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11.もうひとつの輿入れ

夜半、いつものごとく卓で茶器を挟んでの会話の最中、鴇耶様は何気ない口調で切り出した。まもなく楼に新しい妃が入る、と。

次の妃の存在については、この楼に上がったばかりの頃に女官から聞いていた。だが、彼の口からはっきりと聞くのははじめてだ。

今まで話題にしなかったのは、それが機密に絡むものだったためだろう。

こんなに大切なことを、おざなりにするようなひとではないだろうから。


「多くの女を囲いたいというわけではないのだ。もちろん、翠雨がいやになったというわけでもない。これには政治的な絡みがあって、わたしの一存ではどうしようもないことでな」

「わかっています。王族の務めなのですもの」


嘘ではないと、それでも言い淀む鴇耶様に私は鷹揚に頷いて見せた。

複数人の妃を迎えること、そのそれぞれ妃たちとの間に子をもうけること。梃入れで貴族の力関係を操縦すること。

いずれもたいせつなことだった。理解している。私はきちんと理解しているのだ。

なのに、こうして彼の声で言葉にされた途端、胸の奥が押し込まれるように苦しくなった。


次期王である鴇耶様が他に妃を娶ることはあらかじめわかっていた。

今更そのことで悋気を起こすなど、恥ずべきことであり、先に上がっている妃のすることではないこととされている。

でも薄闇の中では表情のごまかしが効きやすい。だから目を凝らしたところで、このささやかな強張りを見咎められることはない。虚勢であったとしても、何食わぬ顔でやり過ごせばいいのだから。

なにより、このひとにはそんな私を欠片だって知られたくはなかった。

だから痛んだような心は押し込んでしまおう。これは錯覚にちがいないのだから。


かつて、歴史の上では妬心による醜い争いで死人の出た楼があるという。

口外厳禁の機密のひとつとして講義で習った歴史、事件がいくつかあった。

今はどこの楼も平和であると聞く。暗殺や暴力が発覚すれば、それを指示した妃は罰せられるという法があるのだ。だからきっとこの楼も問題はないだろう。

こんなに穏やかな鴇耶様の楼が、物騒な場になるとは思えなかった。

まだ見ぬ妃に敵意を抱いているかのような素振りを見せている涼香にしても、とくべつ過激な思考をしているわけではない。自身の主が唯一でないことが気に入らないだけのようだから。


「安心してほしい。新しい妃を迎えようと、けっしておまえをないがしろにはせぬ」


畳みかけるような言葉、その内容に安堵を覚えながらも私はなおも平然と振る舞って見せる。

反対に鴇耶様は困ったような声をしていた。

こんなに聞き分けがいいとは思わなかったのだろう。少しは拗ねたり、怒ったり、泣いたりすると予想でもしていたのだろうか。


「儀式でしばらくは翠雨の部屋には来ることができないのだ。とは言っても今回は最初の妃でもないから、いくつかは行われないものもある。長く会えぬということもないだろう」


それは具体的にはどのくらいの日数なのだろう。

私は頷く素振りで視線を手元に落とした。両手は行儀悪く、空になった碗を玩ぶ。

硬質な手触りは、心が余計に覚束なくなるだけだった。

滑り落としてしまう前に、止めておく。その間、鴇耶様が見咎めることはないようだった。


「一連の儀式が終われば、また逢いに来る。一番に、ぜったいに、だ」


言いながら、私に触れる指は優しい。

私は言葉ひとつひとつに頷いて、相槌を重ねて。彼に応えるようした。


はじめて会ったときから欠かさず行われていた夜毎の訪問が、まもなく途切れてしまう。

肌を重ね合わせることができない日でさえ、鴇耶様は寄り添ってくれていた。そのくらいに毎夜、毎夜。

彼のいない夜なんて想像できない。

今の私は、ひとりでも眠れるのだろうか。



***



鴇耶様の訪いは予告通り途切れてしまった。

それまでは触れ合っているときでさえ、会えなくなる日々が耐えられないのではないかと頻繁に過ったものだった。

こうして実際に迎えてみると心持ちは普段と変わりなく、案外平気なものなのかもしれない。そう、肩透かしだと思うくらいには。

夜にしたところで寝付きはあまりよくないものの、しっかり睡眠はとっている。

私が平静でいられるのは、新しい妃という存在をできるだけ考えないようにしているからなのかもしれないし、今楼にいる妃がまだ私ひとりだからなのかもしれない。

でも、それでいいと思う。

考えて苦しくなるよりは、何も考えない方がいいに決まっている。


ただ夜の準備の時間がなくなったころで、若干の暇ができてしまっていた。それが目下の弊害といえるだろう。

余分にある時間を今日はどうしようか。

長く楽器に触れるのも遊ぶのも、いつもより長いと少し飽いてしまって、しばらく手を付ける気にならない。

そういえば、生家にいたときの私はどうしていただろうか。

そんなことを考えていたとき、いつもの女官が挨拶にやってきた。

普段より少し調子の早いような挨拶の後に加えられたのは予想外で、予想内の一言。


「本日、輿入れが行われます。夕刻の一時、部屋の中でお過ごしくださいますようお願い申し上げます」

「まあ、今日だったのですか。わかりました」


日数など気にしていなかったが、今日だったのか。

間抜けな面を晒さないよう、神妙な面持ちで応えておいた。


元より、水回りに用のあるときでない限り下層に下りることはない。部屋の広さが充分なものであるせいもあり、前の通路でさえ滅多に出歩くことはしなかった。

だからそこまでの不便はないだろう。王城に入る前に伝令も走るというなら尚のこと。


「翠雨様に限らず、側仕えの者たちも例外なく外出不可でございます。すでに各々には伝えておりますが、何か御用がおありでしたらその時間帯を外してくださいますよう」


再度了承の旨を示した私を確認すると、女官は礼儀を失さない程度に足早に去って行った。

今回も彼女が先導を務めるのだろうか。慌ただしさを隠せないでいるようだ。


輿入れか。思えばもう随分と前のことのように感じる。

そんなものだから、ここに来てからというもの楼の外へは出ていない。

輝く楼の姿を見たのも、輿入れをしたあの日だけ。もしかすると、このまま一生目にすることはないのかもしれない。

そのことを、惜しいとは思わない。鴇耶様が私の傍にいてくれる限り、見ようとはしないだろう。


ふと横を見ると、傍に控えていた涼香が面白くなさそうにしている様が目に入った。

知らんふりをしておけばよかったのかもしれない。だが、先程から彼女の鼻息がわざとらしく荒いのだ。

待ち構えていた私の視線を感じたのだろう、その瞬間にも声が降ってくる。


「女官殿はあのように言っていますけれど、偵察はしなくていいのですか?」


不要だと遮っても、すぐに重ねられる。

何なら、階段に油でも垂らしておきましょうか?と。

冗談めかした顔で涼香が囁いた。


「……涼香。実際にしなくとも、口にすればそれは罪に当たるのですよ」

「その方は妃ではありません。まだ」


私の反応などわかっているだろうに、興が削がれたとばかりに返される。

弱い発破かと思っていたが、よもや私で発散しているのではないだろうか。そんな疑惑をちらりと考え、すぐさま捨てた。あまり精神衛生上よろしくはない考えだ。

それに、涼香はこうしてわかりやすい方がいい。他の妃を邪魔に思う気持ちを黙って抑え込んでいた方が、何かを企んでいたとしても気付かないだろうから。

そうやって理由付けを終えると、少しだけ彼女に苛ついていた気持ちが軽くなった。



夕刻、まもなく月たちも空へと姿を現すだろう時分。

今の季節は赤い月の方が少し早く顔を出す。輿入れの先触れは、既に楼中を巡った後だった。

ひっそりと執り行われているだろう進行は、あまりにも静かでもう楼に入っているのかさえ分からない。――分からない、はずだった。


ざわりと人の声が漣のように広がって、複数の足音が階段を踏みしめる音がする。

輿入れというには騒がしすぎる気がする。何かが起こったのだろう。

好奇心よりも、怖いという感情が身の内で大きくなっていく。


この楼で一体何があったのか、危険はないのか。怖かろうが知らぬ振りはできなかった。

だが部屋の中では耳を澄ませていてもよく聞こえない。

見つからないようにと言い含め、側仕えの女をこっそりと様子見に行かせた。

今、私に付いているのが涼香でなくてよかった。


女はそう間を置かず戻ってきた。

そっと扉を閉め、駆け込むような勢いで寄ってくると慌てて口を開く。


「す、翠雨様!日昇ヶ位の方が倒れられましたっ」

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