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雪中花  作者: 田鰻
3/25

神隠し - 3

間もなく陽が昇る。


冷えた地面も空気も温まってきた頃、ぐうすか寝こけていたガキもお目覚めの時を迎えるだろう。

枕元のアケビに歓声をあげてしゃぶりつき、甘い甘いと笑うんだろう。

オレは食い終わるのを待ってから、今度こそ邪魔のなくなった山をガキと一緒に下り、里の見える所まで来て別れる。ガキは小石だらけの、でこぼこの山道を危なっかしく駆け下りながら、途中、立ち去ろうとしていたオレを振り返り、あんな細っこい腹のどこから出してんだという大声で、ありがとうへびさん、と叫ぶ。

その礼に応えるべきなのか、オレは困る。案内したのはオレだが、アケビを取ってきたのは姉。しかしガキが山で一晩過ごす原因を作ったのも、また姉なのだ。

だがオレが迷っているうちに、ガキはとっくに道の向こう側へと姿を消している。

それきり、あとは、いつも通り。

待っている退屈な一日に戻るため、オレは元きた道を辿り始める。


そんな一連の出来事の、起こる前。


早朝、明け方、呼び方は何でもいい。

夜が朝へと切り替わるまでの、ほんの一握りの時間。

オレは少しだけ眠り。

随分久し振りに、夢をみた。



――ひとつの山に、主はひとつ。


――望んでいなくても、等しい力を持つ者同士、優劣はつけなきゃいけない決まりだった。


――オレと姉は争う。


――空を舞い、水と風、互いに従える力をぶつけ合いながら。


――上空に陣取った姉の纏う暴風が姿を変え、その背後で一筋の、風の濁流として収束していくのが見える。


――埒が明かないと焦れたのか、全力でくる気らしい。


――受け止めるのは難しいが、避けるだけなら何とかなるだろう。


――避けてしまえば、オレの勝ちだ。


――オレは勝利を確信し。


――同時に気付いた。


――オレの真後ろに、人間の村があるのを。


――ここでオレが避ければ、あんなちっぽけな村は良くて半壊、悪くて壊滅する。


――畑、蔵、家、そして中にいる人間。


――だからどうした。


――これは山の主を決める神聖な決戦だ、人間ごときの村がどうなろうが知った事か。


――そう思った。


――そう思ったのに、何故かオレは。


――姉の強大だが大振りな力が、すぐ目の前に迫っても。


――それに直撃されるまで。


――全身で、その力を受け止めるまで。


――まるで見えない糸で空中に縫い止められたかのように、その場から動けなかった。



次に気が付いた時、オレはボロボロの身体を姉に介抱されている最中だった。

何も姉は、あの位置だから全力の攻撃を決めた訳じゃないんだ。

全力で攻撃すると決めた時、たまたまオレの後ろに人間の村があったというだけ。つまり、眼中になかった。それで普通だ。道端の石っころが抑止力になるだなんて、誰が思うよ?

オレ達みたいな存在は、そのくらい人間の事なんて考えない。

だから姉には、オレが突然動きを止めた理由が判らなかったらしい。

それはオレにも判らなかったから、説明はできなかった。

村の無事を確かめたのは、傷が癒え、何とか自分で動けるようになってからだった。



――かくして。


――間抜けな弟蛇は敗北し、ふたつに分けられていた御山の力は、晴れて姉蛇のものとなる。


――力の大部分を失ったオレは、以後ただの白蛇として、ひっそり暮らす事になりましたとさ。


――めでたし、めでたし。


――もう十年ばかり昔の。


――遠くて近い、笑い話だ――。






今日は、朝から良く晴れていた。

オレは日光の当たる開けた斜面で、お気に入りの岩の上にとぐろを巻いて身体を温めている。ことさら縄張りを意識してるつもりはないんだが、獣もここらには寄ってこない。じりじり陽に炙られて、上と下の両側からぬくまっていると、どうにも抗いにくい眠気が押し寄せてくる。

気分は上々だ。やはり静かで落ち着いた時間ってやつはいい。このまんま寝ちまってもいいか。どうせ起きていたって、やらなきゃならん事があるでもなし……。


「起きておるかや」

「今起きたよ」


眠気と、ついでに、いい気分も一瞬で全部吹っ飛んでいった。どうして会いたくない時に限って会いにくるんだ、こいつは。年中オレが会いたくないと思ってるからか?


「面白いものがある、見に来い」

「またそれか」


オレは不愉快だって態度を隠しもしなかったが、そんなもん気にもしない奴が相手では効き目が無い。面白いか面白くないか、こいつの判断基準はいつだってそればっかりだ。

オレは渋々身体を解き、岩から這いおりた。

素直に従ったのは、面白いものって何だと聞いても絶対に教えてくれず、たとえ教えてくれたとしたって、それがオレにとって実際に興味を引くものか引かないものかは、オレを引き摺っていくこいつの意思に一切影響しないと知っているからだ。

逆らうだけ無駄。

こいつの「面白いものがある」は、そのまま「来い」という命令。

今日は続けて「見に来い」とも言っているから、二重の命令だな。駄目押しっていうのか、こういうの。


ひらひらと木々を飛び移る姉の後について、草の間を縫い、小川を跨いでいく。

見たとこ、どんどこ山を下っているようだが……。


「なあ、どこまで行くんだ。あんまり下りていったら――」


人間の里に出ちまうぞ。

そう言おうとしたオレは、前方に見覚えのある人影を認めて、思わず固まった。


「あいつ!?」


間違いねえ、あのガキだ。

何日か前に山をうろついてたのを戻してやったあのガキが、貧相な身形もそのまんまに、木の根元に蹲って何かゴソゴソやってやがる。よくよく辺りを見れば、ガキと別れた場所じゃねえか、ここ。まさか、また攫ったってんじゃないだろうな。

オレは上にいる姉を仰いだが、頭を低めにして紅い舌を出し入れしている、どう見ても純粋に興味をそそられてますって様子を見るに、そういう訳でもなさそうだった。となると、あいつはここに自分で来たって事になるが。


だとしたら、なんでまた。


「………………」


ガキが立ち去るのを待って、オレ達はそこに行ってみた。

そこで一体何を見付けたのかというと、だ。


「ほお」


身体を垂らして上から覗き込んできた姉が、どことなく弾んだ声音でそう呟いた。

オレはといえば、ただ呆然とするだけ。他に何ができるよ。


そこにあったのは、これ以上はないって程みすぼらしい、小さな小さな祠だった。ありあわせの板切れを、見よう見まねで繋いだんだろう。斜めになりすぎてたり隙間が開きまくってたり、釘が足りなかったのか所々を紐で縛ってあるような、ガラクタ一歩手前の祠は、木の根元に置かれた平べったい石の上に、それでも健気に立っていた。祠の前には、欠けた茶碗に水を満たしたものと、冴えない色をした固そうな団子が二つ。

……こりゃあ、粟を握ったのか?

供え物をする余裕のある暮らしぶりとは思えなかったが、自分の食う分をそっくり持ってきでもしたのかね。馬鹿なガキだ。だいたいこんなもん供えられたって、蛇に粟なんか食えるかよ。


「ほほ――あの童女、どうやらお主を山の神と思うたようじゃの。

救われた恩を忘れず、祀りを以て報いようとは、あの歳でなかなかに見上げた心がけよ」


とんでもない勘違いをされてるってのに、姉は気を悪くするでもなく、しかも本気で感心しているようだった。そりゃそうだろうな。こいつにとっちゃあ、予想を裏切る全ては歓迎すべき娯楽なんだからよ。


「馬鹿な奴だな。オレを崇めたって、なんの御利益もねえぞ」


尾の先で祠を小突こうとしたオレを、姉が止めた。


「そう雑に扱うものではないよ。どれ、この祠は私が見てやるとしよう」

「おい待て余計な事すんな。

こんなボロ、放っておきゃ次の大雨でぶっ壊れる。一回壊れりゃ、あのガキも下らんお祈りの真似事に飽きるだろ」

「それは益々良くない。折角、弟に仕えようという優れた神子の芽を、むざむざ摘み取るなどと――」

「誰が神子だって!? おいやめろ、本当にやめろ!! 何を企んでやがるんだ!?」

「遠慮はいらぬぞ。これも可愛い弟の為じゃ、一肌脱がねばの」

「遠慮じゃねぇし心からやめてくれって言ってんだよ!! 脱ぐなら皮だけにしとけエェ!!」


だが、さっそく祠の周りに簡単な結界を張り巡らせ始めている姉を止める術は、非力なオレには無かった。

だから、だから軽々しく山に入るんじゃないと!

野良仕事もいいが、お前んとこの大人はそういうのは教えてくれなかったのか。

とある貧しい村を麓に抱く山には、魔が潜む。

とびきり気紛れで、性悪で、その場の思い付きを命とする、白く美しい魔が。

最早オレがあのガキの為にしてやれる事は、二度と山を登ってくる気を起こさないよう、神にでも祈るくらいだった。


――ああ、姉が神だったか。


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