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16.くちなし

妃殿下の訪問が続くということはなく、翌日からはまた朱璃姫だけの訪れに戻っていた。

しかしあれほどに気安く顔を出せるものならば、今後も不意にやってくる可能性があるだろう。今まで以上に、掃除や茶菓子に気を張っておいた方がいいかもしれない。

特に茶菓子については、ひとりにひとつというようなものは厳禁だ。

今日用意しているものは、小振りの蒸し饅頭。梔子で黄色く色付いた生地の中には、荒く濾した豆の甘煮が入っている。


「母上の仰っていたこと、翠雨様は気にしているのかしら?あの言葉はね、あんまり深く考える必要のないことだわ」


心配するような声音で語りかける朱璃姫の声に釣られ、目を遣った。先程まで夢中になって食べていた饅頭は既にその手になく、目の端に空の皿が映る。

小さな双眸は私の顔を見詰めていた。こうも見られていて気が付かないとは、自分の鈍さを実感する。

そして饅頭がいつの間にか食べ尽くされていたことにも気付かないなんて。

私はまだふたつしか食べていないのに――などということは顔には出すことはないけれど。

それよりも、年下の少女に内側の心配をされるというこの状況の方が問題だった。こういう状態は居心地があまりよろしくない。頼りないように見えているということだから。

だが、彼女の心配するようなことを考えているわけではなかった。それはむしろ、考える必要すらないことで。


「こうしてせっかく来ていただいているというのに、他に気を遣っているなど申し訳もないことです。けれど、違いますよ」

「だって翠雨様は母上と来た日からだんだんと上の空になっていくのだもの!

無理はしなくっていいのよ?思っていること、朱璃にお話して。ぜったいに言い付けたりはしないから」


その真剣な眼差しは、どことなく鴇耶様を思い出させる。

また余所事に思考を取られていた私は、それを払い落とす様にゆっくりと頭を振った。


「考えていたのは別のことなのです。実は、」


日昇ヶ位の妃、鈴杏様との間にあったやり取りを話す。属国について何らかの情報を持ってきて、互いに教え合うという約束についてだ。

いくつか話題を仕入れてみたはいいが、いまだに迷っている。迷っているそばからまた別の話がやってくる。そんな状態だった。

どうせなら、いくつかまとめた上で一度に文にして寄越してほしい。そちらの方が楽だろうに父は小分けにして送ってくるのだ。それも、頼んでいた話の部分は父ではない、他人の字で。

連日手紙を返さねばならない私のことも考えてほしい。いや、きっとそれが目当てなのだろうが。

定型のお礼だけでは文量はわずかで、感想を書き連ねるにも、相槌で終われないところが辛かった。まるで勉学のように思えて苦痛なのだ。

ならば、と変わり映えしない日常では報告することも少ない。二回目ですでに話題は尽きてしまっていた。


「楽しそうなことをするのね!どういったお話をする予定なのかしら?」

「どれにしようか決めていないのです。ふさわしいのはどんなものかと悩んでいて……」


すべてを披露するという手はなく、それも元から決められていたようにひとつしか口にするつもりはなかった。

約束の時間は今日、もう目前と迫っているというのに。


「そうだわ、今から決めましょうよ。練習にもなるはずだもの、朱璃が聞いていてあげます!」


先程まで纏っていた真面目な空気ははじけ飛んでしまっている。

目前の、より興味を引くものにすべてを持って行かれてしまう様は、まさに年相応の子どもであった。

茶で口を湿らせてから、口を開く。



大きな柑橘で作る独特な甘味、火を燃やし続ける祭り、人の言葉を話すという鳥――語り終わると都度質問をされたが、そのほとんどは答えることができなかった。

それでも朱璃姫が最後まで楽しそうにしていてくれたのは嬉しかった。


「ご興味があるのでしたら、朱璃姫もご一緒にいかがでしょうか?」

「その頃には講義があるから行けないわ。それに日昇ヶ位の方にはお会いしたことがないのだもの」


最初の出会いを思い返す。あのときは急に押し掛けてきたというのに何を言っているのだろう。

話題が決まったのは彼女のおかげもあるからと、私は懸命にも口にしなかった。

だがあのあとすぐに鴇耶様から注意を受けたのだっけ。それから学んだ結果ということはありえる。

わざわざ取り出してまで口にすることもないだろう。



朱璃姫はもう、この話の前のことを忘れているようだった。呑気に茶の追加を命じている。

目先のことに簡単に捕らわれてしまえるというのは羨ましい。

私も、かつてはそうであったのに。そんな風に身軽な心でありたいのに。

吐き出したい呼気は安堵の溜息。口の端でさえ、少しだって漏れない内に飲み込んだ。



***



結局のところ、鈴杏様に向けて披露したのはその国の農村部で行われている祭りについてだった。

数年ごとに行われる火付けは、他者からの迫害でも事故でもない。農民たちが自らで畑を燃やすのだという。

数年間繰り返し使われ、養分を吸われた畑はその火を受けて再生に向かっていくそうだ。すぐにではない。それをきっかけに、十数年をかけて。

燃やすということは破壊そのものなのではないだろうか。事実、燃やした翌日にその地を発っている。

きっと雑草すら残りはしない、焦げた土を作り出す行為。それがなぜ再生に繋がるというのか、原理は学者ではない私には知れない。

畑を耕し、耕して、ある程度すると火を付けて次の土地へ。それを繰り返し、二十年ほどの時間をかけてゆっくりと国の外周を巡る民たち。

移動の前触れとも言える、祭りの話だった。


「農村部と街はそこまで離れていませんが、間に掘を挟んでいるのです。あまり風の吹かない土地ゆえ、燃え広がるということがないそうですね」

「それが祭りだというの?随分と変わっているのね」

「えぇ、神獣様をその地に呼び寄せる儀式なのですって」

「まあ、そういうこと?納得いたしました。神獣様のお力で、その地はまた復活するということなのね……それにしても、」


先程まで真剣な顔で聞き入っていたというのに、話し終えた途端、鈴杏様はささやかに眉を顰めて、狡いとばかりに拗ねたような声を上げる。


「もしかして。翠雨様はお父君にお聞きになったの?書物は難しいことばかりで、そんな風に詳しい話は載っておりませんでしたもの」


冗談めかしたもので、非難されているわけではないのはわかっている。

それでもあまり気分はよくないわけで、だから、話を逸らすように返した。


「鈴杏様の仕入れ先は書物だったのですね」

「取り寄せようとしてみたのだけれど、すぐに手に入るものは記録書の類しかなかったのです。それくらいに、遠い地なのでしょうね」


なお、彼女が話してくれたのはかの国の人々は、日に焼けたような肌を生まれながらに持つという特性についてであった。

日に焼けた衛士よりも、さらに濃い肌の色をしているそうだ。その話も私にとっては初めて知るもので興味深くはあったのだが。


「でも、その神獣様のお話も気になりますわね。どういったいわれがあってそのお祭りが興ったのでしょう?なにか神話でもあるのかしら」

「さて、そこまでは」


私たちの交わした話の、どこまでが事実なのだろう。

今度は制約がないのだから、父ではなく鴇耶様に話をねだるのでもいいかもしれない。

鴇耶様に聞いてはいけない理由は――話が被っても、違っても――気拙くなるだろうから。ということに他ならない。



今日はいつもより長く居座ってしまった。目的なく訪れるいつもとは違うため、仕方のないことではあるけれど。

ようやっと話が落ち着き、部屋を辞する段になると、鈴杏様がとんでもないことを言い出した。


「体調がこのまま安定するならば、明日にでも起き上がることができるそうで…」

「まあ、そうなのですか?顔色は変化がないように見えるのですけれど」

「毎日のように見ているから、そう見えるのかしら。

でも、翠雨様がこうしていつも会いに来てくださって、ありがたく思っておりますのよ」


全快の近さを匂わせる彼女の言葉に、焦燥感に煽られる。

その理由は、もちろん自分でもわかっていた。

何故このときに言うのだろう。いや、顔を合わせたすぐにでも言われたら平静では居られなかっただろうが。


「立ち歩きの許可が下りましたら、星天ヶ位の間へ伺ってもよろしいでしょうか」

「そう、そうですね。快調に向かっているのは喜ばしいこと。その日が来ることを、お待ちしております」


自分の声が、遠くに聞こえる。それはいつも通りの、感情の起伏の乏しい平坦な声であったことは救いだった。

あぁ、これで鴇耶様のささやかな贔屓はなくなってしまうのだろう。彼女と平等になってしまうことよりも、会う機会が減ってしまうことの方が苦しい。


ここ数日は話の準備期間と称して、日昇ヶ位の間に訪れることはしなかった。

それは私の意志ではなく、ふたりで話し合った結果のこと。

そのせいで快調へと向かう速度が早まった可能性がある。もしかすると、鈴杏様は休息を得るために披露という提案をしたのかもしれない。

そんな考えが、私の頭いっぱいに広がっていった。

いまさらどうこうというのは手遅れなのだろう。



そう、もう手遅れなのだ。

この絶え間なく持ち続けては時折溢れてくる害意の源泉を、はっきりと自覚していた。

私のすべての感情は、彼を恋い慕う心から湧き出ている。

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