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何だか思っていた以上に上手く話が纏まり、私とメルヴィン君は友人という名のいい協力関係を築けたと思う。
さて、それにあたりもうさっさとセス様を探しに行きたいのは山々なんだけど、彼には一点注意しておかなければいけない。…メルヴィン君が後に天才キャラの一角となる存在だろうと、さっきから年齢のせいに違いないとはいえちょっと色々と稚拙過ぎる。大人の私がちゃんと言っておいてあげないとやらかされてからじゃ遅いからね!
「ちなみにメルヴィン君、大人達にヘタに勘違いされて私達を婚約なんてさせられた日には堪ったものではなく、犬も食わないような失笑ネタ請け合いなので、普段公には近寄って来ないでくださいね」
「そ、そこまで…? え、僕の扱い酷くない?」
「婚約解消は本人同士が拒絶すればどうにかなるにしても、セス様の耳に話が届いて勘違いされたくありませんから」
「あれ、聞こえてない…?」
「セス様以外の同年代の男には、変なフラグ立てたくないので優しくしない事にしているんです」
「すごい…この女、本当に殿下の事しか考えてない…」
私は当然だ、と誇らしげな顔をして見せた。私の世界はセス様を中心に回っている。
何だかメルヴィン君がかなり引いた、いっそまるで私と友人になるのは早まったかと悩んでいるような顔をしている気がするけど、私は気にしない事にした。
羽織らせてもらっていた上着を脱いでメルヴィン君に返し、私は真面目な顔をする。
「じゃ、私セス様に会いに行きますので」
「そう。なら僕はそれの見物に行こっと」
私がようやく今日の本来の目的を果たそうと宣言すると、メルヴィン君も予想の範囲内な返事をして来た。
まあそれはまったく構わないんだけど、一応これも注意しておくか。
「だったら完璧に隠れてくださいね。私とセス様の邪魔したら許しませんから」
「うん、頑張って」
小さく手を振る三歳の可愛らしい男児にちょっぴり癒された私は、笑顔で手を振り返して室内に入る。そこから、はしたくない程度の早足でパーティー会場を壁沿いに周り始めた。
カイン子爵にはまだ私はメルヴィン君と一緒に居ると思われているだろうけど、あまり遅くなると心配して探しに来られてしまうだろう。初対面は出来れば二人きりがいい。早めに見つけないと。
きょろきょろと辺りを見回しながら落ち着き無く早足に歩いている私は端から見たら迷子のように映るかもしれないなとは思いつつも、目も足も止められないしそわそわと湧き立つ心も止められない。
ふと、傍から現れた脚が私と思い切りぶつかった。恐らく相手は下を見ていなかったんだろう。
私は思考の片隅で、やばいちょっと騒ぎになるかもしれないと焦りながらも、勢いには抗えずその場に倒れて尻餅をつく――
その間際、この世の何よりも美しい金色が見えた。
金色は、髪の色で、私は彼に腕を掴まれていて、ええとつまり、私は転ばずに済んだ。いやそんな事はどうでもよくて彼が目の前に、彼とはつまり、彼で。え?
私は、助けられた。誰に? 誰ってそりゃ、そりゃ?
王子様だ。正真正銘の王子様だ。私の好きな人だ。セス様だ。
転びそうになった私を、颯爽と現れた世界一格好良いセス様が腕を掴んで助けてくれた。これが事実。うん。
「気をつけろよ」
ぶっきらぼうにそう言うと、春の空の色のような美しく優しい青色の瞳と視線が私から外れ、金色の髪をさらさらと靡かせながら、この世の王子様というものの理想で作られたようなその男の子、セス様は去って――
待て! 去られちゃ困る! 初対面で助けられたのにお礼も言えず挨拶も出来ずおしまいなんてありえない!!
「あ、ぁあ…っ!」
引き止めようとして、ただ呻いているような声しか出なかった私は死にたくなった。でも一応、セス様は訝しげに振り返ってくれた。
せっかくの少女漫画、いやまさしく乙女ゲームみたいな出会い方をしたというのに、ロマンチックとかそんなもの以上に混乱してセス様が格好良過ぎて思考が散らかる。
ただでさえ見た目が三歳時点でも最上級に格好良いというのに、こうもスマートに女の子を助けるだけ助けて、気をつけろよの一言で去るって何? しかもそんな彼は王子様って、惚れさせる気しか無くない!?
さっきから私にぶつかって来た人が謝って来ているような声が聞こえている気がするけど、ちょっと邪魔だし黙っていて欲しい。私は今から散々練習したセス様との初対面用の台詞を――
……あれ、私の初対面で言う予定の台詞って結局何だった!? また忘れ…違う! 今はその前にお礼!!
「あ、ありがとう、ございます…!」
「ああ」
返事だけしてまた背を向けてしまったセス様に、私はセス様の腕を掴むなんて畏れ多くて出来るはずもなく、むしろ髪の毛の先さえ触れる訳も無いので、声で呼び掛けるか前に回り込むかしか無い。しかし前に回り込むのは人混みでは難しい。なんだこの生きた障害物達は! 邪魔だな!
私は必死に初対面の台詞を思い出そうとして、一文字も思い出せなかった。そんな事をしている間にもどんどん離れて行くセス様が遂には見えなくなってしまいそうだったので、私はとにかく何も考えず気持ちをそのまま吐き出した。
「必ず幸せにします! 結婚してください!!」
そして何故か初対面三歳にしてプロポーズをぶちかました。自分でも何を言っているのか最早わかっていない。
私の大声とその内容に周囲が静まり返り、だけど少し遠くから一人大笑いしているソプラノの声が聞こえた。絶対メルヴィン君だなと思った。
いやメルヴィン君も周囲の大人もどうでもいい。問題は、こんなバカな事をされたセス様がどう思っているかだ。
私は恐る恐るセス様を見た。
セス様は…それはもう、嫌そうに、私を見ていらっしゃった。
……い、いやぁ! 怒っていらっしゃる! 違うんです、私は初対面からこんな嫌われるような事をする気なんて毛頭無く、心の叫びが理性を無視して急アクセルを!! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!
「親から何か言われたか?」
セス様は私をバカにするように言うと、鬱陶しいものを見るような目で私を睨みつけまた背を向けた。
ああ…くそ、よりにもよって私の意思じゃないと思われた。そりゃ、いきなり結婚なんて持ち出したらそう思うか。でも、だけど、自分に自信が無いネガティブなこの頃のセス様に、王子だから擦り寄っただけだと誤解されたままなんてイヤだ。
もう、セス様の私への第一印象が最悪なものになってしまったのは仕方ない。全部私が悪い。だけど誤解だけは解かなくちゃ。
「私は、…私は! あなたの事が好きで好きで好きで大好きだから、結婚を申し込みました! あなたが王子様だとか親の出世とかそんな事はどうでもよくて、むしろ王子様でなかったらもっと結婚するの簡単だったのにとさえ思っています! というか、あんな助け方されたら私でなくても惚れます…っ!」
周囲の注目を集めている事実なんて無視して、公開プロポーズに引き続き告白し続けた私はここまで言ってやっと、私はそもそも告白する予定は無く友達になる予定だった事を思い出した。めちゃくちゃだ。
せっかくセス様が転びそうな所を助けてくれたから騒ぎにならずに済んだのに、自分でもっと大騒ぎを起こしてしまった。しかもセス様を巻き込んで。
興奮と上手く行かないやるせなさで涙が目に滲む。真っ赤になっているのは、生まれて初めて告白した羞恥のせいもあるだろうけど。
「ご、ご無礼を承知で申し上げます。私とご友人になってください、セス様…!」
私は色々遠回りした末に、前の自分の言葉ともいまいち噛み合っていない当初の予定の台詞を言いながら頭を下げた。
ここまで初対面で好きな人に醜態を晒しても諦めない私は、一周回って大物じゃないだろうか? まあ、普通に断られるだろうけど…泣くのはトイレまで堪えます……。
「……結婚じゃなかったか?」
セス様が険しい顔のまま聞いてきた。あ、そこ突っ込むんですね。
「あれは口が滑っただけです。忘れて…いえ、心の片隅でだけ覚えておいて後は忘れてくださると…」
「お前、嘘吐けないだろ」
「ふ、ふふ…御察しの通りで」
セス様の呆れていても美しいお顔を見ながら、私は空笑いした。
私のアホさ加減はとてもわかりやすく滲み出ているらしい。メルヴィン君に思われるのはいいけど、セス様にまで…。つらい。私は三歳児だけど前世の十六年分の記憶があるはずなのに、大人の余裕をまるで持ち合わせていない。いや十六歳はそもそも大人とは言えないかもしれないけど、それにしたって。
さっきから、前世の記憶があるからといって何事も上手く行く訳では無い事を身を以て思い知っている。脳内シミュレーションでは上手く行っていたのに、実際にその通りに行動出来ない…っ! 頭の中では私は最強ヒロインだったのに!
「名前は?」
セス様が淡々と質問なさった。…これ、たぶん面倒な奴として名前記憶しておく為に聞かれているやつだ。
私は消沈しながらも、黙っている訳にはいかないので口を開いた。
「リリアナ・イノシーです…」
ごめんよカイン子爵。次期王様にイノシー家が嫌な覚えられ方されちゃったかもしれない。でも私の方が落ち込んでいるし死にたさ半端じゃないから許してくれ。
「いいだろう、リリアナ。俺の友人になれる事を誇りに思え」
私は五秒の沈黙後、セス様のお言葉を反復し、やっと意味を理解して目を見開いた。
「…え、本当に?」
「お前は何なんだ。俺はどうしたらいい」
「あ、違うんです違うんです! まさかあんな醜態を晒したのに了承してもらえるとは思わなくて!」
むしろあまりにも現実がうまく行かなさ過ぎて自分の心を守ろうという防衛本能による幻聴だったんじゃないかと、わりと本気で疑っていた。だけど私の反応へのセス様の白けたような返答からして幻聴では無いらしい。
しかし、私は我ながらセス様に嫌われるならまだしも好かれはしない事しかしていないと思うんだけど。何をどうして結論だけが私に都合の良い展開に…?
「お前は嘘を吐けないんだろ? 楽でいい」
バカでよかった!!
まさかこの嘘を吐けない性格が功を奏する日が来るなんて!
「セス様のご友人になれるだなんて、私は世界一の幸せ者です! 私、リリアナ・イノシーは! 永遠にセス様の味方であり続け、セス様に嘘を吐かず、セス様を幸せにする事を誓いますっ!!」
「うるさい」
私はピタリと口を閉じた。私の情熱の火なんてセス様のご迷惑になるのなら無理矢理にでも瞬間消火だ。
セス様は、そんなわかりやすい私に呆れてかそれともあまりにも滑稽な生き物を見たせいか、失笑に近い笑みを浮かべた。
私はそれに見惚れる。こんな意味の笑みでさえ格好良いって、この方は神様に愛された人間なんだと心の底から思う。そしてそんなセス様にお会い出来た私も、やっぱり神様に愛されている。
「まあ、一応よろしく」
セス様はそう感動的な言葉を言うと、ご自身のお手を私の前に出した。私はそれを、手まで美しいとはとまじまじと見つめる。このセス様のお手を象った模型が欲しい。
「おい」
「え?」
「…お前、面倒臭いな」
「え!?」
私は何か粗相をしただろうかと思って、粗相しかしていないなと思い直す。だけど今何かしただろうか?
意味もわからないまま慌てている私の手を、セス様が取った。私は固まる。
「だが、これはこれで少し面白い」
セス様が笑った。優しいけどちょっと意地悪な笑みだ。私は熱に浮かされる。
繋いだ掌から伝って頭のてっぺんから足のつま先まで痺れて行く。脳髄を溶かされる。
恋をした。
おかしいな、ずっと前からこの人に恋しているのに、確かに今もう一度恋をしたと思った。ああ、好きだ。好きだ。好き。愛している。
私はセス・キャボット様の事が、セス様の事だけが、きっと一生涯…いや死んでも好き。だって前世で死んでも変わらず好きだったんだから。永遠に好き。
この世界で私は、この人だけを愛している。他の全て要らない。この人だけがこの世界で…私の世界で、本物だ。
この気持ちが逃避と依存の果てに塗り固められた到底美しいとは言えないものだったとしても、私はセス様が好き。
それだけで生きて行ける。
神様、ありがとうございます。今日も私は幸せです。
レディローズとは比べものにならない程恋愛小説していますが、もう少しだけジェットコースターを上がっている主人公に付き合ってあげてください。
普段こんなガチガチの恋愛小説書かないから私が書いていて一番恥ずかしい。