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社交界に出ても恥ずかしくないレベルの立ち振る舞いが出来るようになり次第で社交界にお披露目させてもらえる事になった私は、メイドのシャーリーから毎日たくさんの事を学んだ。
部屋には新しく本棚が備え付けられ、三歳児の部屋とは思い難いぐらいにお勉強の本が並んでいる。また、この歳にしてお勉強机というものも買い与えてもらった。
午前中のお勉強が休憩時間に入ったので、私は汚れ一つないまだ新しいお勉強机に羽ペンを置き、大きく伸びをした。
「お嬢様は物覚えがよろしいですね」
先生役をやってくれているシャーリーが普通に褒めるように言ったそれに、笑顔を返す。
「そうかしら? 嬉しいわ」
異常性のかけらもなく、前世から知識がある事をおさらいする以外のものに関しては、覚えが良い方の子だというぐらいの能力。怪しまれない、精神的に三歳より本当は大人なのにその程度な私。私は天才じゃない。
偉人になりたい訳じゃない。セス様と結婚し王妃になっても遜色ない程度の能力を、今から必死に努力して手に入れられればそれでいい。
立ち振る舞いのお勉強は順調で、このまま行けば一月後の社交界は大丈夫そうだとシャーリーがカイン子爵進言してくれた。一月後、私は前世から恋い焦がれたあの方に会える。
あまりお勉強に打ち込み過ぎると心配されるのはもう学んでいるので、私は休憩時間はちゃんと休むべくシャーリーと雑談する為に口を開いた。
「私のドレス、白くてふわふわのきらきらがいいなんて曖昧な話しか出来なかったのだけど、あの仕立屋さん私が気に入るものを用意してくれるかしら?」
「何か具体的なイメージがあるのでしたら、今からでも追加出来ると思いますよ」
「追加…そうね…」
初めての社交界、正直そんな事はどうでもいい。あまりにもダサい格好をしていたら子爵令嬢として問題だけど、私はまだ男の目に止まるように着飾るには少々早い年齢だ。
だけど、セス様との初対面で第一印象を決める格好となると話は別で。
でもなぁ、さすがに納期まで一月も無い段階でデザインからやり直せは酷いだろう。王族の言葉は絶対で貴族の言葉も重過ぎる世界だから、仕立屋は無理やりにでも何とかしてくれるだろうけど、出来るなら余裕を持った良い仕事をして欲しいし。
「当日の髪飾りにユリの生花も使いたいわ」
という訳で、ドレスとは別のそう大変じゃなさそうな注文にしておいた。それでも一月後にちょうど綺麗に咲いているユリを用意する手間はあるけど、まあこれぐらいの我が侭ならいいだろう。
リリアナの名前はユリの花から来ているから、やっぱりユリは使いたいところだ。名前と関連付けてセス様にも覚えてもらいやすいかもしれないし、ユリの花の子という印象は中々良い。私は今とても清楚可憐な美少女だし、ストロベリーブロンドの髪も紫色の目も、白いユリとよく似合うに違いない。
「かしこまりました。お伝えしておきますね」
私はにっこりと機嫌良く笑った。一月後が楽しみだ。いやこの世界で生きられているそれだけでも毎日が楽しいんだけど。
「ところでお嬢様、何か欲しい物や行きたい所はございますか?」
「え?」
私は唐突な話題の転換にきょとんとシャーリーを見た。まあ、見たところでシャーリーの無表情から私は何も読み取れはしないんだけど。
私の誕生日まではまだ半月ある。毎日お勉強を頑張ってはいるけど、それは私が望んでむしろお願いした事だし、特別ご褒美をもらえるような何かをした覚えはない。
「最近お勉強に精を出されておりますが、あまり良い子過ぎるのも親は心配なものなのですよ」
私がよっぽどわかりやす不思議そうな顔をしたのか、聞かなくてもシャーリーが答えてくれた。
ご褒美じゃなく、もっと子どもらしく遊んだり我が侭言えよという事か。確かにカイン子爵は気にしそうだ。あの人過保護っぽいし。
うーん…でも、欲しい物?ううーん……セス様以外浮かばない。食べ物は、この世界にあるものは前世の世界にもあるけど前世の世界にあるけどこの世界にないものがいくつかあるようだから、変にボロ出したくない私は馬鹿正直に食べたいものを言えないから却下。服やアクセサリーは毎日違うものより本当に好きなもの似合うものがいくつかあればいいって考え方だからわざわざ欲しくはない。もうお花でいいかなぁ。好きだし。でも庭に行けばあるから、それじゃあ我が侭を言って欲しいんだろう期待には応えられてないよね。
行きたい所、なら城下町とか?いや、それより今は断然お勉強していたい。城下町を漠然と観光なんてしていたら一日潰れそうだし、それは時間がもったいない。
あー…ダメだぁ。私の今世の欲ってセス様に関する事しかないかも。それ以外全部、死んだ時前世に置いて来ちゃったみたいだ。私今生きてるだけで幸せだし――
「…あ、私、教会に行きたいわ」
「教会、ですか?」
「ええ、そう。近くのでいいのだけれど、ダメかしら?」
シャーリーは黙ってじっと私を見て来る。私はどう反応すればいいのかわからないので、とりあえず笑い返した。シャーリーがため息のような深い息を吐く。
「かしこまりました。旦那様にお話ししておきます」
「ありがとう」
よし、これで神様に会いに行ってお礼を言える。何だかやっぱり三歳児のお願いとしては求められていない事を頼んでしまった気がするけど、私が教会で心底喜んでいる所を見せてカイン子爵に報告してもらえれば結果オーライになるだろう。
さて、そろそろお勉強の再開時間だ。私は勇んで機嫌良く羽ペンを持ちいつでも始められる態勢に入る。
「…お嬢様、甘いものは好きでしたよね?」
またシャーリーが脈絡無く話を転換させた。無表情も相まってかなり不思議ちゃんみたいになっているんだけど、まあ彼女なりに色々考えているんだろう。シャーリーは優秀なメイドだ。むしろ私が鈍感過ぎてさっきから彼女が言いたい事を汲み取れていないのかもしれない。
「ええ、家のお食事はどれも美味しいけれど、特に甘いものは好きね」
私は前世からたぶんまったく味覚が変わっていない。細かいところはもしかしたら違うかもしれないけど、甘いものは前世から大好きで今世も大好きです。
今世の食の不満をしいて言うならお米を食べられない事だ。パンも麺も好きなんだけど、元日本人としてはやっぱりお米食べたい。この世界なら何処かに稲がありそうな気がするから、もう少し成長して発言力が強くなったら探してみるのも有りかとは思っている。
それ以外は貴族で良いものを食べられているからか、この世界の食事は前世に負けず劣らず元々美味しいのか、毎日食事を楽しめている。あー、でも甘味系もちょっと今世は少ないかな。健康的ではあるけど果物ばかりだ。
「失礼ながら、少し席を外させて頂きます。少々お待ちくださいませ」
「行ってらっしゃい」
シャーリーがお勉強開始時間になった直後に離席してしまった。なんだろう。話の流れからして甘いものでも持って来てくれるんだろうか?
私は、でももうお勉強開始時間になったしと自分に言い訳してマナーの本を開いた。シャーリーに詳しく聞く事や実際に動いて学ぶ事もあるけど、座学で何とかなる事なら一人でも学べるからね。
上の者と下の者に対する言葉の使い分けはもうだいぶ自信があるけど、歩き方、立ち方、座り方、そういうのだけでも細かく美しい立ち振る舞いというのがあって覚えるのが大変だ。いくらかわいい娘に頼まれたからって、三歳児に社交界に出てもいいと許可を与えたカイン子爵はちょっと異常だったんじゃないかと思ってしまう。
私が集中していると、お勉強机に何かが置かれた。はっとして顔を上げると、いつの間にかシャーリーが戻って来ていた。集中し過ぎていたらしい。
この周りの見えなさではあっさり誘拐されたり何かの陰謀に巻き込まれたりしそうなので、直した方がいいなと思いながら何を机に置かれたのか見る。
お皿の上に数枚置かれているそれは、茶色くて、薄くて、角ばっていて、表面には艶があって、約三センチ四方の一口サイズで、とても見覚えがあるものだった。
「チョ、」
チョコレートだー…!! わー! 私、チョコレート大好き! うわぁ、この世界にもあったんだ! 文明の発達具合からして、たぶん無いって諦めていたものの一つだから嬉しい!
この世界でセス様の事以外で初めて私は大喜びしている!
「ちょ、ちょっと、それは何かしら…?」
だけどチョコレートを見た事がない私がチョコレートを知っていて大喜びするのはおかしいので、私は下手な演技をしなければならない。めっちゃそわそわする。そしてそのそわそわが明らかに見た目にも出てしまっている。
恐る恐るというように見えているかはわからないけど、とりあえずシャーリーをちらちら窺いながらチョコレートを手に取り鼻に近づける。あぁあ、この甘さとカカオの香り最高。
「焦げ茶色なのに甘い匂いがするわ」
「甘いですよ。それはチョコレートという食べ物で、見た目はあまり食べ物らしくなく苦そうかもしれませんが、生産量は多くなく貴族でも毎日は食べられない希少な甘味です。ご賞味くださいませ」
あ、チョコレートって見た目じゃ食べ物にさえ見えないのか。前知識無いと、うーん確かにそうかも。近いものを考えると石なんかになりそうだもんなぁ。
まあでも、シャーリーも食べられると言っているし、子どもは好奇心強くても自然だろうし、何より私が食べたいし食べたいし食べたいし、食べても大丈夫だろう。
「いただきます」
一口食べれば今世では初めてでも口馴染んだ優しいミルクチョコレートの甘みと香りが口の中に広がる。口内の熱でちょっと溶けるチョコレートを噛んで、味と同時に食感も楽しむ。美味しい。幸せ。
「お気に召しましたようで良かったです」
何も言わなくても伝わっている。私本当に嘘吐けない女だな…セス様相手にも前世の事とかゲームの事とかぽろっと言ってしまわないか不安だ。
シャーリーは見た目が無表情なのでやっぱり察し難いけど、なんだか声の感じが機嫌良さそうだ。というか、嬉しそう。
うーん、あー、三歳児が机にかじりついていたらそりゃお父様だけじゃなく身近な年上のお姉さんであるシャーリーだって思うところはあるよなぁ。いくら仕事だって。私がシャーリーの立場でも甘いものの一つでも与えて子ども扱いしたくなるかも。
「シャーリー、私これ、また食べたいわ」
「かしこまりました。旦那様にお伝えさせて頂きます」
シャーリーは優しい声で答えてくれた。私の反応は、これで正しかったんだと思う。
どうせこの先セス様の事で我が侭な言動を取る事があるだろうから、そんなに私の事気遣ってくれなくていいんだけどなぁ。無理か。私、三歳の幼児だもんね。