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3.朝のあいさつにて

私の部屋は3層目にある。

この階層の中央には用途不明の小部屋があり、そこを取り巻く廊下には上下へ向かう階段と各方位に向けて5本、外側に向けて延びる廊下――とは言っても通路程度の短さだが――があった。その廊下には妃に近しい側仕えの者たちの部屋が用意されている。

そしてその小部屋の前を通り過ぎた突き当たりには比較的大きな部屋に繋がっていた。そこには捻りなく対応する方位の名がそのまま付けられていて、楼主の妻たちが住むための場所として誂えられたものだった。


そして部屋の中は衝立でざっくりと仕切ってあった。側仕えの控える場などが必要だったためだ。

さすがに水周りは共有だが、それさえあれば小さな屋敷のように思えなくもない。

こじんまりした空間は、まだこの場に馴れぬ身でも安心できるもので、居心地はいいように思う。




一夜明け、朝餉を済ませて寛いでいた時に女官が朝のあいさつにやってきた。体調と疲れの確認をした後もすぐに退室する気はない様子で、口を開くと話し始めた。


「殿下は初婚であらせられるので、現在こちらに住まわれているのは翠雨様おひとりでいらっしゃいます」


私は、自国の王太子の婚姻状況くらいは知っている。という顔で相槌を打ちながら聞いていたが、残念ながらそれは嫁ぐ前に詰め込んできた知識の内のひとつだった。

政治は男のものであり、女はそれを語るものではない。王太子妃とならなければ、きっと知らないままだっただろう事柄だ。

もしかすると私が他貴族に嫁いだ場合のことを考えて、下手に憧れを持たせまいとする父の方針から伏せていたということもあるかもしれないが。

そして殿下は初婚というだけでなく、愛人をお作りになられたこともない。宰相である父から、そう聞いている。だから、今ここで『王太子妃』として暮らしているのは私だけだ。

仮に愛人がいたとしても、非公式なその立場で部屋を与えられるはずはなかった。


私は不動の星の有る方位、星天ヶ位の間を与えられている。

王の居城という場所柄も相まって、女の身で恐れ多い名の部屋を貰ったものだとも思う。王太子の住まいはこの上の一層であったから、あまり気にすることではないのかもしれないけれど。

だからこれは、妻たちの立ち位置を示すようなものなのだろう。

いずれも尊い方位の名を冠してはいるが、実質正妃の立場になるものにはこの星天ヶ位の間が与えられるという。父親が宰相という位に就いているのだから、順当ではあった。

他の楼でもおなじ名がつけられているのだろうか。数は同じなのだろうか。

気にはなったが、聞いてまで知りたいわけじゃない。うっかりとそんなことを口にして、無知だと、楼毎の妃の名と部屋の名も覚えるようにと言われたらたまったものではない。


「しかしながら、夏を終える頃に新しい方が日昇ヶ位の間に入られることになっております」


女官の言葉が終わるか終らないかという辺りで、私の背後から息を飲むような音が聞こえてきた。涼香だ。

この場ですぐに聞き咎めることはできないものだから、あとで忘れずに言っておかなくては。そう、頭の帳面に記しておく。


夏を終えれば妃がふたりとなる。

隣同士にならないように、との配慮か星天ヶ位の間と日昇ヶ位の間にはひとつ部屋――煌帯ヶ位の間――を挟んでいた。

一度通路を通って層の中央まで行き、そしてまた通路にという道筋から、隣の煌帯ヶ位の間ですらあまり隣のようには思えない。だけど、と私は女官の顔を見る振りをして、衝立の向こうの壁に視線を向けた。この壁の向こうが、となると思ったより近いのかもしれない。

それよりも、私には気になることがあった。


「夏の終わりといってもまだ暑いもの。

具体的にその日がいつなのかはわかりませんけれど、そんな中その方は歩くのですか?」

「山風の吹き始めの頃に執り行う予定でございます。

さすがに日除けの傘を掲げて、というわけにはまいりませんので、代わりに薄布を纏っていただくことになりますが」

「………そうですか」


それでも大変でしょうに。

そうは思っても、食い下がることはしなかった。決定事項に文句だけを付けるということは、はしたないことだから。それも国のお偉方が決められたことに対して異を唱えるなんてしてはならないことだろう。

言葉には出さずとも、私が納得しかねていることに気付いてか、女官は目元を和らげて付け足した。


「朝の涼しい内にここまでいらっしゃるよう調整いたします。ですので、ご心配されているような、辛い中を歩いていただくということにはなりません。ご安心くださいませ」



***



「お気を落とされませぬよう」


退室した女官の気配が遠くなると、眉間を寄せた涼香が寄ってきて、慰めるように声を掛けてきた。

嫁いできた次の日に、まだ王太子との面会もしていないのに、そんなことを言うなんて――。

彼女の言いたいことは何となくその辺りだろうなと分かってはいたが、さて何と言って返そうか。言葉を選んでいたものだから、私は首を傾けることで応じる格好となってしまった。

そんな私の様子には頓着せず、いつもよりも性急な様子の涼香はなおも言い募る。


「そうご不安に思うことなどありません。宰相閣下のご息女たる翠雨様より素晴らしい方などおりませんわ」


家柄の上ではそうかもしれない。間違ってはいないが、慰めの言葉としては間違った言葉選びだな、と思った。

そんな他人事のような思考になってしまったのは、父親相手の会話以外ではめずらしいことに置いてきぼりになっているせいか、それとも涼香が興奮しているせいで戸惑っているからなのか。

どう口を挟んでいいのかがよくわからない。


そう間を置かずに新しい妃がやってくる。王族が複数人の妃を娶ることは当たり前のことだった。早いも遅いもないだろう。

それにどんな娘なのだろうとは、とくべつ気にならない。

具体的に誰なのかはまだ非公開と女官は言っていたし、知ったところで屋敷の奥深くで生活してきた私は、世情に疎い。屋敷の外に知人もいなかったため、こっそりと教えられたところで、あぁあのひとか、なんて思い当たるほどの交友関係は築いていなかった。


それよりも昨日ここまで輿入れを行ったばかりの私には、新しく輿入れしてくるというひとの、その行程の方に気が向いてしまう。

私のように春の穏やかな気候ならば何の問題にもならなかった道も、夏ならば変わってしまうだろう。どうしても、辛いようにしか思えないのだ。


何より、まだ殿下にも会っていない。自分の夫が、妻を娶る。

もしかしたら自分が王太子妃へとなったという実感がないからこそ、そこには興味が持てないのかもしれない。

情けが薄いのは現実感のなさだと、そんな風に理由を押し付けた。


それにしても、当時いくら顔の見えない位置にいたからといって、以前からの使用人よりも女官の方が私の心情を分かっているなどおかしな話だ。

今回の輿入れにあたり、王城内へ連れて行く使用人を選定する際のこと。本来、涼香はその候補の内に含まれていなかった。

彼女は若く、平凡な娘だ。その歳に見合う程度に経験が足らず、ゆえに作法や能力には未熟な面があった。その辺りに目を瞑り、彼女の立候補を受け入れたのは、比較的親しいと思っていたからこそというのに……。女官の前での振る舞いといい、人選を誤ったのかもしれない。


「大丈夫ですわ。ご安心してお任せくださいませ。

翠雨様を悲しませるような者は、この涼香が――」

「涼香」


勢い込んではどんどん大きくなる声にたじろぎながらも、内容的にもこれ以上は危ないと遮った。


「折角ですもの、新しい方とも仲良くしたいわ。だからどうにかしようなどと考えないでいいの。

それに私は悲しいなんて、そんな気持ちにはなっていないのですから」


そう、無難に返しておいた。自身を偽ったわけではない、事実である。

主たる翠雨のためを思って、彼女は空回っているだけなのかもしれない。

けれど、それは翠雨自身を慮っての発言ではない。

だから納得しかねるような涼香の顔を見ても、私にはこれ以上に付け足す言葉をもっていなかった。


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