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3.ねむり鷲

日中の侵入者――彼女の存在について、私は誰にも話さなかった。

使用人たちならば、私の耳には入らない様々なことを知っているだろう。

だが、それがすべてを知っているということにはならないだろうし、問うたところで正解が手に入る保証はない。

彼女がこの楼に縁のない者であったなら、まずわからないだろうとも思えた。

朱璃姫と鈴杏には会ってはいなかったが、たとえ顔を合わせたところで伝えなかったはずだ。答えも、想像すらも誰かと話し合おうという考えには至らなかった。

何より彼女がおたのしみだと言ったから、私は待っていようと思う。

なるだけ待つ時間が短ければいいのだけれど……。



――そう、思っていたというのに。

私は、涼香へ就寝の挨拶を済ませ、寝台と掛布の間へと身を滑らせた。

退室の際に立てる音を確認して、さて灯りを落とそうと小卓へと手を伸ばした頃合いに、例の彼女は衝立の後ろから姿を現したのだった。

少し前、消えていったのと同じ衝立だったものだから、まるでそのときから今までずっとそこに潜んでいたような錯覚が襲ってくる。

いや、昼間とは纏っているものが違うか。


「こんなにもすぐの再会になるとは思いませんでした」

「ああ、うん。そうだねぇ、昼間に会ったきりなのに随分前のことのように感じる」


彼女は幼子のように口許を大きく歪めて笑んでいる。他人からの目を気にしないような、そんな無邪気な様が新鮮だった。あの朱璃姫でさえ、そんな表情はしないだろう。

昼間よりは暗いものの、そんな風に顔の造形は何とか分かる程度の薄暗さだった。

そう感じるのは、先程は違い、私が寝起きではないせいもあるのだろうが。


「そういう意味では。いえ、いいです。

でも、そういった感覚には個人差があると思うのですけれど」

「違うちがう、待ち遠しかったということよ。きみは違うみたいだけれど」

「そ、れは……私も気にはなっていたのですが、急すぎて。驚いてしまっていて……決して会いたくなかったというのでは」

「暇だった、とも言うのかもしれないけれどね」


拗ねたような声音に面喰って口篭ってしまう。そんな私に、彼女は笑い声を含ませた調子でそう重ねた。

結果は、さらに閉口する時間が伸びることとなってしまったわけだが不快ではない。そう、ただ更なる驚きに固まってしまっていただけで。

単にその勢いに追い付けないという部分は置いておこう。むしろ愉快な気にさえなって、この気持ちはどんな理由からできているのだろうかと不可思議な気持ちがする。

そうやってまた私がゆっくりと感情を吟味している間に、彼女はさっさと寝台の縁に腰を下ろす。湯浴みは済ませたから、と断りを入れて。


「今がお互いに都合の良い時間帯かと思ったのだけれど、どう?大丈夫?それとも、もう寝てしまう?」

「構わないです。でも区切りは必要ですから――赤い月が、格子の細工と重なる頃合いまでとするのはどうですか?」


時間制限の提案に、同意の言葉はすぐに返ってきた。

果たしてそれは長いだろうか。それとも物足りなく感じるだろうか。

終わって見ないことには分からないながらも、前者の可能性もある中で、よくも自ずから逃げ道を塞いだものだと思う。

今は茶や菓子類で場を繋ぐことすらできないというのに。

咄嗟に零れたそれを気に病むことはしない。珍しく前向きな心地で、私は口を開いた。

何の刺激もない日々に現れた非日常へ、浮き立つものがあるのかもしれない。


「それにしても寝台にいるときにだけ現れる、だなんて。あなたはまるで眠鷲のようです」

「みゅ、みぇんじゅ?それはどういう意味?」


その反応から、私は確信を得る。やはりこの国の人間ではないのだ、と。


「この国で有名なおとぎ話のひとつです」


そう口にしても、彼女は反応しなかった。

隠すつもりがないからか、それとも気にも留めていないためか。

だから私は乞われるまま眠鷲について話すことにした。


「赤い月が沈んだあとの少しの間、または雲で隠れたとき。空に月がたったひとつになると、その青の月光が鷲の形を取るのです。鷲でありながら、長い尾を持っていて」


滑空してうねる尾は、彼女の飛び跳ねる髪束に似ているのではないだろうか。そう思って、自然と彼女の背へと目線が行く。一瞬、掠めるような時間、視線が交わった。


「鷲は、眠る乙女の寝台へと降り立つのです。乙女の傍に花や果物があればそれを食んで、

お礼に夢の中で未来の夫に逢わせてくれる――と、そういうお話ですね。

だから眠っているときに訪れる鷲、古い言葉で眠鷲というのです」

「乙女だけなの?青年の元にはその鷲は訪れないものなの?」

「ぇえ、未婚の女性の前にだけ、と」


質問攻めの姿勢であった彼女は、そこで考え込む素振りをする。

咀嚼せねばならないほどに、難い話ではないのだけれど。そんな疑問はすぐに刈り取られる。


「乙女、花や果物を食べる、それと夢……ね。案外と、その鷲こそが『未来の夫』ではないの?」

「運命の相手が、魂だけで駆けて逢いに来てくれるというのですか?面白い解釈とは、思いますけれど。どうしてそのように?」

「そうだったならば、随分と可愛らしいお話ねえ。でも違うのよ。

鷲は隠喩ではないのかな?って思ったのだけれど。そういう婚姻の風習が残っている地域もあって……残っているというからには、それはつまり古い習慣ね」

「まあ!それは聞いたことのない解釈です。詳しく教えてくれますか?」


婚姻成立の前に男が女の元に、ひっそりと通う。とある集落に、そんな風習があるそうだ。

そうやって人目を忍ぶ逢引を、若い娘たちは夢で逢うと言うのだという。

よって眠鷲は、言葉遊びから生まれた隠語ではないだろうか、と。

そんな手順を踏む婚姻など聞いたことのなかった私は、気の利いた返しは浮かばなかった。だから口を噤んで、相槌に専念する。


もしも、かつてこの国が、そのような婚姻の方式を取っていたと仮定して。

それなら眠鷲は、今となっては微かな面影しか残っていない、形を変えた恋物語だ。

当たり前のように知っている物事が、実はまったく知らない意味を持っているならば、それは純粋に衝撃的なこと。

あくまでも、想像のお話。もしものお話。そう注釈を添える声を耳にしながらも、私にはそれが事実のように思えたのだった。

どうせ分からないことなのだ。根拠は、この高揚感だけでかまわなかった。



「赤い月には、そういった物語はないかな?鷲ではなく鷹でも、他の何でも」

「このお話に対の物語は、ありません。大抵は月たちの物語というものは対になっていますけれど、必ずしもそうとは限らないですよ」


話の上手い区切りというべきか、ちょうどそこで灯りが絶えてしまったようだ。

暗闇を恐れる年齢ではないが、予想外の暗がりに心臓が二三度小刻みに跳ねる。


「ぁあ、吃驚した」

「えぇ、消えてしまいました。すみません、灯りは目が慣れるまで少し待っていてください」

「いえ……いいわ。決めていた刻限まではまだ少し余裕はあるみたいだけれど、いい頃合いかもしれない。

さいごに、」


言いながら、暗闇の中で彼女の輪郭が蠢いた。

じりじりと私の傍へと身を寄せて、触れ合うことはないまでも今までにないくらいに近寄ってきている。

寝台のおかげで、暗い中も迷うことはないようだった。


「わたしの名前は銀砂と言うのよ」

「ぎん、さ」

「そう、銀砂」

「銀砂」


ぼぅと繰り返す声は、少しばかり固くなっていたかもしれない。


「名前、おしえて。きみの名前」


囁くような、呟くような声に、ぞわりとくびの後ろが粟立った。

見えないからと言うかのように、覗き込む顔はとても近く。

鼻に、頬に――そうして唇に。

湿り気のある呼気が何度か触れ合った。


不可思議な心地が引き出される。夢の中のような、ふわふわとした不確かな心地。

私は誘われるように、自らの名を音にして吐いた。

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