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9.逢瀬の続き

少しずつ陽が傾いていくということは、夜が近付いてくるということだ。

昨日はその時間の経過がもどかしくも嬉しかったように思う。

銀砂と言葉を交わすことを楽しみに、その時を待っていられたから。

でも今はどうだろうか。

抱くもどかしさの意味合いはちがっている。

朝の振る舞いを思い返す度に、もう私のことなど見限ってしまっているのではないかと、恐れる気持ちが芽生えていた。

もちろん、話したいという気持ちは消えていない。だからこそ厄介だった。

来てほしいけれど来てほしくない。そんな葛藤をもう何順もしている。


日中はいつも以上に何事にも没頭できないまま時間が過ぎていき、やがては夜が地上を覆い尽くす頃まで物思いに耽る羽目になった。

順序良く来ていた葛藤の波は、この頃になるともうなんとも言いようのない程に混ざり合っては小刻みに切り替わっている。


就寝の挨拶を終えて、今この部屋に居るのはひとりきり。

あのようなことがあったばかりだからと、部屋内に見張りを置くべきという側仕えの者たちからの提案は断っていた。

だれかが部屋に滞在しているのでは、銀砂が来ることはできないからだ。

自らの意志で来なかったのか、それともそういった要因があって来ることができなかったのか。彼女の意志表示すら知る術がなくなってしまう。

分からないままでいることは耐えられない。そう、あと一日だって。


「銀砂……」


通常ならば掻き消えそうな声も、夜ならば少しは空気を震わせる。

待ってみても返ってくる音は何もなかった。

そうなると、寝台の縁に腰かけているのもすぐに限界がやってくる。

ゆっくりと立ち上がる、なるだけ軋みを立てないように。

同じようにそっと動いて、卓の上の、たったひとつの灯りを消す。

でもそれは眠る為ではない。

暗さに目が慣れるのすら待てずに、そのまま足を進めた。いつもの何倍もの時間をかけて、足音を踏み締めては殺すように一歩、さらに一歩と。

衣擦れの音だけは消せないものだったが。


辿りついたのは、この部屋唯一の出入り口である扉の前。

いつもよりかは時間がかかったものの、到着してしまえばもうすることもなく、残念な気持ちになる。できるだけ音を立てないようにと集中していればこそ、気も紛れていたというのに。

ほら、また手持ちぶさたとなった。

少しの間だけ手を離れていたもどかしさは、すぐに戻ってくるのだろう。分かっていたから憂鬱だった。

扉近くの壁へと身体を預ける。

ここにいれば、銀砂が来たらすぐにわかる。

もしも入室に躊躇いがあったとしても、顔を見せずに帰ってしまう前に引き留めることができるはず。

何より、この位置ならば側仕えの者たちから庇うことができるのではないかと思う。

部屋での見張りは断っていても、控えの部屋からは通路の様子を伺っているのだろうから。


すうっと瞼を落とす。

その方が耳に意識が集中できて、周囲の音がより聞こえるような気がするからだ。

――と、急にどこかの床辺りで何やら軋むような音がした。

些か長く聞こえるそれは、歩くことで出るものではないようだった。

木の生命力はすごいもので、切り落としてもなお生きて――呼吸をしているのだと、昔にそう教わった。あれは確か、部屋の中から奇妙な音がして怖いと泣いた時だったか。

一瞬のものではあるが、それでも予告なく鳴るあの音はこの歳になってもあまり好ましいものではない。

簡潔に言うと、恐ろしい。

今も変に力が入ってしまったせいか、驚いた拍子に瞼が上がるなどということはなかった。

けれど、それにしてもおかしい気がする。

木の出す音はこれほどまでに間隔が短くなく、重くない。

何より先程に比べ、明瞭に聞こえる音はいつの間にか種類すら変わっていて、少しずつだが近付いてきている気がするのだった。


「……銀砂」


何かを口にすれば、怖さが半減するというわけではない。

それは鼓舞するよりかは、助けを呼ぶのに似ている。

もう耐えられそうにないとなったとき、空気が揺らいだ気がした。

恐る恐る瞼を押し上げると、そこに居たのは、


「ぎんっ、銀砂……どうして?」

「あれ。気付いていたわけじゃあ、なかったの」


そう言って、どうやら笑っているらしい彼女が、目の前に居た。

様々な気持ちがないまぜになって言葉が詰まり、一音だって声にならない私に、銀砂は手招きをする。

驚いてはいても、今の状況を忘れてはいない。大きな音は立てないように、けれど急いで彼女の傍に近寄った。

距離が縮まった途端、銀砂はさらに奥へと歩を進める。

できる限り扉から離れるべきだと、きっとそういうことだろう。


「びっくりしたのですけれど」


彼女が立ち止まったことを確認すると、その背に向けてそう溢す。

責めるつもりはないのだが、押し殺したような声音ではそう聞こえたかもしれない。


「それはごめんなさい。驚いて大きな声が出てしまわなくってよかったよね、お互いに。

今夜の翠雨は変わったところに居たからどうしたのかと思った」

「来てくれるかな、と。そう……思って」


意趣返しというわけではないだろうが、思いも寄らない問いを投げかけられた。

この程度、今更はしたないからと隠す意味はないはずなのに、なぜだか歯切れ悪くなる。

振り返った銀砂は、するりと距離を詰めてきた。抱き合うような、身を寄せ合う格好となる。

急に近付いた距離に戸惑って、思わず身じろいだ。

少しだけ触れ合ったのは、体のどの部位だろう。強く当たったつもりはないが、痛みは感じていないだろうか。


「な、んです?」


けれど、彼女は私の一連の困惑など意にも介していないようだった。

このままの方が話しやすいと、肩口に顔を寄せるように言われる。

今の時間を他の誰かに気付かれてはいけない。ならば大人しくしている他はなかった。


「寒いのですか?」

「そうね、けれど今夜はどれほど誘われても同衾はできないかなあ。さすがに二夜同じ言い訳はできないもの」

「道に迷ってしまった、でしたっけ」

「ん。そこで止めたら疑われたから――内部の様子が違うから当然だよね――、違う部屋の気がしたけれど、寒くて面倒だったからそれは気のせいということにして、そのまま寝ました。と付け加えたけれど」


銀砂の話を聞く限り、やはり女官はすべてを詳らかにしていなかったということか。

さすがに王太子妃の寝台に侵入した理由が『戻るのが面倒だから』などとは言えたものではないのだろうが。あぁ、青筋を立てた涼香が目に浮かぶようだ。

今のは笑うところだよ、と囁きの合間に漏れる吐息は温もりを伴って、耳朶を擽るのだった。

その瞬間は熱いとさえ感じたのに、言葉が途切れ、通り過ぎればやけに寒々しい気がする。

その冷たさを誤魔化すように、短く息を吸う。


「その。今朝の件は、申し訳ないです。私は見ているだけで何もしませんでした。

銀砂、あなたを見捨てるつもりはなかったの、ごめんなさい」


上手くその話題であったせいか、それとも顔が見えないせいか。

あれほど葛藤していた事柄は、抵抗もなく口にすることができた。

今日一日、ずっと引っ掛かっていたこと。もしも口火を切らねばならぬ状況ならば、なかなか伝えることができなかったであろうことだ。

それくらいに、私は彼女の反応を恐れていた。


「そのことなら、気にしていないわ。だって仕方のないことでしょう?下手に庇おうものなら、怪しいことこの上ないのだから」


間違ってはいないと、そう言われれば酷く安堵した。

けれど、次の言葉は別の意味で私を落とすような力があった。


「そろそろ帰らなくてはいけないかもしれない。

実はわたしのところは見回りが付くことになってね。たまに覗きに来るみたいだから、あんまり長居はできないのよ」

「もう、ですか?」


もう少し話したいのに。なのに、終わりはあっさりと告げられてしまった。

今度こそ見つかっては具合が悪いだろうし、体調不良になってもいけない。

そう、言い聞かせる。


「今夜は顔を見せに来ただけ。翠雨が心配しているといけないでしょう?

また明日、大丈夫そうならば来るから――ね?」


そっと身体を離した銀砂は、私の腕に軽くとんとんと触れた。

すぐさま与えられた約束と宥めるような触れ方に、不満は簡単に氷解する。

わかったと言いかけ―――、そういえば。


「銀砂はどこから来たのですか?扉の開閉はなかったように記憶しているのですが」

「それは、ここ」


そう言ってしゃがみ込むと、銀砂は床に手を伸ばす。

ほどなく床板が外れると、暗い闇が顔を覗かせた。


「ここから、かな」

「それは、隠し通路……。他の部屋とも繋がっていたのですね」


煌帯ヶ位の間で暇を持て余していた際に開けられるように細工された床を見つけたそうだ。

どうやらそれを伝って星天ヶ位の間に出たことが始まりらしい。

こんなに安易に使われるようでは、隠し通路とは言えないのではないだろうか。

それでも、この通路のおかげで私たちは出会えたのだろう。


「他の部屋はどうか分からないけれど、わたしたちの部屋は結構近いのではないかと思う。暗いから少し、時間はかかるけれど――っと、うん。すぐ慣れた」

「私も、」


床の穴にそろりと沈んでいく銀砂を眺めていると、私は自分の中に生まれたばかりの願いを見つけた。

言いあぐねていると、不思議そうな声が掛かる。


「うん?どうしたの、翠雨」

「私もここを通って行けば――銀砂、あなたに会えますか」


私も、銀砂に会いたい。

ひたすら待っているのではなく、会いに行きたいのだ。

数瞬の間を置いて返ってきたのは、埃どころか蜘蛛の巣が付くかもよ、という肯定の言葉だった。

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