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別れ

本当に、付き合っているとは言っても、この6年は名前だけというような感じだった。留学の間4年、研究所へ入所するといきなり戻って来て2年、その間会ったのは本当に数回だった。

留学の間は、一度もこちらへ戻って来なかったので会えなかった。一度ゴールデンウィークを利用してボストンまで行こうかと思ったが、要が研究室から出られないのでほとんど会えないし、空港へも迎えに行けないので無理だが、自分で観光するなら来ればいいと言われた。真紀は、英語が出来ないので一人でそれは無理だ。それを言うと、英語は学んでおいた方が便利だよ、学んでからおいでと言われた。

戻って来たと聞いた時、やっと会えると思った。だが、要はとても忙しくしていた。マンションの部屋は教えてくれたが、鍵を渡してくれることもなく、滅多に戻って来なかった。戻って居ても、こちらから連絡しないと戻っていることを教えてくれなかった。寝るだけだから、と言われて責めることも出来ず、結局毎日訪ねてみて、帰っていたら中へ入れてもらう、といった感じで何とか会っていた。

要は、すっかり成長して大人の男の外見になっていたが、それとは逆に、愛情確認のことに関しては淡泊になってしまっていた。キスをしようとしても、スッとかわされてしまう。さりげなく何か別のことに気を取られているふりをしては居るが、あれは間違いなく避けていた。

それでも、要を諦められなかったのは、回りの目もあった。真紀の回りの同僚たちは、ボストンに留学して多言語を操る彼氏がいる真紀を、とても羨んでいた。要はあまり言わないが、それでも洋子から聞いて年収の高さも知っている。そんな要が、一応別れるとも言わずに自分を彼女だと言ってくれている事実に、期待してしまったのだ。待っていれば、きっと結婚の話も出て来るはずだと。

だが、ここへ来てそれが幸せなのだろうかと思えていた。要は、変わってしまった。自分が知っていたのは、6年前の要だった。だが、今の要は、全く違う人なのだ。大人の男に成長して、頭の中まですっかり変わってしまった。きっとこの6年、要には激動の時間だったのだ。自分は、こっちで普通に就職して普通に毎日を過ごしていた間に、いろんな人と交流して、すっかり別人になっていたのだ。

そんなことを思っていたら、ドアが開いて要と不動産屋の担当者が出て来た。要は、不動産屋に鍵を返した。

「じゃあ、後何かあったら携帯に連絡して置いてください。出られないかもしれないが、折り返しますから。」

相手は、ちらと女性二人に気遣うような視線を送ってから、頷いた。

「はい。もう先ほど書類にはサインももらいましたし、問題ありません。ありがとうございました。」

要は、微笑んで手を差し出した。

「こちらこそありがとう。また何かあったらよろしく。」

相手は、戸惑ったような顔をしたが、その手を握った。

「はい。それでは。」

担当者は去って行った。

その何のためらいもなくスッと手を差し出す姿に、真紀も洋子も見慣れない誰かを見るようだった。やっぱり、要はもう自分達が知っている要ではない…。

要は振り返ると、言った。

「じゃあ、近所のファミレスにでも行くか?話すんだろう。」

洋子と真紀は顔を見合わせた。洋子は、首を振った。

「…私は、やめておくわ。もう、私の言葉は要には意味がないんだってわかったから。」

要は、その言葉に反論するでもなく軽く頷くと踵を返した。

「そうか。じゃあ真紀、行こう。」

要は、そのまま振り返りもせずさっさと歩いて行く。

洋子は、その背にため息をついた。要は、もう私の知っている要じゃない…。あれだけ人を思いやって気を遣う子だったのに、今はごめんの一言もあの口から出て来るとは思えない…。


真紀は、全く振り返ることもなく、前を歩く要を見上げた。背が高くなった…外を一緒に歩くなど、本当になかったので分からなかったが、こんなに大きくなっていたのだ。付き合い始めた頃は、まだ高校三年生だったのだ。自分は、大学二年だった…。

今は、もう24歳と26歳になっていた。だが、考えてみたら普通に付き合っていたのなんて18歳と20歳の時の、半年ぐらいのことだった。

渡米すると聞いた時、泣いて反対した。ごめんごめんと言いながら、ずっと抱きしめていてくれたが、それでも行かないとは言わなかった。だが、要が優しく大丈夫だって言い続けてくれたから、信じて待つことにした。

思えば、あれが別れだったのかもしれない…。

今の要には、あの時の要の優しさの欠片も感じられなかった。戻って来る時にも、一言も無く、いつの間にか日本へ帰って来ていて、洋子から就職したらしいと聞いて、日本へ帰って来てるんだと驚いた。

慌てて連絡を取ったが、なかなか繋がらず、やっと向こうからコールバックがあって、ひと月以上待たされてやっと会えた。それでも、就職先のことすらはっきりと教えてはくれず、ただそう頻繁には戻ってこれないと次に会う日の約束もなく、なんとなく面倒そうだったのも感じ取っていたのにここまで…。

気が付くと、要はさっさとファミレスへと入って行った。真紀もその後を追いかけて入る。要の動きは、驚くほど洗練されていて無駄がなかった。そんな要のことを、何人かがちらちらと見ているのは感じ取っていた。

係員に案内されて窓際の席に座ると、要はメニューを見ることもなくドリンクバーを注文し、真紀も同じように頼んだ。要と二人で飲み物を入れてから戻って来ると、要は持って来た飲み物に口もつけずに言った。

「…これなんだけど。」

要は、スッとスマートフォンを出して真紀の前へ置いた。そこには、真紀がなぜかロックもされていない要のスマートフォンに、黙ってインストールしたアプリが開かれてあった。

洋子からバレたと聞いていたので、要がそれを追及して来るのは分かっていたことだった。だが、このアプリで分かるはずの要の居場所は、街を外れて山へと向かうとぷっつりと途絶えた。そこからは、一切何も分からなかった…気付かれたのかと思ったほどだった。

「…あなたがあまりにも働いている場所を教えてくれないから。友達の彼氏なんか、会社の前で待ち合わせたりしょっちゅうだと言っていたのに。だから、そんな場所に本当に何かがあるのかって、疑問に思ったの。何も無いなら、どうしてそんなウソをつくのかなって。」

要は、フッと息をついて、真紀の目の前でそれをアンインストールした。そして、言った。

「間違いなくオレは研究の仕事をしているよ。場所が分からないのは、それをブロックする機能がそこにあるからだ。オレ達は、こうして君と話している今でもその研究所に管理されている。君には分からないだろうが、それだけ重要なことをしているんだ。さっきも言ったが、結果を出して行かないとあの研究所には居られなくなる。それだけ、厳しい場所なんだよ。」

真紀は、顔を上げた。

「どうしてその研究所でないといけないの?私も調べたけど、研究するならもっとほかにもたくさん場所があるわ!そんな、家族でさえも居場所も分からないような場所でなんて、おかしいわ。お給料のことなら、私も働いているんだし、生活はして行けると思う。」

要は、グッと険しい顔をした。視線が、スッと真紀を避けて横を向き、何を言うべきなのか考えているようだ。真紀は、もしかして行けるかも、と身を乗り出した。

「私の方が就職は早かったから、そこそこ給料はあるわ。あなたがここから普通の初任給になっても、きっとやって行けると思う。だから、あなたなら他の研究所でもきっと重宝されると…、」

真紀がそこまで言うと、要はうるさそうに手を軽く上げて振った。真紀は、驚いて口をつぐんだ。次にこちらを見た要の瞳は、驚くほど冷たい光を放っていた。

「金じゃあない。そもそも、どうして君の給料の話が出て来るんだ。オレは自分のために研究所を選んで研究を続けている。オレにとって、そんなものではなくてあの研究所で研究することが重要なんだよ。確かに今は普通の研究者に比べたら破格の待遇だろう。だが、どうして君がそれを知っている?君とオレとの生活が、どうして一緒になるんだ。そこが分からない。君は何を考えている?」

真紀は、ショックを受けた。結婚のことを、考えているような時もあったように思うのに、今要は、冷たい目で自分を見て問い詰めている。真紀は、言った。

「だって…そろそろ結婚もって、思ってくれていたんじゃないの?考えなきゃならないなって、言っていたじゃない。」

要は、言った。

「確かに考えなきゃならないと思っていた。このまま君をズルズルとオレに縛るのは責任が伴うし、別れるのか君がオレの仕事を理解出来るようなら責任を取るべきか…それは、考えていた。だが、君は自分から理解が出来ないとオレに今告白した。金の話が出て来る時点で、君とオレの考え方の違いは明白だ。これから先も、もし結婚してもオレは家に毎日は帰らないぞ。恐らくは、数カ月に一回になるかもしれない。そんな状態を、君には我慢出来ないだろう。どうせゴタゴタとして別れることになるなら、君だってここから誰かを探した方がいいと思う。」

予想していたこととはいえ、真紀が衝撃を受けていると、要のスマートフォンが鳴った。要は、スッとスマートフォンを手に取って真紀に言った。

「ああ、すまない。ちょっと取る。」と、横を見ると、英語ではない言語が口から出た。『はい?』

すると、脇から声が流れて来たが、真紀には何を言っているのか分からなかった。

『ああアレックスに頼まれたんだが、君の細菌の動きが今、面白い事になってるらしいぞ。君に代わってアレックスがそのデータを記録している。ジョンもそれを聞いて降りて来てるらしいし、今回はやったんじゃないのか。』

要は、立ち上がった。

『ジョンが来てるならそれなりの状況ってことだ!どうなってる?君は見たのかアーサー?』

相手は、困ったように言った。

『だからオレは細菌担当じゃないから。アレックス曰く、成長曲線が急にダダ上がりしたからどうのこうの…』

要は、言葉を詰まらせた。第二世代までは、普通に育ったのだ。最初はひ弱だったのに、急に強くなって。

『…分かった。ありがとう、アーサー。すぐに戻るとアレックスに伝えてくれ。』

アーサーは明るく答えた。

『OK。それぐらいならオレでも出来る。じゃあな。』

電話は、切れた。

アーサーは、ボストン時代の友達だ。要と一緒にどうしても働きたいと言い出して、彰に頼んだら結構すんなり採用された男で、普段はロシア語で話していた。もちろん英語も日本語も分かるが、彼は彼なりの流儀があるようで、それに付き合ってくれる要が好きなようだった。

要は、電話を切って、真紀を見た。

「…研究所へ帰らなきゃならない。オレは別れるべきだと思う。君の返事が聞きたい。」

急かすような感じだ。真紀は、首を振った。

「これが最後になるかもしれないのに、どうしてあなたはそんな風に冷たく出来るの?!あんなにやさしかったのに…変わってしまった!もう、あなたはあなたじゃない!」

激しく言う様子に、周囲の人達がこちらを見ている。要は、ため息をついた。

「冷たい?そうかすまないな。じゃあにっこり笑って言えばいいのか。それはおかしいだろう…確かにオレは男として最低なのだろう。だから、別れたい。君が了承してくれたら、こんな面倒でさらし者になるような時間は過ごさずに済む。お互いにとって有益だろうし、君にだって他に選択肢はないだろう。こんな男なんだ。忘れた方がいい。」

真紀は、落ち着こうと思ってジュースを口にした。そうなっても、要は水にすら口を付けないでじっとこちらを見ている。真紀は、言った。

「…わかった。確かにあなたの言う通りよ。あなたと私じゃ合わないわ。あなたは知らない人になってしまったから。だから、今だけは普通に話して。私達、敵同士じゃないわよね?あなたは最初から話を聞くような状態ではなかったわ。私達、一応ずっと付き合っていたんだから。それぐらい、最後にしてもいいでしょう。あなたは確かに賢いし私達なんて馬鹿な奴らにしか見えないのかもしれないけど、それぐらい、付き合って。」

要は、チラと時間を確認した。そして、真紀を睨むように見た。

「オレに内緒であんなアプリを入れたりしていなければ、オレもここまで強く出るつもりもなかったし、君にオレの状況を話してついて来れるか聞くつもりだった。でも、こんなことをするような女性を信用出来ない。待てないことも分かった。意識も考え方も違うことも。だから、怒っていたんだ。敵同士じゃないって?スパイ行為をされていたのに、敵ではないとどうして言える。君はオレの今の生活を壊す恐れがあったと反省もしないのか。言い訳ばかりで君こそ謝ってもないぞ。オレの言い方が悪いのかもしれないが、君の言うことも内容がない。」

真紀は、確かにあんなものを入れたことを悔やんでいた。どうせ、役に立たなかったのだ。それなのに、あんなことをして、要が不信感を持つもの当然だった。だが、それだけ自分も必死だったことを知ってもらいたかった。

「あれは悪かったと思っているわ。ごめんなさい。でも、それだけ必死だったの。帰って来たのに連絡もしてくれないで、マンションに戻っていても知らせてもくれないで、私は私で、あなたと話して分かり合おうと必死だったの…!それは、分かって欲しい!」

真紀は、涙を流した。要は、それでも眉根を寄せたままだった。

「…ごめん。君は必死でオレに訴えてるんだろう。だが、オレの心には何も響かないんだ。もう終わってたんだなと思う…それを、アプリの件で完全に断ち切られただけで。オレ…多分おかしいんだろうな。だが、これが今のオレだし、考え方なんだ。だから、前の要と同じになれと言われても、オレには無理だ。」と、じっとグラスに着く水滴を見た。「思い出したよ。オレ、君とよく学校帰りにこうしてドリンクバーで長い時間粘ったよな。今のオレは、外では何も口にする気になれない。自分が食べるもの飲むものは全部自分で管理してるから、どんなものでも調べてからでないと口にしないんだ。自分の体に住む細菌のことまで把握してる。それが変わって体調が崩れるのを考えて、君と接触することすら嫌になってて。他の人が同じことを言っていたのを聞いて、病的だと思っていたのに、そんな感覚にオレもいつの間にかなってしまってるんだ。オレが悪い。オレはもう普通の人とは違う。君すら細菌の管理も出来ていない細菌の温床に見えて来てしまっているんだ。やっぱり、君はオレなんか忘れた方がいいよ。」

真紀は、涙を流したままその話を聞いた。要は、淡々と事実を述べているだけといった感じだったが、その前のように、怒って責めているような感じでは無かった。何より、前の要のように、素直にごめんと口にした。きっと、何も悪気はないのだろう。いつの間にか、自分が変わってしまっていたのだ。要に、まさか細菌の温床だと思われていたなんて。それなら、もういくら頑張っても無理だった。

「フフフ」

真紀は、笑った。そうばい菌扱いされてたのに、そんな意識で恋愛なんて無理だった。

「…真紀?」

要が言う。真紀は、気でもふれたんじゃないかと思われてるんだろうな、と思いながら、言った。

「いいえ、あまりに私達の感覚が違い過ぎて笑えてしまって。あなたから見たら、私なんてばい菌なのね。それなら、もう駄目だわ。」

要は、少しほっとしたような顔をした。

「良かった、気がふれたのかと思った。別に君自身が細菌だなんて言ってない。ヒトはみんな体に細菌を持っているから。新しい何かをなるべく体に入れたくないってのが、正直な気持ちなんだ。それは、常にどこかから取り入れてはいるけど、不必要に大量に取り入れたくないって思うだけで…。」

真紀は、涙を拭いた。こんな風に感じる人に、ついて行けると思っていたのが馬鹿だった。

「ごめん、じゃあ私も帰るわ。洋子がとても心配してくれていたから、どこかで会って話してから帰る。要くん…さよなら。」

要は、頷いて伝票を掴んで立ち上がった。

「ああ。オレは先に出るから、ここに姉ちゃんを呼んだらいい。もう会うこともないと思うけど、元気で。」

要は、そこを出て行った。

それを見送って、真紀はまた涙を流したのだった。

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