~朱璃~
姉上が嫁いでいったのは、冬。
兄上の婚姻相手が公となった日から丁度半月後に国中へと降嫁が知らされ、そしてその数日後に執り行われた。
朱璃が知らされたのも、ほんとうに直前のこと。
心の準備が付かないまま時間は過ぎていき、そしてある日、いつもとは違う格好をした姉上が楼から出ていく。部屋の格子に張り付いて、その後ろ姿を見ていた。
しっかりと記憶しているのはお別れの日くらいのもので、最後の数日がどうだったかなんてあまり覚えていない。
そうして気付けば姉上とはもう、一緒に住めなくなっていた。
どんなに悲しくても泣いてしまうことなんてないのだけれど、それでもいつも一緒にいたから淋しさはなかなか消えなかった。
姉上は手紙をくれる。残念なのはどんなに急いで返事を届けさせても、次の手紙が来るのは十日ほど間を置いてからだった。
忙しいのかもしれないし、嫁いだ家に遠慮しているのかもしれない。
先程届いたばかりの手紙をそっと丁寧に広げた。
流れるような文字は定型の挨拶から始まって、楼の様子を尋ねる言葉が続き、そして今の生活の様子を教えてくれた。
『まもなく春も盛り。殿下の婚姻の儀が――』
姉妹でのやりとりということで、姉上が朱璃に敬語を使うことはない。
けれど別の家に降ったのだからと、手紙の上であっても兄上のことを殿下と呼ぶ。
そんな小さな違いが目についた途端、淋しさは大きくなった。
もしも次に会ったとき。朱璃はまだ姉上を、姉上と呼んでもいい?
そんな日がやってくるのかは分からないのだけれど。
『王太子妃というお立場は、あなたにとっては姉上に等しいということ。仲良く――』
でもそのひとは、姉上にとっての『姉上』にはならないのだろう。
その文字を見つけたとき、朱璃は楽しみな気持ちがして、少しだけ先程までの『淋しい』が減った気がした。
もちろん、姉上の代わりにするつもりはないけれど。
朱璃の新しい姉上となる方は、どんな方なのだろう。そんな期待が膨らむのはしょうがないことなのだから。
***
『姉上』――今日に至るまで、翠雨様をそう呼ぶ気にはなれなかった。
兄上の妃として認めていないというわけでも、あのひと自身を認めていないというわけでもない。
もちろん最初に会ったときに様子伺いをしていたことは否定できない。だって朱璃は大きくなったら兄上と婚姻するって決めているのだもの。おんなじ楼に住む妃のことは知りたいと思うものではない?
けれどそれは最初のさいしょだけだ。
今は違う思いで翠雨様の元へと向かっている。
慕う気持ちはほんもので、だけれど家族という形で考えるとどうしてもしっくりとしない何かが残る。例えば葡萄を皮ごと呑み込んでしまったような違和。喉の奥だけにこびりつくような。
もしかすると共に過ごす時間が理由なのかもしれない。
でもそれが理由でなければいい。しっくりと来る頃にはもう、呼べなくなっているはずだから。
翠雨様と過ごす時間は好き。
朱璃の言葉を最後まできちんと聞いてくれる。
言葉少なだけれど、朱璃のことを受け止めてくれる。ときたま嬉しい言葉をくれる。
ただ、あんまりお話が上手じゃなさそうなところは頼りなく見えることもあって、危なっかしく思うときもある。
たまに元気がなさそうで、だから朱璃が元気を分けてあげなければいけないのだ。
特に今は、兄上は国の外に出ている。翠雨様は最近ずっと淋しそうにしているようだから。
「朱璃、朱璃~?」
「母上?朱璃はこちらにいるわ!」
母上が朱璃を呼ぶ声が近付いてきた。
朱璃は本日の講義の書物を片付けていたところだったから、その場で首だけ母上の来るであろう方向へ向けた。
もしもここに乳母がいれば無精をしてと小言を貰ったかもしれない。
「まあ勉学お疲れ様ねえ。今から翠雨さんに会いにいくのかしら?でもねぇ、鴇耶の楼も、こちらとおなじくらいに大変みたいなのよねぇ。しばらくは行かない方がいいわぁ」
「そうなの?詰まらない……いつまでなの?母上、いつなら行ってもいいの?」
「落ち着いてからになるかしらねぇ?向こうの楼次第よ。
それより、ねえ、朱璃も今から時間が空くでしょう?こちらへいらっしゃいよ。見たことのない細工の品があったわぁ」
頂いた品々を開けていっているの。
母上はそう告げると、朱璃の反応を待たずに衝立の奥に引っ込んでいった。
きっと開封作業が気になって仕方がないのだろう。
それでも朱璃に話に来た理由。あのひとの行動理由は、いちばんに思い付きが優先されるからだ。
「わかったわ、すぐに朱璃も……いいえ、朱璃は後で行くわ!」
同意して、母上を追おうと動き立ち上がろうとしたところで、はたと動きを止める。
「ねえ、誰かいるでしょう?書き物の準備をしてちょうだい」
なら手紙を出そう。
翠雨様、淋しくて泣いてしまうといけないものね。
しばらく会いに行けないと理由も添えて伝えておけば、あのひとも分かってくれる。それに朱璃も。
きっと珍しい品々だけでは埋まらないような――退屈な気持ちも淋しい気持ちも。翠雨様とのやりとりがあれば、我慢できるはずなのだから。




