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7.露見する存在

涼香は叫び声を聞いて駆け付けたようだった。

彼女の走る姿は実家ではよく見ていたものだが、楼では初めて目にする。

装えないほどに慌てていたということか。


「何者です!?この場が、その寝台がどういったものか分かった上での振る舞いですか!?」


大股で寝台へと歩み寄り、そう吠える。

吐き出された鋭さは、それこそ今まで聞いたことのないもの。

この使用人は口も話題選びも、ついでに性根も悪い方ではあったが、これほどまでに乱された姿など見たことはなかったものだから、純粋に驚いた。

意外な姿と言うものは、ついつい気を引かれてしまうものだ。

きっとこれも逃避の一環なのだろうということは、気が付いていたけれど。


呆然としていた私は、いつの間にか使用人たちの背に庇われていた。そう、使用人『たち』。

この場にはいつの間にか駆けつけた数人の側仕えたちが警戒も露わに私の周りに集まってきている。


「黙っていないでお答えなさい!!」


だが、この場の支配権は涼香が握っていた。

それが可能だったのは、年長の者たちが動揺していたからだろう。背に触れている誰かの手は、震えているようだった。

そんな詰問にも、銀砂は応えはしない。微動だにせず、ずっとそのまま寝台の上に居る。

動けないのは私も同じこと。大して寝台から離れていないにも関わらず、周囲を振り切って銀砂を庇うという芸当はできそうにない。

寝台の柱が遮っていて、私の位置からではその表情を伺うこともできないのだった。


「あぁ、どうしてこんなに小汚い賊が!この方の寝台に忍び込むなど……衛兵たちは何をしていたのっ」


何を置いても気になるのは銀砂の様子。

それなのに険しいばかりの涼香の横顔から目が離せないのはなぜだろう。

ずっと声を上げ続けているものだから、その呪縛が緩まることもない。

銀砂へと思考が向かいそうになる度に、ぐいと強く引っ張られている。


「女だからといって容赦は要らないわ!さあ、皆でこの小汚い鼠を引きずり降ろすの!」


埒が明かないと思ったのか、涼香は銀砂の方を向いたまま号令を掛ける。逃がさないという意志の表れだろうか。

そのとき、まるで呼応するように寝台へと近付く、ひとつの人影。

涼香が同僚たちに向けて放ったそれに合わせて動いたのは、命じられた内の誰でもなかった。厳密には涼香に応じたというわけはないだろうが。


「おはようございます、翠雨様」


女官は私の前まで来ると、いつもと変わらない動作で礼を取った。

これほどまでに騒いでいて、この楼の女官たる彼女の耳に入らないはずがなかった。

喚いていた涼香も押し黙る。時間が停まってしまったかのように、この場は静寂で満ちた。

女官の声を耳にしたとき、抱いたのは安堵と不安。

その両方がないまぜになって、私はやはり動けないまま。


「こちらの女人の身に関しましては、国の預かりとなっております。ゆえに、この場よりお連れしたく存じます。説明及び事情のお伺いは、後程改めてさせて頂きます」


簡単な断りには頷いて返す。

私の頭が元の位置に戻ったのを確認して、女官は銀砂の方へと向いたようだった。

促され、銀砂はあっさりと寝台から降り立った。

大人しく従う素振りの銀砂に、どうしてという思いが湧く。

だが、もしかするとふたりは顔見知りなのかもしれない。この楼に運び込まれた荷の管理にも、銀砂が関わっていることは充分に考えられた。女官の対応がなによりの証拠だ。

鈍かった思考がようやく回り出したようだ。現実も、見えてくる。

例えば今の私は裸足だというのに、銀砂の足はいつの間にかしっかりと沓を履いていること。いつの間にか陽はだいぶと高くなっていて、割とお腹が空いていること。

それから不機嫌そうな表情をした涼香が、女官を睨んでいるということを。


「お待ちください!王太子妃の寝台に潜り込む輩など、立場がどうあれ、到底信じられるものではないでしょう!?何故庇うのですかっ、今ご説明を!」


すっかり静かになっていた涼香が、ここでまた吠え出した。

国の、つまり王の管轄である以上、そもそも私の存在など関係ないということが、この女にはわからないのだろうか。

それほどまでに頭に血が昇っているのかもしれない。そこだけを考えるならばいつも通りな気さえもしたが、いつもは身内以外――もちろん、彼女が狼藉者と目していた銀砂は例外だ――の前でここまで取り乱すことはない。

実際にこうやって、女官に噛み付くのはよろしくないという事実に早く気付かせなくてはならない。それが無理でも、今は止めなくては。


「涼香……」


何とか搾り出せたのは、その名だけ。

押し入るように現れてから初めて、涼香は私の方を見た。苛立ちの燻った瞳で。



***



何もせず、立ち竦んでいた私に銀砂は何を感じただろう。

そのことを考えると、怖くなる。落ち着かないような、そんな気持ちが積み重なって潰されていくようだった。ほら、重みに耐えかねるように胸の辺りが苦しくなっていく。

見捨てたと、知らぬ振りをされたと、そう思われていないだろうか。

動けないなら、言葉で言えばよかった。

せめて涼香の勢いを宥めるだけでも、ぁあ――。

声すら上げられなかったというのに、そんな仮定は白々しいにも程があった。

ただただ喚いていただけの、それも自分の使用人に居竦んでいたなど、なんて意気地のないことだろうか。


「翠雨様、お怪我はございませんね?ご無体などは――、」

「えぇ、平気よ。私はどうともなっていないから、大丈夫」


急に声を掛けられ、息を飲む。いつの間にか、自分の内に深く沈み込んでいたらしい。

一転、いつもの口調に戻った涼香に頷いて問題ないと伝える。

彼女の気はいまだ昂ぶったままでいるのか、やり場のない苛立ちを押し込めているような声音ではだったが。

対して私の方はと言えば、問題なく会話ができるくらいにはいつも通りと言えた。


あのあと、女官は涼香を軽くたしなめてから、銀砂を伴って出ていった。

追いすがろうとする涼香を何とかその場に押し留めていたから、結局私は銀砂と目すら合わせていない。

なぜ止めるのだと、揉み消されるかもしれないと涼香は声を荒げて私にまで食って掛かってきたものだから、後を追うこともできなかった。


「いくらこの楼を取り纏める立場とはいえ、それが必ずしも翠雨様のお味方であるとは思われませんよう。えぇ、警戒し続けろとは申しません、日常におけるそれは我らの役目で構わないのです。

けれどすべてを頭から信じることは、よして頂きたいのです」

「そうかしら。そういった時勢でもないでしょう?不正をするようなひとにも見えないけれど」


どうやら涼香は女官すら疑っていたようだった。でもそれも当然のことかもしれない。

私は銀砂経由で、女官の言葉が偽りでないということを知っていた。

だから何の疑問も持つことはなかったけれど、涼香はちがう。

緊張状態にある中で投げ入れられた情報は、きっと不審者を庇ったように見えたのだろう。あるいは暗殺等の、主を陥れようと企んでいたようにも。

そんなこと、あろうはずがないのに。

けれどそこまで考えて、ようやっと彼女の反発具合に得心がいく。


「とにかく。何の根拠もなく盲信することは命取りになるということをお忘れなく。それだけは覚えていてくださいませ」


そうと分かれば、彼女の言動も微笑ましい気さえした。

入楼してからというもの、女官や他妃への敵意を見せることのあった涼香。それを咎めるだけに徹した私は、いつの間にか彼女のことを煙たがっていたようだから。

煙を払えば、新しい視界が開ける。


「そう。ところでそろそろ、甘いものがほしくなったのだけれど」

「どうして、翠雨様はこうも……」


大袈裟に項垂れて溜息を吐く涼香の表情は、見えなかった。

体勢のせいかくぐもって、低く聞こえる声音では本心は図れない。

怒っているわけではなく、呆れているのだろうと判断しておいた。


「先日鈴杏様から頂いた甘味があったでしょう?ご実家から送られてきたと仰っていた、あの豆菓子です。まだ食べていなかったから、昨日は感想を言えなかったから」

「それならば、障りがあるといけませんので他の者に食べさせました。あのような怪しげな品、翠雨様が口にされるなど、とんでもないことでございます。

でも!ご安心くださいませ、こちらがその者から聴取した意見ですわ。次に会われる際はこちらを参考にお話し頂ければ問題ございません」

「……涼香、」



押し付けられた文面に簡単に目を遣ると、そこには風味や食感に至るまで、事細かに書き連ねられていた。

書き手は涼香だろう。ところどころに辛辣な悪態が挟まれている。

『しつこくない甘さが程よく、ついついもう一口と手を伸ばしてしまう一品、とのこと。それはつまり、糖蜜を惜しんだということであろう』という具合に。


先程払ったように思う煙はまやかしだったようで、微笑ましい気持ちはすっかり吹き飛んでいた。

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