14.少しずつ変わっていくもの
『各所の調整の為、伏せさせて頂いておりましたが、銀砂様はかの国の姫。わが国との友誼を結ぶためいらっしゃいました。此度の婚姻は、両国にとって意味のある――』
ひっそりと鴇耶様が楼を訪った翌日――今朝には、そんな風に女官からの説明があった。
鴇耶様はまだ楼へと戻ってきていない。その理由についての説明でもあった。
帰国して間もないというのに、慌ただしくも婚姻の儀を執り行うそうだ。
心の準備をする時間もないというのはいかがなものだろう。
けれどすでに銀砂が入楼しているという異例から、早急に儀式を進めなくてはならないらしい。
まるで逃げ道など与えないというかのようではないか。
そう考えると、彼女の身が哀れに思えた。
けれど鈴杏様のときと同じように、儀式を終えるまでは鴇耶様に会えない。
会いたいと願うことは、銀砂が妃になるよう願うことと同義だ。
そんな関連性が見えているせいか、どう願えばいいのか分からなくなる。
表面に出すわけでもないない、ただの心の在り様にしか過ぎない以上、答えを出す必要はないのだけれど。
そういった事情から、あの晩銀砂の部屋で声を聞いたきり、鴇耶様の姿は見ていない。
こうも焦らされるとは思わなかった。
今の状況をあらかじめ知ることができたなら、あのとき飛び出していただろうか。……分からない。そんな仮定に意味はないとばかりに、私の頭は空想すら描けないのだった。
会いたいのに、近くにいるのに、会うことができない。
この楼から飛び出して駆けて行きたいというのが本音ではあった。
けれど、今のまま鴇耶様に会えば何かよからぬことを口走る。
――どうしても銀砂を妃に迎えねばならないのか。その必要があるのか。他の方法があるのではないか。
私ひとりがどう足掻いても、事態を変えることなどできはしない。
鴇耶様に会っても会えなくても、どちらにしても精神衛生上よろしくはないようだった。
そこまで考えて、色んな理由を付けては動こうとしない自分自身に気付く。
そんな風に、私は前よりずっと容易く自分の思考に沈み込むようになった。
そのため女官からの説明は、途中からあまり聞いていなかったのだが、概ね事実が告げられたように思う。
ただ銀砂が知らされていたか否かに関わらず、それは既定の取り決めであったことが伺えた。
***
正式に存在の詳らかとなった彼女とは、もう忍んで会う必要はないのかもしれない。
だというのに、私たちは未だに夜の逢瀬を重ねていた。
銀砂の部屋の寝台の端に座り、視線だけで辺りを見回す。
僅かな灯りだけでの判別は難いものの、ここからの景色はまだ変わっていないように思う。
けれど次に来たときには、きっと見知らぬ部屋になってしまっているのだろう。
「銀砂がこうなることは、初めから決まっていたことなのですね」
「あのね、そんなわけはないでしょう?わたし自身も『貢物』の内だったなら、もうちょっとはこの部屋も整えられていたはずよ」
とうとう心の声は零れてしまった。
何でもない風を装って、それでも突然話し始めた私に、銀砂は大きく反応するでもない。
それこそ何でもない口振りで返ってきた言葉は、まるで用意されていたもののように聞こえた。
事実、用意をしていたのだろう。きっと彼女はきいてほしかったのだろうと思う。私の口から、直接に。
「生活に必要な物が足りていなかったのはともかくといたしましても、雑多に物が運び込まれておりましたものね」
「本当に、ものを仕舞っておくだけの部屋のようだったよね」
翠雨も見たでしょうと問われれば、確かにと頷くより他はない。
けれど、偽りを口にしないということは、真実だけが語られているということにはならない。
王族の姫が被保護国といえ、わざわざ遠方に旅をするはずがない。それも、往復の。
使者には、もっとおあつらえ向きな王族の男がひとりくらいはいるのではないだろうか。
何より、使者が女では軽んじられる。どう考えても銀砂が使者というのは不適切なのだ。
それらに思い至れない銀砂ではない。
だから私は銀砂の言葉に頷きながらも、抱く疑念は解消されないままだ。
銀砂は気付いていながらも、見ない振りをしていた――考えれば考えるほどに、それこそが真実であるのだろうと確信していった。
「その割には歯切れが悪いように聞こえるのだけれど……」
「銀砂が偽りを口にしているなんて思っていないですけれど。それでも、少し迂闊には思うのですよ」
だから私も、偽りにならない範囲で濁しておくのだ。
そうしておけば上手い具合に話は逸れていく。
たとえそこに細やかにぎこちなさを残したままであったとしても。
今、悲しく思う心は誰のせいなのだろう。
「まず今回のことは王命の、……であったわけなのよ。それに――」
次々に重ねられる言葉が言い訳のように思えて、素通りしていく。
どれひとつとして響かないのは、他国の王族の事情など分からないせいだろう。
語られているのが表向きの理由だけに過ぎないからということもあるかもしれない。
私の内には何も残らない。捉えることができたのは、さいごだけ。
「ただひとつ、幸いなのはこうして翠雨に会えたことよ」
それだけは私にも通じる言葉だった。けれど咄嗟に声は出ず、慌てて二度三度頷いた。
そのあとにようやっと追い付いた言葉でそうですね、と返す。後出しの音は、存外同意の気持ちを含ませることができたのだった。
私はきっと嫌なのだ、ふたりが夫婦になることが。
銀砂が鴇耶様の妃に納まることが嫌で、鴇耶様が新しい妃を迎えることが嫌。
どちらがより嫌なのかはわからない。
けれど、気にする必要はないだろう。なぜならどちらも同じことだから。
だから深くは考えない。
はっきりと言えることは、この期に及んでも胸の内を明かしてくれない彼女に私は失望しているらしいということだった。
「翠雨――」
ふと、銀砂が擦り寄るように身を寄せてくる。
着込んではいるようだがまだ寒いのかもしれない。
不意の接触に、押されるまま少し身体が傾ぐ。あわてて押し返せば、均衡になった力で互いの身体がより密着した。
「ね。このまま寝ていく?」
「それは、だめです」
囁かれ、温かな呼気が頬を擽る。くすぐったい。
他人の体温というものは不思議なもので、胸の内に渦巻いていたもやが少し晴れたようだった。
一度だけ堅く目を瞑って、銀砂を引き剥がす。
「もう下手な言い訳すら利かないはずなのですから」
「女官はわたしたちの交流に気付いているみたいだから構わないかなと思ったけれど、翠雨のところには小うるさいのがいたのだっけ。なら諦めようか」
「側仕えを黙らせればいいというものではないのですけれどね」
あぁ、やはりあの女官は気付いていたのか。さしたる驚きもなく、私はその事実を受け流した。
例え発見時の位置関係を見られていなくとも、私たちの対応に不審な点を見たのかもしれない。……さすがに通路のことや、日参している状況までは知られていないとは思うが。
「ではそろそろ戻ります。こうして話している間に夜を明かしていた、なんてことになってもいけないですから」
「ん、わかった」
「でもその前にまだ手の入っていないこの部屋を見納めたいのです。少しだけいいですか?」
「……いいよ。これで衝立も家具も増えているから、見納めになるかは分からないけれど」
通路に潜る前、私は銀砂におねだりをした。
すぐに終わる距離を、私は時間をかけて回る。
昨夜までとの違いを辿ろうとしたが、記憶にあるのはただの暗闇だった。今更意識を浚ってもわかる筈はない。
探すことは早々に放棄して、ただゆっくりと歩く。
私に付いて歩く銀砂とは、指先すらも触れ合うことはないまま一周してしまった。
一体これに、何の意味があるのだろう。得たのは空しさとより冷えた身体だけ。
「あんまりよく見えなかったですね」
「そんな素振りも見せなかったのじゃないの。見えているのかと思っていたわ」
彼女のおどけた調子に合わせて、笑い声を立てた。大して面白いわけではないけれど。
「銀砂だって見えていたわけではないでしょう?」
「わたしは、ほら。鳥目だからかな」
「そう差はないと多いますが……」
会話の上ではいつも通りに振舞えていても、私の意識は置いてけぼりのままのようだった。
まるで夢のようなぼんやりとした心地がしているから。




