崩落 - 4
「……オレとあいつはな、同じ親の産み落とした、ひとまとまりの卵から生まれたんだ」
「ゆいねえさまと?」
「そうだ。ちっと孵るのが早ければ、今頃はオレがおにいさまか、あいつがいもうとさまだったな。
他の卵は駄目だった。おそらくだが、オレらが白蛇だったせいで、奴等の命を無意識に吸っちまったんだろう」
「残念だったね……もっともっと、きょうだいが沢山できてたかもしれないのに」
「ああ。悪い事をしたとは思わんが、残念だったとは思うよ」
オレは息を吐き出すのと共に、話を一旦止めた。
なんだって話しているのかも判らない話は、しかし疑問に反してすらすらと口をついて出てくる。
「今の落ちぶれっぷり見てると信じられないだろうがな、昔のあいつとオレはほぼ互角だったんだ。山に宿る霊性を、オレとあいつとで、ちょうどふたつに分けて背負ってた」
「はんぶんこ、だね」
「……なんだか懐かしいよなァ、それ。
そのまんま仲良く半分こといってりゃ平和だったんだがな、生憎オレらは、そうはいかなかった。普通じゃなく生まれた時点で、どうあっても、山の主の座は決めなきゃならない運命だったんだ。
……で、だ、オレは負けた。姉は山の神たる白蛇天狗になり、オレは持っていた力のほぼ全部を奪われて、そこらの蛇よりちょいとばかり口が達者なだけの白蛇になった」
オレは短く笑い声をたてる。
冗談のつもりだったのだが、ガキはくすりとも笑わなかった。
幾らか気まずくなりながら、続ける。
「オレは敗北者だ。
雌雄が決した所で、殺されてても不思議はなかった。今でも、何故殺されなかったのか判らない」
「殺したりしないよ。ゆいねえさま、へびさんのことが大好きだもの」
「あれは歪みすぎてて全く嬉しくねえ」
「あとねあとね、もちろん――」
「……お前も近頃歪みつつあるから、改めろ」
「んんー?」
「ま……そんな訳だよ」
何が、そんな訳、なのか。自分でも釈然としないままの、締まらない会話の締めだった。
いや、これは会話じゃあないな、オレが一方的に喋ってただけだから、語りか。しかも何を血迷ったのか、オレ自身の過去についての。
――そんな訳だよ。そんな風に生まれてそんな風に負けて、そんな風に生きてる。
それを話して、どうしようとしてたんだろうな、オレは。
自然に出てきちまった言葉に、理由を求めようとしても無駄だなんて事は、考えるまでもないんだが。
話し過ぎて、少し疲れた。
ぱちぱちと、薪の燃える音だけが暫し響く。
この静寂をどう切り抜けたものかと思案していると、やはり無言でガキの手が伸びてきた。片手で首の辺りを、もう片手で腹に差し掛かる辺りを撫でられる。なんだそれは。というか、撫でるな。
「へびさん」
「何だよ」
「ありがとね」
「何が」
「だいじなこと、おはなししてくれて」
「大事……でもないさ、別に。聞いて面白い話でもなかっただろ」
「おもしろいお話じゃないけれど、うれしいお話だったよ」
「オレが落ちぶれた事がか」
「それをね、話してくれたことが」
「けっ」
撫でられている部分にむず痒さを感じてきて、オレはそこから逃げるみたいに離れた。
話してくれた事が嬉しい、か。相変わらず人の言う事は良くわからない。が、こんな風に反応しちまうってのがもう、良くわからないと言いつつその実わかっちまってる証なんだろうな。やっぱり、こんな世迷言は口にするんじゃなかった。これだから人と関わるのは嫌だったんだ、こっ恥ずかしい。
オレが逃げた事で、話は自然と消滅する形になった。
でも、いい。この先、数年分はまとめて話した気分だ。
ぐう。
「……………………」
「……………………」
「えへへ」
ガキの腹が鳴る。何がえへへだ。台無しだ、いろいろと。
ま、食事を中断させるにしちゃあ、だいぶ気の利いてねえ話題だったな。
こちらに目で求めてから、ガキは再び箸を取る。オレの許可が必要な事だとも思えんが、一応頷いてやった。律儀に両手を合わせ直してから、椀に口を付けて、味の良く出た汁と一緒に中身を啜り始める。小気味良い音が聴こえる。つくづく人の手や指や唇ってのは、器用にできてるもんだな。
……ああ、どんどん食え。それがお前の、冬の間の仕事なんだから。
一気に啜り過ぎたのか、ガキがゲホゲホと咳をする。
いやしい食い方するからだ、阿呆。食欲旺盛なのは結構だが慌てんなよ、鍋が逃げる訳でもあるまいし。変な所に詰まったらしく、咳は続いている。いい教訓と考えとけ、そうすりゃ次から鼻の奥が痛くなる事もないさ。
「しっかし、お前のそれも長い――」
なんでその時、その言葉が出てきたのかは判らない。
忘れていた筈だ。考えてさえいなかった筈だ。
頭の片隅に、記憶の片隅にあった光景が、何気なく口を開いた拍子に、偶然、奇跡的に繋がってしまったのか。今の今まで一欠片も意識する事さえなかった記憶の断片が、次々と繋がり、そして弾ける。
ひとつの形が出来た。
忌まわしいまでに、歪な形が。
(……長い?)
……いや、ここ数日の事だよな?
やたらと寒いから、ぐっと冷え込んだから、それでちょっとした風邪にやられた。
まったく山の神子だってのに間の抜けた……。
魔の抜けた。
「おい、ガキ……」
「ん、やっぱり食べてみたい?
そだねえ……このへんが、へびさんには食べやすいかも」
「……そうじゃない。そうじゃない……そうじゃねえ、お前……その咳、いつから続いてる?」
「えっ?」
「えじゃねえ!! いつから咳をしてるのかって聞いてるんだ!!」
オレの剣幕に押されて、やや怯んだように、ガキが続く言葉を引っ込めた。考えている。が、なかなか答えは返ってこない。今のこいつは、思い付く限りの時間を遡っている。その反応だけで、オレの中で蘇った光景が間違いなんかじゃないと判った。
胸が苦しい。締め上げられたように気分が悪い。
「……咳は……ずっと長い、かなぁ?」
「ずっとか? ずっとなんだな?」
「秋ぐらいから、たまぁに出てたよ。少しだけ、むせる感じのが。
けっこう出るのは、ここ何日か。あったかくしてたのに、冷えちゃったのかな。
あ、だからね、実はこのお鍋の中にも、薬になる草が――」
ガキの声が、遠い場所で聞こえる。
違う。
実際には、更にその少し前からだ。つまりは、こいつが山に取り込まれて、幾許も経たないうちから。
一枚、また一枚。まるで記憶から切り抜いてきたみたいに、脳裏をその光景が駆け巡っていく。
こいつは確かに咳をしていた。あの時も、あの時も、あの時も、あの時も、あの時も。
子供だからと思っていた、妙に熱っぽい体。肉こそ付いてきたものの、そこから一向に育とうとしない体。
爆発したように絶望が広がる。穏やかな気分など、跡形もなく消し飛んでいた。
「あいつは何処にいるっ!!」
オレはガキを怒鳴りつけた。
毎日、こいつの傍にいた訳じゃない。いなかった時間の方が、遥かに長い。
初めはずっと避けたがっていた。声を聞いて、隠れた時さえあった。脳天気な顔を見るのがさほど苦にならなくなってからも、それを越えて、悪くないと思うようになってからも、傍を離れない事など一回もなかった。たまに顔を合わせる程度で、だからこそ、楽しくも待ち遠しくもあって。
そして、そうだったからこそ。
オレは、日々持続する異変を知る事ができなかった。
オレは鈍い。
体も鈍い、力も鈍い、心も鈍い、感覚も鈍い。何もかもが、鈍い。
妖怪としては下等な力しか持たなくなった身では、鋭敏に悟るなんて不可能だ。
何よりも、こいつは山神の神子。オレなどとは比べ物にならないほど強大な妖である、姉のものだった。その姉が付いているのだからという、前提があった。それがオレの、ただでさえ鈍いあらゆる感覚を、一層曇らせていた。
元から低い能力、前提が生む油断、そして他者と正面から向き合う事を避け続けてきた、絶対的な経験の不足。
「へびさん……?」
こいつの、こんなにも驚いた顔を見たのはいつ以来だったろう。
答えられる筈がない、知らないと言ったのだから。
返事を待たず、オレは身を翻した。
後ろからガキの戸惑ったような声が追いかけてくるが、止まりも振り返りもせず藪に飛び込む。
見落としていたってのか。
いや、そうじゃない。
そうじゃない。
そうじゃない。
そうじゃないんだ!
そうだったら、どんなに良かった事か!
あいつが気付かなかっただなんて、絶対にない。有り得ない。姉の実力は本物だ。それは、かつて慕い、そして戦い、破れたオレが誰よりも良く知っている。そこに居るだけで山の息吹を、山に生きる者の鼓動をあまねく感知できる奴に、見落としなどあるものか。
だとしたら、考えられるのはひとつ――
どこだ! どこにいるんだ!
風に等しい速さは、失って久しい。
オレはただ、今のオレに可能な限りの全力で、声を枯らして姉の名を叫びながら、我武者羅に山を駆けた。




