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11.隠し通路を抜けて

隠し通路を使った隣の間への道順は、意外にも明快なものだった。

迷い様もないくらいに通れる場所が制限されていて、有り体に言えば、前か後ろしか選べない。そんな風に柱と柱の間を結ぶ木枠が張り巡らされているのだった。

躊躇わなくていいと言うべきか、それとも他の道を選べないと悩むべきなのか。

避難通路としての優秀さについては判別しがたい。それも時と場合に因るだろうからと、すぐに考えることはやめた。今後何かあったときのために、あらかじめ知っておけてよかったと思っておこう。

余所事に気を取られながらも、ゆっくりと前進していく。

這うように進まなくてはならないのに思ったよりも苦痛ではないのは、道に沿って布地が敷かれているからだ。おかげで膝の痛みもそこまで気になるほどではない。

ただ引き摺ってずらしてしまわないよう、気を付けなくてはならなかったが、逆にそれが慎重に進むための要因となるのだった。


それよりか問題だったのは、暗く、視界が悪いことだ。

救いと言えば、到着点に光が見えたこと。あれは恐らく、銀砂が床を開けてくれているのだろうと思う。

だが、その周辺を除けば深い闇が広がっているばかり。

自室の床も開け放しておきたかったが、銀砂には駄目だといわれている。

もしも誰かが入室したならば、露見してしまう可能性がある、と。

この暗闇と怖さに耐えることが、銀砂に会いに行くための条件だった。

布は後で直せばいい、急いで通り抜けてしまいたいという欲求が沸々と湧いてきた。けれどそんなことはしない。下層に音が響かないよう、そっと渡らなくてはならないから、ゆっくりと動くほか仕方がないのだ。

せめて虫や鼠の姿を目にしてしまわないよう、視線を手元に向けた。悲鳴など上げてしまっては、目も当てられない。

光源から顔を逸らしていても、たったひとつのそれがある場所はよく分かる。

銀砂がそこで待っていてくれる。気を奮い立たせ、私は進んで行った。



「翠雨、こちらよ。もう止まっても大丈夫」


いつの間にか、彼女の元へと辿りついていたようだった。

周囲の様子を気にしないよう、一心不乱に進み続けたせいだろう。

顔を上げれば、灯りに照らされた銀砂が、もう目の前にいたのだった。

差し出された手を反射的に両手できゅっと握る。それが私を立ち上がらせようと伸ばされたものなのは分かっていたけれど。


「ね、そうやってたら起こせないわよ」

「会いに来ました」


苦笑の気配は意に介さず、私はさらに手指に力を込める。


「あなたに会いに来たのです、銀砂――」


彼女は、呆けたように私を見ていた。そしてそれは私も――ひたすら彼女を見上げるだけ。

しばらくはそのまま、ふたり視線を絡め合う。

先にそれを解いたのは、銀砂だった。

片手を握った私の両手に、残った片手を添えて、そうして軽く引っ張った。


「会いに来てくれたなら、そんなところにいないで上がってきてほしいものだわ。それに、そのままじゃあ冷えるでしょう?ほら、引っ張っただけじゃ、ぶつけてしまうかもしれないよ」


やんわりとした力では、持ち上がることはなかったけれど、私はようやく観念したように床下から這いだした。

足元で揺れる灯りを回収すべく、今度は銀砂がしゃがみこんだから、今度は逆に私の方が俯くようになって彼女を見ることとなった。


「あの布の道は、銀砂が準備してくれたのですか?」

「最初に翠雨に会った後すぐにね。使うのは一回きりじゃなくなったから、整備しておいた方が以降は楽になるでしょう?翠雨も移動しやすく感じてくれたなら、よかったと思う。

それに搬入後の管理だなんて、ただ眺めているだけだもの。時間はたくさんあったのよ」


ただの一度の暇潰しが、私に会いに来るための、銀砂の道になった。

暗かったが安心できたと礼を口にすれば、銀砂は何てこともないように手をひらりとはためかせた。

こっそりと、人目を盗んで床下に潜ることは楽しかったのだという。

灯りを手に立ち上がって、彼女はこちらだと言うように歩き出した。私もその背に付いて行く。


「でもひとりであのように整えることができてしまうなんて、すごいです。少しの間であっても、あそこは暗くて怖かったのですから」


拙い言葉に、ついつい語尾が掻き消えそうになる。

這い出て少しの時間が経っていたが、狭苦しさは消えていない。縮こまるように、ゆっくりとしか動けない。まだ帰りもあるのだと考えれば、気も重くなるものだ。

私の様子に気付いて、銀砂が身を寄せてくる。

触れるかどうかの位置だというのに、それがなぜだか温かい。


「帰りはわたしが先導しようかな。向こうの部屋の様子を伺って、それから灯りを置いてきてあげる」

「そこまで甘えてしまってもいいのですか?銀砂は、怖くないの?」

「もう、慣れたものよね」


私の前髪をさらりと撫でて、銀砂はするりと離れていった。

そのときに起こった小さな風がとても寒いから、急いで銀砂の元へ向かう。距離を埋めても、温かさは戻って来ない。それどころか、急いだ分だけ冷たさは増していった。

身を寄せ合ったことがないわけでもない。なのに、身体を寄せていくことができない。なぜだか、今はそんな風に動くことができなかった。歩いているからだろうか。

手を繋いで連れて行ってほしい。そう願うのは、帰り道ではなくって今だった。

実際、狭くてできない床下の通路ではなくって、横並びで歩ける今ならそれができるというのに。

私は黙ったまま、彼女の背を追い続けた。抜かすこともしないまま。


気を紛らわせるように、ぐるりと周囲を見渡す。

この部屋の衝立は、空間を仕切るためのものではなく、雑多な荷物を覆い隠すために置かれているようだった。ほとんど何の曲り道もない。

窓付近まで進むと、生活していくために最低限必要な家具がこぢんまりと固まっているところへ辿りついた。そこだけはかろうじて、衝立が本来の意味を成している。


「短期の簡易的な居住ということもあってね、あんまり落ち着けないかもしれない」


銀砂はそう言って、籐の長椅子を勧める。自らも座って、隣をぽんと叩いた。

私は遠慮なく続く。あまり近くなり過ぎないよう、それでも彼女が示した位置より離れないよう、腰を下ろす。

近過ぎただろうか。身じろげば、どこかがぶつかる距離だと思う。

けれど、銀砂からは特別そのことについて反応がなかった。

寒いだとか、声を抑えるためにだとか言ってくれたなら、私も寄り添うことができるのに。

今夜は何故だか、自分からは言い難い気分だった。口にすべきか、それとも黙っておくべきか。そもそもどうしてこんなことを考えているのか。

思考に沈みかけたとき、銀砂の口からぽつりと言葉が零れ落ちた。


「王太子殿下」

「え?」

「ご帰国間近なのだそうね」


私は鴇耶様がどのような方かを説明した。優しく、穏やかで公平な方だと。

前に簡単に話したこともあって、今回もねだられたわけではなかったから、手短に。

そして、旅の無事を願って祈りを捧げているのだということも付け足しておいた。

一回逃したことがある分のこと、それが彼女を責めているように聞えてしまってはいけないから、毎朝決まった時間に、とは言わなかった。

話し終えるまで、彼女は静かに聞いていた。


「わたしはお会いしたことがないのだけれど、とても良い方なのね」

「えぇ、そうなのです。――あの、銀砂?無理をしていますか?今、とっても眠そうな声に聞こえるのですが」

「そうかもしれないね、けれどもう少し、翠雨と話していたいかなあ」


宥めて寝てもらおうとしたのだが、折角苦労して来たのにと言われれば続けざるを得ない。

ならばと、ふたりして頭を使わないような話題――本日の食事についての感想など――を交互に話してみる。

彼女のぼうっとした声はそのうち弱まって、最後はいつもの調子に戻っていった。

眠気はもう遠くに飛び立って行ったと言う銀砂には申し訳なく思いながらも、帰りの道については手伝ってもらったのだった。



***



そっと辺りを伺って、衝立の陰から出る。

周囲の様子を探りながら、ようやっと自分の寝台へと辿りつくことができた。

不自然に膨らんだ掛布を剥いで、別の掛布を丸めたものを引き摺り出す。そしてそのまま広げた。音を立ててしまうから、一振りして皺を伸ばすまではしないけれど。

これは私が不在の間の身代わりだった。大きさが違うにしても、暗い室内で遠目に見る限りにおいては気付かれることはないはず。

そして普段、中ほどに重ねているそれは、もしも触れられてしまったとしても、ただの空の寝台を偽装できるはずで、故意の身代わりとは思われないに違いない。用を足していた素振りで戻ればいい。

夜中に部屋に入ってくることはないように思われるから、そこまでの対策は過剰だったかもしれないが。


誰にも気付かれることなく銀砂のところへ会いに行き、そして戻ってくることができたようだ。

行きも帰りも彼女の手を借りてしまったが、数をこなせば自力で行き来できるようになるのではないかと思う。

そんな実態はともかく、喜ばしい進捗状況に内心浮かれていた。

けれど今夜はそろそろ眠らなくてはいけない。

祈りのために起きられるか、そろそろ不安だ。鴇耶様の帰国は判明したものの、今も彼は旅路の途中。そうである以上、気を抜いて止めるなんてことはしたくない。

早朝の起床に向けて気合を入れながら、私は目を閉じたのだった。

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