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雪中花  作者: 田鰻
16/25

崩落 - 3

迎えた朝。

石の下の窪みから這い出してみると、辺りの草という草はびっしりと霜で覆われていた。縁だけ白く彩られたやつは、元からそういう種類だったみたいだ。物によってはそれこそ、白い草になっちまったのかと見紛うくらいに。白の下に、丁度うっすら芯のように、褐色になった葉が透けて見える。

凍り付いてるんじゃねえのか、これ。こんなになっても、霜が溶ければ元通りになるんだから、草ってのは弱いようで強いもんだよ。

オレは姿勢を低くして、思い切り息を吸った。

蛇特有の長い体を通り抜けていく大気までもが凍てついているようだ。一気に目が覚めた。まともな蛇なら、この段階で動けやしないだろう。夏場となれば、時に人のそれより高くなる体の熱も、今はほとんど氷と変わらない。オレにとっては問題ないが、しかし寒さまで全く感じないって訳じゃないから、近々、この穴をもう少し深く掘ろうかと思っている。寝心地も幾らかマシになるだろう。あまり後回しにしていると土の深くまでもが凍ってしまい、掘るのに苦労する。


寝床に被さる石の上に登る。暖かい時期には腹からじんわりとオレを温めてくれた石もまた、氷の冷たさだ。鱗が剥がれていきそうな冷えに、じっと耐えて待つ。陽が昇ってくれば少しずつでも山は暖まってくるもので、辛抱強く待って、やっと動き回る気が起きるくらいにはなった。

呼吸を控え目にしつつ、オレは石から這い降りる。

今日も、ガキの顔を見に行く予定だった。

二日間続けてというのは、あいつが山に来てからも滅多に無い事だったが、姉が暫くいないという一言が気になっていた。これが初めてじゃないようだし――それ自体どうかと思うぞ、オレは――奴お馴染みの気まぐれだろうが、発動するにも時期ってもんを選べよ。何を言っても無駄と知りつつ、そう愚痴らずにはいられない。


そして、訪ねた住居は住居で、洞穴の前で盛大に白い煙があがっていた。

どうしてこう、理解し難いというかしたくもない事態が次から次へと起こるんだ、ここは。

何事だとオレが慌てて到着してみればだな。


「………………」


やぐらのように組まれた太い枝から、底の丸い器がぶら下げられ、赤々と燃える焚火にくべられている。中ではぐらぐらと湯が煮え立っており、煙の正体もこれだった。つまりは、湯気だ。ガキは鍋の前に真剣な表情で陣取っており、枝を削って作った箸で、時折中身を混ぜたり移動させたりしている。

オレの姿に気が付いたガキが、作業の手を止めて、空いていた方の手を振ってきた。到着していきなり疲労した気分を押して、オレも鍋へ、もといガキへ近付く。


「おー、へびさんが現れました」

「何やってる。

いや、言わなくても分かる。どこから持ってきた、その鍋」

「前にね、粘る土を見つけたから、ゆいねえさまに教わって、適当にこねて焼いてみたの。最初は厚くなりすぎたり、焼くとひび割れちゃったりで大変だったけど、上に、木から出てきた汁を塗るようにしてから、うまく固まるようになってくれたよ」

「陶芸家でも目指す気か、お前は」

「とうげいかってなに?」

「なんでもない。知ってもたいして面白い事じゃないさ」

「それじゃあ、これ食べ終わったら教えてね」

「話聞けよ……」


手製だという鍋の中では、なるほど湯に混ざって具らしき物がくるくると踊っている。彩りは地味だが、味はきっと良いのだろう。実際ガキは鼻をひくつかせ、待ち切れないという顔をしている。料理を楽しむってのは人間の特権だなと、そんな顔を見ていてオレは思った。

と、どうもオレの視線の意味を誤解したようで、ガキが箸でひとつひとつ具を指しながら説明を始めた。


「今日は、きのこと干し魚を煮てみました。塩をすこし入れてあります」

「塩だと? 村から盗んででもきたのか?」

「ううん、山で取れたよ」


あっち、と、ガキが全く参考にならない教え方をしてくれる。

だがオレにも心当たりがなくもない。普段から意識する事がないため、こうして言われるまで忘れていたが、たまに山の獣が集まって、土を舐めている場所があった筈だ。塩だったのか。探せば何でもあるんだな、この山。


「干しきのこはね、お水にひたしておくと柔らかくなるよ。

で、で、その水を煮る水にちょっと混ぜておくと、香りもよくなって味もおいしくなるの」

「知らねえよ、そうなのか?」

「そうなのです。

へびさんも食べよ、食べよ。お魚もあるよ」

「だからな、どうしてお前は蛇のオレに手を加えた物を食わせようとするんだ。

せめて煮てないのにしてくれよ、これじゃ飲み込めないだろ」

「がんばって、かんでみたらどうかな?」

「……お前に野鼠や蝦蟇を丸呑みしろって求めるのと同じ事だぞ、それ」

「それはきびしいね、焼いたネズミやカエルならなんとか」


自分に置き換えて、ようやくガキは納得してくれたようだった。

食物に関する齟齬は実に埋めるのが難しい、なんてな。

ま、そこんところは共感し合えなくても構わない。理解さえしておいてくれれば。


煮えたのか、ガキは鍋の中身を椀に移して、ふうふう吹きながらすすり始めた。

相変わらず美味そうに食う。食欲があるのは結構な話だ。その割にあんまり育ってもいないのが、食い気の甲斐なしだが、まぁまだ半年程しか過ぎちゃいねえんだしな。

椀から上がる湯気に当てられて、白かった頬に赤みが戻り始める。魚の肉が薄い皮ごとほろりと崩れ、茸の切れ端がするすると口に吸い込まれていく。そうだ、どんどん食えどんどん。お前はまだガキなんだから。焚火の熱で外側から、食い物の熱で内側から温まれば、この厳しい気候なんざ屁でもなくなる。


「オレが人だったら良かったな」


ぼそっと、そんな言葉が出た。

小声だったが、耳聡く聞きつけたガキが、食うのを止めてオレを見る。

予想外にも、なんでもない、という打ち消しをオレはしなかった。


「どうして、そんなこと言うの?」

「そうすりゃ、お前の作ったメシを食ってやる事もできただろ」


考えているのか、ガキは少しばかり沈黙してから、口を開いた。


「…………ううーん……とねぇ……。

へびさんは、へびさんのまんまがいいと思うよ。ごはん、食べられないのは残念でも」

「なんで。お前だって蛇よりかは、人が傍にいた方がいいんじゃねえのか。

こんなだだっ広い山ん中で、人間が自分だけってのはつまらねぇだろうよ」

「つまらなくないよ、へびさんがいるし、ゆいねえさまもいる。山だって、まいにち変わってく。つまらないなんて感じるほど、ひまな日々はおくっていないのです!」

「いや、だからな、そうやって過ごす時に、誰かしら人間がいた方が……」

「ううん、へびさんがいい」

「………………」

「あとね、寂しくも、ないよ」

「……そうかい」

「つまらないより、そっちが言いたかったんでしょ?」

「やかましい」


オレは毒づいた。声音は、思ったより苦々しくない。

これじゃあ迫力ってのに欠けるな。


「へびさんは、この御山をつまらないって思う?」

「ああ、つまらなくて、居心地が悪くて堪らなかったな。

そもそもオレの居場所じゃないんだから、居心地が悪くて当たり前だ。

何をするのも億劫で、早いとこ誰かこの命を終わらせてくれって思ってた」

「今は、どう? まだ、つまらない?」

「……どうだろうな」

「どうだろうね?」

「……そうでも、ないかもな」

「そうなんだあ!」


透き通るぐらいに、明るい声だった。


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