変化
要は、彰にも町へ行って来ることを伝えた。
彰は、特に何も言わずにモニターを見たまま手を上げて了承を伝えて来た。要が何をしに行くのか察しはついているだろうし、それ以上何も言うことは無かった。
久しぶりに出口の方へと急ぐと、そこに居た警備員が寄って来て車を準備してくれた。乗って来ている車は、みんなこの警備員たちが管理していて、鍵も渡してある。ここに一度入ったらみんななかなか町へ帰ることがないので、場合によっては何カ月も放って置かれる車はバッテリーが上がったり大変なので、警備員たちが適度にエンジンをかけてメンテナンスして置いてくれるのだ。なので、いつでも乗ろうとすると完璧な状態だし、ガソリンもほとんど空の状態で乗って来ても次に乗る時には満タンになっていた。
警備員の責任者の、モーガンが歩いて来た。
「そろそろでしたので先週オイル交換も済ませておきました。」と、小声で言った。「大変ですね。」
要は、中で話したことがみんな筒抜けの事実を知っていたのでモーガンが知っていることは分かっていたが、苦笑した。
「身から出た錆だ。行って来る。二日ぐらいで戻れると思うんだけど。」
モーガンは、頷いた。
「はい。お気をつけて。峠の道の土砂崩れは撤去して置きましたが、それでもあそこは危険ですからね。ヘリで行った方がいいのですが。ジョンの屋敷の敷地にヘリポートがあるので、利用される人も多いですよ。」
要は、あの大きな屋敷の敷地に降り立つヘリから、自分が降りて行く姿を想像して、首を振った。目立つだろうが。
「いや、オレはそういうのはいいよ。目立ってしょうがないじゃないか。じゃあ、またなモーガン。」
モーガンは、頷いて車から離れた。
「はい。お気をつけて。」
要は、車に乗り込んでエンジンをかけ、久しぶりの運転に慎重になりながら町へと向かった。
町までは、何だかんだで一時間は掛かる距離だった。
峠の道をグネグネと通って行くので、それに時間が掛かるのだ。
もう昼近い太陽が照る中、要はひたすらに下界を目指して降りて行った。
マンションへ行く前に、それを借りた不動産屋へ寄って、退去の手続きを取った。鍵は荷物を全部出してから、不動産屋の人立ち合いで確認をして、返すことになっている。クリスに相談したら、軽く手を上げて分かったと言っていたので、人の手配はされているはずだ。
それを信じてマンションの駐車場へと車を止めると、すぐに数人の人が寄って来た。
「立原様ですか?ご不要の物を御引取に参りました。」
要は、もう来たのか、と驚いたが、彰関係はみんな、驚くほどに仕事が速いことを思い出し、急いで車を降りて手を差し出した。
「早々とありがとう。立原要です。二階の一番奥なんで、よろしく。」
相手は、驚いたような顔をしたが、その手を握った。要はその反応に、ここは日本だった、と思わず心の中で苦笑した。頭を下げる方が普通だったか。
研究所の中ではグローバルなのでボストン時代のことが役に立っていたが、思えばここは日本なのだ。
いろいろと変わってしまっている自分を感じて、要はため息をついた。
業者の人達は、どこから来たのかも分からなかったが、それは手際が良かった。エアコンを外し、後を塞ぐのも彼らは簡単にやってのけた。
食器は真紀が勝手に買って来ていた物も含めて一人なのに結構な数があったが、持って行くことも出来ないので、全て持って行ってもらうことにした。
食品は捨て、冷蔵庫も持ち出された。洗面台にあった物は全て処分された。食器棚も小さな物だったので、中身を出したらさっさと一人で運んで行ける。そんなこんなで、布団も全て持ち出された後には、要のノートパソコンだけが残っている状態になった。
その間、僅かに一時間半ぐらいだった。
「トイレットペーパーだけホルダーに入っているのは置いておりますので。後は、全て撤去しました。ご確認の上サインをお願いします。」
要は、ベランダのスリッパまできっちり処分してくれているのに感心して頷いた。
「ありがとう。」と、要はサインした。「また何かあったらよろしく。」
相手は、頭を下げた。
「いつもありがとうございます。こちらからのご依頼の分は、いつもあまりご使用になっていない状態なのでとても綺麗なので私共も助かります。では。」
そうか、同じように町の住まいを撤収する人が多いんだな。
要は、そう思いながら業者の人達を見送った。一気にガランとした状態になったので、もう今日来てもらうか、と、不動産屋の番号へと電話をする。
姉ちゃんと真紀には、どこか外で会うかな。
要がそう思って不動産屋に連絡し終えて、何も無くなったフローリングの上に足を投げ出して座っていると、ガチャ、とドアの開いた音がした。
不動産屋か、早いな、と思って振り返ると、そこには、真紀が洋子と共に立って、茫然としていた。
「…ああ、もう不動産屋が来るんだ。確認してもらってから鍵を返すから、待ってくれるか。」
洋子が、入って来て回りを見回して言った。
「これ…!あなた、どういうつもり?!話をしてから決めるんじゃなかったの?!」
要は、うるさそうに言った。
「返すって言ったじゃないか。オレには時間がないし、そうここに居られないから手配はあっちからして来たんだよ。今業者が来て要らない物は全部持って行った。オレに必要なものはほとんど置いて無かったし、オレはこのパソコンさえあったらいい。それに、何を話すんだよ。ここはオレのマンションだろう。姉ちゃんにいちいち返すんだけどどう思う?って言う必要はない。」
洋子は、要を睨みつけて言った。
「真紀ちゃんはどうなの?!ここへ何回か来てくれてたんだって聞いたわよ!あなた達だってそろそろ落ち着く時期だろうって思ってたのに、どうなってるの?あなた何を考えてるのよ?!」
要は、息をついた。
「何を考えてるって、オレは今の研究のことを考えてる。あのな姉ちゃん、これはオレと真紀のことであって姉ちゃんには関係ない。真紀に話す。姉ちゃんはうるさく言うなら帰ってくれ。オレの生き方のことに、姉ちゃんにとやかく言われる筋合いはない。」
洋子は、それでも食い下がった。
「あなた、そんな子じゃなかったでしょう?私の悩みだって聞いてくれたし、お互いに支え合ってたんじゃないの?そんな言い方はないわよ!」
要は、グッと眉根を寄せた。
「一度言おうと思ってたんだけど、姉ちゃんがあまりにも馬鹿だから放って置けなかっただけだ。オレは自分のことは自分で支えていたし、姉ちゃんにオレは支えられないだろう。ただ、姉だっていう立場があるだろうし呆れても尊重していただけだ。そんな風に考えることから、馬鹿だって言われるんじゃないか。大学に入る前の論文の内容だってオレが考えたし、就職の時の受け答えから志望動機までオレが考えて果ては入社前の論文までオレが書いた。全部姉ちゃんが泣きついて来たからだ。姉ちゃんからはオレに何をした?支え合うってのは、お互いに何かしているってことだ。何もないだろう。」
冷たい視線だった。
まるで、何かを蔑むような、嘲るようなその視線に、洋子は何も、言い返せなかった。
要の言うことは、何一つ間違っていなかったからだ。
優秀な弟が居る、その弟が自分には仕方ないなあと笑って手を貸してくれる。その状況が、嬉しくて楽しくて仕方がなかったのだ。
でも、そんな風に思われていたなんて。
「もう、いいです洋子さん。」じっと黙っていた、真紀が後ろから言った。「要くんは、変わったね。アメリカに行ってからは海外だしそう連絡がないのも仕方がないと思っていたけど、帰って来てからも同じ国に居るのに本当に時々しか会えないし、こっちから無理に会ってもらう感じだった。私なんか、居ても居なくても同じみたいに。」
要は、息をついた。
「変わったと言われたら、オレも反論は出来ない。回りを囲まれているのが、みんな自分の研究しか頭にないような人達ばかりだからな。みんな結果を出したいんだ。オレだってそうだ。あんな優秀な頭脳集団の中で落ちこぼれずに残って行こうと思ったら、これぐらいしないと駄目なんだよ。」と、そっと遠慮がちに開いたドアに気付いた。「ああ、来てくれた。鍵を返すから、ちょっと待っててくれ。」
不動産屋の担当の人は、すすすと控えめに入って来ると、要と一緒に部屋の中を確認した。真紀は、まだショックから立ち直れていない洋子を連れて部屋の外へと出た。




