~涼香・二~
薬師の部屋に招き入れられ、作業場まで進むとその場には先約がいたようだ。
こちらへ視線を向ける殿下の姿に一瞬怯むが、それでも礼は自然と取れた。
習慣付いた動作によって、私は上手く動揺を隠せたように思う。
「早速とは、勤勉なことだ」
「はっ」
「涼香殿には折角来てもらったところ悪いが、あいにくとまだ終わっておらんものでね。少しばかり待ってもらいたいのさ。構わんね?」
薬師が今量っているのは、どうやら翠雨様の薬湯の材料であるかは定かでない。殿下が待っていらっしゃるものの可能性もあった。いや、それならば人を遣ればいいだけのはず。
もしかすると薬師自身へ用があったのやもしれぬ。
そう考えれば入室は許されたが、間合いが悪かったかもしれない。
「ならば待つ間にわたしと少し話そう。応接卓を借りるが、よいな?」
「どうぞご利用くだされ。が、茶などは出ませぬのでご勘弁を」
「薬草茶か……あぁ、構ってくれるな」
「殿下は幼い頃よりお苦手でらっしゃいましたなぁ」
薬師の忍び笑い声を背に、私は殿下の後を付いて少し引き返す。
作業場と衝立で遮られただけの応接間は小ぢんまりとした広さで、恐らくはここでの会話は薬師に筒抜けだろうことが伺えた。
椅子に座られた殿下に促されるまま横に立つ。私が充分に近付いたのを確認すると、殿下は抑えた声で話を始められた。
「近い内に話そうと考えていたところなのだ。ちょうどよかった」
頼みがあるのだと、その言葉に息を飲んだ。何を言われるのだろう……。
言い回しがどうであってもそれは命令で、私に拒否権はない。
若干前のめりになった上半身を支えるため、足に力を込めた。
「翠雨を――あれと他の妃との交流を断たせたい。血が流れず、楼の中だけで収められるならば方法は何でも良い。少しの騒ぎならばわたしが抑えさせる」
驚きに思わず何か声に出してしまいそうだったが堪える。
頭の中で反芻しなければ、理解が追い付かないほどだった。
つまり殿下は翠雨様を楼内で孤立させよと、そう言っているのだ。
「涼香には鈴杏を任せるつもりだ。
朱璃は陛下の楼に居るのだし、無理だろうな。おまえは銀砂とはあまり相性が良くないと聞いている。よって避けた方がいいように思うのだ」
翠雨様の名のもとに、あの従国の娘を遣り込めたならば胸がすくだろうに。
とは言うものの、あの妃は頻繁に星天ヶ位に訪問していた。
それを割くのは難易度が高く、糸口も見当たらない。冷静になればありがたい分担であった。
「そういうわけで、だ。些細なことで良い、仲違いに最適な手札などは持っていないだろうか?」
「手札、でございますか。日昇ヶ位の方でしたら――えぇ、頂いた贈り物などがございますから、そちらを利用いたしましたら、何とかなるのではないかと存じますわ。
他の方に関しましては難しゅうございます。思い出しましたらまた、ご連絡させていただきますのでご容赦を」
「そうか、頼んだぞ。……それと、悪いがあまり目立つ動きをしてもらっても困る。成す前には必ずわたしに報告するのだ」
「はい、必ずや」
だが手間をかけてまで翠雨様を陥れるような真似をする理由は分からないままだ。
心変わりがあったのかもしれない。そうでなくとも翠雨様に愛想を尽かしただけということもありうる。けれど、
「万一にもあれ宛の手紙があったなら現物を持ってくるように。そしてそれはあれ自身がしたためたものであっても同様だ。――いや、形にならずとも報告はするのだ。書こうとしただけであっても、な」
その内容を聞く限りにおいては、まるで翠雨様を外界から遮断したいようで。そう、独占欲であるかのようにも聞こえるのだ。
悪く言うならただの隔離で、あの悋気が目障りとなったがゆえのものか――にしては手紙まで制限するという度を越したものであるため、可能性は低いように思える。
動機についてはついぞ触れられることはなかった。
「差し出がましく申し訳ございませんが……」
「よい。なんだ?」
「その、翠雨様を……お見捨てにはなさいませんよね?」
口籠る私に、殿下は吐息だけで笑う。それは甘く優しい響きが込められていた。
あの寒天菓子のように、僅か澱むのは執着だろうか。
「安心せよ。見捨てはせぬ、ずっと一緒だ。特別で、だから手放しはしない。
わたしたちは翠雨の味方であり、家族なのだから」
話が終わったところで、待っていたかのように薬師が奥から顔を出した。
事実待っていたのだろう、手渡された包みは丁寧な包装が施されていた。
「今夜はお妃さまのところへ訪いなさるのでしたな?」
「ぁあ、そうだ。だから今日はあの寒天は渡さないよう頼む」
「代わりの、何の効能もないものを入れておきましたゆえ。
さ、涼香殿。待たせたね、これを持っておいき」
殿下の訪いのある今日、口直しにと渡されたのは混ぜ物のない飴だった。
それは殿下が翠雨様を遠ざけていないという証左のように思える。
私が慎重なばかりに警戒してしまったが、これも殿下の悋気が行き着いた先なのかもしれない。
殿下はあまり表立って動くことができないそうだ。それは公平性と平穏を掲げているためで、だから翠雨様の側にいる私を駒にしたいのだろう。
これから忙しくなりそうだ。陰鬱とした気持ちと嬉々とした気持ちを半々に抱く。
楼へ向かうため一度外へと出る。いつの間にか、陽はてっぺんをいくらか過ぎていた。
なお、私が今朝の報告をあの場で踏み留まったのは正解だったようだ。
用を終え、楼に戻った時に真実を聞かされたからだ。曰く、あれは翠雨様が着替えの途中に寝てしまっただけなのだ、と。
危なかった。あれで騒いでいたら、似たもの主従と思われるに違いない。
***
殿下からの指示に困難はなく、今のところ上手くやれている。
日昇ヶ位の方へは枯らせた鉢植えをお返しした。上手く育てることができなかった旨と、私が翠雨様の名で書いた手紙も添える。
帰り際。以前翠雨様に一旦預けられた聞き取り報告書――贈り物の菓子について悪し様に書かれたものも日昇ヶ位の間近くの通路に落としておいた。
あの妃ならば、これで関わってくることはないはずだ。翠雨様の後ろ盾に挑む気概はない。
あとに出るだろう衝突や不具合は女官に任せてしまえばいい。彼女が殿下のお心を知らないとは思えない。調整は彼女の仕事だ。
そうして狙い通り、殿下と最低限の使用人との接触のみに抑えることができている。手紙すらもほとんどないに等しい。
ただ近頃、翠雨様の体調が芳しくなく臥せっていることが常で、それだけが気掛かりであった。
目に見えて弱ってきているのに、薬師の見立てでは何の問題もないという。
病でない証拠とでも言うように、渡される薬湯の見た目は大して変わっていない。それはつまり、表出している症状には何ら効き目がないと言っているに等しいのだけれど。
内心似たような心持ちでありながらも、不安がる同僚たちには翠雨様のお心に負担がいかないよう提案する。そんな私は一体どんな心積もりでここにいるのだろう。
変わらず二日に一度与えている寒天菓子を見る度に、心は澱んだ気持ちになるけれど、強くは聞けずにいた。
なぜなら、もう他に道はない。私には止めるという選択肢はないのだから。




