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屈辱

ジョンは、いつも一緒に研究をしていた教授のステファンがガンで死んだ後、その大学を後にした。

元々、そこに居るような人材ではなかったのだと皆が言って惜しんでいたが、カミラはホッとした。これで、もういきなり構内で遭遇する危険も無くなったのだ。

その後、カミラもある政府機関の仕事について、そちらで研究することになって大学を後にした。そこでの研究はとても面白く、毎日が充実していた。そこで、マルクスという同じ研究員に出逢い、恋をして、一緒に過ごすようにもなり、そんな日々の中、いつしかジョンのことが頭に登らなくなっていた。

それなのに、それは起こった。

その日の発表は、カミラにとってもとても重要なものだった。国際的にあちこちの機関から優秀な頭脳が集まって行われるそれは、研究所の威信をかけた大きなものだったからだ。

カミラのチームの研究が評価されてそれでの発表が決まった時、チーム上げて喜んだ。そうして、皆で徹夜で準備をし、スライドや想定される問答集を作り、必死に備えた。

『不安だわ…何か、想定外のことが起こったらどうしたらいいのかしら。』

前日の夜、カミラが一人弱音吐くと、マルクスがそんなカミラを抱きしめて言った。

『大丈夫、君はこれまでよくやって来たじゃないか。当日は、オレ達も見守っているから。自信を持っていいんだ。』

マルクスにそう言われると、カミラはホッと安心した。そうだ、みんなでやって来たことなのだ。だから、頑張ってそれに向かわなければ。

当日、会場は大変な人だった。

入口で札をもらい、胸に着けて歩いていると、向こうから、見覚えのある姿が歩いて来てカミラの足は止まった。

…どうして…?!

カミラは、その場に根が生えたように立ち尽した。もう、忘れたと思っていたジョンが、記憶にある通りの不機嫌な顔をして、あっちこっちから話しかけて来る研究者達を鬱陶しそうに眺めていた。

棒立ちになっているカミラに、マルクスが怪訝な表情で言った。

『カミラ?』

カミラは、ハッと我に返った。そして、ぎこちなく微笑んだ。

『いえ…あの、何でもないわ。少し、お手洗いに行って来るから、先に行ってて。』

マルクスはまだ怪訝な顔をしていたが、それでも先に他の仲間と一緒に歩いて行った。カミラは、そのままそこに立って、ジョンが近づいて来るを見守った。

どうしたの…?あのまま、マルクスと立ち去れば良かったのに。

カミラは、そう思いながらも身動き取れないでいた。すると、ジョンがこちらへとスッと視線を向けた。そして、少し考えたような顔をしてから、言った。

『…カミラとかいう名前だったか。公聴に来たのか?』

カミラは、首を振った。

『いいえ。私は今日チームの研究発表を任されているの。だから来たのよ。』

ジョンは、意外だ、という顔をした。

『ほう。あの研究室ではろくな研究をしていなかったが、それでもこれに?…今日のレベルはどうなっているのだ。聞いておいてもいいものがあるかと、出席を受けたのに。』

相変わらず失礼なジョンに、想定内だとカミラはふんと笑った。

『あなたにだって驚くことはあるはずよ。じゃあ、また。』

カミラは、そこを離れて行った。ジョンのことを、見返すチャンスだ。あの男に、どうあっても私の能力を認めさせてみせる!


カミラは、マルクス他チームの仲間に励まされて登壇した。発表は、驚くほどスムーズに進んだ。何を懸念していたのか、わからないぐらいだった。

時々上がる、小さな嘆息の声に、カミラのテンションも上がった。そう、自分達の研究は、こうして世間に認めさせることが出来る価値があるものなのだわ。

チラと招待席に座っているジョンを見る。何人かが同時通訳のイヤフォンを耳に押し付けて聞いているのに、ジョンはそのままで気だるげに話を聞いていた。指は、ペンを弄んでいる…どういうことだろう?

隣りの席に居た男…その男も、よく科学雑誌に出ているのでカミラは見覚えがあった…が、ジョンの様子に気付いて声を掛けているのが見える。

ジョンは、カミラの視線に気付いたようだったが、それでも体を起こして、その教授に何か言った。

教授の、顔色が変わった。

…何を言ったの。

カミラは、急に不安になった。ジョンは、人が見落としたり気付かないことに気付く人だ。そしてそれは、いつも的を射ていて、一瞬にして状況を覆してしまう。

それでも最後まで終えると、質問時間へと移行した。何人かパラパラと手が上がる中、真っ先に立ち上がって手を上げたのは、ジョンの隣りの、あの男だった。

『疑問点が幾つかあります。先に答えて頂きたい。』

男は、英語で言った。他の者達は、挙げていた手を下げた。カミラは、俄かに上がって来る心拍を必死に押さえながら、落ち着いた風に言った。

『どうぞ。』

すると、その男はとんでもない事を言い出した。

そもそも、自分達がしていた研究は、無駄だったのだとカミラにまで思わせるようなその的を射た辛辣な内容に、カミラはジョンを見た。

あなたが入れ知恵したのね。

カミラは、その攻撃を受けている間、ずっとそう思ってジョンを見ていた。ジョンは、また気だるげにこちらを見返しているだけだ。

結局は、あれほどの前評判だったにも関わらず、過去最低の評価を受けて、その発表は終わった。

その会場に居た誰もが気付かなかったことを指摘したその男は、また雑誌の取材を受けて時の人のようになり、忙しなくインタビューに答える様を横目に見ながら、ジョンはまた、あの嘲るような笑みを浮かべて去って行った。

カミラのチームは、その政府機関の評価を著しく落としたとして解体され、そうして、カミラは、逃げるようにそこを後にした。

失業している間、カミラの憎悪の念はどんどんと膨れ上がって行った。ジョン…どうしてもたどり着けない男。どうしても認めてもらえない男。あの男が居る限り、私はまともな道を歩いて行けない。足掻いてももがいても、あの男が付きまとう。あの男を殺したい。あの男を、この世から抹殺してしまいたい…!

復讐の塊と化したカミラが今の組織に入ると言った時も、マルクスは何も言わずについて来てくれた。

そう、今も何も言わずに側に付き添っていてくれる。自分のこの復讐に、ついて来てくれる。

カミラは、じっと動かないジョンの唇に、そっと触れた。

分かっている…自分はまだ、ジョンを愛しているのだ。この、どうにもならない誰にも従わない男を、どうにかして自分の足元にひれ伏させて許しを乞わせ、そして認めてもらいたい。それが叶わないのなら、殺してこの世から、永遠に消し去ってしまいたいのだ。

コトン、と音がしてドアが開いた。カミラがそちらを振り返ると、まだ若いアジア人の男を連れた、マルクスがそこに立っていた。


要は、目を瞬かせた。目の前に居るのは、赤毛で緑色の瞳の、それは美しい女だった。

戦闘用の黒いつなぎを着ては居たが、それでもその美しさは損なわれていない。歳は、まだ20代後半ぐらいに見えた。

賢そうな口元は引き結ばれており、理性的な相手のようにも見える。こんな人が、どうしてこんなことをしてしまったのだろう。

だが、その相手がスッと体を除けた先にあった体に、要は目を見開いた。

彰さん…!

その顔は、全く生気がなく土気色をしていた。要が彰を見た途端に体を震わせ始めたので、相手はフッと暗い笑みを浮かべた。

『そう。間違いなくあなたの知り合いね?カナメ・タチハラ。かなり優秀な研究者だと聞いてるわ。ジョンがしょっちゅう連絡を取り合う人なんて稀だから、あなたのことは早くから知っていたのよ。』

要は、首を振った。

『オレは優秀なんかじゃない。いつもアドバイスをもらっていたのは、こちらから電話をするからで…自分で考えろと、いつも叱られるけど。』

ドイツ語でそう答えると、相手はスッと表情を緩めた。

『そんなところが、優秀だと言うのよ。あなたも多言語を操るでしょう。そこで住んだこともないのに。きっと、自分とよく似ているあなただからこそ、世話もしているんでしょうね。でも、あなたは素直そうで純粋だわ。この人とは違う。』

要は、必死に言った。

『あき…ジョンが、あなたに何をしたのか知りません!多分、酷い事をしたんだと思います!でも、本当にジョンは、そういう所が子供なんです。成長する過程で研究ばかりの毎日に入ってしまったので、そんなことは学ぶこともなく、普通の人の感性を忘れてしまっているんです。ジョンは、自分がそう言う事で、相手が何を思って、その後どうなるのかなんかまったく気にしないんです。だから、そうしてやろうとか思って言ったりやったりはしてないんです。最近、やっと回りとのかかわりを覚えて来たばっかりで、赤ん坊だと思ってくれた方がいいです。だから、許してくれとは言いません。ただ、生きて考える時間をあげてください。勝手に人狼にされてしまった人達でさえ、今は距離を取りつつも一緒に関わって生きてくれてるんです。お願いです。』

相手は、じっと要の目を見つめてそれを聞いていたが、その視線を彰へと移した。要は、どうやったら分かってくれるんだろうかと必死に考えた。だが、こんな分野に関しては、自分は全くの素人だった。

犯罪心理学も、やっておけばよかった。

要は、己ののんびりさと悔いた。自分の研究ばかりで、他を見ていなかった。時間はあったのに。

『…ねえ、この薬品が効いていても殺す方法を教えて。』相手は、まるでいとおしむような声でそんなことを言った。『どうしたらいいの?』

要は、口を引き結んで首を振った。あの薬品を使っても蘇生出来ない方法…それは、脳細胞を徹底的に破壊してしまうこと。

この人なら、やる。今、腰に吊っている、あの銃で。

それとも、24時間以上放置することだ。脳細胞が、死滅するから。

要の思考を読み取ったように、相手は腰から銃を引き抜くと、撃鉄を上げた。

『知っているわよ?頭を打ち抜くんでしょう。それとも』と、チラと自分の腕を見た。そして、フフと笑った。『あと6時間28分後までこのまま放って置くか。』

今午前2時25分か!

要は、すぐに計算してそう思った。だったら、もう本当に時間が無い。自分は、あれから三時間も気を失っていた…。

要が、悲壮な顔で見上げているのを見て、相手はすっと真顔に戻ると、撃鉄を戻して、銃を腰へしまった。そして、言った。

『今は殺さずに居てあげる。どっちにしろ、もうすぐ死ぬんだから。ここで眺めているわ。あれほど誇っていた脳細胞が死滅していく音を聞きながらね。』と、要の目をじっと覗き込んだ。『でも、チャンスをあげましょう。この人と同じ手法で。それで勝ち残ったら、あなたはこの人を連れてここを出てもいいわよ。間に合うかどうかは、あなた次第。ルールはこちらで決めさせてもらうわ。さあ、カードを引きなさい。あなたに最初に決めさせてあげる。』

要は、差し出されたカードに息を飲んだ。

もう、4年以上見ていなかった、彰が実験体達にさせるゲームの札、そのままだった。

その背には、赤く狼のシルエットが描かれてあった。

ああどうして心理学を専攻しておかなかった…!

要は、歯ぎしりした。

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