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悩み

彰が襲撃されてから、もう二年が経過していた。

要は、悩んでいた。

研究はとても順調だった。真司も博正も、要相手だととても協力的で、時々来る博正の妻の美沙も、要のことをとてもかわいがってくれた。かわいがると言っても、歳は二歳しか変わらないのだが、まるで姉のように、それはきめ細やかに世話をしてくれた。

美沙は、彰に博正たちと同じように人狼に細胞を変化させる薬の実験体にされ、適応した検体だった。だが、よく聞いてみると、博正が先に人狼にされ、次の実験の時にわざと美沙を連れて来て、人狼にしてほしいと彰に頼んだのだということだった。博正を恨まないのか、と美沙にそっと聞いたら、あの人の愛情は曲がってるけど、それでも死ぬほど愛してくれてるんだと思うから、と困ったように笑っていた。

博正だって彰のことをとやかく言えるほどまともじゃないんだ、と要は思った。

真司はまともなのに人狼化してしまった気の毒な人だった。ここに居る人狼は、他に慎一郎という研究者が居たが、彼は自分から細胞を検査して、適合しそうだから使ってくれと申し出た珍しい検体だった。美沙の助手という立場だったが、美沙が博正に止められてほとんどここに来ないので、ほとんど一人で頑張っている。彼は別に人に戻りたくはないようだったが、それでも要の研究の手伝いはしてくれた。少し変わった人だったが、それでも優秀な人なので要はとても助かっていた。

それなら、何を悩んでいるのかと言うと、姉の洋子からのメールを読んだからだった。

この一年以上というもの、研究所に泊まり込むことが多くなっている。

彰などはここに住んでいるぐらいなので、要も細菌の世話もあるし、スタッフに任せてばかりでもいけないので、ここに泊まり込むことが多かった。

だが、それが、彰が言うところの「下界」の住人には分からないのだ。

だからといって、ここのことを詳しく言うことは禁じられている。場所さえも、極秘とされている。なので、家族にも恋人にも、理解されない。

家族は何とかなっても、恋人にはどうにもならなかった。

そう、要が遠距離恋愛も乗り越えてここまで付き合って来た真紀も、長らくまともに連絡もなく、ここの要の部屋にすら招待されず、土日など関係なく休みがほとんどないのに業を煮やして、洋子に相談したようなのだ。

そして、姉からいったいどうなっているのか、どういうつもりなのかと問い詰めるメールがやって来たのだった。

それがまた三日前のことで、ちょうど実験が佳境に入ってバタバタしている時だったので、返信もせずに放って置いてしまったので、今日になって思い出してどうしたもんかと悩んでいたのだ。

今、また新しい細菌の培養を始めたので、繁殖するまでは時間がある。カレンダーを見ると、今日は日曜日で姉の仕事も休みのはずだった。

…電話するか…。

要は、はあとため息をついた。今は出来たら実験のことだけを考えていたい。何かが掴めそうなのに。もう、そこまで来ているような気がするのに…。


彰に報告をしようと執務室へと入って行くと、相変わらずたくさんのモニターの前に座ってあっちこっちからの文書に目を通していた。最初気だるげに視線を上げたが、入って来たのが要だと気付くとパッと視線をはっきりさせた。

「ああ要。データを見たぞ。次の世代は期待出来そうだな。培養を始めたか?」

要は、頷いた。

「はい。まだ完全に制御するまでは無理だと思いますけど、人狼へ変化するのを抑制する効果は前回のものでも見られたので、次はどうかなと期待してます。」

言葉の明るさとは裏腹に、要の表情は冴えない。彰は、眉を寄せて言った。

「なんだ?培養が難しそうか。育てるのがやたら上手いチームが居るからそれを行かせるか。」

要は、慌てて首を振った。

「いえ、培養は順調です。そんなやわな細菌じゃないので常温でほっといても増えます。ちょっと私生活で面倒があって、それで悩んでるんで。実験中は忘れてるんですけど、こうして時間が空くと思い出して。」

彰が、呆れたように椅子の背へともたれ掛かった。

「なんだ、下界の事などに煩わされている場合じゃないぞ。君の二年の苦労が実ろうとしているんじゃないか。それで道筋が立ったら、私の方の研究も進む可能性があるんだ。人類の進歩に貢献しようとしているんだぞ。」

要は、うなだれた。

「はい…分かってます。」

要が、あまりに元気がないので、彰は不機嫌に引き結んだ口元を、緩めた。

「…まあ、私と違って人との交流もしている君だから、無理にとは言わんが、いったい何を悩んでいる?なんなら、聞いてやってもいいぞ。」

要は、驚いて顔を上げた。彰が、人付き合いの悩みを聞く?今まで、時間の無駄だとか言って、興味のないことには絶対に時間を使わなかったのに。

「え…聞いてくれるんですか?」

彰は、気が進まなそうだったが、頷いた。

「私が聞いてやるのだから、解決するんだぞ。座れ。」と、側の応接セットに座って足を組んだ。「話してみろ。」

要は、おずおずと彰の前に座って、彰を見た。まるで、警察署の取り調べ室で取り調べを受けている最中のようだ。

「その…ここのところ町に借りているマンションにも帰らない生活が続いていて。ここにもオレの居室はもらってるし、食事は食堂で出来るし、実験室にもすぐ行ける。通勤の必要がないんですから。途中弱かった細菌だって死なせずに済んだのも、ずっと24時間対応できる状態で居たからだと思うんです。」

彰は、辛抱強く頷いた。

「ああ。私も実は屋敷を持ってるが、ここ十年以上帰ってない。時々人をやって掃除させて維持はしてるがな。ほら、君のマンションの近くにある城みたいな建物だ。」

要は、驚いた。あの、誰が住んでるのか分からない大きな敷地のヤツか。

「知りませんでした。そんな近くだったなんて。」

彰は、軽く手を振った。

「ここから近かったから、金に困った知人が売りたいと言って来たから買ってやっただけだ。何度か実験ゲームに使ったりはしたが、私自身は住んではいないからなあ。で、マンションがなんだ。」

要は、息をついた。

「もうマンションを引き払ってもいいかなぐらい思ってたんですけど、三日前に姉からメールが来たんです。実験でそうそう連絡出来ないから無視状態になってたオレに、オレの付き合ってる彼女が姉と友達なんで、泣きついたみたいで。メールは見たけど、オレも忙しかったから放置してたのを、今日我に返って思い出して。電話しなきゃならないけど、気が重いなあと。自動自得なんですけどね。」

彰は、意外にも顎に手を置いて真剣な顔をした。

「うーん、理解のない下界の女と付き合うとそうなるのだ。そもそも、ここで働くと決めた時から君の選択は成されていた。ここの存在を明かせない以上、ここの職員の女か、下界の女でも細かく詮索せずに何も言わず家で待っているような者かしか、君には選べなかった。だから、今の君に出来ることは、その下界の女に聞き分けさせるか、下界の女と別れるか、ここを辞めるかの三択だな。」

ここを辞める?

要は、言葉に詰まった。そんなことは考えられない。ここは、辞めることは出来るがそうするともう二度と敷地に足を踏み入れることが出来ない上、ここに居たという記憶の一切を消されるのだ。

つまりは、彰のことも全て忘れてしまうだろう。

今の自分があるのも、彰という存在を知ってその背を追ったからで、彰無しの人生など考えられなかった。

「…話した方がいいですね。」

彰は、頷いた。

「そうだな。辞めるつもりはないのだろう?」

要は、すぐに頷いた。

「はい。オレがオレとして生きているという証のようなものですから。以前彰さんが話してくれた通りです。」

彰は、幾分ホッとしたような顔をした。彰にも、予想がつかないことがあるのだとその時知り、彰が自分にここに居て欲しいと思っているのだと嬉しく思った。

彰は、立ち上がってモニターの前へと戻った。

「じゃあ、後は君の仕事だ。さっさと済ませて懸念を消して来い。思考に差し支える。」

要は、立ち上がって頷いた。

「はい。お邪魔しました。」

要は、そこを出て行った。

彰は、少しその背を見送っていたが、また視線をモニターへと移したのだった。

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