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3.不穏の影

昨夜は夢も見ないほどに、深い眠りだったように思う。寝過ぎたためか、頭はあまりはっきりとしない。

ぼう、と掛布の中でしばらく過ごし、完全な覚醒を待った。頭の靄が晴れるまでいつも以上の時間を要しながらも、何とか身を起こす。


今日の天気は良くないらしい。起き辛かったのは、陽の光が不足していたことも一因のようだった。

寝台から降りるまで気付かないとは……。さすがに寝台にばかりいすぎて呆けてしまったのかもしれない。これは何とかしなくては。

水差しの水を垂らした布で顔を拭ったあと、ぐっと身体を伸ばした。

まだ若干ではあるが怠い気がする。口にすれば、また今日も寝ているよう言われるだろう。さすがにそれは勘弁願いたい。

少し気怠い素振りでも着替えてしまえば、それだけの気力があるならと側仕えも寝ているよう強制しないだろう。倦怠感の理由は、単に周期的なものなのだから。

手伝ってもらうことも少なくないが、着替えはひとりでもできる。

そのほとんどが普段着から寝間着への替えであって、逆ともなれば少し手こずるだろうことが予想される。けれど後から助力という名の手直しをしてもらえば、何の問題もない。


「……あ、」


脱いだところで、着替える着物が側になかった。

肩に引っ掛けただけの寝間着で掛布の上に身を沈める。持ってきてもらうべきか、衣装の仕舞われているところまで移動すべきか――このまま立ち歩くと冷えるかもしれない。けれど側仕えを呼ぶのだったら

確実な小言と、不確実な寝台生活の続行に頭を悩ませていたら、どうもそのまま寝てしまったようだ。

私を起こそうとやって来た側仕えの、身体を壊すと嘆く声に起こされたのだった。


直後に用もなく顔を出した涼香の、一度見開いたあとに細くなった目が何か言いたげで不快だった。

半裸の主が寝台の上で転がっていればそのような顔もしたくなるのかもしれない。けれど不愉快なものは不愉快なのだ。何か言ってやろうかと考える。これは八つ当たりではない。

けれど私の様子に何やら察知したのかもしれない。すぐに涼香は退室していったのだった。

そして失態を犯した私は寝台に戻されてしまうのだった。そのあとで繰り出したすべての反論は大事を取って、の一言でいなされてしまうのだからどうしようもない。

収穫とも言えぬ収穫といえば、やはりと言うべきか、女官の手で私への面会謝絶が敷かれているということが分かったことだ。


涼香はその日、夕方まで顔を出すことはなかった。



***



寝台の住人から脱しても、周期的な物を終えても、寝る前の薬湯は変わらず続いていた。

苦いから嫌だったが、涼香は頑として譲らない。聞けば、鴇耶様の指示だという。

そう、優しい鴇耶様は私の身体を気遣ってくれている。


それとは別で、気付いたことがあった。

薬湯と共に出される口直しについてだ。

大抵はあの寒天菓子であったが、時たま――三日に一度だけは水飴を練って固めたような飴なのだった。

それは今夜のような日、決まって鴇耶様の訪う日だけに渡される。それを口の中でころころ転がして鴇耶様を待つのがもうお決まりとなっていた。

寒天に比べて苦みがすっかり消えるから毎日飴がよかったのだが、却下されている。深い理由もないに違いないことが分かるから、理不尽なことこの上ないと思っている。



子ができたかもしれないという騒動以降、身体の調子があまりよくない私を慮って、肌を合わせるときの鴇耶様は控えめになった。

彼が抑えているということが分かるだけに、少し物足りなく感じることもある。それでも私は満足していた。

今も幸せな疲労感を纏って、飴のようにとろとろと甘い眠りに意識を沈めていく途中なのだった。

まもなく意識を手放そうかという頃、隣の鴇耶様が身を起こす気配がした。


「とお、やさま……?」

「起こしてしまったようだな、すまない」

「まだ、夜です」


空が白むのは、もっとずっと先のことだ。

甘えるように腰の辺りに抱き着いた。


「あっ、あぁ。それは、まあ……廁に行こうと思ってな」

「そうだったのですね、ごめんなさい」

「いや、問題ない」


妨げのように緩く巻き付けた腕を解き、元いた位置へと収まり直した。

すっかり先程の体勢に戻った私の頭を、鴇耶様の掌が滑る。撫でられる心地よさに目を伏せた。


「侘びだ」


そう囁いて手ずから私の口に放り込んだのは、あの寒天菓子だった。

眠かったせいか、甘いだけの菓子の味にどこか苦みを感じた気がした。

あれは一体どこから取り出したのだろう。いやそれよりも、この口直しの菓子も鴇耶様からの贈り物だったとは。

教えてくれない涼香の、なんと意地の悪いことか。これからは飴の方がいいなどとは言わないようにしようと強く思った。


寝台の中から鴇耶様を見送る。

眠気は顔のすぐ横で待機しているようだったが、彼が戻ってくるまではそのまま待っていてくれるだろう。



だが、眠気は強力だったようだ。

待っている内に眠ってしまったらしく、次に気付いた時には朝になっていた。



***



春が終わるという頃になって、私はまた寝台に戻ることとなってしまった。

どうも調子が悪いようだった。怠さが付き纏い、歩けば常に目が回って少しの距離でも時間をかけて移動せねばならなかった。

季節の変わり目ということもあるのかもしれない。

体調が悪いという自覚はあっても、健康体であったときがどうだったかさえ分からなくなるほどに日常化してしまう。だから具合を尋ねられても、一体どれほど悪いのか判別できない。いつ頃からか私は平気、とだけ返すようになった。

もしかして私は大病でも患ってしまったのだろうか、そう不安な気持ちになることもあったが、皆が大丈夫だという。女性にはよくある症状なのだそうだ。

それにしては重すぎるし、長すぎるのではないか。そう少しでも疑念を表に出したなら、現に熱も痛みもないのですからと、私の不安を解こうとやけに必死な側仕えたちにうんざりする羽目になるのだった。

余計に気力が削がれてしまうので、できる限り顔に出さないよう努めるようにしていた。


「薬湯をお持ちいたしましたわ。いつも寒天菓子ばかりで申し訳ないのですけれど、今夜は特別にふたつ持ってまいりました」

「あ、涼香……」

「はい、どういたしましたか?」

「起こしてちょうだい。このままでは、飲み難いの」


彼女たちよりもすっかり強気な様子が鳴りを潜めた涼香の方が、よっぽどいい。最近では涼香ばかりを側に置いている。


私の周囲は、そんな風に様変わりしてしまった

それでも薬湯の苦みや寒天菓子の甘さ、そうして鴇耶様の優しさは変わらない。気遣いを持ちながらも私に触れるあの手はそのままで、三日に一度の頻度もなくなってしまうことはなかった。

真実、病を得ているとするならば鴇耶様は私を抱くことはないだろう。

だから私はそこまで深刻なものとして捉えていなかった。


「全部飲めましたわね。さ、そろそろお休みください」

「わかりました。……でもいつになれば、他の妃や朱璃姫に会えるのかしら?」


苦みに油断した隙に、思わず私の心が零れる。他の者には言えないことだ。

今までならば、むしろ涼香にこそ聞かせたくない言葉であったはず。変われば変わるものなのだな、とやけに可笑しく思う。


「――……そう、ですね。翠雨様がおひとりで部屋の端から端まで、軽やかに歩けるようになった頃に」

「どうにも曖昧な、判りにくい基準ではないですか?」

「少し元気でなくとも、知らぬ振りをいたします、という意味ですわ。その日が早く来るよう、もうお休みください!」


口直しを飲み込んだのを見るや、涼香は私を丁寧な手付きで横たえる。

私はそれ以上何も言わず、目を閉じた。


そう朱璃姫と鈴杏様には、ずいぶん長い間会っていない。

そして銀砂にも寝た振りで通したあの晩から会っていなかった。つまりあの日の誤りは正せないまま、ここまで来てしまっている。

第一子についての報が流れていない以上、私の勘違いには気付いてくれているだろうに、なぜ会いに来てくれないのだろうか。

もしもあの言葉を絶縁と受け止めていたのだとしたら?

前のように通路を使って会いにきてくれていたかもしれない。けれど私が気付かず寝入っていたら?

愛想をつかされているかもしれない――恐ろしい想像が私の中に生まれていた。

けれど、今の私には隠し通路を使うことなどできそうになかった。



眠りの淵に足を掛けた時、ふと思い付く。

銀砂に手紙を書こう。

方法も内容も決め手はいない。あとで考えればいい。どうせ時間は目一杯あるのだから。


果たしてこの記憶は朝まで持っていけるだろうか。

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