくださるのなら、何でも出来るのです。何者にでもなれるのです。お嬢様が笑ってくれるなら、恥知らずの娼婦にも、性悪な詐欺師にも、残酷な悪魔にさえなれた。


 ですから、ねぇ? 貴女を誑かす者はいないでしょう? 貴女を騙し、唆そうとする者はいないでしょう? 貴女を嘲り、貶す者はいないでしょう?


 誰もいなくなったでしょう?


 ですから、ねぇ? お嬢様。貴女は幸せですよね? もう、ひとりきりで溜息は吐かないでしょう? もう、ひとりきりで枕を涙で濡らさないでしょう? 


 貴女を脅かす、悪いものはすべて取り除いた。外のものはね。あとは、貴女の中の悪いものを残すのみ。


 施術を終えれば、貴女は晴れて、幸せな花嫁になれる。


 では、その陰気な黒から鮮やかな深紅へ、お召し変えをして。貴女が微笑んで下さったら、神の御前にて誓いましょう。僕は貴女を永遠に愛し続ける。貴女の幸福の為に生きる。貴女はずっと、僕をお傍に置いて、幸福であり続ける。


 さぁ、お嬢様。お手をどうぞ。


 如何なさったのです? 何も怖いことはありません。大丈夫ですよ。大丈夫。ほら、誰かが嗅ぎつけて来る前に、急いで。僕を信じて、僕に任せて。




 痛いのは、ほんの一瞬です。


























 やはり、お嬢様には深紅がよくお似合いですよ。先よりも今の方が、さらにお美しい。あの獣の血は、そのねじくれた性根の悪さを象徴するが如く、どす黒くていけませんでした。お嬢様の血のお色は、鳩のそれより鮮やかです。


 それなのに……嗚呼……なんということだ……こんなにも、血を流しているのに……まだ、足りないのか。思いの外、貴女の苦しみは深かったようだ。もっと早く、治療して差し上げるべきだった。貴女が僕をお傍に置いてくださるようになるまで、時間がかかってしまったのが、いけなかった。もっとはやく、貴女の信頼を得ていれば。


 いや。違うか。お嬢様は俺のことを、信頼していなかった。……この顔。こんなに、引き攣って、蒼褪めて……怯えている。あのクソ野郎にしてやられた、母さんみたいだ。


 母さん……ダメだったよ。救えなかった。俺を救おうとしてくれた、たった一人の女の子を、俺は救えなかった。


 どうしてだろう。どうして、うまくやれないんだろう。あの日の母さんみたいに、あの娘にも笑ってほしかった。ただ、それだけなのに。


 お嬢様……お嬢様……聞こえますか? 御返事を……御返事をください……どうか……。


 お嬢様……お嬢様。もう、どうしようもないのなら……それならせめて、最期はにっこり微笑んで。




 最後にせめて、一度だけでも、俺を肯定してくれよ。


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