序幕
もしも。
もしも、この気持ち――彼女や彼への感情に名前を付けることができていたら。
せめてもう少し、考えることができていたなら。
私の行動は変わったはずで。
それならば今このとき、違う結果に至れていたはずだった。
でもそんな決心も、今となっては遅すぎる。
起こってしまったことはすでに動かせず、起きてしまったからには止められない。
それに、この身体では――今にも終わりを迎えそうな私には、挽回など実現できようもなかった。
途切れがちの呼吸、魂の接続が切れたように感覚のなくなった身体、そしてぼやけて揺らめく視界は端の方から徐々に暗くなっている。
終わりの時、私は後悔の中にいた。
私を呼ぶ、彼女のまぼろしを耳にしながら。
***
その国は盆地にあり、山の恵み豊かな湖を抱え込んでいた。
山々に囲われた地上から見えるのは、平地に比べればわずかな天。
空では青い月と赤い月が交差することなく、現れた方位――蒼灯ヶ位、朱灯ヶ位――とは真逆に沈んでいく。
そろそろ、新しい陽が日昇ヶ位から現れるだろう。
明け方に一線の閃光を放つ『星』が不動の星の有る方位――星天ヶ位に向かって飛び出してくるのも、もうまもなくのこと。
それは煌帯と呼ばれ、『星』にしては異常な速さで空を駆ける。毎日おなじ時間、明け方の空に残光の帯を引くそれが、一体それが何なのかは地上の者にはわからない。
煌帯ヶ位、とそう方位が設けられるくらいに季節問わず、変わらず起こる天体現象で、毎朝たったひとつの星へと飛び込んでいく。
時間で巡る星とは違い、決して動かぬ星へと向かって。
天然城塞と言えるその立地から、ここに至るまで他国との間に大きな戦乱もなく、ここ数十年は内乱の気配すらない、平和な時代のおはなし。