6.属国から来た娘
私たちは今、横並びで寝台の中に納まっている。
こぶしふたつほどの間を空けて、分け合った掛布が丁度境界線のように谷を作っていた。
極力波打たせないよう気を付けて、頭だけを銀砂の方へと向ける。
気付いた彼女も軽く首をもたげ、こちらへと向けたようだった。僅かな時間ですぐにまた、上を見上げるような体勢に戻ってしまったのだけれど。
その一連の動作を確認して、私もまた元の方向へと向き直る。
いくら暗くて見えない状況とは言え、視線の心地悪さはあるだろうから。
「わたしがこの国の人間ではないこと、翠雨は分かっているよね。話していて、気が付いているだろうなって思ってる。
明るいところで出会っていたならば、もっとはっきりと分かったのだろうけれど」
今から紐解かれるのは、私が抱いていた疑問。僅かな時間であっても、鴇耶様不在の淋しさを上回るほどの関心事で。
だからこそ、少しだけ怖かった。
知れば、どこか夢の住人のように思っていた『銀砂』が実感を伴ってやってくるのだろう。
お互いがお互いを知らないという、そんな関係は初めてだった。
解放感や新鮮さ、未知への好奇心。どれも今まで誰に対しても感じたことのないもので――これは気安さとも言うのだと思う。彼女を知ってしまうことで、それが崩れてしまうのではないかという不安があった。
解けてしまう夢を分かっていてもやめてほしいと遮らないのは、知りたい気持ちがほんものだからに他ならない。
「ここよりずっと南の国からいらしたのではないかしら、と。丁度楼の中に荷が入ってきていること、その絡みなのでしょう?
……あの、この国の人間には発声しにくい名なので呼べませんが」
「なあんだ、分かっていたのね」
詰まらなさそうな口振りとは裏腹な、笑みを含んだ声音で返ってきたのは肯定の言葉だった。そのとおりだと、合っているのだと。
ここまでは予想というよりか確信に近かったせいだろうか、不安に思っていた割には特に何かしらの気持ちが湧いてくることはなかった。
そうして軽やかに続けられたのは、やはり難しそうなかの国の名称。舌の所在から何から惑うようなものだから、後追うように口にはしない。
発音問題で話が横道に逸れるのは、時間が惜しいものだ。殊更、言えるようになりたいという気持ちはない。黙って耳を傾ける。
「わたしはね、その国の貴族の出なんだ」
「貴族!?えっ、本当に銀砂は貴族なの……?」
驚いたせいで、掛布がずれてしまった。途端、流れ込む冷気に身を震わせる。
しばらく寒さとは無縁だったせいで、ささやかな空気の流れでさえ酷く冷たいもののように感じるのだった。
それは銀砂も同じだったようで、寒いと思った次の瞬間には、腕への衝撃とともに冷たさが拭われていた。銀砂が身を寄せてきたのだった。
互いの肩と腕がぴたりとくっついて、触れ合ったところでじわりと温もりが混ざり合っていく。
ただ、抗議の意も込めたのだろう。ぶつけられたところはしばらく押されるような圧を感じていた。
「む!?その反応は似合わないとでも思っているね。
それは所作がなっていないということかな。翠雨に比べればそうかもしれないけれど、でも問題のない範囲のはず。それに――」
「いいえ、そういう意味ではないです!」
まったく異なる方向に話が転がる、もとい飛び立ってしまいそうだと、慌てて口を挟んだ。
そんな風に思ってはいないし、何より、よく見えていないのだから判別などできるはずもなかった。
「貴族の娘が国の外へ出ることに、驚いたのです」
「あぁ、そういうことね。わたしは地位だけで見るならば、そこまで高位というわけではなくって――それでも血筋に関しては前王の妹の孫娘という、上位の枠に入るから。
だから、献上品お納めの役目を与えられたというわけ」
我が国で例えるならば朱璃姫の孫娘ということか。
だが、そう考えてみると、国の重要な役割を帯びるには、あまり納得いく理由と思えない。
「失礼ながら、属国からの使者とするには血が濃いようには思えないのだけれど」
「それは元々、王の血縁者がそこまでいないっていう部分も強いかな。
わたしの生まれ育った国では、婚姻関係と言うのはひとりの夫とひとりの妻が結ぶもので、それは王家も例外じゃない。
だからここの王族とは違って、血縁者は多くないのよ」
何より、選別されるには年齢や健康面も大事だね、短くはない旅をするわけだし。
そんな風に続いた条件は、私の耳を素通りしていった。
複数人の妃を持たない王族がいるということに、衝撃を受けている。
湧き出そうな気持ちを必死に押し込める。疑問を持って、首をもたげそうな本心を力づくで押さえつけるのだった。
僅かな時間の攻防は、自らを確実に追い詰めてしまいそうで。
「ひとりに、ひとり。そんな国も、あるの」
「ある。というよりかは、そちらが大半を占めるのではないかなぁ」
始めは思わず漏らした言葉。
王が、王族が、複数の妃を娶らないという国があるなどとは考え付きもしなかったから。
「それでは世継ぎの問題が起こるのではないですか?」
でも、次は違う。話の腰を折ってしまっていると分かっても、止まらなかった。
夜はそんなに早く更けはしないから構わない。
時間が惜しいと、先程あらぬ方へ話が転がっていくことを阻止しようとしたのは、過去の私であって今の私ではないからいいのだ。
三晩かけて上映する演劇がある、ときいたことがある。さすがにそこまで長いものではないだろう。
なんて、いずれも言い訳だけれど。
だが止まらない理由など、分かり切っていた。
もしもこの制度が否定されたのならば、私は。
「実子がいないという場合も、確かにあるかもしれないけれど。でも、わたしの知る範囲では、だいたい何とかなってる。子がいなければ、兄弟や甥に譲ったりだとかね」
「そうなのですか。となると、少々不安定に思えます。もとより血縁が少ないらしいのでしょう?ずっと子がひとりしかいないのだったら、とはならないのですか」
「まぁ、そのときはそのとき」
言い募る私に、銀砂は軽く言う。興味のないような、そんなどうでもいいかのような言い様にも関わらず、何故だか心が軽くなった。
彼女の言葉には、きっと肯定も否定もないからだ。
でもそれを不安に思うことはなかった。
暗い中でしばらく互いの呼吸音だけが響いていた。
ごそ、と音を立てて銀砂が珍しくも動いたようだった。
さすがと言うべきか、その動作で冷たい空気が流れ込んでくることはなく、触れ合った腕の一部も微動だにしない。
「ね、翠雨?」
「ぅ、ん……?」
「急に静かになった。もしかすると、眠たい?」
「すこし、だけ」
動揺と安堵と。一連の心の動きを悟られたくはないと、口数は少なくなっていたものだから、突いて出たのは出任せのような同意の言葉。
今度はこちらから押し潰すように、銀砂の腕へと体重を乗せた。
間の抜けたような、情けない声が聞こえた。けれど、すぐ聞こえなくなったのだから構わないだろう。
形だけでもと、そろり瞼を下ろす。
実のところ、大して眠気を感じているわけではない。眠気があると答えた以上、そうすることが正しいように思えただけだ。
灯りのない中では、そんな些細な動きは見えていないだろうことは承知していたのだけれど。
先程まで私の内で渦巻いていた何かは、もう霧散していた。
***
「ひ、ぅ!?す、すっすす、翠、雨様ぁ……!?」
次に意識が繋がったのは、震える悲鳴の中。
咄嗟に開いた目が確認した限り、辺りはもうだいぶと明るいようだ。
眠りの尾はまだしっかりと頭に巻き付いているにも関わらず、再度瞼を伏せることはない。
なぜならば、すぐ目前にはしまったというような、何やらばつの悪そうな表情の異国の女がひとり。
銀砂。
誰何しなくとも分かる。が、初めて明るい中で目の当たりにする彼女の姿、まじまじと見詰めてしまうのも道理と言えた。
まず目を引くのはその肌の色。やはり鈴杏様の言うとおり、肌がよく日に焼けているように見える。そして次に、今まで見たことのない雰囲気の顔立ちが目に入ってくる。
この国の女たちと何がどう違うのか、部位ひとつひとつに目を凝らす。
驚いたように見開かれた目、ふっくらとした頬に半開きの唇。
そうして引き付けられるように、彼女を覗き込もうとして。
「なっ?どっ!ごぶ、ご無事、で!?」
慌てたような声が近寄ってくる。ついそちらへと視線を向けかけたが、そっと目を逸らす。今、背後に目を向けてはいけないような気がするものだから。
それでも視界の隅に、私を銀砂から引き離し、抱き寄せようとする誰かの手が入り込む。
――ぁあ、そういえば。
今朝は日課となった祈りをしていなかった。今日の分はどのようにして埋め合わせとしようか。
なぜだか急に、重要な懸案事項が湧いて出たものだから、私は熟考を重ねるために掛布の奥深くに戻っていくことにした。
もしかすると今が夢で、目覚めると丁度星の走る時間ということがあるかもしれない。
「何をされているのです!?早くこちらに!」
しかし、ほとんど怒鳴っているに近い声の主の手によって、呆気なく阻止されることとなった。何ということだろう、少しの逃避も許してはくれないらしい。
声の主――側仕えの女の思わぬ荒々しさに動揺しながらも、そういえば銀砂は、と様子を伺う。
彼女は掌で顔を覆っていた。
決して泣いているわけでも、眩しいわけでもない。くぐもった笑い声が漏れているからだ。
何が面白いのか理解に苦しむが、この調子ではしばらくは彼女の顔を観察することはできないだろう。
何より肩を掴む指が許してはくれない。先程から更に強く引かれている。
そして、常ならありえないほどの足音を立てて、この部屋へと近付いてくる気配がする。
叱られる、のだろうか。その要素を自覚しているせいか、言い訳は思い浮かばない。
銀砂が咎められないといい。
こんな思いをするのは小さな頃以来だが、大人になったところで逃げ出したい気持ちに変わりはないようで。
小さく息を吐き出して、私は瞼を伏せた。




