SOS
要は、一方的に切れた電話を手に、立ち尽していた。
大きなホールのような場所で、辺りにはいろいろな人種、いろいろな年齢の同じ大学の生徒たちが、日暮れに伴って自分の道を急いでいる。ここに突っ立っていたら、邪魔だと慌てて歩き出しながら、要はスマートフォンを胸ポケットにしまった。
なんだよ、オレだって頑張ってるのに、どうしたって進まないから電話したんじゃないか。
要は、心の中で思ったが、彰の方から見たら、何を言ってるんだと映るんだろう。
そう思うと、また彰の居る場所へ遠くなったように思ったが、そんなことで落ち込んでいても仕方がない。彰も言っていたように、諦めたら全てが無駄になる。
要は、黙々と自分の寮の部屋へ向けて歩きながら、気持ちを切り替えていた。
要が高校を卒業してから行った学校は、最初別の大学だった。
そこで本気になって学んでいると、自分は人より数段に物覚えがいいことに気が付いた。
教授にも理解力が高いと言われ、可愛がられたがあっちこっちのいろいろな言語の論文という論文を読破し、自分の知識が豊かになって行くにつれ教授との話が合わなくなって来た。
そのうちに、教授に言われた…『君は、ここではもう学ぶことはない。論文を書きたまえ。もっと上の学校へ推薦しよう。』
そうして、言われるままにその時研究していた課題の論文を書き、世界最高峰と言われている今の大学へと転校して来た。
実に留学して来てたった一年目でのことだった。
回りとの会話は、驚くほどにスムーズだった。何しろ、思考の流れが同じで、考える速度が似ているので話すのが楽だし、察してくれるので全て説明しなくてもいい。
こんなに楽な世界があったのだと要は生まれて初めて知った。
世界の天才が集められているのだと聞いていたが、要は自分が天才だとは思っていなかった。自分より、もっと優秀な人間が居ることを既に知っていたからだった。
ここへ来てもう三年、細胞学の方向だけでなく細菌学、医学、薬学なども履修して研究を続けている要は、今では将来を有望視されているエリート中のエリートだったが、要が追っているのは、ただ彰一人だったのだ。
トボトボと歩いている要の胸の、スマートフォンがブルブルと震えた。
…彰さん?!
要は、急いでそれを取り上げた。気が変わって電話して来たのかと思ったが、来ていたのはメールだった。だが、それは彰からのメールの着信だった。
ヒントをくれたのかもしれない。
要は、急いでメールを開いた。すると、中には英語でこんなことが書かれてあった。
「万が一の時のために備えた緊急メールだ。これが送信されたと言うことは、私は拘束されたか殺された後だろう。薬品の投与が間に合っているからこれを送信している。投与時間は末尾を参照してくれ。私には敵が多いが殺したいと思っているのは数人。このうちの誰かだと目星をつけて欲しい。1.アンソニー・リントン。アメリカ、マサチューセッツ在住。2.アデラ・エイジャー。アメリカ、ペンシルバニア州在住。3.アリアンヌ・オベール。フランス、パリ在住。4.カミラ・バシュ。ドイツ、ベルリン在住。特に最後のカミラは一度殺しに来たことがある。薬品投与が間に合って、死にはしなかったがな。カミラは私の体の損壊はしない。なので比較的スムーズに蘇生出来るはずだ。その他の誰かだった時は不運だったら頭をやられているかもしれない。後は頼んだ。8:53」
最後は、不自然に時間が入っている。ここだけ急いでその時に入力したのだろう。
要は、時計を見た。
…ということは、今薬品を投与したばかりだ。
時計は、18:59を指していた。日本とここは、時差はマイナス14時間。
要は、急いでCCで送られている他の送信者リストを見た。そこには、世界各国の場所のメールアドレスがあり、各国で緊急時にたどり着ける場所に居る人を選んでいることが分かった。
どうしよう…ここからは飛行機で14時間近くかかる。しかも直行便は日に一便。
要は、唇を噛みしめた。行きたい、日本での危機なら、オレが一番対応出来るだろうに。
要が頭をフル回転させて考えていると、生物学の教授が寄って来た。
「カナメ。」
要は、正直放って置いてほしかったが、顔を上げた。
「ミスター・アドラー。」
相手は、真剣な顔で言った。
「こっちへ。君に話があるんだ。」
何事だろうと要は意識を集中すべく瞬きした。
「何でしょう。申し訳ないのですが、緊急の用が出来てしまって、帰国しなけばいけないかもしれないんです。」
アドラーは、頷いた。
「そのことだ。」と、要が握りしめているスマートフォンを顎で示した。「ジョンだろう?」
要は、目を見開いた。アドラーは、急いで要の腕を掴むと、回りをさっと見回して、要の腕を引いた。
「こっちへ。手短に話す。」
要は、頷いて、アドラーに引っ張られるまま側のどこかの準備室へと入った。
アドラーは、スマートフォンを出した。
「私にも来た。」と、それが真実であることを要に見せてから、言った。「ジョンはここに居た時同じ研究室に居たんだ。私が質問するとよく馬鹿にされたものだが、そのお陰で今がある。それからの付き合いだが、何しろあの性格だろう。あっちこっちで敵を作っていて、しかも今の仕事があまり表に出せないものだから、殺されかけるなんてしょっちゅうなのだ。だいたいが未遂だが、ここにジョンが挙げている四人は頭がいいから面倒なのだ。特に最後のカミラは、変な組織へ入って武装している。やばい事この上ないのだ。事実、一度そのカミラに殺されているからな。」
要は、不安げにアドラーを見上げた。
「そんな…また何かのゲームにでも参加させて恨みをかったとかですか?」
アドラーは驚いたような顔をしたが、苦笑しながら首を振った。
「いいや。女はみんな使い捨てにされた恨みだろう。ジョンはモテたが誰も愛してはいなかったし、馬鹿にしていて道具扱いしていた。飽きたら捨てる。一週間も持たないことが多かったが、そのうちの三人だ。タチの悪いのが混じっていたなあと笑っていたが、笑い事ではないわな。」
要は、自業自得とはいえ彰が心配だった。一度殺されているのだ。あの薬品を作っている本人だったからこそ復活出来たが、そうでなければ要に出会う前に死んでいただろう。
要は、アドラーを見上げた。
「ミスター・アドラーは、あの組織の一員ですか?」
アドラーは、首を振った。
「いいや。私は違う。だが、連絡は入れた。君のアドレスがあったのを見て、すぐに空港に組織の飛行機を準備させている。あちらの組織の方でも捜査は始まっているだろう。ジョンが選んだ中の一員なのだから、君は行けるな?」
要は、何度も頷いた。
「はい!じゃあ、すぐに空港へ。」
要が踵を返しかけると、アドラーは言った。
「チャーター機専用の入口がある。私が車で送ろう。」と、時計を見た。「今からだと20:00発ぐらいになるな。向こうへ着いて現地は22時。あのチャーター機なら13時間で飛ぶ。パスポートを取って来るんだ。通用門の前で待っている。」
要は、頷いて駆け出した。そうなると、ますます時間がやばくなる。あの薬でも、維持できる時間は24時間。その後は、細胞の損傷が始まる。まず最初に脳細胞が死滅し始め、そして…。
要は、首を振った。急がなければ。何としても、彰さんを救わないと…!