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9.妹姫の訪問

勧めた椅子に腰を下ろすと、朱璃姫はすぐさま口を開いた。

行儀も何もあったものではないけれど、それはもう今更のことであった。

私はべつに教師ではないのだし、注意などという角の立つようなことをする気にはなれない。


「はじめまして」


そんな今更の挨拶を聞きながら、私は彼女の真向かいに座る。

先程のものが公式で、今のものは随分と親しげな風情だ。

だから、私ももう一度返すべきだろう。今度は同じように、親しげに。


「はじめまして朱璃姫」


立っていれば離れていた顔が、今は近くにある。改めて彼女に視線を遣る。

顔の造りは、ほんとうに鴇耶様に似ているなあと思った。


「もう先程も呼んでしまったのだもの、お名前で呼んでもいいでしょう?

翠雨様も朱璃のことは名前で呼ぶのだし」


却下されるとは思っていないだろうに、と頭の隅で考える。そして、わざわざ断る必要もないのに、とも。顔色を窺っているようには見えないが―そういった性質ならば、いきなり訪ねてはこないだろうが―もしかしたら、許可の言葉がないと不安なのかもしれない。


えぇもちろんと頷けば、彼女は満足そうに微笑んだ。

その笑顔はあまり鴇耶様には似ていない。あのひとはもう少し綺麗に微笑むひとだから。兄に比べ表情の差が激しいというだけで決して朱璃姫が醜いというわけではない。


「朱璃は、品定めに来たわけじゃあないの。

そうね、見物?だって兄上のところに初めてお妃さまがきたのだもの。どんな方かしらって、やはり気になるでしょう?

本当に、朱璃はおはなしをしに来ただけなのよ、安心してほしいわ」

「おはなし、に?」


そのふたつは、言葉の上では違うだろう。もちろん、それは『する側』ならば。

『見られる側』である私には、あまりその違いはないように思う。

いや、これはほんとうに見物なのかという気持ちがあるせいだろうか。

そんな私の隠しきれない戸惑いを感じ取ったらしい、朱璃姫が声を上げる。


「まあ!緊張なさっているのね?

あんまり長居はできないから、そうやっている時間はもったいないと思うのだけれど……こればかりは、どうもいかないわよね」

「こんなに可愛らしい女の子を目前にすれば、緊張もするというものです。

頑張ってみますけれど、できるでしょうか」


はがゆそうに、溜息を溢す様には咄嗟に返した。おべっかを使ったつもりは、ない。

まんまるの黒瞳はとてもきれい。艶やかなその髪も、一本一本がさらりと流れる様はまるで絹糸のよう。

それに小さいというそれだけで、愛らしく見える。

今まで、これほどあからさまに見た目で年下と分かる女の子は、私の周囲にはいなかったからということもあるかもしれない。

朱璃姫はそんな私の言葉に照れたようで、頬を染めるとそれを誤魔化すように俯いた。

おかしなものだ、言われ慣れている言葉ではないのだろうか。


そのとき、茶器が運ばれてきた。盆には果物の蜜漬けがのせられている。漬けたばかりの、まだ柔らかなものだ。

ちらりと目線を遣っている間に彼女は持ち直したようで、姿勢よく座っていた。


「朱璃姫、私はあんまりお話が上手ではないのです。だから、まずあなたのお話が聞かせてください」

「それなら兄上のおはなしをするわ。だから、翠雨様は城の外のことを教えてほしいの」


彼女とは、鴇耶様とはできない話をしてみようか。決してあのひとの代わりにするつもりはないけれど。

蜜掛けの桃を摘んで口に放る。あぁ、甘い。でも指が微かにべたついた気がする。


「いいですよ。でも、私もあんまり外は知らないのです」

「えぇ。あなたの、ここに来る前の話なら、それは朱璃にとって城の外のはなしなのよ。

それに、ここに来るまでの間に街中も通ったのでしょう?いいわね、いいわ」




そろそろ時間だと言う彼女は、あっさりと帰って行った。

特別、難しいことを言わずに、機嫌も損ねることはなく、そう、平穏無事に。私は安堵でもってそれを見送った。

相手が王族、しかも鴇耶様の身内ともなると、途中からある程度緊張は解れたものの、会話を楽しむ余裕はなかったのだ。



扉の前、朱璃姫は最後にこちらを振り返って、


「朱璃も、おおきくなったら兄上の妃になるのよ。そのときは、そうねぇ」


ふふ、と笑って彼女は夢見るような目で未来を語った。


「翠雨様のおとなりが良いわ」


兄と、あるいは父と結婚するの――幼い少女にありがちな、ささやかな夢の話。叶うことのない、はしかのような一過性のもの。

外への興味を持ちながらも、今の彼女にとっては街中を車で移動する方が現実としては遠い、夢なのだろうか。



***



「今日はすまなかったな、朱璃が前触れもなしに押し掛けたと聞いたのだが」


入室するなり、鴇耶様が困ったような顔で詫びてきた。

日中のことは、既に耳に入っているようだ。それもそうか、彼は楼主なのだから把握していて当然だろう。


「はじめは何事かと驚いてしまいました。まさか妹姫がいらっしゃるだなんて。

けれど、楽しくお話できましたよ」

「今まで甘えていた姉が嫁いでしまったから、淋しいのだろう。

ここしばらく塞いでいたのでな。翠雨さえよければ、たまに相手をしてやってくれると嬉しい」

「えぇ、お待ちしております」


朱璃姫は、現王の楼に居住しているため、こちらから訪れることはできない。だから来るも来ないも、彼女の思うまま。

待っているだけでいい、それはとても楽なことだ。


「次からは、あらかじめ日時を伝えて訪問するよう言ってある」


鴇耶様は私の髪を梳くように指を遊ばせている。癖のない毛は簡単に零れてしまうから、何度も掬い上げてはじゃれている。

私は、こうされるのが好きだ。髪に感覚はないけれど、揺すられるのが分かるのはなぜだろう。

かすかに揺らぐその感覚を集めるように、目を伏せた。

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