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雪中花  作者: 田鰻
13/25

恵みのような日々 - 2

なんだろうな。

当たり前っちゃ当たり前なのに、ひどくおかしな光景を見ている気がした。


「今日は釣りなのか?」

「うん。罠ばかりだと腕が鈍る」

「何の腕だよ」


発言内容にいちいち律儀に付き合っていると疲れるという点では、こいつは姉と共通している所がある。しかしどうやら、こいつもそこまで真面目に収穫する気がないのかもしれないと、釣り糸を垂らすガキを見て思った。なら、そんな過ごし方もいいさ。どうせお互い、絶対やらなくちゃならない要件なんざひとつも無いんだ、だったら手法や過程が無様であり非効率だったとしても、拒否する決定的な理由にはならない。

オレにとっては所詮、暇つぶし。これに尽きる。

竿は即興。拾った、程々にしなりそうな枝に、撚り合わせた山蚕の糸を結んだものだ。あ、これは持参品な。針は、これまた拾った甲虫の殻を磨いたもの。暇なら暇で他にやる事もありそうに思うんだが、聞いてみると、罠の件を含めて、こんな感じの細工物を作るのは得意で、性に合っているらしい。妙な奴だよ、つくづくな。

ガキはそこらの土を適当に掘って、のたうち回りながら慌てて出てきたミミズを摘み、針に刺して放り込んだ。と、そこまではなかなかの手捌きだったんだが、生憎と垂らされた釣り糸は、ぴくりとも動きゃしない。ひらひら落ちた葉が水面に何度目かの波紋を立てた頃、ガキは首を傾げた。おせえよ。


「釣れねぇな」

「場所は合ってると思うのに」

「竿がいい加減だからじゃねえのか。もしくは糸か、さもなきゃ針か」

「みみずの他、全部この手で作ったものですけど!」

「だからそう言ってる」

「むう、だったらへびさんやってみてよ」


ガキはすっかり膨れっ面で、その釣竿とも呼べない不恰好な代物を突き出してくる。どうしろってんだよ、そんなもんを握れる手はオレには無いぞ。大体だな、道具が悪いって指摘してんのに、その道具を渡してどうする。それじゃやり方の問題になるだろうが。

竿は無視して、オレは丸まっていた体をするりと解き、水面に乗り出すように頭を近付けた。普段なら水は澄んでいる筈だが、陽の作る影の具合でか、部分部分でやけに水の色を濃く感じる。加えて数日前に雨でも降ったらしく、底の方で泥が少々掻き回された形跡があった。魚影は見て取れない。

そこまで確かめて、オレは頭を引っ込めた。すかさずガキが聞いてくる。


「どう?」

「こりゃ水も悪いんだよ、駄目だな」

「うう、いけるかと思ったのに」

「罠と釣りとじゃ、また具合も違ってくるんだろ、知らねえけど。

お前、釣りの方はあんま扱ってないよな?」

「そうだね、でも作るのは好きだよ」

「毎度毎度、変な方向に努力磨いてんなぁ……」


オレは、地面に置かれた釣竿をちらりと見た。


「……しっかしまァ、よくこんなもんで魚を獲ろうなんて考えたよな、人間ってのはよ。水に糸と針を落として魚を引っ掛けるんだぜ、どうやったら思い付く?」


オレは頭と入れ替えるように尻尾の先を伸ばして、水面をちょいちょいと突付く。秋となり温みの失せた水に、尾先が浸るのを数度感じたと思った時。


ばく。


一気に掛かる重みと、噛み付かれる衝撃。

尾がぐんと真下に引かれる。


「うおわあっ!?」

「ひゃあっ!?」


オレはもう、何を考えるでもなく反射的に尻尾を引き上げた。オレの声に釣られてガキまで叫ぶ。さすがに逆らえるだけの力は、そいつにも無かった。ばしゃあ、と水面が跳ね、尾先に食いついた鯉の成魚が、水面の遥か上まで躍り出る。図らずも一本釣りされた鯉は、慌ててオレの尾から口を離し、空中で数度ぶるっと左右に身を揺すると、また盛大に水飛沫をあげて、水中に帰っていった。


オレは――ひたすら唖然としていた。理解が追いつかない。

口が、暑さにあえぐ雛鳥みたいに半開きになっている。人間で言う、腰が抜けたってのがあるならこれだろう。

水面に、落ち葉や釣り糸とは比較にならない巨大な波が立ち、それも徐々に静まっていく。

やがて無音。ちちちちち、と、頭上で雀の鳴き交わす声。


「……………………」

「……………………」

「――あ」

「……………………」

「あっははははは!」


弾けるように、ガキが笑った。

その声を聞いて、オレもやっと気持ちが落ち着いてきた。同時に、じわじわと怒りが込み上げてくる。こん畜生と何度も吐き捨てて、尾をぶるぶると上下に何度も震わせた。鱗に歯型とか付いてねえだろうな、畜生。先端には、まだ噛み付かれた時の感覚が残っている。鯉までオレをコケにしやがって、くそったれが。ガキに至っては、笑い過ぎてげっほげほと咳き込んでいる始末だ。いい加減黙れこの野郎、むしるぞ。

尾でばしりと足を叩いてやると、ガキはようやく笑うのをやめた。まだ愉快そうに目尻の涙を拭っちゃいやがるが。しかも腹を抱える程の大笑いの反動はまだ残っているのか、仰向けに地面にばったりと倒れ込む。はあ、と、しつっこく笑いの名残が残る顔で、ガキは空を見上げて大きく息を吐いた。

くっそ。

オレも鯉が逃げていった辺りをもう一度だけ忌々しく睨みつけて、どうにか気分に折り合いをつけた。熊にでも食われっちまえばいいんだ、あの下品な大食らいの髭魚め。


「あーあ、さっぱりだったね」

「まったくだよ」


寝転がったままガキが、内容にそぐわない晴れ晴れした口調で言う。

オレも同感だった。こりゃ、今日はもう釣りは駄目だろう。

道具だとか、腕前だとか、諦めず再挑戦だとかじゃなく、既にそういう雰囲気じゃなくなっている。うまく言えんが、真剣に狩りをする時特有の雰囲気だ。あれが消えると、もう頑張っても目ぼしい結果は望めない。仮にも狩る側の者として、オレでも知ってる事だ。

いっそ餌も、いや針も外しちまってもいいかもしれないな。

釣れる筈のない釣竿を構えて、たまに風に揺れる糸と、その度に起こる小波を眺めて。

迂闊にも想像してみて、オレは笑っちまった。本当に、そんなのも悪くなかったからだ。


「茸に胡桃、葡萄に芋……あっちからこっちを差し引いて、とんとん、かな?」

「トントンでもないだろ。抱えて運ぶほど穫れたんだから、釣れなかった分を引いても結構な大勝ちさ」

「いやいや」

「あ?」

「へびさんが水中に引き摺り込まれかけた分も引いてるので、とんとんです。壮大な生き餌でした」

「要らんもんまで計算に含めるな!

あと引き摺り込まれてねえ! かけてもいねえ! 最後は水ん中から引っこ抜いてみせただろうが!」

「うん。あのまま陸に上げてれば勝ちだったのにね。つめがあまいです」

「てーめーえーはー」

「いたたたただだ締まる締まる。ごめんなさい締めないで、なんだかそれには重く悲しい傷の記憶が」

「自分でそーやって引き合いに出せるのは傷とは言わねえよ! てか治って良かったな!」

「ありがとうございます! そろそろ手足とお腹がもげそうなので巻き付くのよしてください!」


ガキが甲高い悲鳴をあげ始める。まあ勿論本気じゃない、お互いにな。オレが本気で締めたら全身の骨が砕けるから。

山の奥深くに似つかわしくないにも程がある、大変な騒ぎだった。最初から見えもしない魚影は元より、これじゃあ周囲の生き物って生き物は悉く逃げ去った後だろう。山の連中は敏感だ。鈍感な生き物である事、即ち言語を解し、判断ができる事、妖である事、その瑞々しさを強く噛み締める。

当たり前だが、ガキは今もこうして生きている。

鈍感だからこそ苦境に挫ける事もなく、言語を解するからこそ姉に惑わされ、オレに導かれ、そして人であったからこそ、最後にはこちらへと来る事を選んだ。これまでの苦しみと共に、幾らかの苦しみでないものも捨てながら、それでもオレの差し出した見えない手を掴み、生きる事を選んだ。それが目先の死から逃れようとする本能に過ぎなかったとしても、こちら側に在る事を望んだ。

だったら、そこに意味はあったとオレは思いたい。

ここは牢獄だと嘲るよりは、共に何かを育み、それを眺めて笑えばいい。

牢の中にだって、花ぐらいは咲かせられる。この牢は広く、土もあれば水もあり、輝く陽の光さえ差し込むのだから。


そろそろ帰ろうとガキが言う。

ああ、とオレが答える。

成果は、編んだ籠からはみ出る程の山の幸。それと手作りの粗末な釣竿一本。魚は無し。悪くないねとガキが言う。悪くないなと、また山葡萄の蔓を首に引っ掛けたオレも言う。

そうだな、本当に――悪くない。

軽く裾の土を払ってガキは歩き出し、この時こうして穏やかな時間に浸っていた己をオレは生涯責め続ける事になる。


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