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12.まわりはじめる、その一歩

私たちは夜毎、会っている。

寒さも厭わずに、例えそれがどれほど僅かな時であっても続いていた。

狭い籐の長椅子の上であるいは寝台の上で、身を寄せ合い言葉を交わす。たったそれだけのことで何かがあるというわけではないけれど、私はその時間がとても気に入っていた。

部屋から出ることのできない銀砂にとっては、監視の目が緩まる夜を狙っただけの、単なる暇つぶしでしかないのかもしれない。

それでも利害の一致ではあるのだから、気にはしない。ただほんの少しだけ、胸の奥が引き絞られるような心地になるだけで。


鴇耶様との時間を求める心が、完全に置き換わってなくなってしまうことはない。

けれど、銀砂とのそれは淋しさを払拭してくれるものとなっている。


「明晩も、こちらに来ていいですか?」

「うん。あんなに怖がっていたのに、あの通路ももう慣れたものだね」

「未知のものである以上、初めの一回がそうなるのは仕方のないこと。いえ、恐れていたわけではないのですが」

「そうだったかなあ。結構必死に見え、」

「いませんでした」

「……うん」


すでに、私が通路を使うことの方が多くなっていた。

いかに音もなく、早く通れるか試行錯誤するのは楽しい。挑戦できるのが一日に最大二度とは言え、なかなか上手くなったのではないだろうか。

銀砂はどちらでも構わないという態度だから、その機会はほとんど譲ってもらっている。

けれどねだらない日の内で一度だけ、先にこっそり通路を抜けてきたことがあった。

それもそのまま衝立裏に潜んでいたらしく、私が床を開けようとしていたときに、背後から現れた彼女に驚かされたのだった。

そんなことがあったものだから、以降銀砂がそういった悪戯をすることはなかったし、来るときはあらかじめ伝えてくれている。

きっと大きな声を上げそうになったからだと思う。慌てて飛び掛かってきた彼女の掌に口を覆われたから、大事には至らなかったが。

あのときも少し怒ってから、盛大に拗ねたのだったか。


「私にとってこの時間は、もうとても大切なのです。待つだけではなく会いに行ける喜び、そして時間が惜しかったと、そういうことで収めてはくれませんか」


からかわれて、拗ねて、けれど何とか上手くまとめることができたようだった。

楽しそうに笑って、銀砂も私の言葉に重ねてくれる。


「わかったわ。わたしも、同じだもの。翠雨と会うこのときは特別よ。だから会いに来てね、明日もここで待っている」

「はい。では、また明日に」


夜に意識を傾け過ぎて昼間が疎かにならないよう、気を引き締めなくてはならない。

ぼんやりとしすぎていれば、周囲から見れば病かと疑われるかもしれないのだから。

そのために、部屋に戻ったならすぐに眠らなくてはいけないな、と思った。



***



通路を通るようになってから、十日近く経っただろうか。

今夜も私は銀砂のところへと渡ってきていた。


「――…………」


時間を惜しむ気持ちはあれど、たまにこうして沈黙は訪れる。

小休止と考えればいいのかもしれない。それでも少し、気にはなる。銀砂は話すことが好きだから、この瞬間に飽いたと思われはしないかと。

私には、何もないところから話を拡げていくという技術はない。

例えば、他の誰かを話の種とするならば、充分に間を持たせることができた。だからと鈴杏や私のとっておきの話題である朱璃姫について、何度か口にしてみたことがある。

結果である鈍い反応は、きっと銀砂が彼女らのことを知らないからかもしれない。……私の話し方が詰まらなかっただけでなければいいのだが。

ならば一度相対した涼香ならどうだろうと思っても、あの日の様子ではいい印象はないだろう。


それよりも、彼女は私のことを聞きたがる。

今日弾いた楽曲について。微睡の中見た夢や、今まで見た中で最も変わって見えた雲の形について想起された物のような、曖昧ででたらめなことすら喜んだ。

変わり映えしない日々から話すことを掻き集めるのは大変な作業だ。銀砂の聞きたいことは、私にとって当たり前に過ぎて、どうでもいいと流して忘れてしまっている些細なことばかり。

この悩みは、出会った頃の鴇耶様との話題探しを思い起こさせる。あのときはもう少しやりやすかったようには思う。

この差異も、私の感じたことを主題にするならば、充分な話題にはできた。けれど、しない。

鴇耶様の話題は、きっと一番口にしてはいけないものなのだ。

銀砂はその話を好まない。

明確な言葉は口にしないでも、嫌がる素振りは隠せていない。小さな灯りだけが照らす視界でも、それは鮮明にわかるのだった。

その意味が、私にも薄々分かってきた。

複数の妻を持つということは、彼女にとってそれほどまでに忌避感が強いということ。

鴇耶様に会ったことのない銀砂の認識では、『鴇耶』様という個人の前に『王太子』という覆いが被っているのだろう。

けれど、それを取り払ってしまいたい。鴇耶様の妃である以上は、銀砂に――そこまで思考が進んだ時、胸の奥が軋みを上げた。

次に、違う、何で、と自問自答のような静止が重なる。

鴇耶様の妃。その認識は私の内の奥深くまで根付いた事実だ。

だから私は銀砂に、私の一部分を拒んでほしくないのだと思う。


「もう月たちがだいぶ上がっているみたいね。今夜もそろそろお終いかな」


終わりを伺う声に、私は慌ててしまう。

今夜は、どうしても口にせねばならないことがあった。それなのに、ぐずぐずと終わりまで言い出せないでいた。

銀砂がよく思わないだろうことは織り込み済みだからかもしれない。

その反応を考えれば憂鬱であったが、仕方がない。伝えなくてはいけないのだから、そう話し出す決意をしっかりと固めたのが悪かったのかもしれない。

銀砂の方へと顔を向けたが、目測誤って彼女の横顔に顔面をぶつけてしまう。――実際はぶつかるというよりか、押し付けるようなものだったが。

いずれにせよ、勢い余って身を乗り出すようにしていたせいで起こった事故だった。


「すい、う……」


体勢を崩しかけた彼女は、衝撃に驚いたのだろうか、頬に指を這わせている。そしてその声は銀砂には似つかわしくないような、戸惑いに上擦り、震える音。

どれも確かに目に、耳に入ったのに、私は構わず口を開く。ぶつけた鼻と口許の鈍い痛みすら無視をして。


「あのっ!言っておかなくてはならないことがあるのです」


どうしても言わなければという考えが前に出過ぎて、衝突したことによる謝罪は湧いてこなかった。

意気込みに堅くなる声とお揃いのように、反応を目にしたくない私の視線は、彼女の喉元辺りをぎこちなく彷徨っている。


「今夜、鴇耶様が帰国されたそうなのです。楼へのお戻りは明日になってからでしょう。けれどそうなれば、銀砂とは二日に一度は会えなくなります」


その意味を具体的には言わなかった。

それで充分に伝わることは分かっていたし、何より言葉にして言いたくなかった。

一息で話し終えた後、涼しさを自覚する。次いで、身体が熱を持っていることも。


ほんとうは、今日顔を合わせた後に言うのでも良かった。話題のひとつとして、途中で口にしてもよかったのに。

それをしないで、最後に回した私は、彼女への配慮よりも自分の都合を真っ先に考えているのだろう。

一緒にこの空気を解かないまま、時間が解決するに任せて放って帰る気でいる。

銀砂がここまで衝撃を受けている風なのは意外だった、というのは嘘もいいところだ。

そう思うなら、早々に口にしていたはずなのだから。

ひとりの男に複数人の妃。その制度にしっかりと組み込まれている私は、それを嫌悪する銀砂の反応を恐れている。

どうか、嫌わないでいてほしい。


視界の隅、僅かに銀砂の口が震えるのが見えたとき、何やら音がした。

気のせいではない。

間を置いて、もう一度。小さいながらも、規則的に聞こえるそれは人為的なものだ。

どうやら、戸の叩かれる音のようだった。


「ここに、いて」


そう囁いて衝立の向こうに消えていった銀砂を見送ったところで、我に返る。

隠れる場所の指示はなかったし、一見して自力では隠れられそうなところはないようだ。

どうすればいいのかが分からない状態にいる。

あんな話をしていなければ、私たちは今を落ち着いて対処できたのだろうか。

――分からない。

とりあえずは銀砂が何とかしてくれるのを祈って、音を立てないように努めるしかない。

そうやって息を詰めた私の耳に入ってきたのは、


「夜分にすまない、悪いが入れてくれないだろうか――銀砂」


久方ぶりに聞く、鴇耶様の声だった。

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