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1.留守のあいだ

鴇耶様が遠く離れたかの地――属国へと旅立ってからもう十日近く経っている。

旅路は順調とのことで、伝令とともに生地が送られてきた。先日立ち寄った街で手に入れたものなのだという。

ふたりの妃と、それから妹姫への土産の品は布で、その土地の伝統的な図柄が織り込まれている。

太い線に細いそれがうねって絡まる様は、じっくり辿って行く内に目が回るようだった。

私としては、ぬくもりのない布地よりも鴇耶様がいい。着物越しでも感じる体温の方がよほどほしいものだった。いくら、彼自身が私にと選んでくれたものであったとしても。

全員が平等であることに対して、とくべつ拗ねているわけではない。

あるとするならば、しばらく会えないことに対する不満からのもの。

鴇耶様は出席せねばならない催事が終わっても、すぐに帰国できるわけではないそうだ。そのあとしばらくは滞在せねばならないし、帰国前に他国を経由して外交を行わなくてはならないらしい。

そんな風に外交の予定が詰まっている。まるで、国外へと出るついでだとでも言うかのよう。

次に会えるのは、一体いつになるのだろう。季節が変わる頃に、などということにならなければいい。

妃である私にできることなど限られていて、ここで旅の無事を祈ることと待つことくらいのものだった。



毎朝変わらず空を走る星に向け、両手を組んでは祈りの言葉を頭に巡らせる。

呪いの器具すら不要な、昔からある願い事の捧げ方。それはとても簡単だけれど毎日続けるとなると大変なことだった。

慣れない早起きに、頭はいつも眠くて堪らない。早く午睡の時間にならないものか、少しくらいならば転寝してもいいだろうか。

両の瞼を落として、それでも意識は留めたままに逡巡する。


「起きて、います」


ふと近付く足音に勢いよく顔を上げた。その拍子に、顔の周りに漂っていたような眠気が霧散する。

怠けたことを考えているのが知られてしまっていて、咎められるのではないか。そんなはずはないというのに、慌ててしまったものだから。

それでも口走った内容は、大袈裟な反応は、見えないはずの思考を簡単に露見させてしまうもの。しっかりと私の状態を把握した涼香の、呆れたような顔がそこにはあった。


「ぼうっとしていただけです」

「そう仰るのならば、そういうことでいいのですが」

「ぼうっとしていただけ、なのです」

「……はあ、承知いたしました。そういえば、本日も献上品が届くのだとか。かの国はそれほどまでに豊かなのでしょうか」


私の言葉はどうでもいいと言いたげに、涼香は私以上にどうでもいいことを口にする。

先程、急な覚醒を齎されたことに覚えるべきは感謝か恨みか。そのことに対しての自分がよく定まっていないこともあり、至極どうでもいい発言への相槌は打たなかった。


「とうとう殿下の私室にも入りきらずにこの階層の空き部屋を使用されると伺いましたわ」

「まあ、それほどまでに多くが届いていたのですか?」


だが、鴇耶様に対しての話題というなら別だ。いとも簡単に私はこうして反応する。


「陛下の楼はそれ以上だとか」


一体どんなものが届いているのだろう。

食べ物が混ざっていないといい。鴇耶様がお戻りになるまでに無事かしれないのだから。

逆に珍しい生き物なら大丈夫だろう。引き渡しの際にはよくよく言い付けられるだろうし、荷を解くまで気付かないということもない。

お戻りになったら、届いたものを一緒に見てみたいと思う。きっと私の知らないものばかりで、ひとつひとつを手に取って、鴇耶様にこれは何かと話をねだるのだ。


「搬入中は部屋から出ないように、と申し受けております。翠雨様、足りぬものはありませんか?本日の昼過ぎには行われるので、ご用向きがおありでしたら、どうかそれまでに――」


ぁあ、早く帰ってこないだろうか。

涼香がまた、どうでもいい話をし始めたようだから、私は再び目を閉じる。


「ではその時間は、午睡にします。出られないのならば丁度その時間に当たるように。いっそのこと、いつもよりも長めにとればいいと思うのですが」

「作業中は物音や、下手をすると揺れがあるかもしれません。隣の、煌帯ヶ位の間に」

「では、おやすみなさい」

「運び入れ、まあ翠雨様?今はまだ午睡には早い時間――翠雨様?翠雨様!?ここではいけません、せめてお召替えと寝台へのご移動を……!」


眠気は呼ばずとも簡単に戻ってきたものだから、やはり今から寝ることにしようか。

目覚める頃には終わっているといい。そんなささやかな願いを持ちながら。

部屋の外にはあまり出ることはないが、やはり制限されると窮屈な心地がするものだ。



***



「…………む。……ふぅ、」


目覚めた時に薄暗いのは、まだ明けきらずに夜が残っているときだ。これが午睡の頃ならば、曇り空や雨の時、窓枠の外側に日除けの帳が下ろされているときだろうか。

さすがに寝過ぎて夜が来てしまうということは、今まで一度だってなかった。

日除けの必要な季節ではないから、きっと天候のせいだろう。

目を薄く開いて以降、四肢を動かすことはない。そんなふうにぼんやりとしているような状況だが、頭の痛みも眠気もなく、目覚めはすっきりとしている。

ここ最近の不足分をも補えたのだろうか、自然な覚醒だ。


――と、急に暗がりが動く。否、動いたのは私に重なるように存在していた影だ。


「っ、わ……、ぁ」


なに?

その現象に疑問を覚えるよりか数瞬早く、驚きに震える声が降ってきた。

そのことで、寝台から一、二歩ほど離れたところに立っている姿を強制的に認めさせられる。

まったく気付かなかった。誰かが、いる。

丁度光源を背にしているせいか細かい顔の作りは分からないが、女だ。

私の側仕えにこんな女はいない。女官やそこに付随する朱璃姫に付き従う誰かとも違う。ただ楼の下層で働く者に対する記憶は少し、いやあまり自信がなかった。知らないからだ。

それでも理由有って――あるいは新人が迷って――この楼の者が妃の眠る寝台の傍にいたならば、そしてちょうど妃が目覚めたならば、まずは何らかの声を掛けるはずで。だから違うのだろうと判断できる。

私はその影を無言でじっくりと見上げる。

危害目的の線は薄そうだ。彼女からは戸惑う雰囲気こそあれ、焦りはあまりないようだった。

それにそういった目的で侵入してきたのならば、もうすでに事は済んでいるはずだ。私は先程まで無防備で、意識は手放していたのだから。


「おはようございます」


彼女はあれっきり微動だにしない。

だから話し掛けてみることにした。挨拶というものは随分と無難な声掛けだと思う。

いや、ここは誰何から入るべきところだっただろうか。

寝起きの弊害だろう、今の私の頭はあまり回転がよろしくないようだ。

しばらく相手の出方を見るべきか、それとももう少し言葉を重ねるべきか。

途方に暮れそうになりながらも、私は目の前の誰かを見上げていた。

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